3-9
ステージに立つまでは十分となかった気がする。気がつけば体育館にいて、法被を着た実行委員に案内されて、もう舞台袖だった。
夏美は楽しそうに口笛を吹いていたけど、ほかのメンバーは微妙な顔をしていた。ただ水嶋さんがこの場にいないだけマシという感じで、でも私なんかに歌わせて大丈夫かみたいな、そんな雰囲気も出していた。私もそれ以上彼女たちに聞こうとも思えなかった。
「それじゃお願いします」
実行委員が声を上げ、カーテンが開く。
私たちは各々楽器を持ち寄り、舞台上に上がっていった。
客席は、はっきり言ってまばらだった。手前に軽音部の連中が何人かいて、後ろに先生と親が何人か。あとは子連れの親御がいるぐらいだった。オーディエンスは最悪。ボーカルは代役。彼女たちラスト・サマーズにとっては、最悪のラスト・サマーに違いなかった。
「こんにちは。私たちは軽音楽同好会三年のラスト・サマーズです。私たち四人は、仲良し女子四人組で結成したガールズバンドで――」
放送委員が用意された原稿を読み上げる。ぜんぶ嘘だった。ぜんぶ。何もかも。ここにあるのはすべて嘘で、歌も詞も何もかもフィクションだった。私たちの青春がいかに嘘と欺瞞に満ちてるかを示してくれていた。
私は今にもステージを降りたくなる衝動に駆られた。代役だなんて、引き受けるんじゃ無かった。彼女たちのギスギスして、アンバランスな友情に足を踏み入れるんじゃ無かった。きっと一生ステージに出て歌ったことを後悔するんだろうなと思った。
でも、寸前にその思いは変わった。
体育館の出入り口、開け放たれた真っ青な引き戸の手前に黒い人影。半袖のワイシャツにジーンズ、短く切りそろえた髪。
――兄さん?
間違いない、樹兄さんがそこにいたのだ。私が代役を買って出たなんて、それを聞きつけたかどうかは知らないけれど。ともかくそこにいたのだ
「聞いてください、『ここでキスして』」
夏美が言い放ち、演奏はスタートする。わたしは震えた手でマイクをつかむ。小刻みに震動する指先。でも、あの人の顔を見て、喉を震わせた途端、それはどこかに消え去った。
このときの感覚は、なんと言ったら良いんだろう。言葉の端々から椎名林檎がにじみ出てきて、私の背中に立って身体を支えてくれるような。そんな感覚だった。
「あたしは絶対あなたの前じゃさめざめ泣いたりしないでしょ……」
†
でも、結局のところあと歌はあの人まで届いてなかったのだ。文化祭に帰り道、私のことを待っててくれた兄さんが「まだかサリーがステージで歌ってるとは思わなかった。カッコよかったよ」って褒めてくれたけれど。でも、私は彼に見合う女ではなかったわけ。彼が現代のシド・ヴィシャスでもないし、私もそれに手錠をかけられるような女でもなかったから……。
私がそこまで話し終えると、雨宮さんはスマホで何かを調べつつ、ギターを鳴らした。椎名林檎の『ここでキスして』だった。
「ひどい一回目。それで、二回目は?」
「わかってるでしょ?」私は花束を窓辺に置いた。マイクをつかんだままだったから、私の声は舞台役者みたいに大きく反響していった。
「あの日、兄さんの結婚式の日。私はムシャクシャして、新宿の雨の中歌った。そしたらそこには運悪く――」
「運悪くわたしがいた、ってことね」
「そう。ねえ雨宮さん、私いま無性に歌が歌いたくて。雨宮さんのギターをカラオケ代わりに使うのって、アリ?」
「そうね、やれる範囲なら」
彼女は言葉の代わりにギターで答えた。不安定で美しい旋律。何の曲かはなんとなくわかった。
♪
I'll never be able to give up on you
So never say good bye and kiss me once again
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