第15話 消えていく登場人物

 時刻は午前九時二分。金糸雀館は三日目の朝を迎えた。天気は快晴、窓を開ければ肌が引き締まるほど涼しい空気が身体を撫でる。ずいぶんと寝坊してしまった気がする。昨日は早めに寝たつもりなんだけどな。


 眩しい太陽、緑の香り、波の音。ここが連続殺人事件の現場でなけりゃ、まあ六十点といったところの朝だが……どういうわけだか頭が重い。早く寝たわりに眠りが浅かったんだろうか。現実世界では横になり続けているわけだし、多少は身体にガタがきてもおかしくはないだろうが。


 ベッドを見れば、鞘はまだ夢の中。籐椅子から身体を起こし、寝間着から小豆色のイモジャージへと着替えようとした俺の目に、扉に貼り付けられた一枚の手紙が映る。


『もう、これで終わり。悪いのは全部おれなんだ』


 氷の手のひらで背中を撫でられたような気がした。


 慌てて廊下に飛び出せば、埃が床に落ちる音が響くくらいに静かな金糸雀館には、いやな臭いが漂っている。比喩表現ではなく、本当にいやな、どこか覚えのある臭いだ。


 ――まさか――。


 鈍重だった意識が瞬く間に速度を取り戻す。近くにある扉から手当たり次第にノックしていく。眠い顔をした奴らが迷惑そうにあくびをしながらぞろぞろ廊下に歩み出てくる。


「なんだよ、急に。朝っぱらから」と眠そうに言ったのは藤原。「まだ六時過ぎじゃないスか」と抗議の意を示したのは羽賀。「というか、なんだこの臭いは」と顔をしかめたのが榎本。何も無いところをぼんやり眺めて佇むのが後藤田。そして俺と鞘。

この場に見当たらない顔は三つ。喜屋武、百目鬼、馬場。


 部屋に戻り、ハンガーで作ったピッキング道具を手に廊下へ引き返す。手近なところから百目鬼の部屋の扉を開けたが、二人の姿はない。続けて喜屋武の部屋の扉を開ければ――途端に強く鼻を刺す死臭。ここだ。


 こみ上げてくるものを我慢しながら中に踏み入れば、何かを踏んだ感触があった。足元を見ればそこにあったのは血に塗れた拳大ほどの石。入り口付近にはあちこちに赤黒い斑点が飛び散っている。血痕だ。


「喜屋武、いないのか」と声を掛けながら部屋の様子を伺えば――窓際に百目鬼が横たわっている。駆け寄って身体を起こしてみれば、顔面を幾度と殴打された痕があり、見るも無残な状態で、堪らず吐き気が込み上げた。念のため脈をみたが、やはり死んでいる。


「龍太郎さん、これを見てください」


 感情をなるべく押し殺した鞘の声。彼女が指す方を見ると、クローゼットの中に喜屋武の首吊り死体がある。相川を連想させる殺し方だ。異なるのは、首筋に僅かな吉川線が残っていること。ベッドの上が荒れていることから連想するに、恐らく奴は寝ている最中に襲われ、殺された後、こうして自殺を思わせるように吊るされたのだろう。


 ふたつの死体。異なる殺害方法。


 どうしてここまで殺され方が違うのか――と、その時、「何があったんだ」と部屋に入ってきた榎本が、百目鬼の死体を見た瞬間に膝から崩れ落ちた。開いては閉じてを繰り返す唇は、言葉を紡ぐことができないらしい。「おい、平気か」と訊ねても、青い顔を左右に振るばかりだった。





 時刻は午前九時二十四分。自室に戻っていく参加者連中を尻目に、喜屋武の部屋に残った俺と鞘は死体を調べ始めた。


 部屋は死臭がこもっていて、ドアストッパーで扉に隙間でも作らない限りは到底長時間はいられない。「なんでこんなとこまでリアルなのかね」とぼやきながら、俺は目に映った〝謎〟を指さした。


「まず、入り口付近の血痕だ。これはつまり、百目鬼が殺されたのがこの場所ってことになるよな」

「ええ。喜屋武の死因は絞殺なのですから、その点はまず間違い無いかと」


 即答した鞘は百目鬼の死体の側に歩み寄り、かがみ込んでじっと見た。


「後頭部にまず一発。逃げようとしたところを押し倒し、顔面を複数回殴打、といったところでしょうか。廊下には血痕がなく、扉の内側を中心に血痕が見られるということは、百目鬼は部屋に入った直後、犯人に襲われた可能性が高いですね」

「パッと見る限り、この力任せの殺し方は喜屋武の仕業っぽいけど、そうじゃないんだろうな」

「でしょうね。彼には百目鬼を殺す動機がありません。しかし、真犯人はそんなこともお構いなしに、百目鬼殺しを喜屋武の仕業にしようとした。あの遺書めいた手紙が何よりの証拠です」

「そう考えるのが妥当……なんだろうけど、不可解な点がいくつもあるな」


 続けて俺は部屋の入り口に放り投げてあった、凶器に使われたであろう石を指した。


「百目鬼の殺しの際には間違いなく石が使われてる。犯人は、どうしてアレを放置したんだ? こんなの、警察で調べりゃ色々と証拠が出てくるだろ」

「どこかで処分してしまえばよかったわけですからね。それこそ、海にでも投げてしまえばよかったはずなのに」

「一週目の時もそうだったな。ナイフやら靴やらが林の中に落ちてたままだった。そこまで焦ってた、ってことなのかね」

「あるいは犯人が、〝警察に捕まってもいい〟と思っているのか、ですね」


 探偵風に「うーん」と唸る鞘は、顎をつまんだポーズのまま喜屋武の死体に近寄る。


「そこは一旦置いておくとして、続けて喜屋武です。部屋の状況を見るに、彼はベッドで殺された後でこのクローゼットの中に吊られた。問題は、彼の首筋に残る吉川線です。この傷があるということはつまり、彼は相川とは違い犯人に抵抗しようとしたということになります」

「喜屋武を襲ったのは、動機の面から考えりゃ後藤田だろ。喜屋武が万全の状態で抵抗できてれば、それこそ後ろから襲われたところで返り討ちにだってできたはずだよな。薬か何かで動きを鈍らされてたって考えた方がいいだろうな」

「となれば、相川の時と同じように、どこかに薬剤包装が落ちているのでしょうか」


 鞘は床に視線を落とし、目当てのものを見つけるべく部屋中を歩き回る。俺も同じようにして薬剤包装を探していると、間もなく鞘が「見てください」と声を上げた。彼女がこちらに見せたものは、錠剤の入った小さな薬瓶だった。


「たしか、喜屋武は薬を服用していたはずですね。この体型です。〝本来ならば〟、この中に入っているのは糖尿か、そうでなければ血圧か何かの薬でしょう」

「〝本来ならば〟っていうことは、本来入ってるべきものが入ってるわけじゃない、って考えてるのか?」

「ええ。昨日、龍太郎さんが言っていた『百目鬼が盗みに入った目的』は、恐らくはこれなんじゃないでしょうか」

「どういうことだ?」

「つまり百目鬼は、この薬瓶の中身か瓶そのものを入れ替えるために喜屋武の部屋に入ったんですよ。これの中身はわかりませんが……恐らく、筋弛緩剤か睡眠薬」


 そう言うと鞘はふと薬瓶の蓋を開け、中の錠剤を一粒つまんで飲み込もうとする。いくらここが架空環境だって危険すぎる行動だ。想像以上にワイルドな性格してるぞ、この子。


「お、おい待て。そんなわけのわからんもの、躊躇なく飲もうとするなよ」

「ご心配なく。この薬の服用で死にはしないことは、喜屋武の死体が証明してますので」


 鞘にはどうやら止まる気はない。そんな危ないことさせられるか。こうなりゃヤケだ。彼女の手から錠剤を奪い取った俺は、「あ」と彼女が呆気に取られているうちにそれを飲み込んだ。


「だ、大丈夫ですか? そんなわけのわからないものを躊躇なく飲んでしまって……」


 ……どの口が言うんだ、どの口が。


「とりあえず、身体は何ともないな。そのうち効果が出てくるとは思うけど」

「体調が優れなかったらすぐに申し出てください。最悪、嘔吐して貰わなければなりませんので」


 自分のことは棚どころか天井に上げて、半ば呆れたように鞘が息を吐いたその時、「どしたんスか、そんなトコで」とどこまでも能天気な調子の声が聞こえてきた。見ると、羽賀が扉の隙間から眠そうな顔を出している。


 本当のことを言って首を突っ込まれるのも嫌だが、適当なことを言って詮索されるのも厄介だ。おとなしく傍に歩み寄り、「色々調べているんですよ、事件を」と小声で教えてやれば、意外にも羽賀は「ああ、そスか」と興味なさそうに言ってあくびした。


「……なんだか、今日はやけに大人しいですね」

「いや。なんか今日はめちゃ眠くて。いつもなら完徹くらいヨユーだし、正直首突っ込みたい気マンマンなんだけど、頭が重いっつーか、怠いっつーか。てか、俺、榎本クン待たせてるんで。気分サイアクっつーから、水ガンガン飲ませなきゃならないんで。じゃ、これにてドロン」

「そういえば、やけに気分が悪そうでしたね。お大事にと言っておいてください」

「お大事に、程度の言葉でどうにかなりゃそれでいいんスけどね。なかなかどうして心の傷は癒えないっしょ。憧れのアイドルが死んじゃったんスから」


 そこまで言って羽賀は大きく欠伸した。


「あ、てか、探偵さん、あの百目鬼さんがモモモって知ってた? 俺、わかんなかったんスけど。もっと前から知ってたら、生きてるうちにサインとか貰ったのになー、てカンジ」

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