エピローグ

 篠原は大阪府警から送ってもらった捜査資料に目を通していた。

 

 その中でも久我山信明の供述を食い入るように見ていた。


 何故、警戒されるのを承知で脅迫状を送ったのかということに関しての内容に興味を引かれた。久我山聡の気まぐれな性格は多くの人間が知るところで、信明は、久我山聡が気まぐれで予定を変更することを避けるために脅迫状を送ったと語っている。


 久我山聡の性格から、脅迫状が来ている状態で予定を変更すると、自分が逃げたと思われる。そのようなつまらないプライドにこだわることを、信明は知り尽くしていた。だからあえて脅迫状を送ったのだ。


 久我山裕美殺しは、まずエレベーターに久我山裕美と及川守が一緒に乗るところから始まっていた。


 及川守のボタン操作によって、事前に久我山信明によって組み込まれたプログラムが作動する。及川は八階で降りたように見えるが、実際に降りたのは七階。


 久我山裕美が降りたのは九階ではなく八階。つまり、久我山裕美は自分の部屋だと思って入ったのは九一○号室では無く、八一○号室だったというわけだ。


 鍵はオートロック機能が停止したときにフロントで信明自身が裕美に渡している。

その鍵自体、九一○号室の物ではなく、八一○号室の物だった訳だ。


 そこに待ち構えていた信明が裕美を殺害。

 

 久我山聡殺しの方は、久我山信明によって地下の劇場に呼び出された久我山聡は、信明が人目を避けて話しがしたいという要望を聞き入れ、事前に信明に説明されていたルートに従って誰の目にも触れること無く地下の劇場へ。そこで待ち受けていた信明によって殺害された。


 そのあと、倉ノ下櫻子と招待客を引き連れ、全くおなじ造りの劇場に。当然そこには久我山聡の死体は無いので、この時点でまだ殺害は行われていないと錯覚する。


 そのあと秘書の坂本が死体のある方の劇場へ。この間の時間の短さから、久我山信明にも、及川守にも犯行は不可能に見えるという算段だ。


 信明の供述は、この計画を考えたのは及川守だが、守は協力しただけで、実際に手を下したのは自分だというものだ。


 一方。及川守の告白文には全く同じ内容で、信明が協力しただけで、手を下したのは自分だと書かれていた。


 確かに、倉ノ下櫻子の能力が無ければ、この犯罪の仕組みを看破するのは難しいように感じる。久我山信明がプログラムの痕跡を消してしまえば、正に証拠は跡形も無く消え去っていただろう。実際のところ、信明が徹底的に否認すれば、証拠不十分の可能性すらある。しかし、信明は完全に自分の犯行だと自供していて、それを警察が覆す意味は全く無い。


 篠原は眉間に皺をよせるいつもの仕草をしてから椅子に深く腰掛けた。


 これが警察という組織の限界だ。犯人が自供していて、それを覆すものが無ければそれが事実だ。たとえそれが不可思議なことであっても、結論は必要なのだ。


 納得はいかない。しかし前に進むしかない。立ち止まっている暇など無い。ましてや振り返っている暇など更に無い。後は司法がどう判断するかだけだ。


 腕組みをして大きな溜息をついた。そんな篠原の耳にいつもの耳障りな鼻歌が聞こえてきた。


「あれ?篠原先輩、また捜査資料見ているんですか?過去を振り返っても仕方ないですよ。そんな怖い顔したって、僕らにできることは何も無いんですから」


 田中はふざけた物言いだったが、その表情はどこか悲しげだった。


「さっき、水尾が直接電話してきて、礼を言っていたぞ。それとあいつ辞表を提出したが、突き返されたそうだ」


「ばかだねあいつは。くそ真面目過ぎるんすよ。何を考えてんだか。それより礼なら直接俺に言えって。おっと、もうこんな時間だ。早く行かないと面会時間過ぎちゃうな」田中は腕時計を見ながら帰り支度を始めていた。


「なんだ、また見舞いに行くのか?そんなにしょっちゅう行っても変わらんぞ。医者は目を覚ます可能性はほぼ無いって言っているんだろう?」


 田中は暇があると病院に見舞いに行っている。


 田中の決死の延命措置が功を奏したのか、及川守は病院に着いた時には呼吸をしていなかったものの、その後、奇跡的に息を吹き返した。


 息を吹き返したと言っても意識は無く、いわゆる植物状態だ。医者の話では、意識を取り戻す可能性は一パーセントも無いだろうということだった。久我山信明の願いによって、できる限りの延命措置を受けている状態だ。


「今日は一月十日。特別な日ですよ。では、行ってきます」





 田中はいつものようにナースステーションに軽く会釈をしてから、及川守の病室に向かった。病室の扉に手を掛けようとした時、中から人の気配がすることに気付いた。


 扉を少し開いて中を覗くと、及川守の寝ているベットの横に立っている人影が見えた。


 薄暗い病室と対照的な明るい日差しによって、その人影はまるで幻のようにゆらゆらと揺らいで見えた。


 田中はその横顔を見て息を飲んだ。それは倉ノ下櫻子だった。


 櫻子はベットに寝ている及川守に向かって優しい声色で話し掛けた。


「マモさん、今日は一月十日だよ。私の誕生日。いつもみんなと一緒にお祝いしてくれたよね。今年はマモさんが眠ったままだから寂しいよ。いつも私の為にみんなで歌ってくれたよね。来年の誕生日にはまたみんなで歌って欲しいな……。今日は、マモさんが早く目を覚ましてくれるように私が歌うね。待ってるから……」


 櫻子はしばらく目を閉じてから、静かに、囁くように歌い出した。


 その曲は、櫻子が生まれたことを喜んだミュージシャンである父親が、愛娘の為に作った櫻子を代表する楽曲『一月十日晴れ……』だった。


 優しい歌声が病室に静かに響いていく。


 外は一月とは思えないほどの日差しが降り注ぎ、その光が櫻子を包み込んだ。


『あなたが生まれてきた、それが奇跡、生まれてきてくれてありがとう、その感謝を込めて私はこの歌を歌うの……』


 歌い上げる櫻子の頬に止めどなく涙があふれた。




 その涙は差し込む暖かな光につつまれ、まぶしいほどに輝いた。

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眠り姫さくらこの事件簿てきな 川平多花 @takakawahira

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