3-10
しばらく私は声を張り上げ続けた。防音窓に立てかけた花束に向けて。萎れかけの花束をサンドバッグ代わりに、あの人がくれた言葉や思いに向けて。
それは高校時代の軌跡をなぞるみたいなもの。あのとき一瞬だけステージに立った私の輪郭をなぞるみたいに。
あの日のステージほど退屈なものは無かった。誰かの代役。誰かの喧嘩の仲裁役。三年間の思い出をなあなあにして終わらせるための折衷案。まあまあ歌が歌えて、誰とでもそこそこ仲が良いから選ばれた私。そこに私の主張なんてどこにもなくて。ただあの場にいた大好きな人にラブソングを歌い上げるだけでも良かったのに。
それなのに正直になれなかった自分がいて。
一方的に思いの丈をぶつけただけで満足すれば良かったのに、見返りを求めてしまう自分がいて。自分があの人の隣にいないコトを今でも嘘だと思ってしまう。
でも、それが現実なんだ。
だから、私はスタジオまでやってきたのかもしれない。
「次、チャットモンチーって弾ける?」
「コードを見ればなんとなく。知ってる曲は多少ならあるけど」
「『こころとあたま』は?」
「試しにワンコーラスだけ弾いてみる」
雨宮さんが足下のエフェクターを踏む。ギターの音が深く歪んで、鳴らした瞬間に空気が変わった。
こころ
あなたが感じることは
うそのない、気持ちなのね
あたま
きみの考えることが
うそのない、こたえなのね
こころと、あたまよ
ずっと寄り添っていて
二つで、一つでいて
*
もう一曲、もう一曲……
私はそう言って雨宮さんの時間を奪った。彼女のギターをカラオケ代わりにして楽しんでた。花束をサンドバッグ代わりにして、あのとき本当は兄さんに言いたかった言葉をぶつけた。自分の言葉じゃ思いを形にできないから、歌詞を引用して思いを語った。自分の言葉じゃ思いを表現できないから、メロディを使って表現した。
「このスタジオ、時間貸しだから。歌えてもあと一曲なんだけど。何かやりたい曲ある?」
雨宮さんはそう言うと、ギターのチューニングを調整した。
そう言われて私は、すっかり時間が経っていたことに気付いたし。彼女の貴重な練習時間を奪ったことを申し訳なく思った。
スマホを見ると、時間はもう七時を回っていた。気付いてなかった通知がたまっている。LINEが美樹からのメッセージを抱え込んでいた。
〈新宿でこれから飲むけどどうする? 慶大生が三人もいるって〉
〈どうする、サリー?〉
〈あたしら先に東口で待ってるから、着いたら教えて〉
私はそのメッセージに一瞥をくれてから、すぐにポケットにスマホを戻した。
「もう一曲、歌いたい曲があるんだけど」
「曲名は?」
「わかんない」
「わからないって……。それじゃ弾きようが無いんだけど」
「弾けるよ、雨宮さんなら」
「どうして? 誰の曲か言って」
「あなたの曲。あなたが私にくれた曲」
私がそう言うと、雨宮さんは途端に顔を逸らした。いまさら照れくさくなったのかどうなのか、知らないけど。
「たしかに、あの曲まだタイトルを付けてないのよ。だから曲名はわからなくて当然ね。でも、仮に”デストルドー”って呼んでる」
「どういう意味?」
「フロイトが提唱した言葉で、死や破滅への欲求のこと。わたしはこの曲で、消えてしまいたいけど、消えてしまいたくない感情を表したいと思った。そういう怒りとも悲しみともつかない、青臭い感情を。もしそれをあなた――いや、佐藤さんが表現してくれるなら、わたしはいいと思う。人前でまともに歌ったことは二回しかないと言ったけど、その感情をぶつけるような切ない声は、わたしよりもいいと思うから」
「サリー。私の名前、みんなはサリーって呼ぶ」
「だからサリー・シナモン?」
「私のことを歌った曲みたいだと思って」
「そう。サリー・シナモン。ならわたしも純でいいよ」
ギターを鳴らす。コーラスが効いたアルペジオ、Aマイナー7thの旋律。
私は今再びマイクを手に取った。スタジオの予約時間はもうすぐ終わるけど、これがまだしばらく続けば良いのにと思った。新宿でもコンパの話なんて、もう頭の片隅のどこからも消えてしまっていた。
♪
ねえ、
いまここに居るワケと、
理由という名の言い訳を
僕は探したり、汚したり、
ねえ、
しがみつく何かと、
しがみつきたいモノを
僕は貶したり、脅したり、ゆすいだりさ
好きだった小説をゴミ箱に捨てたあの日、
好きだったCDを割り捨てたあの日、
好きな人の手紙を焼き捨てたあのときに、
それ以外の選択を、手にできなかったのかな
僕はいま十九歳で、世界はあと一年で
僕はいま十九歳で、世界はあと一年で
滅ぶと信じていたけれど、だけれど、
僕はもう十九歳で、世界はあと一年で、
僕はもい十九歳で、世界はあと一年で、
滅んでもらわないと、困るんだ、困るんだ、
♪
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