第二章 エンターテインメントの城 9

 美紀は櫻子に無理を言われて建物内の散策に付き合っていた。

 

 勿論ファンの一団がいるのでいつもの変装姿でだ。変装といってもこれがいつもの彼女なのだが、知らない第三者から見れば、非常に良くできた変装だ。

 

 祥子には毎回注意されるのだが、好奇心旺盛な櫻子はこの行動をやめる気はさらさら無い。どんなことにでも興味を持ち、余計なことに首を突っ込んではトラブルを起こし、それでもなお反省のかけらも無いのが櫻子だ。


 美紀は一応お目付役ということで引っ張り回されるが、最終的に祥子に怒られる負担を少しでも軽くしようという櫻子の策略なのは明らかだ。小夜子も引きずり込もうとした櫻子だったが、小夜子は生憎お昼寝中だったので諦めた。

 

 祥子はこの後行われる食事会の打ち合わせをペリペティア側のスタッフと話し合っていたので、その隙を見計らって部屋を抜け出してきた。


 何かトラブルの匂いを嗅ぎつけたら事件だと言って余計なお世話をする。それで問題が解決したらそれはそれでミステリー小説の主人公のようなのだが、問題を大きくするばかりで解決したことなど一度も無い。


 今回も、大阪府警の刑事が社長に会いに来ているということは、何か事件の匂いがするなどとほざいて抜け出してきた始末である。


「事件の匂いがプンプンするわ。名探偵櫻子の出番ね」


 間違い無くそんな出番は無いのだが、櫻子は何か起こらないかとウキウキした表情をしている。


 二人が最上階のフロアを散策していたところ、オフィスエリアの入り口で立ち話をしている人影が見えた。


 それは久我山信明と坂本で、かなり緊迫した表情でやりとりが交わされているように見えた。周りを気にするような雰囲気から、あまり聞かれたく無い内容を話しているらしい。


「おやおや、何か怪しげな雰囲気ですね……」ニヤニヤと笑いながら呟いた櫻子は、物陰に隠れているその現在の状態と相まってかなり怪しい。ここに警察がいたら真っ先に怪しまれるのは櫻子に違いないと美紀は思った。


 話が終わった坂本が美紀達のいる方向へ歩いてきた。


 二人は慌てて物陰に隠れて坂本をやり過ごした。美紀は内心何故隠れなければいけないないのかと思いはしたが、櫻子の動きにつられて思わず隠れてしまった。


 坂本がエレベーターに乗り込んで扉が閉まるのを確認してから物陰から抜け出し、久我山信明がいた辺りに視線を向けたが、信明の姿は既に無かった。方向からしてオフィスに向かったのだろう。


 櫻子は周囲に気を配りながら忍び足で、立ち入り禁止と書かれた看板の横をすり抜けようとした。


「櫻子さん、立ち入り禁止ですよ」

 

 美紀は聞こえるか聞こえないかと言う程の小さな声で櫻子に言った。言った後に、そこまで小さな声で言う必要性があったのか考えたら少し笑えてきた。


「大丈夫、大丈夫」櫻子はそう答えたが、何が大丈夫なのだろうか?


 櫻子は周囲に気を配りながら忍び足でオフィスの扉に近づき、筋ガラスの扉に耳を当て中の音を聞き取ろうとしている。


 櫻子の聴力は人より数倍優れている。その櫻子の耳を持ってしても話している内容は聞き取れないらしく、美紀に視線を合わせて首を左右に振った。


「男の人が言い合っているように聞こえるんだけど。内容までは聞こえないな~」と言った櫻子の表情が急変したかと思ったら、美紀の手を強く引き先程まで隠れていた物陰に戻った。


 扉が開き久我山信明が出てきた。その表情は明らかにいつもの穏やかなものでは無く、足取りも怒りを表すような荒っぽいものだった。その足取りのままエレベーターホールまで歩いて行き、荒っぽくボタンを押してエレベーターに乗り込んだ。


「櫻子さんそろそろ戻らないと、祥子さんに怒られますよ」


「ちぇ~。もう少しいいんじゃない?久我山社長が誰と話していたのか確認しようよ」そう櫻子が話し終わるのとほぼ同時にエレベーターの扉が再び開いて誰かが下りてきた。


 それは及川守だった。


 美紀は櫻子が見つかっては大変だと思い女性用トイレに櫻子を押し込んでから、自分は及川守の行動をしばらく見ていた。


 及川はエレベーターホールに置かれた観葉植物の辺りで何かを探しているような雰囲気だった。及川はその後再びエレベーターに乗って姿を消した。


「櫻子さん大丈夫ですよ出てきても」


「エレベーターは危ないかもね。階段で部屋に戻ろう」櫻子はエレベーターの扉を見ながら言った。


 美紀と櫻子は階段を使って一階降りて、櫻子の部屋の前まで戻った。

 鍵を開けようと櫻子は扉に手を翳したが反応が無い。何回が繰り返すが同じだった。


「部屋、間違って無いよね?」


 櫻子と美紀がドアの前でドギマギしていると、後ろから声を掛けられ二人同時にビクッと身体を強張らせた。


「あなたたち、何処に行っていたの……」


 櫻子と美紀が恐る恐る振り返ると、そこには明らかに怒りの表情の祥子が立っていた。その後ろには坂本が立っていた。


「どうも、しゅみましぇん……」甘えるような口調とあひる口で反省をアピールする櫻子を見て、祥子は大きく溜息をついた。


「システムの不具合らしくて、坂本さんが鍵を持ってきてくださったの。まさか、あなたが何かやらかして、システムがおかしくなったんじゃないでしょうね?」胸の前で腕を組んで祥子は櫻子を睨んだ。


「メカクラッシャーの櫻子さんですけど、今回は違うと思いますよ。私がずっと一緒にいましたけど、特に何かしたということは無いと思います」美紀は真剣な表情で答えた。


「ひどい、美紀ちゃんそのネーミング……」


 そのやりとりを見ていた坂本が吹き出すように声を出して笑った。


「倉ノ下様のせいではございませんのでご安心を。少し不便にはなりますが、ご了承下さい。お食事会は予定通り六時からになっておりますので、皆様、時間になりましたら所定の場所におこし下さい。詳細は松本様にお伝えしておりますので。ではまたのちほど……」坂本は今までで一番フランクな笑顔を見せてから、お辞儀をしてエレベーターの方に歩いて行った。


「そろそろ準備しなくちゃならない時間よ。お願いね」いつもの優しい口調で祥子が言った。


「どんな不具合なの?」興味津々な表情で櫻子は目を輝かせた。


「あなたに教えると、また余計なことに首を突っ込んでややこしくなるから教えない」


「ぶ~。ずるい、お姉ちゃんだけ。私にも教えて」小学生のように駄々をこねる櫻子に美紀は追い打ちをかけるように言った。


「櫻子さんには教えない方がいいですね。恐らく、ろくなことになりませんよ」


「美紀ちゃん、裏切ったな……」


「はいはい、あなたはちゃんとお仕事に集中してね。さっきのミス、取り返してよ」


「私が今一番気にしていることを……」櫻子は膨れっ面をしながらも渋々部屋に戻り、シャワーを浴びるため浴室に入った。


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