2-3
店から駅に向かう道中は、往路の二倍は時間がかかった。千鳥足の塔子を案内するのは、それはもう時間のかかる作業だった。しかもその道中、彼女は幾度となく同じ話を続けた。
「ねえ、純。あなたなんでオープンマイクなのにステージ行かなかったの。あなたシンガーソングライターなのに。そのギターは何のあるのよ」
そのたびにわたしはこう返した。
「わたしはレコーディング志向なの。ライブミュージックって柄じゃないし、それにギター一本でどうしろって言うの。わたしはパソコンの前で一人で録音するミュージシャンなのよ」
その返答に、塔子はわかったのかわからないのか、よくわからない有耶無耶な返事をした。そしてまた五分くらいしたら、同じ質問を浴びせてきた。だからわたしも同じ答えを浴びせ返した。
そうして二十分くらいかけて、やっとの思いで新宿駅東口に着いた。でも、塔子は黙って帰ろうとはしなかった。
「ねえ、一服していい?」
そう言うので、わたしは渋々オーケーと言って、一緒に喫煙所に入ることにした。
新宿駅の喫煙所は、雨のわりに人で満たされていた。みんな雨傘を擦りつけ合いながら、煙をふかしていた。冷たい雨風に煙が立ち上って、傘の中で滞留して、消えていった。
わたしも塔子のハイライト・メンソールを一本もらって吸った。彼女のライターは、どこかもわからない安いラブホテルのライターだった。
「でもさ、純は怖いんでしょ」
黙って煙を吐いていた塔子が、急に静かな口調で言った。
「なにが?」
「自分の音楽が否定されることが。だから人前で披露したくない」
「違う。それは的外れな意見。だったらネット上で公開なんてしない」
「たしかに。じゃあ、なんでライブで演奏したがらない? ……ああ、そうか。それが完璧な状態ではないからか」
塔子はときおり核心を突くような言葉を漏らす。それは意識してか、無意識かわからないけれど。
「塔子、あなたわたしの曲聴いたことないでしょ」
「いやいや、聴いたよ。聴いたともさ。聴いた上で、そうだな。あたしが指図したところで、あんた聞かないじゃん。あんたはモリッシーからジョニー・マーからでも言われない限り自分の意見を曲げない。自分以外の人間に楽器を触らせない。自分の世界を壊されたくないから。そうでしょ? だから完璧な自分の世界以外は公表したくない」
「それで?」
「いや。惜しいなと思って。あたし、あんたの曲は好きなんだよ。歌詞も好きだし、メロも好き。でもさ、生っぽくないんだよね。なんか、もっと生っぽくて、青臭くて、完璧じゃない方がいいと思うんだよ。だってあんたは完璧になんてなれないんだもん。それから、あんたの声は変に大人びすぎてて合わない。そんなとこかな。……あ、でもこれは聞き流して。酔っ払って言ったことだからさ」
がはは、と塔子は吸い止しの煙草を持った手でわたしの背をたたく。灰が落ち、そして雨粒ですぐに鎮火した。
「はーあ、一服したら目も冴えたわ。ごめんね、付き合わせて。明日学食でもおごるわ。じゃ、また」
灰皿で吸い殻をすりつぶし、彼女は雑踏の中に消えていく。わたしは手を振ろうとしたけど、そのまもなく彼女は消えた。
†
『生っぽさが足りない』
『完璧じゃない方がいい』
『精神的に肉薄するような』
『あんたの声は変に大人びすぎて合わない』
『リアリティがない』
†
言葉がリフレインする。
わたしはそれをかき消すために、イヤホンで耳を満たした。ウォークマンで自分のアルバムを再生する。三年前に作ったアルバム。河川敷で撮ったアートワークが液晶に映される。一曲目は、『十五歳の産毛の少女』。なんて青臭い曲だった。わたしが敬愛するザ・スミスへにリスペクトを捧げた曲のひとつだった。
だがその曲の間にも、彼らの言葉が聞こえてきた。
†
『生っぽさが足りない』
『完璧じゃない方がいい』
『精神的に肉薄するような』
『あんたの声は変に大人びすぎて合わない』
『リアリティがない』
†
「生っぽさってなに」
とうとうイヤホンすらも彼らの声をかき消せなくなった。
わたしはフィルターまで燃え尽きたハイライト・メンソールを捨てて、おとなしく帰ろうと思った。考えすぎはよくない。いまは黙ってギターでも弾いた方がいいと、そう思った。
そのときだった。
聞こえたのだ。
歌が。
喫煙所を出た途端に、透き通った声が。
聞き覚えのある歌が。
「……サリー・シナモン、ユア・マイ・ワールド」
ぎこちない発音の英語だったが、間違いない。それはストーン・ローゼズの『サリー・シナモン』だった。
わたしは思わずその歌声の主を目で追った。そして、思わず足を止めてしまった。
そこにいたのはドレス姿の少女。歳はわたしと同じくらい? ミディアムボブにした焦げ茶色の髪と、真っ青なドレス。彼女は左手にバーバリーのハンドバッグと、右手には花束を持っていた。カトレア、カサブランカ、ギプソフィラ……。彼女はその花束を振り回し、まるでモリッシーのように歌っていた。
「サリー・シナモン……」
わたしは思わず見とれて、ああ、わたしが居てほしいと思うボーカルってきっとこういうことなんだろうなと思った。どこか鼻にかかったような癖のあるウィスパーボイス。女性らしい高めの声は、しかし透き通った水のよう。イアン・ブラウンの歌声とは似ても似つかないが、だからこその儚さが見えた。それは燃え尽き消えゆく一本の煙草のように。
と、さすがに足を止めすぎた。
その彼女と目があったのだ。いまのわたしは彼女にしてみれば、完全に不審者だった。
「なに?」と彼女。
「なによ。私の顔に何かついてる?」
「いや、そうじゃないけど……」
わたしは必死に取り繕ったが、もう無駄だった。わたしには黙って時が過ぎるのを待つよりなかった。
そうしてしばらくすると、彼女はフンと鼻息を鳴らし、花束を担ぐように持ってから言った。
「あのね、私いまものすっごく機嫌が悪いの。邪魔しないでくれる?」
「邪魔したなら、すみません。でも、わたしは――」
「うるさい。これあげるから、どっか行って。私よりあんたみたいな女の方がきっとお似合いだから」
ぼすん、と花束がわたしの胸元に押し当てられる。彼女は花束から手を離したものだから、わたしは大慌てでそれを拾い上げた。あわや水たまりに浸かる所だったが、どうにか難は逃れた。
「あ、あの!」
わたしは花束を返そうと――それからサリー・シナモンについて話そうと――したけれど、彼女はもう雑踏のなかに消えていた。
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