3-8
†
「サリー! ねえ、サリーお願い! 歌ってほしいの!」
文化祭一日目の朝。私は図書室横のゴミステーションにいて、目の前には頭を九〇度にさげた友人がいた。
初日は雨だった。文化祭には最悪の天気。
この雨は、かれこれ昨日の前夜祭から降り続いている。おかげで昨日はみんな泥だらけのグラウンドを駆けずり回ることになった。夕方の前夜祭は、まず実行委員会の号泣会見から始まって、それからAKB48の新曲がスピーカーから流れて、最後にはジャージ姿の生徒たちが泥の中を飛び跳ねて回った。なにが楽しいのかよく分からないけど、みんな雰囲気に酔ってハメを外したくて堪らなかったんだろう。何をするかはさして重要じゃなくて、いつ誰としたかが大切だったわけ。
で、その余韻はこの初日の朝にももちろん残っていて、ちょうどゴミステーション横の軒下には生乾きのジャージが物干し座に吊してあった。こんな天気じゃ乾くはずもないのに。
「アイコのやつが昨日はしゃぎ過ぎちゃってさ、風邪引いちゃったんだよね」
私の前にいる友人は、物干し竿みぼんやり見つめながら呟いた。
――そりゃそうでしょ。
と、私はひどく冷め切った言葉で、そう思った。だけど喉から先に言葉を紡ごうとは思わなかった。
彼女――石井夏美とは中学時代からの同級生だった。私はクラスではそこそこに馴染んではいたけど、でもそれは”よそ行き”の顔をした私であって、ホントのところの私じゃなかった。
夏美だって、本当に友達って言えるかと言うと、正直には答えられなかった。
「アイコ――って、水嶋さんだよね。今朝いなかったのそういうことだったんだ」
「うん。昨日、みんなでグラウンドで駆け回ったじゃん。前夜祭恒例の泥祭り。そこでハメ外してさ、濡れたジャージのまま家に帰ったらしくって」
「それでまんまと風邪をひいたと」
「そうなんだよ。今日あたしたちのライブだっていうのに!」
夏美はバンドでベースを弾いていた。軽音部で彼女は四人組のガールズバンドを結成した。そして今日は、その集大成。本当なら四人そろって演奏をするはず。なのに、ボーカル不在というわけだ。私の役回りはそのピンチヒッター候補だった。
「ギターボーカルでもやらせればいいんじゃないの?」
「ダメ、マナはギターは上手いんだけど歌はヘタクソだから」
「じゃあ夏美が歌えばいいじゃん」
「楽器弾きながら歌うの超大変なのよ……」
「だからって私に相談する? 私、帰宅部だし。軽音とはまったくつながりないのにステージ出ちゃっていいの? それにぶっつけ本番だし」
「リハーサルはするよ」
「にしたってぶっつけじゃない。ほかに軽音部にアテはいないの?」
「まあ、いなくは無いけど……。でも、サリー。あたしね、あなたに頼みたいの。このあいだ一緒にカラオケに行ったじゃん。そのときのサリーの歌声、すっごい良かったの。メンバーもみんな言ってるのよ。アイコの代わりが務まるのはサリーだけだって」
夏美はそう言うと、私にUSBメモリーみたいなものを渡してくれた。どこのブランドかもわからない、チープな携帯音楽プレーヤーだった。
「持ち時間は十五分。やれるのは三曲。チャットモンチーと椎名林檎。サリーも聞いたことあるでしょ? このあいだカラオケで『ここでキスして』歌ってたじゃん」
*
結局、私はボーカルを引き受けるハメになった。頼まれたら断れない性格、という訳じゃないけど。でも友達のお願いを無下にするほどの残酷さは持ち合わせてなかったから。
といっても、練習時間はほんと半日も無かった。ステージが始まるのは夕方から。私たち――というか、夏美たちのバンド”ラスト・サマーズ”の出番は、午後三時から。もう五時間を切っていた。
私は出番が来るまでのあいだ、ずっと図書館裏にいた。誰もいないし、雨で音も聞こえづらいから練習するにはちょうど良かった。
トタン屋根を不規則に打つドラムマシンが、トリッキーなリズムを刻んでいる。私の隣では、そのリズムにつられながら夏美がベースを弾いてくれていた。メロディラインを引いて私が歌いやすいようにしてくれた。
「こころと、あまたよずっと寄り添っていて。二つで一つでいて。離れていたらかなりしんどいのよ。どっちも正解にしてあげるよ」
私の歌は、歌詞を読み上げる機械みたいだった。感情なんてこもってない。まあ、それなりに歌えてる自信はあるんだけど。でも、曲の伝えたいことを表現できているかと言えば、怪しかった。そもそもなんで私なわけ?
「こんなもん?」
ひとしきり歌い終えたところで夏美の方を向くと、彼女も少しだけ首を傾げていた。答えはノーだろうね、そりゃ。カラオケの雑音のなかで聞いていた歌声と、バンドで歌うのを一緒にしちゃダメだよ。
「良い感じだとは思うよ」
――嘘だ。
「あとはバンドで合わせてみようよ。もうすぐ昼休憩で体育館空くから、そこで練習しよう」
雨脚が徐々に弱まってきた。トタン屋根がリズム打ちをやめて、代わりに溝から滝のように黒い水を流し始めた。きっと落ち葉だとか、砂埃だとか、この学校には私たちがいた三年間以上の思い出が詰まっていて。それがこうして時折汚れになって流れてるんだろうな、と思った。
ベースをケースにしまうと、私たちは二人体育館に向かった。校内はすっかりお祭りムードに戻っていた。大雨だからか、ちょっと客足は少なかったけれど。でも、そのぶん屋内に人がぎゅっと集まって、活気はあるように見えた。去年よりは盛り上がっているような気がした。
「あの、今更なんだけどさ。なんか私、水嶋さんに申し訳なくなってきたんだけど。ポッと出の私が歌っていいの?」
「いいのよ」
夏美はベースを背負い直しながら言った。
「ぶっちゃけて言えば、みんなアイコのことがあんまり好きじゃないの。歌は上手いけどさ。ほら、アイコって自分で曲書けるし、バンドというよりシンガーソングライターというか、アイドル志望みたいなとこがあって。ほら、アイコってモテるじゃん。童顔で背も低くて、歌もうまくてさ。バンドがやりたいっていうか、歌を歌いたいから軽音にいるのよ、あの子。それでガールズバンドだったら見栄えが良いと思って、あたしたちのバンドに入った。ガールズバンドだったら誰でも良かったんだよね、あの子」
「夏美たちがそう思ってるの、水嶋さんは気付いてるの?」
「たぶんね。ほら、昨日だってサッカー部の早川君とイチャイチャしてたじゃん。風邪引いたのだって、早川君たちとハメ外したからなんだよね。だからさ」
夏美は一拍おいて、きゅっと上履きを鳴らしてから言った。
「あたし、アイコがこのタイミングで風邪引いて、実はちょっとうれしいんだ。私、アイコよりサリーにボーカルになってほしかった。サリーがバンドにいる三年間のほうがよっぽど楽しかった気がする」
「そこまで言う?」
「言うよ。女の友情なんて儚くて脆いんだから」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます