第3話 平台島と金糸雀館
――私はしがない私立探偵。先日、俺の元にとあるツアーへの参加旅券が一通の手紙と共に届いた。
「あなたの望む展開がここに」
たったこれだけ書かれた文章にやけに惹きつけられた私は、どうしてもついて行きたいと駄々をこねる助手を連れてツアーに参加する――。
真っ暗闇の視界の中、突如頭に流れ込んできた
「起きましたか? ご気分はどうです?」とキビキビした調子で言う鞘の片手には、俺から剥ぎ取ったと思わしきアイマスク。鼠色のレディーススーツの上に茶色のインバネスコートを羽織り、鹿撃ち帽子を被ったその姿は、まさしく女シャーロック。一方の俺を見てみれば、上下あずき色のジャージ。おい、このゲームって本当に俺が探偵なんだよな?
籐椅子に預けていた体を起こし、二本の足でしっかりと床に立つ。軽くその場で足踏みしてみたが、目眩や吐き気などのいわゆる〝ヴァーチャル酔い〟は感じられない。
「ばっちりです。今すぐ100メートル走だって走れますよ」と答えると、鞘は「何よりです」と無表情で返した。
俺はその場で部屋を見回す。椅子の他には、着替えなどが詰まっていると思わしきボストンバッグがふたつ、二台並んだベッド、ドレッサー以外に物は無い狭い部屋。丸い窓から外を覗いてみれば、鉛色の空から降る細雨が波高い海へと絶えず吸い込まれていく、心躍る光景が見える。ベッドの上にいたと思えば、数秒後には海の上。これぞ架空環境の醍醐味といえる。
「しかし、どこなんです、ここは」
「180年前の太平洋上です。私達は、東京都が管轄する平台島にある金糸雀館で行われるデジタルデトックスツアーに参加するため、28ノットで海上を移動中となります」
「なるほど。もし同じツアーが今でもやってるなら、専務のお母様にも是非行くよう勧めるといいですね」
「五年前、母は先代社長からの勧めで似たようなものに参加したことがあります。三十分と持たなかったそうですが」
電脳網に繋げず見る見るうちに顔面蒼白となっていく透華サマが、「わたくし、用事を思い出しました」と苦しい言い訳をしながら海へと飛び込む姿がいとも容易く脳裏に浮かび、俺はつい苦笑した。
部屋の扉がノックされたのはその時のことだ。「どうぞ」と鞘が答えると、扉が開いて、その隙間から見知らぬ男がひょっこり顔を出した。
「どうもすいません。もしかして、お休みの最中でしたか?」
「いえいえ。どうされました?」
「島が見えてきたんです。狭い船内にいると息が詰まるでしょう? よろしければ、見てはいかがかと思いまして」
これは恐らく、ゲーム的にいえば〝固定イベント〟というヤツだろう。古い言い回しをすれば、避けては通れぬ道、でいいのかな。ともあれ断る道理もない。
「ぜひとも」と俺が笑顔で答えると、その男は「ああ、よかった」と安堵したように息を吐き、扉の隙間から身体を室内にするりと滑り込ませてきた。身長は160センチ半ばだろうか。身体つきはやや太めで、あんぱんみたいに丸い顔を持つ愛嬌溢れる奴だ。なんとなくゴールデンレトリバーを連想させるのは、その人なつっこい笑みのおかげだろうか。
「参加者のみなさんを順番に誘ったんですが、断られてばかりなものでしたから。みなさん、ネットが使えず、早くもナイーブになってるようなんですよ」
そう言うと男はこちらに歩み寄りながら握手を求めてきた。
「私は相川陸といいます。これから向かう平台島にある、金糸雀館の管理人です。まあ、雇われですがね。短い間ですが、どうぞよろしく」
「俺は車龍太郎です。で、こっちは――」
「鞘・シェパードと申します。以後、お見知りおきを」
その謎の自己紹介を隣で聞いていた俺が、「ぶは」と噴き出したのも無理はないよな。なんだよ、鞘・シェパードって。神野の名前はどこにいった?
下唇を噛んでなんとか笑いを堪える俺を、鞘は横目で睨みながら、「私の意思とは反する言葉が出てきました。どうやら苗字が固定されているようです」と小声で抗議の意を示す。なるほど。ゲームの世界なだけある。それにしても〝シェパード〟ってのはお笑いだが。まるで犬だ。
それから俺と鞘は相川に連れられる形で船室を出て、共に甲板へと向かった。船室から一歩外へと出れば、雨粒と共に潮っぽい空気が肌にまとわりつく。船が走っているせいで少し肌寒い。
船の進行方向を指差しながら、相川は「あれです」と俺達に伝える。顔面にぶつかってくる温い雨に目を細めながら見てみれば、薄暗い景色の中に大きな黒い影が浮かんでいるのが視界に映った。あれが、殺人事件の舞台、平台島。俺と鞘以外はその事実を知らないわけだが。
OK、ノッてきた。気分はまさにポアロだ。恰好はただのニートだけど。
島に蠢いているであろう大きな謎に備え、腕を回すなどして準備体操をしていると、相川が気恥ずかしそうに言った。
「まったく、幸先の悪い天気で申し訳ない限りです」
「相川さんが謝る必要もないでしょう」と俺は当たり障りのない言葉で慰める。
「雨男なんですよ、私は。姉にもよく責められたものです」
相川はふと空へ丸い顔を向ける。表面積の広い相川の肌を、灰色の粒が無遠慮に叩いた。
「こういう天気の時は、決まって厄介なことが起きるからタチが悪い」
合ってるぜ、アンタの予感。声には出さず、二度頷いて同意した。
〇
それから30分としないうちに船は島へと接岸した。荷物を持って桟橋へ降りれば、なんだか身体が揺れているような感覚がある。下船病、というヤツだろう。ここまで再現しなくたっていいだろうに。
「酔い止めがありますが」と薬を勧めてくれた鞘に「大丈夫です」と断った俺は、首の付け根あたりを軽く手のひらで叩きながら周囲を見渡す。
最低限程度の手入れしかしていないのか、島はうっそうとした緑に覆われている。木が茂っているところへ赴けば、昼間でも暗くて道を見失ってしまうほどだろう。斜め上へと視線を向ければ、木々の合間から三角錐の尖塔がひょっこり頭を出しているのが見える。人工物の気配はそれ以外にはない。
海に囲まれた小さな島。あるのはお屋敷と緑だけ。いっそう〝らしく〟なってきた。
参加客が全員船から出たのを確認した船長は、ぶうと一度汽笛を鳴らして船を走らせた。水平線へと消えていく船を見送った相川は、ツアー参加者をぐるり見回すと、「それでは、皆さんがお泊まりになるお屋敷にご案内致します」と慣れた様子で言って歩き出す。他の参加客と共にその後を追って、黒い枝葉が天蓋を塞ぐ石畳の道を真っ直ぐ歩いて行けば、五分とせずにお屋敷まで辿り着いた。
二階建て、薄い黄色に塗られた煉瓦造りの洋館は、たしかに金糸雀の名前を冠するのにふさわしい。表面積の広い長方形の窓が等間隔に並んでいる。玄関ポーチにかかった扁平アーチ。いわゆる、チューダー様式というヤツか。金持ちらしい趣味だ。
鍵を刺して扉を開いた相川は、俺達の方を振り向いて恭しく一礼すると、立て板に水で語りだした
「皆様、改めまして金糸雀館にようこそ! 長い船旅でお疲れでしょうから、お部屋でごゆっくりお休みください。自室のキーは、事前にお配りしているものをお使いください。館内利用方法などにつきましては、それぞれお部屋にパンフレットをご用意させて頂いておりますので、そちらからどうぞ。トラブルなどございましたら、すぐに私にお申し付けください。万が一私が館の中で見つからない際は、一階、二階にそれぞれご用意させて頂いております有線電話をお取りください。スタッフ一同二十四時間体制で対応させて頂いておりますのでご安心を。お食事は私の方でお作りさせて頂きます。こう見えて、調理師免許を持っていますので味はご安心を! お迎えは明後日の午後三時になります。それでは皆様、都会の喧騒も電波のわずらわしさも忘れた良い日々を!」
手慣れ過ぎて大げさな演技みたいになった相川の説明台詞が終わるのを合図に、ツアーの参加者は屋敷へと足を踏み入れていく。俺は鞘と共に列の最後尾をゆっくり歩き、皆の様子を観察した。
先頭を行くのは二階への階段を早足で昇っていく女。年齢と背恰好は鞘と同じくらいだろうか。少し垂れた目が特徴的な背の低い狐顔の美人。思いつめたような暗い表情はいかにも怪しげ。
入ってすぐ、赤い絨毯が敷かれたエントランスで固まる三人組。プロレスラーみたいな体系のコワモテの中年男。スタイルが良く、俳優みたいな顔の優男。金色の髪、メリハリのついた垂涎モノのスタイル、馬鹿みたいにデカいサングラス、ピアス、ショートデニムに白いブラウスを組み合わせた、頭の緩そうな若い女の組み合わせ。
「げー。ほんとに電波ないじゃん。あー、もうヤだ。すでにダルいんだけど」と、女は昔懐かしい
「お前が言い出したんだろ、行こうって」と受けたのはプロレスラーめいた体格の男。半袖を着ており、肩の辺りからは入れ墨が見え隠れしている。近い距離感を見るに、このふたりはカップルか、もしくはカラダの関係。
「そうだけど、こんなうっとーしいトコだって思わなかったし。もっとビーチとかある場所だと思ってた」
「調べりゃそれくらいわかるだろ」
「ハイハイわかった。あたしが悪かったでーす」
「おいおい。こんな時に喧嘩しないで仲良くしろって」と、ふたりを見かねて割って入る、俳優顔の優男。ふたりにとっては共通の友人、もしくは調整弁、あるいは潤滑油。
「まず休むよ」と言う女を先頭に、三人は自階段を昇っていく。そんな三人の背中を睨むように見る、眠たげな眼をした眼鏡の男。頬がこけて見えるほどの痩せ型、無精ひげ。要注意リストに二重マルだ。
ホールの隅には、三脚に取り付けたカメラに向かって喋りかける、髪色を金と銀に半分ずつ分けるというバカみたいな髪型をした若い男。
「――ヨイショー、っと。どうもーみなさん、ハガーでーす。というわけで、今回から何日間かに分けて、デジタルデトックスの旅の様子をお送りしていこうと思うんですが――」
あれはいわゆる動画配信者だろう。それにしたって、デジタルデトックスに来たはずなのに、それをタネにネットの海に流すための動画撮影とは恐れ入る。
管理人の相川はといえば、そわそわした様子で館の内装を見回す幸薄そうなサラリーマン風の男へ親しげに話しかけていた。
「どうされました? まさか、船に忘れ物ですか?」
「あ、いや、違うんです。その、まだかな、と」
「まだ、とは?」
「い、いえ。すいません」
頭を下げた薄幸男は逃げるように階段を駆けあがっていった。その背中を見送った相川は、気まずそうな笑みを浮かべて顔をこちらへ向ける。
「なんだか、妙な人が多いですね」
「ミステリーなら、間違いなく殺人事件が起きるシチュエーションでしょうね」と俺が言うと、声を上げて笑った相川は、「滅多なことを言うものじゃありませんよ」と言いながら二階に伸びる階段をゆっくりと昇っていった。
間もなくして先の動画投稿者も自室へと向かい、エントランスには俺と鞘のふたりだけとなった。客室のある二階へと向かう前に、辺りを軽く観察する。
玄関から入ってすぐ、左手には暖炉とソファー、右手の廊下を行けば広い部屋がある。中を覗けば、ソファーがいくつか並んだベランダのある部屋。談話室か何かだろう。調度品はヨーロッパ調。部屋を出て廊下を突き辺りまで進めば、男性用トイレと女性用トイレが並んでいる。
玄関から向かって正面に見える廊下を道なりに行けば、丸いテーブルと椅子が並んだひと際広い部屋に続いている。こちらの絨毯は薄い桜色、白い天井にはシャンデリア。部屋の奥にキッチンがあったので、ここは食堂と考えていいのだろうか。
エントランスへ戻り、装飾のついた手すりに手の平を滑らせながら幅の広い階段を昇る。上がってすぐの開けた場所には、背の低いテーブルやソファーが置いてあり、ラウンジのような造りになっている。
二階廊下には等間隔に扉が並び、それぞれ部屋番号が振られている。二百年以上前までの宿泊施設ではよく見られた、セキュリティレベルが低いオートロック式の扉。
鞘から「どうぞ」と手渡された棒状のキーホルダーに記載された番号に従い自分の部屋へ。廊下の角をひとつ曲がったところにある角部屋。穴に鍵を差し込んで捻れば、カチャンという軽い音が鳴った。
一人用の客室はそれなりに広い。入ってすぐ、左手のスペースには洗面所と、風呂トイレ一緒になったバスルームへと続く扉。寝室には大きなベッド、その脇には木製のサイドテーブル。壁に面して設置されているのはドレッサー。窓のそばには籐椅子がふたつ。部屋の隅には両開きの大きな扉もあって、なんだと思い開けてみればクローゼットだった。
手荷物をベッドに投げ捨てた俺は、ベランダに繋がる大きな窓を勢いよく開けた。潮の香りのついた風と細かい雨が髪を撫でて心地よい。
俺に続けて一緒に部屋に入ってきた鞘が、俺の背中へ声を掛けてきた。
「さて、ここからどうしましょうか、龍太郎さん」
「どうしようって言いますと?」
「なにをするにも情報収集は必要でしょう。皆さんに話を聞いて回るのがいいのではないですか?」
「せっかちですよ。まだ誰も死んでないでしょう」
「ですが死にます、確実に」
「怖いこと言わなくっても。かわいい顔が台無しですよ」
俺の言葉を受けた途端に鞘の眉間にしわが寄る。怒ったかな、たぶん。
俺は彼女の怒りの視線を躱すべく、靴を脱いでベッドに寝転んだ。
「そもそも、話を聞くといってもなにを聞くんです? あなたは誰か殺しに来ましたかとか、そんな妙なこと聞けばいいんですか?」
「それもそうですが……」
「それよりも、俺達ふたりの関係について考えておいた方がいいと思いますがね」
俺の提案に、鞘は「関係?」と首をひねる。
「ええ、関係です。かりにも俺達は探偵と助手。どちらかといえば俺が上で、あなたが下です。あなたのことを〝専務〟と呼ぶのも周りからすれば妙に映るでしょう? それに、シェパードさん、なんて呼ぶのもまた変です。だからといって神野さんだなんて本当の名前で呼ぶわけにもいきませんし……」
「……つまり、なにを言いたいのでしょうか」
「敬語はナシで。それに、鞘と、呼び捨てで呼ばせて頂こうかな、なんて」
ため息をひとつ吐いた鞘は、「好きにしてください」と呟いた。
「言質は取ったぜ。よろしくな、鞘」
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