第四章 継承 5

 水尾の元に捜査本部からいくつかの新しい情報が伝えられて、それを元に頭の中では色々な可能性が浮かんでは消えるを繰り返していた。


 いくつかの情報の中でも一つ気になる物があった。


 それは未だに行方が分かっていない雑誌記者の不動峰子が調べていた物の中にあった住所録だ。その住所録にあった住所を調べてみたところ、全てが近畿圏にある児童養護施設のものだった。何故、不動峰子は児童養護施設を調べていたのか?


 施設側に捜査員が電話で問い合わせ、最近雑誌記者が取材の申し込みをしてきていないか聞いたところ、雑誌記者かどうかは分からないが、特定の人物が所在していたかの問い合わせがあったという返答が、複数の施設からあった。


 個人情報なので教えるわけにはいかないとの返答をしたという事だったのだが、捜査員が聞き出した個人名を聞いて、水尾は驚いた。その名前が及川守だったからだ。不動峰子は及川のことを調べていた。その不動峰子は姿を消している。この事実は及川がこの事件に関係していることを示唆しているのか。


 久我山聡と久我山裕美。久我山信明に及川守。それと不動峰子。水尾の頭の中で、色々なピースが組み合わさっては分解されて、さらに再構築される。


 自分の見たこと聞いたことが次々に浮かんでは消える。何か見落としている物は無いか?何か思い違いしていることは無いか?目を瞑って思い直してみた。


 及川守がこの事件に関係しているとしたら、久我山家との接点になる物が何らかあるはずだが、上がってきている情報からはその様な物は今のところ見当たらない。


 不動峰子が調べていた内容がやはり気になる。彼女は同時期に久我山信明と及川守を調べていた。この事実は、この二人に何らかの繋がりがあるということではないのか?


 久我山会長夫妻を殺す程の恨みを持っている人間が関係者の中にいる。


 可能性として一番考えられるのはやはり久我山信明か?


 しかし、何度考え直しても信明のイメージと今回の事件の犯人像とのギャップが埋まらない。及川守にしても同様だ。


「何か進展はあったか?」思考を遮った声の主は田中だった。


「いや。進展という程のことは何も無いな」


「及川守がつい先日、ここの会社の面接で落とされたそうだ」


「そんなことで人は殺さんやろ。第一、そうやとしても恨むんやったら信明の方や。会長が新入社員の採用にいちいち口を挟むとも思えんしな。久我山裕美まで殺さなあかん理由は更に無い」


「人を殺す動機なんて、本人にしか分からないものだと思うがな……」


 水尾は田中が発したこの一言を聞いて、もう一度頭からこの事件を考え直してみようと、手元にある捜査資料の一ページ目をめくった。


 まず一人目の被害者である久我山聡の資料を見直すことにした。流石に財界の大物だけあって、関係資料の多さは一通り目を通すだけでも大変だ。親類関係の資料だけでも膨大な量だ。グループの取引先などの情報までいれると全てを調べるには相当な時間が必要になるだろう。


 反面、二人目の被害者である久我山裕美の資料の少なさに驚いた。過去の遍歴などが少なく、一般的な人間の資料にしてはかなり少ない。出身地や、過去働いてところなどが僅かに記載されているだけだった。銀座の高級クラブで働いていた時に、そこに飲みに来ていた久我山聡に見初められたといった情報も書かれていた。


 及川守の情報も同様に少なかった。その情報の中に不動峰子が調べていたと思われる物もあった。


 及川は和歌山県の児童養護施設の出で、両親の情報などは載っていない。死別したのか、それとも他の理由なのか。現在定職には就いていないことなどが書かれているが、特に目に付くような情報は無かった。その情報から見て取れるイメージは苦労をして生きてきたというものだ。肉親や親類などの情報が無く、この男がこれまで誰の力も借りずに生きてきたという印象を持った。


 一方、久我山信明の情報は膨大な物だったが、学歴やその後の遍歴を見ると。正に絵に描いたようなエリートだ。その情報からだけで導かれるイメージは恵まれた人生というものだ。陰があるとしたら、五年前に実母が病死しているというものだが、それ以外は正に順風満帆と言える。


 不動峰子の情報は一般的な物で、家族情報や、学歴、職歴など平穏な人生と言える。今まで記事にしてきた内容なども詳しく書かれていたが、過激な内容の物などは無く、政治的、宗教的な偏りなども感じられない、ごく一般的な仕事ぶりと言える。人を二人も殺すような匂いはどこからもしてこなかった。


 水尾は一旦考え方を変えようと、今度は殺害出来る可能性の面から考えることにした。


 一人目の被害者である久我山聡は地下一階にある小劇場の舞台上で殺されていた。

 その劇場には七時の時点で多くの人間がいた。久我山信明、倉ノ下櫻子、松本祥子、遠藤美紀、南川小夜子、及川守、招待客二十八人。


 この時点で不動峰子がいたかどうかは確認出来ていない。


 そしてこの後僅かな時間無人になる。


 再び劇場を訪れたのは秘書の坂本。時刻は七時十分頃。この時、劇場の扉は施錠されていた。


 坂本の電話で信明がマスターキーを持ってきて扉を開けて死体を発見した。


 この間アリバイが無いのは、不動峰子と久我山裕美、金田珠子。その内、久我山裕美はこの時点ですでに殺害されていた可能性が鑑識の報告から考えられる。


 殺害の順番は置いておいて、第二の殺害の情報を整理すると、殺害された久我山裕美の生存を確認出来たのは、エレベーターの映像で五時三十三分だ。使用されていなかった八一○号室で死体が発見されたのが九時三分。鑑識からの情報で殺害されたおおよその時間は、生きているのが確認出来ている五時三十三分以降で八時までの約二時間の間で、この間アリバイの無い人間は多い。


 単独行動をしていたためアリバイが無いのが、久我山信明、倉ノ下櫻子、南川小夜子、及川守、秘書の坂本、不動峰子、金田珠子、田中竜一。


 この中で怪しいといえばやはりマスターキーを持っていたとされる久我山信明だ。殺せる可能性から考えたら、信明以外が無いという結論になる。


 しかし、一つ目の殺害となると話しは変わってくる。こちらもマスターキーを持っている信明にしか可能性が無いように思えるが、アリバイの観点から見ると正に鉄壁だ。マスターキーを他の誰かの渡して殺させたという可能性しか無くなる。


 しかし、多くの人間が信明がマスターキーを使用して劇場の扉を開けているのを目撃している。一度目は多くの人間の前で。二度目は秘書の坂本と田中の前で。この間の時間はほんの僅かだ。他の者に鍵を渡す時間など無いように思える。


 可能性の高い順から考えれば、一番怪しいのは久我山信明だ。


 そう考えた水尾は改めて、信明が映っている映像を注意深く見てみることにした。


 水尾の捜査に対する取り組み方は、しつこく何度も細かい部分を見直すことだ。そうやって今までいくつ事件を解決してきた。


 水尾が何度目か分からない映像チェックをようとしているのを見て。田中が笑いながら声を掛けた


「お前のそういうところは本当に尊敬するよ」


「お前に尊敬されても何も嬉しく無いがな」


「俺にもその映像を見せてくれないか?」


「私もみたいです」振り返ると櫻子と遠藤美紀が並んで立っていた。


「倉ノ下さん……。あんまり捜査に首を突っ込まないでくれませんか?」水尾は心底呆れたという表情で呟いた。


「まあまあ。多くの目で見た方が何か閃くかもよ」田中がからかうような口調で言った。


「お前は、倉ノ下さんと一緒に見たいだけやろ……。わかった、わかった。特別に見せたる」


 水尾はポータブルプレイヤーの画面を回転させて、櫻子達が見える方向に向けた。


 時系列で再生されるため、まず最初に早朝スタッフらしき人間が何度かエレベーターを利用している様子が映し出された。


 まず目にとまったのは、秘書の坂本の案内で櫻子達が利用している映像だった。


 更に時間が進むと、久我山聡と裕美が二人でいる場面が映し出された。これは自分の部屋に向かうところだと思われる。


 しばらく時間を進めると、変化があったのは四時三分の映像で、この時点からシステムに何らかの異常が出ていることがエレベーターの操作方法の変化で読み取れる。


 この少し前に櫻子達がエレベーターで最上階に上がっているのが映っていたが、この時点ではシステムに異常が無かったことが、櫻子達が普通にエレベーターを利用出来ていることからも分かる。


 その後も何人かがエレベーターを利用している映像が続くが、特に目につくような物は無かった。


 五時十一分に及川と久我山裕美の映像が流れ、その後久我山聡のが一階で降りる映像、不動峰子が同じく一階で降りる映像と続いた。


 地下に降りる方のエレベーターの映像が流れている間も、見ている者は誰も声を発しなかった。淡々と当たり前の風景のように思えたからだろう。


「映像にこれと言ったおかしな物は無さそうですよね」遠藤美紀が残念そうに呟いた。


「犯人はやっぱり階段を使って移動したのかな?」櫻子が話すと田中が


「それが事実だとすると一つ気になることがある。犯人はこの建物の防犯カメラが機能していないことを知っていて階段を使用したことになる。建物のセキュリティーが効いている場合階段にも防犯カメラがあって、そこに姿が映ってしまうからだ。そうなると犯人はこの建物の機能に詳しい人間に絞られることになる」


「そうなると久我山裕美の行動も気になる。彼女はなんで八階に行く際、階段を使ったのか?エレベーターの映像では九階で降りる様子は映っている。その後八階に移動している訳だが、その時はエレベーターを使っていない」


 水尾が俯いて黙考していると、櫻子が目をキラキラと輝かせて水尾を見ながら言った。


「やっぱり本物は凄いな。凄く細かい所まで見ているんですね。ミステリー小説とかだと。探偵は気付いているのに、警察はてんで役に立たないみたいなのが多いのに」


「櫻子さん……、それは流石に警察の方に失礼だと思うのですが……」美紀は少しバツの悪そうな表情で二人の刑事を見た。


「いや、結局のところ何も分かっていませんから、役に立っていないのと同じです。なあ水尾」


「確かにな。何一つ分かっていないのと大して変わらん。まずは鍵の問題から潰していくのが一番の近道かな」

 

 そう言った水尾が手元にあった資料にもう一度視線を落とした時、何かに気が付いたような気がした。しかしその感覚はふと消えてしまい、もう一度資料を見ても浮かび上がらなかった。


「どうした?」


 水尾の表情の変化に気が付き、田中が声を掛けた。


「いや、何か引っかかったような気がしたんやが……」


「久我山裕美さんが殺されていたのは八一○号室だったんですよね?何でその部屋だったんだろう?誰かに呼び出されて行ったのかな?」


 櫻子の疑問はもっともだ。そもそもあの部屋を殺害場所に選んだ理由は何なのか?犯人がマスターキーを持っているとしたら、どの部屋で殺すことも可能だ。更に言うなら、久我山裕美の泊まっている部屋に忍び込んで殺害することだってやろうと思えば出来る。


 そこにいた四人は各々、頭の中で色々な可能性を考えてはみたが、誰も考えを口にしないところを見ると、確証のある想像は誰一人持ち合わせていないということらしい。


 しばらく沈黙が続いた一同の視線の先に、レストランに入ってくる坂本の姿が見えた。


「坂本さん」遠藤美紀が声を掛けた。


「皆さんこんなに遅くまでお揃いで何かお話ですか?私は少しお酒でも頂こうと思いまして……。少し疲れてしまって」


「それはそうでしょう。大変なことになってしまいましたね。あまり無理をなされないように。久我山社長も大丈夫でしょうか?」櫻子が心配そうに尋ねると、坂本の表情が少し強張ったような気がした。


「社長はオフィスで関連会社に連絡されておられるようです。今回の事件が我がグループに及ぼす影響を考えると、早めにやっておかないといけないことは山積みなのですが、私が力になれるようなことは、今のところ無さそうです……」坂本は寂しげな表情でぼそぼそと呟くように語った。


「お疲れのところすみませんが、坂本さんは今回の事件に関して何か心当たりなど有りませんか?」田中がいつも通りの柔らかい物腰で尋ねた。


「私には特に何も……」


 水尾はその反応を見て、明らかに坂本は何かを知っていると感じた。


「坂本さん、一つ聞いてもいい?」櫻子が明らかに場違いなほど明るい口調で、女友達に尋ねるように聞いた。


「はい、何でしょう?」


「久我山社長はせっかちな方ですか?」


「どうしてですか?」


「少し気になることがあって」


「社長はせっかちからは一番遠い人だと思います。何事にも穏やかに接せられる方です。全ての行動に余裕みたいな物が感じられる方です」


 この答えを聞いた水尾の久我山信明に対する印象も坂本が言ったものと近い物だった。


「倉ノ下さん、久我山社長がせっかちだと何か分かるんですか?」櫻子の質問の意図が分からず水尾は尋ねた。


「関係無いかもしれないけど、エレベーターの映像を見ていた時に同じ行動をしている人が二人いて、その一人が久我山社長だったんで」


「気になる動きなんてありました?」遠藤美紀は興味津々で聞いた。


「僕も特に怪しい動きは無かったように思いましたけど」田中は思い帰すように、首を傾げた。


「二人と言いましたけど、もう一人は誰ですか?」水尾は急かす様に尋ねた。


「もう一人はマモさんです」


「及川?それで、一体何なんです?」


「気のせいかもしれませんけど、この時の久我山社長の手元を見て下さい」櫻子が映像をスロー再生しながら言った。


「ここで、久我山社長はエレベーターのボタンを連打しているんです。時々せっかちな人がボタンを何度も押したりする時ありますよね。そんな感じに見えます」


 更に映像を巻き戻し、及川がボタンを連打している場面を映しながら


「ここで、マモさんも同じ動きをしています。私の知る限りマモさんもせっかちと言う訳では無いと思います。そんな二人が同じ行動をしているのが気になっちゃって」櫻子は話しを聞いていた面々に問いかけるように視線を向けた。


「事件に関係ありますかね?ただ単に急いでいたということでは?」田中が櫻子の視線に耐えかねて発言した。


 水尾がこの櫻子の気付きを聞いた時、自分が何度も映像を見直していた時に感じていた、何か思いつきそうで思いつかない引っかかりの部分が外れそうな気がした。


 そのきっかけを見失わないように慌ててエレベーターの映像を再生した。


 水尾のあまりの真剣な表情と雰囲気に、周りにいた面々は思わず気圧され、その行動を見守るように黙っていた。


 水尾は何度も映像を巻き戻しては再生し、一時停止しては自分の手帳に何かしらを書き込んだ。


「なるほどね。なんとなく仕組みは分かってきた。しかし、この映像では細かいところまでは確認できんな」水尾は周りの視線が自分に集まっていることを気にする素振りもなく独り言を呟いた。


「お前、何か気が付いたなら俺達にも教えろ」田中が周りの人間の心中を察するかのように声に出した。


「いや、まだ気付いたというだけで、何も証明できて無い状態や。この映像がもう少し拡大出来たら証明できるかもしれんが」


「気付いたことだけでも教えて下さいよ」櫻子が目を爛々と輝かせて水尾を見つめた。


 水尾は櫻子にかなりの至近距離で見つめられて明らかに動揺した。その様子をニヤニヤしながら見ている田中を睨みつけてから話し出した。


「わかりました。ただこれは犯人が分かったとかそういった類いの物では無いんで、期待し過ぎないで下さい」


 水尾は一旦間を置いてから、一同に見えるようにエレベーターの映像を見せて説明を始めた。


「まず最初にこの映像を見てくれ。これは倉ノ下さん達と招待客が一階から地下一階に向かう時のものだ」


 一同は食い入るようにその映像を見つめた。


「次は坂本さんが一階から地下一階に向かう時の映像」


 一同の視線が坂本に集まった。


「私、何かまずいことでもしたんでしょうか?」坂本が気まずそうに尋ねた。


「いえ、そういう訳ではありません。皆さんに確認して欲しいのは映像の時間です。最初の映像では一階で扉がしまりエレベーターが動き出してから地下一階に到着するまでかかった時間は約八秒。坂本さんが一人で乗っている映像では約十六秒かかっています」一同は目を見開いて驚いた。


「俺がこの映像を何度も見ていて感じていた違和感の理由はこれだったんだ。同じ階に移動しているにも関わらず、何故こんなにかかった時間が違うのか?この二つの映像で違う部分は何かと考えた時、先程の倉ノ下さんのお話がヒントになりました。この時、久我山信明はボタンを連打している。この行動がエレベーターの機能に何らかの影響を与える物だとしたら」


 一息ついて、更に水尾は続けた。


「そこでもう一つ。倉ノ下さんがもう一人同じ行動をしていると言っていた及川の映像を確認してみると、更に面白いことが分かる。この及川がボタンを連打しているエレベーターの時間を見てみると、明らかに他のエレベーターよりも速く動いていることが分かる。他の映像で確認したところ、一つだけスタッフの人間が一階から八階に移動している物があった。この時の所要時間は約十六秒。及川の映像では同じ階に移動しているにも関わらず約十一秒。これは何を意味しているのか?」


「ボタンを連打することで、エレベーターの動きが変化するっていうことか。しかしそうだとしてもそれが今回の事件とどう関係してくるんだ?」田中は訝しむように言った。


「だから、前もってあまり期待するなと言ったやろ。検証してみる価値はあるとは思うがな」水尾は言い終わると立ち上がりエレベーターホールに向かって歩き出した。


 その後を追うように田中と櫻子、遠藤美紀も立ち上がった。


「私もお付き合いさせて貰ってもいいですか?」坂本が真剣な面持ちで水尾に尋ねた。


「それは別に構いませんが」


 水尾が答えると一同は揃ってエレベーターホールに向かった。


 エレベーターが一機、ちょうど最上階に泊まっていたので、一同はそれに乗り込んだ。

「確か映像では及川は『閉まる』ボタンを連打しているように見えたが、同じ状態で検証するために一度一階に降りましょう」


 エレベーターで一度一階に降りて、映像に映っていた通り、まず行き先階ボタンの八階を押して、次に九階(久我山裕美が乗り込んできたのを再現するため)を押して閉まるブタンを押し、更にその後ボタンを連打した。


 水尾が自分の腕時計で八階まで到着する時間を計ったが、約十六秒だった。


 この後、ボタンを押す回数を変えてみたりして何度か試したが、何度繰り返しても秒数に変化は無かった。載っている人数に影響されるのかもと考え、二人でもやってみたが結果は変わらなかった。


「ボタンを押す回数に決まりがあるのか?」


 水尾は当てが外れて大きく溜息をついた。


「あの映像だけでは、ハッキリ何回押しているかは確認できないな。直接及川か久我山信明に聞いて見るか?」田中がやけくそ気味に呟いた。


「いや、もしその二人が今回の犯行に何らか関わっていたとしたら、警戒される恐れがある。というわけで、坂本さんも心苦しいでしょうが、社長にはこの事は内緒でお願いします。あなたも容疑者から外れたと言う訳では無いので、くれぐれも行動には気を付けて下さい。他の皆さんも同様です」水尾は鋭い視線を一同に向けた。


 櫻子がそんな視線を気にすることも無く、小学生が先生に質問するかのように、右手を大きく上げて水尾に尋ねた。


「地下に行くエレベーターでも検証してみませんか?」


「そうですね。期待は出来ませんが、一応やってみましょう」


 一同は連なって地下一階行きの大型エレベーターに乗り込んで。先程と同じ要領で検証を始めた。


 結果は先程と同じように、エレベーターの動きに変化は無かった。


 先程と同じように櫻子が手を上げて水尾に話し掛けた。


「水尾さん、私にやらせて貰ってもいいでしょうか?」


 水尾はどうも櫻子に見つめられるのが苦手で、少し目を逸らしながら答えた。


「誰がやっても同じだとは思いますが、何か考えでもあるんですか?」


「試してみる価値はあると思いますよ」櫻子がウインクしながら言った。


 櫻子本人は南川小夜子の真似をしたつもりなのだが、櫻子はウインクが苦手なため、ゴミが目に入ってしまったかのようにしか見えない。


 どうぞと言って、水尾が捜査パネルの前を櫻子に譲った。


 櫻子は何かを思い出すようにエレベーターの天井を見つめてから、おもむろに操作パネルのボタンに人差し指を当てた。


「カチ、カチ、カチ。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。カチ、カチ」独り言のように呟きながら、櫻子が閉まるボタンを押した。


 エレベーターが地下一階に到着したことを告げる表示が、行き先階の液晶に表示され、ゆっくりと扉が開いた。


 そこに見えている景色に全員が言葉を失った。目に入ってきている情報がどういった意味を持つのか、誰もが即座に理解することができなかったのだ。


 最初に口を開いたのは水尾だった。


「これは、どういうことや?ここは確かに地下一階だよな」


 水尾は目の前にある階数表示を再確認した。


 そこには確かにB1Fと表示されている。


 目の前には小劇場に入るための木製の重厚な扉もある。しかし、そこには本来在るべき物が無いのだ。事件のあった劇場は深夜になった今でも、鑑識の人間が多く残り作業をしている。その捜査員の姿が何処にも見えないのだ。水尾はおもむろに手袋をはめて、木製の扉を押し開いた。そこには静まり返った小劇場の景色があった。


「ここは、どこや」水尾の口から出た言葉が静まり返った劇場に響いた。


 田中が水尾の脇を抜けて観客席に歩いて行き何かを拾い上げる仕草をした。


「俺の携帯電話だ」


 櫻子がスタスタと一人舞台に歩いて行き、服の袖を伸ばし手袋代わりにして舞台袖の扉を開けて中に入って行った。


 しばらくして扉を開けて出てきた櫻子は右手にスーツの上着らしきものを抱えていた。


「久我山社長の上着ですよね?」櫻子は坂本に手に持った物を見せながら尋ねた。


「はい、間違い無いと思います」


 櫻子はその上着を水尾に渡した。


 その上着を受け取った水尾は持った感触の違和感に、背中を冷や汗が流れたのを感じた。


 スーツの内ポケットに手を差し入れ、中に入っていた物を取り出した


 水尾が取り出した物を見て、そこにいた全員の表情が凍り付いた。


 水尾はポケットから携帯電話を取りだしていつにも増して鋭い口調で言った。


「元平!今すぐ久我山信明の身柄を確保せぇっ。信明の上着から拳銃が見つかった。逃がすなよ!」

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