Gt / June Amamiya
4-1
夜十時過ぎの秋葉原駅は混雑していた。神保町から御茶ノ水まで歩いて、御茶ノ水から秋葉原に行って、大宮行きへ乗り換える。はじめに来た列車が南浦和止まりだったから、わたしはホームで十五分くらい時間を潰す必要があった。
イヤフォンを耳に挿したまま、ジーンズのポケットに入れておいたiPodを取り出した。ダイアルをぐりぐりと回してアーティスト順を一番上まで持ってくると、そこにはわたしの名前があった。June Amamamiyaは、The Animalsよりも、ART-SCHOOLやアジカンよりも前だった。さすがにAC/DCには負けるけど。
クリックしてアーティストの一覧に進むと、そのアルバムが一覧で出てくる。項目は二つだけ。四年前に作ったファーストEPの『心に茨を持つ少女』と、『それ以外』だ。
この状況を見ると、我ながらなんだか小っ恥ずかしい気持ちになる。『それ以外』の中にある有象無象の曲たちは、いつまでそれ以外のまま。この二年間は、蔵の中に燻ったどうしようもない置物と化していた。
――もっとも、そうさせてるのはわたしなんだけど。
電車がくる。
ホームに突風が吹いて、ソーシャルゲームの広告看板が前へ後ろへ大きく揺れた。わたしは立ち上がって、サラリーマンの後ろについて列車の中へ。車内は満席で、座席には座れそうに無かった。もっとも初めから期待してなかったけど。そもそもギグバッグを背負ってる時点で座るのは難しいし。
仕方なく車両の中程まで入っていって、つり革に捕まった。ゆっくりと埼玉方面に向かい出すと、わたしはまた再びiPodを開いた。
『それ以外』の魔窟に入った曲は、ざっと二十曲程度。ふつうにそれだけでアルバム作れば良いのにと思ったけど、なぜかそこから本格的にレコーディングをしていない。デモテープ止まりの曲が七割くらいで、そこからどうするかをわたしは考えていなかった。
だけど、なんとなく今日、それが形になる糸口を掴めたような気がしていた。
でもその答えというのは、正解というのは、これまでわたしがずっと否定し続けていたことでもあった。
つまりそれは、わたし以外の人間にわたしの曲を演らせるということ。
あの日、わたしが芹沢君を無視し、彼が差し伸べてくれた手を振り払った理由。そのものだった。
†
一年前、ちょうどわたしがサークルを辞めて一週間したころだった。わたしはしばらくギターにも曲作りにも手が着かなくて、ただ大学の勉強と読書に明け暮れていた。思えばそのおかげで、結構な数の本を読めた気がする。特に面白かったのは、オーウェルの『一九八四年』と、カミュの『異邦人』、あとはカポーティの『冷血』だとか、三島由紀夫の『午後の曳航』も面白かった。
――ちなみにこれ、ぜんぶデヴィッド・ボウイが選ぶ一〇〇冊から探して読んだのだけど。そんなこと言ったら芹沢君は喜んだんだろうかな。
そんなとき、わたしは自分の曲をBGM代わりにして本を読んでいた。そうしていると自分の書いた曲をよりフラットな目で、冷静に見れる気がしたからだ。「苦労して書いた曲だからかっこいい」とか「ここのギターリフはすごい悩んで思いついたから最高」とかそんなこと考えずに聴いていたから。
そのときになんとなく気付いていたのだ。打ち込みのドラムにベース、ギターとベースだけラインで録った音源。歌はわたしが間に合わせで歌っている。鍵盤もまあ打ち込み。小綺麗にはまとめたし、UKオルタナっぽい感じは最高なんだけど。
つまり、真哉さんの言葉を借りるなら『生っぽくない』その一言。
わたしが特にそれを感じたのは、三島由紀夫を読んでいるときだった。『午後の曳航』が面白かったから、続けて『金閣寺』も読んだのだ。
風が冷たい雨の日だった。図書室の地下一階閲覧室で、一人タリーズで買ってきたコーヒーを飲みながら読んでいた。
吃音症の主人公の言葉や、考え方があまりにも鮮やかで、リアルで、精緻で、本当に存在する人物のようで。いや、むしろわたしが彼なのではないかとさえ思うほどだった。ラストシーンの金閣寺に火を付けるまでの彼の姿なんて、わたしはまるで自分のことのように思ったぐらいだ。
破壊したい、誰かに認められたい、尊大で身勝手で、純粋で、美に魅入られていて……。
気がつくとわたしは、閉館時間まで食い入るように読んでいた。読み終わったころ、司書の女性がわたしの方を叩いて言った。
「あの、もう閉館時間を過ぎてまして。裏の通路から出ていただけますか?」
「すみません……」
時計を見ると、閉館時間を五分過ぎていた。
司書の女性は、わたしを咎めるでもなく、笑顔で裏口を案内してくれた。職員用の通用口で、キャンパスの裏側にある喫煙所のほうに出るようだった。職員用IDをかざすと、オートロックだ解除されていった。
「三島由紀夫ですよね、さっき読んでたの。あんまりにも食い入りように読んでいるから、邪魔するにできなくって。読み終わりそうだったから、待っちゃいました」
「すみません。わたし、集中すると周りが見えなくって」
「いいんですよ。本を読むと、自分がぜったいに経験しえない誰かの世界に踏み入れるでしょ? だから引き込まれるんです。他人の世界に、人はぜったいに踏み入ることができない。だからこそ人は他者の物語を欲する、なんて。今後は注意してくださいね」
「すみません、ありがとうございました」
外に出ると、そこは図書館裏の喫煙所だった。屋根がないからほとんどの喫煙者はいなくなっている。唯一、軒下にある灰皿にだけ人がいた。
「あっ」
思わず声が出てしまった。
それは、わたしがこのとき一番会いたくない人だった。岡崎先輩。一週間前、泥酔したわたしをホテルに連れ込んだ張本人だった。
彼はダボダボの黒いパーカーに、いつもの青黒く染めたマッシュへア、それから右手にはマルボロのアイスブラストが握られていた。
彼はすぐにわたしから目をそらすと思った。わたしのことなんか無視して、スマホでもいじり出すと思ってた。
でも、わたしの期待に反して、彼は煙草に火をつけた。
「雨宮さん。雨の日に会うとは、さては名前の通り雨女だね」
「昔からよく言われます。でもここ一番のときは晴れ女になることもあります」
「そう。図書館で勉強?」
「いえ、本を読んでました」
「なんの本?」
「三島由紀夫の『金閣寺』」
「へぇ。あれでしょ、金閣寺燃やしちゃうやつ」
「先輩読んだことあるんですか?」
「ないよ。いちおう日文科だからあらすじだけ知ってるやつ。三島はあんまり好きじゃないんだ」
「先輩は三島というより太宰っぽいですしね」
「言えてる。太宰も読んだことないけど」
彼はメンソールのカプセルを潰して、紫煙を大きく吸った。
「雨宮さん、サークルやめてどうするの?」
「考え中です」
「音楽は? 続けるの?」
「やめたらあなたのせいにします」
「そりゃ怖いな」
「まあ続けると思いますけど。でも、わたしはもう一人でやればいいかなって思いました。わたし、ああいうノリというか。クリエイティブでプラトニックで、もっと孤高な……。そう高潔で、高貴でいたいんですよ」
「モリッシーみたいに? 当時彼はマーとの噂が絶えなかったし、そういうファンも多かったってきいたけど」
「それとこれとは別です。あの、わたしのことはいくら罵っても構いません。でも、わたしの音楽にはもう土足に踏み入れないでください。わたし、先輩の音楽に対する知識だとか、センスだとか、そういうのはすごくいいなって思ってたのに。結局それがセックスのための道具にされていたって思ったら幻滅です」
「道具じゃないよ。でも女は子宮で考えるって言うし。男も頭じゃ無くてペニスで考えるんじゃないかな。ときにはさ」
「わたし、そういうの嫌いです」
「雨宮さんならそう言うと思ったよ」
彼は煙草を吸いきると、それを濡れた灰皿に押し当てた。焼けた葉が濡れると、なんとも気持ち悪い匂いがする。
「じゃあさ、これでもう立ち入らないけど。最後に一つだけ忠告をさせてよ」
「それはペニスで思考した結果の言葉ですか?」
「まあそう捉えてもいいけどさ」
咳払い一つ、喉につっかえた煙を吐き出してから、彼は言った。
「ひとりで完成させられるほど、甘いものじゃないと思うよ。プリンスだってプロデューサーやバックバンドが必要だったんだからさ。一人で完成させられる作品なんてこの世には存在しないんだよ、たぶんね。……俺が言いたかったのはそれだけ」
言って、彼は小さな折りたたみ傘を広げると、靴を濡らしながらとつとつと歩いて行ってしまった。
わたしはしばらく一人喫煙所に残り、その紫煙の残り香を感じていた。
†
そんなのわかっていたんだ。
自分が未熟で、たった一人でバンドをやろうだなんてことは無理なことぐらい。自分一人でモリッシーとジョニー・マーになろうだなんて絶対に無理だって、そんなのよくわかっていたのだ。
わかっていたのに、どうしてわたしはそうしなかったのだろう。これまで、ずっと。
北浦和で降りて、アパートまで歩いた。商店街はもうすっかり眠っている。唯一通り際にあるラーメン屋とコンビニだけが煌々と光り輝いていた。
わたしはそれを横目に住宅街の方にそれ、アパートの四階にまであがった。時刻はもう十一時前だった。
「ただいま」
そう言って家に入ったけど、誰の返事も無かった。
ここ一ヶ月ほど、この家は昼夜を問わず死んでいることが多い。わたしは大学生になってから帰りが遅くなることが増えたし、父は群馬の方に単身赴任が決まって一年は帰ってこないことになった。まあ高崎線に乗っていけば二、三時間くらいで着くらしいから、そんな遠い場所ではないけれど。でも、帰ってくるのは連休のときだけになってしまった。
おかげさまで、この家には人の生活があまり感じられなくなった。キッチンもしばらく使わなくなって久しい。最近はわたしも外で済ませることが増えたし、テレビもめっきり見なくなった。使っているとすれば、風呂とわたしの部屋とそれぐらいだろう。
風呂を沸かすのもダルいから、今日はシャワーだけ浴びることにした。酔っ払ってないのに、身体が火照って頭がフワフワしてた。たぶん音楽に酔っていたんだと思う。
頭の中にメロディが鳴り響いていた。あの曲、ずっと『その他』のアルバムに分類されていた曲がゆっくりと動き出している気がした。思いつきで作ったメロディに、テーマだとかコンセプトが噛み合い出しているような気がした。
「花束に、脅迫に、復讐、枯れかけの花束……」
モチーフは十分にそろっている。あとはそれをどういう曲にするかだ。
わたしはさっと髪と身体を洗い流すと、軽くドライヤーをかけてから部屋に戻った。髪、赤かった部分を隠したいから伸ばしてるけど、面倒くさいから前みたいに短くしてもいいかな。高校生のときはジョニー・マーみたいにショートカットにしてたし、去年はそこにインナーカラーで赤を入れていたけど。ポニーテールに伸びてる分をバッサリ切ってもいいような気がした。
部屋に戻るとすぐにパソコンを立ち上げた。スリープモードになったままで、昨日から立ち上げっぱなしのDTMソフトが作りかけの音楽を残していた。
わたしはその出来損ないの曲を全削除して、代わりにイチから頭にあるメロディを出力してみようと思った。担いできたギターをパソコンに繋ぎ直す。
あのとき、あの瞬間、わたしでない別の誰かがわたしの音楽に侵食したあの瞬間。わたしとは異なる思想哲学の人間が食い込んできたあのとき、わたしはなぜだか『汚された』とか『犯された』じゃなくて、『心地よい』と思ったのだ。
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