第二章 エンターテインメントの城 5

 水尾達が駐車場に止めてあった車に乗り込んで出て行くのを見届けて、久我山信明が櫻子に視線を移した。


「本日はおまたせしてすみませんでした。もうそろそろお昼になりますが、昼食が先の方がよろしいでしょうか?建物のご案内をする方がよろしいですか?」


「できるなら食事を先にしてもらえると助かるんですけど……」南川小夜子が伺いを立てるように小さな声で言った。


「と、いうわけでお食事でお願いします」櫻子は信明に笑いかけた。


「実は私も朝食を取っていなかったので食事が先の方が助かります。では食事にいたしましょう」小夜子を見つめながら言うと、秘書の坂本に目で合図してから、櫻子の腰の辺りに手を持っていきエスコートする仕草を見せた。


「ムッチャいい男だね。社長だし。独身らしいよ。完全にロックオンだね」小夜子は美紀の耳元で囁いた。


「聞こえますよ小夜子さん。それに恐らく小夜子さんでは無理です」美紀はこれ以上無いくらい真面目な表情で答えた。


「ひっどい。でもそんな冷たい美紀ちゃんが好き」小夜子がウインクしながら呟いた。


 秘書の坂本を先頭にエレベーターに乗り込み最上階に到着して目の前の鏡のようなパネルを見ると、左に矢印が出ていてレストランと表示されていた。


 右には衝立が立っていて『関係者以外立ち入り禁止』と書かれている。


 レストランの入り口には黒いスーツの男が一人立っていて、信明の姿を確認するとさりげなくお辞儀をして店内に入り、窓際の十人がけ程のテーブルに案内した。


 レストランの大きな窓からは見事に澄み切った青空が見えていて、店内の少し暗めの照明とのコントラストが際立っている。


「お料理はこちらで決めさせて頂いてよろしいでしょうか?」信明はチーム櫻子の四人全員に確認するように視線を順番に送った。


 四人はお互いの目を見合わせてから、櫻子が代表するように頷いた。


 しばらくは自己紹介や取り留めの無い会話が続いたが、食前酒が運ばれてきたタイミングで祥子がいつもの涼しげな声で信明に尋ねた。


「いきなりで大変失礼だとは想うのですが、倉ノ下のマネージャーとしてどうしてもお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「そんなにかしこまらなくても結構ですよ。勿論なんでも聞いて下さい。私達は対等なパートナーですから。私も皆さんに聞きたいことが沢山ありますので、遠慮無く聞かせて頂きます」先程と同様、四人に順番に視線を送った。


「何故、今回のような大きなお仕事を私共のような小さな芸能事務所の一タレントに依頼されたのでしょう?御社ならもっと大手の芸能事務所の大物タレントに依頼することも可能だと思いますが。正直に言って、その方が普通だと思うのですが」祥子は少し強目の口調で尋ねた。


「本当に正直に聞かれましたね。確かに普通に考えれば松本さんが言われることが常識なんでしょう。ここだけの話、これは私の独断といってもいい決定なんです。失礼を承知で言いますが、特に私個人が倉ノ下さんのファンだとか、興味があったとかそういったことでは無いんです。私の近しい知人の紹介とでもいいますか、その人物が熱心に倉ノ下さんの事を話すのを聞いているうちに、一人の人間をここまで夢中にさせる魅力というのはどんな物なのかと興味をもった次第なのです。そこから、倉ノ下さんのことを色々と調べているうちに、この人と一緒に仕事をしたいと想うに至ったのです」


 最初の落ち着いた話し方から、次第に熱を帯びた話し方になったことに自ら気付いて、冷静さを取り戻すように食前酒を飲み干した。


「納得して頂けましたでしょうか?松本さん」


「正直な話を聞かせて頂いてありがとうございます。今回のお仕事、心してお受けしたいと思います」神妙な面持ちで祥子が櫻子の方を見た。


「そこまで力まなくても構いませんよ。倉ノ下さんの魅力はその自然体の部分だと思うのです。デビュー作も拝見させて頂きましたが、あの飾らない雰囲気が人の心を掴むのです。芸能関係者のツテでそのデビュー作のオーディションの映像も確認させて頂きました。多くの候補者の中でも明らかに違った輝きを放っていました。持って生まれた才能だと思います」櫻子を見つめながら信明は自らが確認するように頷いた。


 櫻子は顔を赤らめていた。周りにいた者は最初あまりに褒められて照れているのだと思った。その中で祥子だけが櫻子の異変に気が付いたのか声を掛けた。


「あなたもしかして食前酒それ、飲んだの?」祥子の口調は明らかに慌てていた。


「口をつけただけです……」櫻子の様子が明らかにおかしい。そうこうしている間に、額からテーブルに突っ伏してしまった。


「やっちゃった……」美紀は眉間に指を当てながら呟いた。


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