第三章 予定外のイベント 3

 水尾と元平が現場に到着した時には、既に駐車場には何台かの警察車両が止まっていた。


 車から降りると、今日午前中に来た時とは違い、建物の中央部分が大きく開いていて、そこからは建物の中が見えていた。


 その入り口付近に立っていた制服の警官に片手を上げてから建物の中に入ると、慌ただしく大勢の人間が動き回っていた。


 その中の一人を捕まえて水尾は事件現場の場所と行き方を聞いた。


 地下にある劇場に着くとそこに顔見知りの鑑識の姿を見つけたので声を掛けた。


「どんな感じ?」


「ああ、水尾さん、遅かったですね。これは酷いですわ」そう言ってステージの上を指差した。


 そこにはシートに被せられた遺体らしきものが見えたのだが、それよりもその掛けられたシートより遙かに広範囲に広がっている血の海に目を奪われた。


「正面からかなりの至近距離で撃たれとるね。正に滅多打ちや。五発打ち込まれとる。ここまでやるって事は相当恨んどる奴かね」


「まじでやりやがるとは。今度も悪戯だと高をくくってたんだろう」


「犯行時刻は?」


「そんなに時間経って無いね。三時間経っていない。発見された直前でもおかしくない」


「第一発見者の一人は例の社長らしいな。まず話しを聞いてみるか」


 一旦劇場から出て、目の前の大型エレベーターのボタンを押したがなかなか降りて来ない。どうやら上階で警察関係者が調べているか、捜査機材の積み込みでもしているらしい。


 待っている時間が勿体ないと思い、階段で一階まで上がることにした。


 地下の部分は他の階より天井の高さがある分、階段が他の階よりも長くなっているようでかなりの段数があった。その階段を上りきったところで肩で息をしながら、水尾はエレベーターを待てば良かったと大きく後悔していた。


 ロビーの前を横切り、客室用エレベーターに乗り最上階のレストランに向かった。建物内にいたほぼ全員がそこに集められていたためだ。


 レストラン内を見渡すと、三十人程だろうか、各々がお互いの距離をとるように離れて座っていた。


「これで全員ですかね?」元平が集まっていた人間に誰とも無しに尋ねた。


「それが、会長の奥様だけが見当たらないのです」秘書の坂本が手を上げながら答えた。


 午前中にこの建物を訪れた時、久我山聡の後ろを歩いていた女がその夫人だろうと、水尾は思い出していた。


「どなたか、見かけた人はいませんか?」元平はもう一度全員に尋ねた。


「多分その人だろうなという人をエレベーターで見かけたけど」手を上げて一人の男が答えた。


「お前、及川か」水尾が少し驚いた表情で尋ねた。


「どうも……」及川は少し目を逸らした。


「それはいつの話し?」元平がいつもの優しい口調で聞いた。


「ハッキリ覚えて無いけど、多分五時から六時の間くらいだったと思うけど……。僕が先にエレベーターを降りたから、その女の人が何処に行ったかは知らないよ」


「部屋でお休みになられているのかと思い、ノックしてはみたのですが、反応がないのです。部屋に勝手に入る訳にもいきませんので……」坂本が報告した。


「久我山夫人の部屋には後で私達が行ってみます」水尾は久我山信明に視線を送って言った。


「私もその時はご一緒します」信明がマスターキーを水尾に見せながら行った。


「それではまず第一発見者にお話が聞きたいのですが、よろしいですか?」


 窓際の少し奥まったテーブルの奥側の席に久我山信明と秘書の坂本が座り、手前に水尾と元平が並んで腰掛けた。


「すみません。第一発見者は私達二人の他に、もう一人招待客のお客様もおられたのですが」


「そうですが。それではその方も一緒に話しを聞きましょう。その方もここにいますか?」水尾はレストランの中を見回しながら尋ねた。


「はい。あの入り口よりのテーブルに一人で座っておられる男性です」秘書の坂本がそちらの方向を指さしながら答えた。


 そのテーブルに視線を移した水尾はぎょっとした。そこに座っていた男の顔が水尾には忘れたくても忘れられないものだったからだ。


 水尾は勢いよく椅子から立ち上がると、さらに勢いを増して大股でその男の座っているテーブルに歩み寄った。そのあまりの勢いに回りにいた人間の視線が全て水尾に集まっていた。


「お前、ここで何しとんや」水尾は立ったまま男を見下ろして訪ねた。


「おうっ、久しぶり。そりゃーお前が出張ってくるだろうな。で、どんな状況なんだ?」男は水尾を見上げると、にやけ顔で話し掛けてきた。


「アホか。何でお前にそんなこと教えなあかんねん。お前も一応容疑者やぞ」


「いや、俺達にはアリバイがある。なにせ、ここにいるほとんどの人間が一緒にいたからな。お互い証言できる」


「まだ調べ始めたばっかりや。お前は勝手に大阪府警こっちのヤマに首、突っ込むな。プライベートできとるならそれらしくしとけ。お前第一発見者らしいな。あっちで話を聞くからこい」


 水尾は振り返ると来た時と同じように大股で元いた窓際のテーブルに戻った。


 水尾と田中は警察学校の同期だ。その当時から水尾はこの田中という男が好きではなかった。その理由は自分でも理解していて、それは自分自身のつまらないプライドからくるものなのだが、わかっていてもどうしても感情を抑えることが出来ないのだ。


 水尾は目の前に座った三人に端から順に視線を向けた。


 久我山信明と秘書の坂本は呆然とした表情で座っている。


 左端に座った田中を見ると、窓の外を眺めて明日の天気でも考えているような、何事もなかったよう表情をしている。


 水尾は軽く舌打ちをしてからまず久我山信明にいくつかの質問をした。


 その受け答えを水尾のとなりに座った元平が手帳に書き留めている。元平もいくつか付け足すように質問した。


 水尾は鋭い視線で信明の様子を観察したが、これといっておかしな所は無いように感じた。


 続けて秘書の坂本にも同じ様な質問をしたが、坂本のほうが信明よりも理路整然と受け答えしているように見えた。こういった時は女性のほうが以外としっかりしている場合がある。ましてや信明は実の父親を殺されたのだから動揺が大きいのも当たり前だ。


 田中には主に元平が質問した。水尾が目配せしてお前がやれと指示したためだ。水尾自身、恐らく自分がやると感情的になってしまうと思っての判断だった。


 田中は気になった点などを複数自分の見解も付け加えて答えた。


 三人に対する質問がある程度終わって、水尾は一旦目を瞑って頭の中の整理をした。


 三人から聞いた内容に特におかしな点は無い。


 しかしおかしな点がない反面気になる点もいくつか浮かび上がってきた。


 一つ目が殺害現場である劇場の扉の鍵である。


 秘書の坂本が久我山信明に頼まれて忘れ物を取りに劇場に戻ったとき、入り口の鍵は閉まっていた。


 しかし、信明は招待客に施設を披露した後、劇場を出る際、扉の鍵が閉めていないと言っている。


 信明がマスターキーで解錠しているのを、坂本と田中が見ている。その劇場の本来の鍵は事務所のキーを保管するケースにかけられたままだった。その保管ケースを開けるためには、信明の持っているマスターキーが必要である。


 もう一つが殺害時間だ。


 殺害現場である劇場には七時前後には多くの人間がいた。劇場は一旦無人になって、坂本が忘れ物を取りに劇場に到着するまでの時間は、僅かに十分程度だ。


 その間に犯人は久我山聡を殺害して姿を消したことになる。


 水尾と元平以外の捜査員も何人か合流して、他の人間から話を聞いていた。


 水尾と元平は続けてチーム櫻子に話を聞くことになった。


「大変なことになりましたね。マスコミが嗅ぎつけてくると更に大きな騒ぎになりますよ」元平が同情するような表情で語りかけた


 四人に簡単に聞き終えた後、逆に松本祥子が水尾に尋ねた。


「お二人は田中さんが東京の刑事さんということご存じなんですよね。もしかしてお

知り合いですか?」


 元平は水尾に一度視線を向けてから少し気まずそうに答えた。


「水尾さんと田中さんは警察学校の同期なんですが、その話題はあんまりよろしくないので……」


 チーム櫻子の面々は興味津々の表情で水尾を見ていたが、水尾は無視した。


 水尾は立ち上がると再び久我山信明のいるところに戻り、声を掛けた。


「久我山裕美さんの部屋に一緒にいってもらえますか」


 信明は黙って頷くと立ち上がり、水尾、元平と連れだって久我山夫妻の部屋に向かった。


 久我山夫妻の部屋は櫻子達の部屋と同じフロアである九階の九一○号室だった。

 

 櫻子の部屋から見て建物の反対側の端の部屋になる。

 

 水尾がドアをノックしたが反応が無い。


 信明が代わってもう一度ノックした後、マスターキーでロックを解除した。


 信明がドアを開けながら「お母様いらっしゃいますか?」と声を掛けたが返事は無い。


 元平が信明と入れ替わるように部屋の中を警戒しながらゆっくりとした動きで入った。


 部屋の中は明かりがついておらず、ほぼ真っ暗だったので、廊下からの明かりだけでは中の様子を全て確認することはできなかった。


 信明は水尾に視線を送り、水尾がコクリと頷いたのを確認して、壁にある照明のスイッチを入れた。


 明かりのついた室内に人影は無かった。


 窓際のソファーの上に無造作に脱がれたジャケットが置いてあるだけで、荷物も無かった。


「いらっしゃらないようですね」水尾は寝室の扉を開けて中を覗きながら言った。


「部屋にいないとなると何処におられるのかな?お母様はこの建物にくるのは初めてなので、勝手は分からない筈なのですが」信明は思案顔で答えた。


 お母様か。育ちの良いお坊ちゃんらしい呼び方だ。そう考えた水尾だったが、表情にはおくびにも出さなかった。


「他に行きそうな所に心当たりは?」水尾が尋ねた。


「いま、この施設のロック機能が停止していまして、そのせいで逆に自由に出入りできる所は限られているのです」


「外部との出入りはどうなっているんです?」水尾は驚いた表情で質問した。


「今、警察の方々が出入りされいる正面玄関以外の出入り口はロックされていますので、出入りは自由にできません。警察の方々が来られる以前は一階には常に我が社の社員がいましたので、目撃されずに出入りすることは不可能だと思います」


「ということは、久我山夫人が外出されたということは無いんですね」


「はい。夕方頃、私達が招待客の皆様と中央の出入り口から建物に入ったのを最後に、入った者も出た者もおりません」


 水尾は嫌な感覚を抱いていた。


 信明の話が事実だとすると、久我山聡を殺害したのは内部の人間だということになる。


 建物の中に事前に潜んでいたということも無くは無いが、現実的に考えて可能性は低い。


 先程、田中がいっていた事を信じると、招待客にはアリバイがあったことになる。


 久我山信明、坂本、チーム櫻子も同様だ。


 従業員が何人いるのか分からないが、姿の見えない久我山裕美が殺害に関与している可能性が一番高いように思える。


「元平。従業員のアリバイを全て聞き出すのと、総動員で久我山裕美を探し出すぞ。犯人は銃を持っているので十分注意や」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る