4-2

「眠い」

 大学のカフェで開口一番につぶやいた言葉はそれだった。タリーズでどぎついエスプレッソを注文し、それを砂糖少なめで飲み干したのだが、それでも目が冴える気配はなし。おかげさまでもう一杯ブラックコーヒーを注文していた。

 図書館裏にあるカフェテリアで、わたしはノートパッドを広げていた。そしてその隣の席には塔子が座っていた。二時限目の哲学概論の講義が一緒だったのだ。

「また遅くまで作曲?」

 塔子はダルそうにスマホをいじりながら言った。ネイルの青さが昨日より濃くなってる気がした。

「そう。……っていうか、一つ聞きたいんだけどさ」

「なに?」

「あの子にスタジオを教えたのって、塔子?」

「あの子って?」

「しらばっくれないでよ。サリー・シナモンよ」

「佐藤紗理奈のこと? なに、スタジオに来たの?」

「まあ。昨日わたしが練習してたらね、スタジオに入ってきた」

「ふぅん。それで、アンタはどうしたの?」

「何曲かセッションした。彼女がボーカルで、わたしがギターとコーラス。彼女の知ってる曲――なんか昔ピンチヒッターで学祭バンドのボーカルをやったらしくて、そのときにやった曲とかね。椎名林檎とか、チャットモンチーとかさ」

「わーお、懐かしいね。いかにもゼロ年代前半のガールズバンドって感じ。SHISHAMOとかSCANDALとかにいかないのがそれっぽい」

「GO!GO!7188は?」

「若干古いかな」

「そう。わたし、C7は好きだけど」

 コーヒーを飲む。ブラックを飲むと頭がすーっと透明になっていく気がした。

「それで、どうだったの? アンタ今までずっと『自分の音楽に他人を介在させたくない』とか言って一人でやってきたじゃない。過去に色々あったとか言ってたけどさ。それが他人とやってみて、どうだったの?」

「うん、まあ。悪くなかった」

 ――ていうか、かなり良かったんだよね。

 わたしはいまノートパッドに思いつく言葉をいくつか書き散らしていたけど、それは昨晩夜なべして考えた曲につける歌詞だった。まだ全然まとまってないけど、でも曲のテーマとかモチーフだけでも固められればと思っていた。

「悪くないって、アンタってば相変わらずの上から目線。でも、それじゃあ二人でバンド組むわけ?」

「まだわからない。でも、それをするなら最低でもあとドラムとベースがいる」

「そうねぇ。あと願わくはもう一本ギターか、それか鍵盤がほしいけど」

「まあわたしがやっても良いけどね。ライブやらずにレコーディング志向なら、わたしがギターとベースと鍵盤やればいいし」

「ドラムは?」

「無理。打ち込みで継ぎ接ぎしたりして上手くやるのが限界。鍵盤も、まあそんな上手くないかな。わたし楽器はギターから入ったから」

「ふうん。それじゃあドラムは最低でも必要なワケね。心当たりはあんの?」

「ドラムは、まあ一人心当たりあるけど。ベースと鍵盤はないね。塔子はなにか楽器できないの?」

「できたらもう言ってるよ。っていうか、仮にあたしが小手先のベースが弾けたにしても、そんなヘタクソな腕前じゃ満足しないでしょ、あんた。それなら自分で弾くとか言い出すでしょ」

「ごもっともで」

「それぐらいなら、あたしにはもっとやらなくちゃいけない仕事があると思うんだよね」

 塔子はそう言うと席から立ち上がり、スカイブルーの上着のポケットから煙草を取り出した。カフェを出るとすぐ喫煙所だ。一本銜えると、静かに吐息を漏らした。

「なに、塔子の仕事って」

「決まってるでしょ。プロデューサー兼マネージャーよ。あんたみたいなコミュ障を上手くすりあわせて、作品作りに集中できるよう環境を整えてあげる調整役エージェントってわけ」

「はあ」

「ほら、言ってるそばからあんたがやらなきゃいけないことをあたしがやってる」

 と、塔子はスマホをくるりと回し、わたしに画面を見せた。それはLINEのトーク履歴で、相手はあのサリー・シナモンだった。

〈純とはどうだった? あいつ不器用でぶっきらぼうだけど、たぶん喜んでるから気にしないでね。二限終わったらカフェテリアにいるから、よかったらおいでね〉

 塔子のそのメッセージには既読が着いていた。そしてすぐに返信があって、サリーはこう言っていた〈いま着きました〉と。

 ちょうどカフェテリアのガラス窓の向こうにチノパンにTシャツ姿の彼女が立ちすくんでいた。

「というわけで。アタシは彼女とベーシストを探すよ。それまでにあんたはドラムの目星をつけていおいてよ」

「は? ちょっと待って。やっぱりサリーを引き合わせたのって塔子なの?」

「そうよ。じゃないとあんたら一生グズグズしてたじゃない。こういうのはスピードが肝心なのよ。ほら、とっとと行った行った。ドラマー見つけてくるまで帰ってくんな。集まったあ神田で飲むから覚悟しときなよ。バンドの決起集会やっからね!」

「ちょっと待って、話が飛躍しすぎなんだけど……!」

 と、わたしの言葉なんて塔子の強引さには通用しないわけで。

 塔子はカフェを出ると、サリー・シナモンを拉致して喫煙所に消えていった。

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