第14話 金糸雀館の夜(二周目)

 それからしばらく金糸雀館には何も起きない緩慢な時間が流れた。俺と鞘は終始二階ラウンジに陣取り、皆の動きを見張っていたが、揃って部屋に籠るばかりで不審な動きをする奴は現れなかった。


 やがて時計の針は夕方の五時を差した。窓から見える空はまだ明るく、夜は遠い。座り疲れてソファーから立ち、大きく伸びをしたところで、百目鬼と後藤田のふたりが廊下を歩いてくるのが見えた。なにやら、怪しい香りがする。当然、俺は「どうされたんですか?」と声を掛けた。


「別にぃ。みんなお腹減るかなーって思って、あかりちゃんと一緒にみんなの分のおにぎりでも作ろうと思っただけ」

「そうでしたか。でしたら、ウチの鞘もお手伝いしますよ。こう見えて、料理は大の得意分野ですからね」

「……龍太郎さん? 私にそんなことをやっている暇は――」

「そう遠慮するな。お前の腕前を見せてやれ」


 百目鬼達にこれから人に知られてはならないことをする予定があるのならば、俺の申し出は断わってくるはず。その考えに確信を持つための提案だったのだが――。


「あ、ホントにぃ? じゃ、お願いしようかなぁ」と、百目鬼はあっさりこちらの申し出を受け入れた。これ自体は、本当にふたりの好意による行動なのか? なんだか却って薄気味悪い気がするが。


 鞘はこちらへ恨みがましい視線を向けながら、百目鬼達の後をついて行く。悪いな。この仕事が終わって、また会う機会でもあれば、その時は飯でも奢ってやるから。


 階段を降りていく鞘の背中へ手を振り、ソファーに座り直す――と、その時、大きな舌打ちが聞こえてきた。廊下に立ち、睨むような視線でこちらを刺すのは藤原である。


「よく普通の顔してこんなところにいられるな」


 敵意モリモリ、殺気マシマシ。〝涌井あかり〟の地雷は踏んでないはずなんだけどな。俺はソファーに深く背を預け、正面から奴の視線を受け止める。


「なんだよ、急に。なにが不満なんだ」

「全部わかってんだぞ。お前か、あのシェパードとかいう女が盗みに入ったんだろ」

「言いがかりはよせよ。なんの根拠があってそんなこと言ってんだ」

「どう考えても盗みに入ったのは館に残ってた五人のうち誰かだ。百目鬼は喜屋武の財布を理由なく盗るようなバカじゃない。喜屋武はケチな盗みなんてやらない。馬場は部屋から出てこない。てことはだ、探偵。お前とお前のツレのどっちかふたりが犯人ってことになる」


 正直、反論の余地はない。百目鬼と後藤田の関係を話すわけにもいかないしな。とはいえ、なにも言わないのも癪だ。俺は胸を張って言い返す。


「たしかに、喜屋武達と仲がいいあんたが俺達を疑うのはわかる、でもな――」

「あんな奴らと好きで仲良くしてると思うか?」


 藤原の顔から喜怒哀楽が消える。なんだか妙な威圧感がある表情だ。気圧されまいと、あえて一歩前に踏み出すと、奴は急にハハハと声をあげて笑った。怖さ半分、気色悪さがもう半分。思わず、一歩後ろに退く。


「……俺はな、俺は、悪くないんだ。誰になんと言われようと、悪いのは全部あいつらなんだからな」


 藤原の乾いた笑い声が不気味に響いた。





「――俺は悪くない、ですか」


 時刻は夜の七時過ぎ、場所は俺の部屋。女性陣が作ってくれた架空ヴァーチャルツナマヨおにぎりをかじりながら、なんの気無しに藤原から聞いた話を伝えると、鞘はそう呟いて思案顔であごをつまむ。声にどこか刺々しさがあるのは、期せずして手料理を披露するハメになったからかな。


「そういう言葉は罪悪感から発せられるものです。さて、藤原は何を悪いと思っているのでしょうか」

「まあ、大方、涌井あかりに関係することだろうな」

「それ以外には有り得ないでしょうね。一週目の彼の動揺を思えば」


 鞘は遠い目をして小さく息を吐く。


「……涌井あかりは、百目鬼、喜屋武、藤原に何をされたのか。相川が死んだ今、その答えは闇の中と言ったところでしょうか」

「誰かに聞くのは危険だしな。また殺されかねない」


 その時、扉が軽くノックされ、「あの、よろしいでしょうか」と聞こえてきた。藁みたいに頼りない細い声、後藤田だろう。扉を開けて出迎えた途端、鼻元まで漂うのはコーヒーの匂い。見れば、彼女が持つ銀のトレイには二人分のコーヒーカップが載せられている。


 申し訳なさそうな表情で足元に視線を落とす後藤田は、ぽつぽつと呟いた。


「あの、百目鬼さんと一緒に用意したんです。よろしければ、どうぞお飲みになってください」


 いくら相手が殺人鬼とはいえ、女性からの施しを断るわけにはいかない。「こりゃすいません。頂きます」と丁寧に一礼してからトレイを受け取り部屋へ戻れば、クーラー要らずの冷えた視線が鞘から向けられる。


「まさか飲むんですか、それを」

「そのまさかだ。あいつらに毒を盛られるほどのことをした覚えはないからな」

「とはいえ、危険なのは確かです。私ならば口をつけませんが」

「でも、おにぎりは大丈夫だったろ? 毒を仕込むならあのタイミングでもいいわけだし」

「それは私が一緒にいたからですよ。当たり前じゃないですか。ふたりで用意したものなら、いくらだって毒を仕込めるはずです」


 まったく用心深い。少なくとも、ここで誰かに殺されるような選択肢は選んでないはずだろ。「わかったよ」と答えた俺は、ふたり分のコーヒーをその場で一気に飲み干した。


 身体に不調は一切なし。


 ほらな、平気だ。死んでない。

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