3-7

 言われた通りいったん外へ出てから、右側の階段を降りて地下へ。階段は真っ赤で、シルバーにくすんだ手すりが妖しげな雰囲気だった。楽器屋のスタジオというよりも、ピンク映画の劇場と言っても通用するくらい(行ったことないから想像だけど)。

 階段を下る途中からギターの音がしていた。それは低く重たい音ではなくて、明るくてカラッとした、しかし悪く言えば薄っぺらい、よく言えばレトロな雰囲気の音だった。切ない旋律。どこかで聞いたことがある。

 私は気づいた。そして気づいたときにはもう口ずさんでいた。


「僕はいま十九歳で、世界はあと一年で滅ぶと信じていたけれど……」


 知らない歌のはずなのに。その歌のことを昔から知っているみたいに言葉が出てきた。昨日の夜、ピアノのアプリで鳴らした音と同じ音がした。同じメロディがしていた。

 するとそのとき、Bスタの扉の向こうで彼女と目が合った。

 そこに雨宮純はいた。

 一人で入るには少し大きめのスタジオに、ノートパソコンのギターを広げていた。パソコンに繋がったマイクは、ギターアンプにつなげられていた。

 彼女は私のことを見るや、それまで弾いていたギターの手を止めた。それからパソコンを何か操作してから、ギターを近くの壁に立てかけた。

 防音窓の向こう、彼女の顔はムスッとしたままこう言っているように見えた。

「待ってた」と。


 恐る恐る防音扉を開けて入ると、彼女が無言で座っていた。

「あの、私、話を聞きにきたんだけど」

 私は開口一番にそう言った。

 雨宮さんは少しだけ目をキョロキョロさせてから、「話って?」と答えた。

「まずはこの花束。どうして私に返したの?」

「だってあなたのでしょ」

「そうだけど。別にそのまま捨てても良かったのに」

「あなたは人からもらったモノを――それも、結婚式で手にしたであろうブーケを――そのままゴミ箱に投げ捨てても、ほんの少しも自分の善意が傷つかないの?」

「そうじゃないけど。でも、そうじゃなくって。だとしたら、あの手紙はなに?」

「それは――」

 言って、彼女は立てかけたギターを手に取り、試し弾きでもするみたいに音を鳴らした。ポロン、とコードが響く。何のコードかはいまいちわからなかった。私、ピアノを習っていたはいいけど、別に絶対音感ってワケではないので。

「私なりにあなたにメッセージを送ってみようと思って。あのときの酔っ払って花束を歌ってたあなた、すごくカッコよかったし、でも何か暗い影が見えた。そんな気がした。そんな人に花束を返すとき、何かわたしにしてあげられることは何だろうと思って」

「それで自分の曲の歌詞を書いて添えた?」

「だとしたら?」

「なんていうか。なんだろう。誰かに歌をプレゼントするなんて、そんなキザなことするのは昭和のメロドラマの中だけの話だと思ってた。現実にそんなことする人がいるなんて思わなかったし、それも同性に慰めでやられるとは思わなかった」

「傷ついた?」

「いや」

 ――っていうよりも、

 私はその辺に転がっていたマイクスタンドを手に取った。本当は雨宮さんが歌を録音する気だったんだろうけど。

 花束を持った手で、一緒にマイクをつかむ。萎れかけでも花の香りがふわっと広がった。

「なんていうか、笑えてきちゃった。そのスノッブな感じ、どこか兄さんに似てるかも。……私ね、この花束捨てようと思ってたの」

「捨てる?」

「そう」

 私は雨宮さんにそれまでのことを話した。あの夜、私に何があったのかを。大好きな人の結婚式に行って、よりにもよってその人のお嫁さんからブーケを受け取って。本当なら一緒になりたかった人から「幸せになってね」なんて言われて。そんな善意がイヤになってしまって。でも、あの人のくれたものを捨てられるはずがなくって。だからムシャクシャして、消えてしまいたくなって。お酒を飲んでもすっきりしなくて。イヤフォンで耳を満たしたら、この世から消えられる気がして。吹っ切れて歌った。そしてそこに現れた女にすべてを押しつけたら自由になれる気がして、背負っていた重圧をすべて押しつけて帰った。

 それだけのこと。

「なるほどね。わたしは運悪くそこに居合わせたわけだ」

「そうだね、ほんと運悪く」

 へへ、っと私は笑った。

 雨宮さんはあまり表情を見せないけど、このときは少し笑っている気がした。

「あのね」

 私はあらためてマイクを握り直した。

「私、人生で二回だけ人前で思い切り歌ったことがあるの。一回目は、高校生のとき。文化祭のバンド演奏でね、友達のバンドのピンチヒッターだった。ボーカルの子が前日に風邪ひいちゃってさ。それで、私に白羽の矢が立ったんだ」

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