第三章 予定外のイベント 4
殺害があったと予想される時間帯の従業員のアリバイはほぼ完璧だった。
アリバイが確認されていない人間は、いまだ行方が分かっていない久我山裕美と、もう一名だけだった。
「もしかして私は疑われているのですか?アリバイが無いというだけで犯人扱いとは。やれやれ……。従業員の誰かを誘って飲んでいたらよかったわ。それならアリバイになったのに。まあ、私が久我山会長を殺す動機がまったく無いとは言えないので、怪しまれても仕方ないか……」
その女は今水尾の目の前に座っている。
鋭い視線を水尾はその女に向けていたが、そんなことなどまるで気にしていないその態度に周りにいる人間の方がハラハラしていた。
「社長。あまりふざけないで下さい」松本祥子が少し焦った表情で忠告した。
水尾に睨まれているこの女は、倉ノ下櫻子の所属している芸能事務所の社長、
彼女はこの本名で呼ばれることをとても嫌う。芸名である「リサ」で呼ばないと酷い剣幕で怒るのである。
しかし水尾は先程から話しを聞く際、本名を連呼するので、珠子は機嫌がみるみる悪くなり、このようなぞんざいな態度になっている。
久我山信明は先程、誰もこの建物に出入りしていないと言っていたのだが、金田珠子の訪問を失念していたのだ。
唯一の訪問者である彼女が自分の部屋で一人で酒を嗜んでいたため、殺害時刻と思われる時間帯のアリバイが無かった。
「部屋と持ち物を調べさせてもらいますよ」水尾が睨みながら強い口調で言った。
「どうぞどうぞ。凶器が出てきたら逮捕でもなんでもしてもらって結構です」あさっての方向を見ながら金田珠子が答えた。
「社長。あまり子供みたいな対応をするのはやめて下さい」祥子は呆れ顔で忠告した。
「それで。久我山裕美はみつからんのか?」水尾は明らかに苛立っていた。
「鍵が無くても入れる場所はしらみつぶしに探しましたが……。後は使用していない客室ぐらいです。当然鍵がかかっていますので可能性は低いとは思いますが」元平が報告した。
水尾は元平に使っていない客室を調べさせてもらいたい旨を久我山信明に伝えるよう指示をだした。
元平はその場にいた捜査員数名を引き連れて部屋の捜索に向かった。
押し黙って机の上の一点を見つめていた水尾に田中が近付いてきて声を掛けた。
「今いいか?」田中は周りの目を気にするように小声で声を掛けた。
「何だ?重要なことか?」
「多少」
少し前屈みになって聞く体制になった水尾を見て田中が話し始めた。
「招待客の一人の姿が見えない。俺もずっと気にしていた訳じゃ無いんで、いつからいないのかは分からん」
「本当か?何故今までだまっていた?」
「俺もさっき気が付いたんだよ。名前は不動峰子。雑誌の記者だ」名刺を水尾に見せながら言った。
「怪しいのは女ばっかりやな」
「何だ?女に嫌な思い出でもあるのか?」
田中はいつものにやけ顔で楽しそうに言った。
「あんまり調子に乗るな。お前も容疑者やからな。捜査に関しては俺達に任せておけばええんや」追い払うような手の動きをしながら水尾は田中から視線を外した。
元平を呼び戻して不動峰子の居場所も確認するよう指示を出し、自らはもう一度殺害現場を確認しておこうとエレベーターに乗り込み地下に向かった。
殺害現場の劇場内はまだ多くの捜査員が作業をしていた。
水尾はその中の小柄な若い男に声を掛けた。
「何か見つかったか?」
声を掛けられた男は振り返り少し会釈をしてから答えた。
「何せ多くの人間が出入りする施設でしょうから、関係ある物も無い物も色々あります。指紋もとってはいますが、膨大な数になりますので個人を特定するのは難しいかと。犯人がそこら中素手でベタベタと触った、というのは考えにくいですし……」
「弾は出てきたのか?」
「はい、全て貫通していて、壁や床から見つかっています。トカレフ弾でした。殺傷能力の高い物です」
「防犯カメラの映像は?」
「残念ながら駄目でした。今日の昼くらいからシステムに不具合があったらしく、防犯系の機能を停止していたようです。その分、鍵の管理はしっかりしていて、鍵の保管ケースのある部屋は常にスタッフが在室していました」
「犯人は防犯カメラが機能していない事を知っていたことになるのか」
「そうだ、カメラといえばエレベーター内のカメラだけはエレベーター会社の防犯システムに映像が残っているそうです。犯人が呑気に映っているとは考えにくいですが」
「そうか、後で確認させてもらう。君名前はなんていったかな?」
「田中です」
「田中……。そうか、覚えておく」
水尾は久我山聡の遺体が運び出された後のステージを見つめた。
至近距離で撃たれたということは顔見知りの可能性もある。
久我山聡をこの劇場に呼び出したのか?
脅迫状がきているこの状況で一人で行動するなんてことがあるだろうか?
それとも自分が殺される訳が無いと思っていたのか?
そうなるとやはり顔見知りの線が一番しっくりくる。久我山聡が気を許している相手からの呼び出しなら一人でくる可能性もある。
あれこれと考えながらエレベーターのボタンを押した。なかなかエレベーターは来なかったが、階段で上る考えは水尾には微塵も無かった。
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