冷たいギプソフィラ

機乃遙

__ / Sally Cinnamon

1-1

 『女の子が花束をもらって嬉しくないわけがない』なんて言説があるのは、まあ百歩譲っていいとする。もしかしたら本当に心の底から嬉しがる人がこの世のどこかにいるかもしれないから。でも、私の場合にはこれまで三回ほど花束をもらうチャンスがあったけど、そのどれもが酷い思い出だった。

 それはプレゼントと呼ぶには、あまりに残酷すぎる仕打ちだと私は思っていた。


     †


 初めてもらったのは、中学生のときだった。中学三年生で、卒業まであと半年切ったという秋のころ。ちょうど体育祭が終わったころの図書館だった。そのころの私と言えば本の虫で、いわゆる”目立たない子”だった。どう目立たないかと言えば、文化祭のときにアヴリル・ラヴィーンを真似て(当時流行ってた。ちなみに一番好きな曲は『Complicated』)こっそり目元に濃い目のアイラインを引いたことがあったけれど。誰もそれに気付かなかったぐらいには、地味な生徒だった。まあ、当時の私が化粧が下手くそで、母の使いかけでやったっていうのもあるんだけど。

 ともかく、そんな地味な私に、ある日同じくらい――いや、それ以上に地味な男の子が告白をしてきたのだった。

 その朝、昇降口に行くと、下駄箱の中に手紙があった。手紙にはただ一言「放課後、図書室に来てください」とだけ書いてあった。どう考えても愛の告白って感じの小綺麗な便箋だったから、お盛んな思春期な少女はうれしくなった。

 でも、じっさいにやられてみると、ちょっと思ってたと違った。

 図書館に来たのは、同じクラスの山口くんだった。けっこう地味な子で、告白って言うのをしそうなタイプじゃない子。いつもブカブカの詰め襟にオカッパ頭で、三年生になってもあどけなさの残った顔つきは、「未だに小学生と間違えられる」とよく自虐的に言っていた。第二次性徴期がうまく来なかったみたいな、そんな感じの子だった。

 でもそのときの彼は、ヘタクソなりにワックスなんかつけて、ちょっとはおめかしをしていた。そして緊張でろれつが回らないながらに、彼は私に花束を突き立てた。そう、”突き立てた”って表現が正しかった。贈り物として渡したというよりも、それは拳銃や刀のように凶器を突き立てた、という感じだった。

「好きです、付き合ってください」

 彼の言葉はそれだけで、私の言葉はそれ以下だった。

「……ありがとう」

 返事はそれだけ。何も返事をせずに、ただ花束を受け取った。ピンク色のカトレアだった。

 花束を持って帰るのはすごく苦痛だった。山口くんはきっと一緒に下校したかったんだと思うけど、私と方向違うし、なんか一緒に帰りたくなかったし。でも一人で花束持って帰るのって、なんか小っ恥ずかしいし。かといって学校のゴミ箱に捨てて帰ったら、彼が傷つくだろうから。

 だから結局、それを持って帰らざるを得なくて。彼の熱いまなざしを感じながら、私は小学生のころよく行った裏山まで行った。ちょうどふもとに小さな川が流れていて、河川敷ではザリガニが釣れるのだった。それと、よく男子が腐りかけのエロ本を探しに冒険に出ていた。誰が捨てたかもわからない「ふたりエッチ」がよく木陰に落ちていたっけ。

 私は人気のない木陰の下に花束を並べると、家の仏壇から拝借してきたマッチを取り出した。それから枯枝で焚き火台を作ると、小さい枝から順に火を移していった。

 そうしてバチバチと音を立てて燃えるようになると、私は炎のなかに一輪ずつカトレアをくべていった。

 燃え上がるたびふわっと広がる花の香りを嗅ぎながら、そのときの私はぼんやりと思った。この花束に――いや、山口くんの告白から感じた違和感って何だったんだろう、と。

 しばらく考えて行き着いた答えは、こうでした。

 興味も関心も無い人から突然つきつけられた好意なんて、人を不快にしかさせないっていうこと。そして彼の言葉の伝え方は、私と彼とのあいだでの相互理解の結果至った言葉なんかじゃなくて。ただ彼から一方的に撃ち放たれたモノ。弾丸を装填し、引鉄を引いた拳銃と変わらない。私に突きつけられたのは、愛の告白なんて大それたもんじゃなくって、ただ好意という名の一方的な脅迫だったんだって。

「ごめんね、山口君」

 あなたに悪気はないんだろうけどさ。

 燃えていくカトレアを、あのときの私は泣きながら見ていたはず。それが煙のせいか、それとも別の理由かはわからないけど。


 ちなみにピンク色のカトレアの花言葉って知ってる? 成熟した大人の魅力だって。はは、笑っちゃうね。


 それが一つ目の花束。山口くんの精一杯の好意の伝え方も、いま思えば可愛らしいものだけど。でも、当時の私はそのことを”気持ち悪い”って思っちゃったんだろうね。だからそれ以降、彼とは口をきかずに卒業してしまった。

 それじゃあ二つ目の花束は何かというと、それにはぶっちゃけ大した思い出はない。高校の卒業のときに担任の先生からもらった花束のこと。私、先生のこと嫌いだったから。理由はもう忘れちゃったけど。数学の先生だったんだけど、理屈っぽくて融通効かないとこが嫌いだった。だから、そんな先生がこれ見よがしなおセンチな言葉とともにくれた花束なんて、なんか薄っぺらく思えてしまった。クラスのみんなはオイオイ泣いてたけど、私は呆然としていた。なんかあの「泣かなくちゃいけない」みたいな空気感が嫌だった。すぐにでもこの場から逃げ出したいくらいだった。

 ちなみにいろんな花が入った花束ったから、どんな花があったかは忘れちゃった。けっきょく家に帰ったら、お母さんが適当な花瓶に挿して、一週間後には捨てちゃったから。


 じゃあ三つ目は何って話だけど。

 それは、いま私の目の前にある。

 右手にはハンドバッグ、左手にはコロンとした小さな花束。というよりも、ただしくはブーケと言うべきだと思う。もっとも酔いどれの私には、その花がいったい何かわからないけど。かろうじてわかるのは、真っ白なカサブランカと勿忘草ギプソフィラくらいだった。

 結婚式でワインとカクテルをそれぞれ二杯ずつ、二次会で飲んだグラスは数知れず。そして新幹線でトリスハイボールのロング缶を一本。それだけ飲んだ私が、正常な判断ができるわけない。山口くんからもらった花束はすぐに燃やし尽くしたくせに、このブーケに限っては後生大事に東京まで持って帰ってきてしまった。

「……なんでだろ。あの人がくれたからかな」

 つぶやいて確かめようとしたとき、新幹線は大宮に到着した。慌ててイヤフォン越しにそれを聞いて、私はホームに飛び出した。あわやドレスの裾が破れそうになった。

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