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翌朝、わたしと塔子は大学の図書館にいた。地下一階のカフェ兼学習スペース。ここだけは図書館内でも唯一ムダなお喋りと飲食が可能だった。
「じゃあ何、その通りすがりで遭った女に突然花束を渡されたってわけ?」
二日酔いの塔子は、彼女には似合わぬグリーンスムージーを飲んでた。いつもならワンカップかチューハイあたりを片手にしそうなところだが、さすがに昨日の今日で反省しているようだった。
「ストーン・ローゼズの『サリー・シナモン』を歌ってた。花束を振り回して、まるでモリッシーみたいに」
スティーブン・パトリック・モリッシー。
わたしが敬愛するロックバンド、ザ・スミスのフロントマン。偉大な詩人でありボーカリストだった。彼は最高のギタリスト、ジョニー・マーと共に一九八二年、イングランドはマンチェスターでロックバンド『ザ・スミス』を結成した。そんなモリッシーはよくグラジオラスとスイセンの花束を持ってステージにあがった。その演出は、それまでの無骨で、荒くれて、煙草や葉っぱの煙とアルコールが乱れ飛んでいたパンクロック全盛の世界をすっかり変えてしまった。美しさと悲哀に満ちた花と言葉とで、彼は世界を装飾した。それは彼の女性的な側面であり、皮肉であり、花や言葉の美しさが暴力に勝るという主張の表れだった。
「じゃあその通りすがりの酔っ払いの女がモリッシーに見えて、”一目惚れしちゃった”ってワケね。あんたってとことんスミスが関係してればゾッコンになっちゃうよね」
「別にそういうわけじゃない」
「そういうわけでしょ。普段自分のやってる音楽に口出しされるのがやで、軽音サークルに入っても徹底してバンドに参加せず、宅録で音楽続けて。あげくの果てにサークルに離縁状を突きつけちゃう――そんな女が突然手のひらを返したみたいに『ボーカルにしたい人を見つけた』って。それって彼女がモリッシーに見えて、自分がジョニー・マーに思えたからでしょ」
否定はできなかった。
だからわたしは黙って紅茶を飲むことにした。「それで、その花束――ていうかこれブーケだと思うんだけどさ。その主を探そうってわけ?」
コクリと頷く。
だが、塔子はやれやれと首を横に何度も振った。
「探すたって、手がかりはあんたの記憶とその花束だけでしょ? それでこの東京二十三区内を探そうだなんて……いや、二十三区外の可能性だって、埼玉や千葉、神奈川、果ては結婚式で東京に来ていただけで、そのまま地方に帰っていった可能性だってある。新宿にいたってことは、特急や高速バスに乗って来たって可能性もあるんだから。あー、やめやめ。そんなの絶対見つからないから」
「でも、わたしは彼女に花束を返したい」
「それでもって、もしあんたみたいに拗らせた女だったらボーカルとしてバンドに誘う? まあ、あんたにしては大きな一歩だけどさ」
言って、塔子はポケットからスマートフォン取り出す。メディアプレーヤーを開くと、アーティスト一覧のAの欄をスクロールする。アジカン、アートスクール、アヴリルに並んで『June Amamiya』の表記があった。そして彼女はわたしが初めて出したアルバム、『心に茨を持つ少女』を再生し始めた。高校生の時から作ったアルバムだ。いま聞くと、安っぽさだとか、作りの荒さがよくわかる。
「やめて、恥ずかしいから」
「なんで。だってあんた、それをこの花束の主に歌わせたいだけでしょ。それを恥ずかしいって……」
塔子はそう言いながら、わたしからその花束をひったくった。さすがに一日経ったからか、カサブランカもギプソフィラも萎れ始めていた。そろそろ水にでもつけてやらないと可哀想だ。
と、わたしがそう思っていたときだった。
「あ、これって……」
塔子が何かに気付いたように言葉を漏らした。それから花束をくるりとひっくり返すと、焦ったように言った。
「純、ここ見て、ここ。カードが挟まってる。この花束の持ち主に向けみたい。ほら、見て」
花と花の合間に、名刺サイズの小さなカードが一枚挟んであった。柔らかい薄桃色に花柄の箔押しがされたグリーティングカード。そこには万年筆か何かでこう記されていた。
『サリー、今日は来てくれてありがとう。サリーにもいつか幸せが来ますように。 芳屋樹・舞結』
「これって、新郎新婦から受け取った持ち主への手紙? 名前はサリーって言うのか……」
「甘いよ雨宮純。そこは重要じゃない」
そう言うと、塔子はスマホを取り上げ、再生していたわたしの曲『フラワーホール』を停止した。そして代わりにグーグルの検索ページを立ち上げた。目にもとまらぬフリック入力速度で打ち込んだのは『芳屋樹』と『芳屋舞結』の名前だった。
しばらく検索結果をスクロールすると、彼女はあるページを開いて見せた。それはInstagramの投稿で、結婚式の画像があがっていた。
「これ、この結婚式だよ。昨日長野市であったみたいだね。たぶんこのブーケの主はその参加者」
「塔子、あんたってネットストーカーみたいね」
「まあね。実はこっちの大学に来る前に、好きなバンドマンのストーカーをしていたもんでね。これくらいはお茶の子さいさいよ」
「それ、誇ることじゃないでしょ」
「そう? まったくネットリテラシーの無い奴は色々と載せるもんだから筒抜けよね。……っと、見つけた。候補者はこのあたりじゃないかな?」
と、次に塔子が見せたのは、その結婚式の投稿にいいねをつけた人たちだった。ざっと三十人くらい。そのうち参加者が何人いるかは不明だが、身内がいることは容易に想像できる。
「でね、たぶんあたしの推理では……あ、あった。これだ。彼女がサリーってニックネームで呼ばれてるとしたら、このsally0213ってアカウントが怪しくない?」
と、今度はそのアカウントのプロフィールを開いて見せる。わたしはそれをみて思わず息を飲んだ。
「ねえ塔子、そのサリーってアカウントのプロフ、よく見てよ」
「え? どういうこと?」
「彼女、同じ大学の二年生なんだけど」
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