第13話 増える謎

 翌朝、午前八時半。ベッドから起きて扉を見れば、先日と同じように『次は誰かな?』とケレン味たっぷりの赤文字で書かれた紙が貼り付けてある。「なに考えてんのかね」とぼやきつつその紙を剥がして部屋を出た俺は、〝一週目〟と同じように皆を集め、相川を殺した奴がこの中にいるだろうということと、鞘の部屋が荒らされていることを伝えた。皆の反応は見慣れたもの。藤原が無駄にリーダーシップを発揮して「島を回って犯人を探そう」と言い、この提案に後藤田をはじめとした他二名が賛成。喜屋武、百目鬼のふたりは館に残ると言って部屋へ戻る。


 この場にいない馬場はといえば、相変わらず部屋から出てきていない。隣室の藤原曰く、「昨日の夜に重いものを引きずる音が聞こえてきた」とのことだ。バリケードでも作って、誰も入って来られないようにしたのだろう。


 で、これからの展開をある程度わかっている〝二週目〟の俺はといえば――。


「俺と鞘も館に残る」と藤原へ宣言した。


「あんたらも喜屋武の真似か。もしヤバい奴が島のどこかにいたらどうするんだ?」

「そっちこそ、もしヤバイ奴が俺達の知らない間に館に潜んでたらどうするんだ? で、ここに火でもつけられたら? 見張っててやるって言ってんだよ、俺は」


 真っ当な意見に反論が見当たらなかったのだろう。藤原は負け惜しみのように「わかったよ」と吐き捨てて、皆を引き連れ金糸雀館を出て行った。〝殺人鬼〟を引き連れているのが自分だとわかった時のあいつの顔が楽しみだ。


 午前九時十二分。館に残った俺と鞘のふたりは、改めて相川の部屋へと向かった。日本古来の『現場百遍』という言葉を信じ、新たな証拠が見つかることを期待しての行動である。


 扉を開けると、肉が腐ったような臭いが鼻をついた。相川の死体はベッドに置き、シーツで包んであるのだが、臭いだけは誤魔化せない。


 クローゼット、サイドテーブル、相川の死体はもちろんのこと、便器の裏まで見てみたが、怪しいものは見つからない。ただ臭いだけだ。


 ふと、「俺はいったい何をやってるんだろうな」と我に返りそうになったその時、湯船を調べていた鞘が「おや」と声を上げた。


「こちらを見てください、龍太郎さん」と鞘は湯船の中を指す。


 示された通りの方向を見てみれば、湯船の中には電灯を受けて白く光る粒子が点々としている。「なんじゃありゃ」と思ううち、鞘がその粒子を指ですくい取り、匂いを嗅いだ後ぺろりと舐めたので驚いた。意外と大胆な奴。


「お、おい。毒かなんかだったらどうするんだよ」

「問題ありません。龍太郎さんも舐めてみてはいかがですか? 人体に影響のあるものではありませんので」

「そうか、じゃあ遠慮なく……って勇気は無いな。鞘がスプーンを使って口に運んでくれるっていうなら、話は別だけど」


「ご自分でどうぞ」と軽く躱され、寂しい思いをしながら湯船に付着した白い粒子を指に付けて舐めてみれば、大変しょっぱい。


「……塩か、こりゃ」


「恐らくは」と答えた鞘はいつもの探偵風ポーズで、「問題は、なぜ塩がこんなところにあるのか、ですね」と謎を提示した。


「湯船を使ってパスタを茹でたってわけじゃないだろうしな。かと言って、相川殺しに塩が必要ってわけでもないだろうし……」


 俺達が二人揃って「うーん」と首を傾げたその時、廊下から扉を乱暴に叩く音が聞こえてきた。


「おい馬場ぁ! 無視してないで出てこいっつーの!」


 響く粗暴な声は喜屋武のもの。アイツ、一週目のように馬場を殺そうとしてやがるな。まあ、今回に限ってはテコを使っても馬場が出てくることはないと思うが。


「どうします、龍太郎さん。このままですと、喜屋武が無理に扉を開けて馬場を殺すかもしれませんよ」

「見に行ってみるか。気が進まないけど」


 相川の部屋から廊下へ出れば、馬場の部屋の扉を繰り返し叩く喜屋武がいた。鍵は開けた後らしく、扉は少し開いてはいるが、バリケードのおかげか完全には開かないようだ。


 敵意の矛先がこちらに向けられたら困る。俺はあくまで穏やかに、かつにこやかに喜屋武へ声をかけた。


「どうしました、喜屋武さん。そんなに大きな声を出して

「なんだ、探偵。藤原と一緒にはいかなかったのかよ」


 喜屋武はこちらをぎろりと睨みつける。肉食獣みたいな威嚇のサイン、「話しかけるな、こっちに来るな」という意思表示であることは一目でわかったが、気づかないフリをして無頓着な笑みを浮かべ続けると、奴は「テメェには関係ねぇだろ」と吐き捨てた。ドスを利かせた低い声には安い殺意が滲んでいる。


「そりゃ関係はないですけどね。それだけ騒げば嫌でも気になりますよ。何かあったんですか」

「ただアイツに用があるのに出てこなかっただけだよ。クビ突っ込むんじゃねぇぞ」


 捨て台詞のような言葉を残し、喜屋武は肩を怒らせながら廊下を歩いていった。


 どうやら、目撃者がいるところで人殺しを企てるような単細胞でもないらしい。安心したよ、ある意味では。人前にいれば、少なくとも喜屋武に殺されるようなことはないんだから。





 時刻は午前十一時四十二分。そろそろ腹も空いてくるころ。喜屋武が自室へと戻っていったおかげで、金糸雀館には比較的穏やかな空気が流れている。俺と鞘は二階のラウンジのソファーに背を預けながら、現時点まででわかったことをメモにまとめた。


 だいたい、このような感じである。


1、百目鬼達は涌井あかりなる人物に対し、なんらかの行為を働いた。

2、百目鬼達はその罪を償っておらず、相川は三人に法の裁きを受けさせるために動いている。

3、馬場は相川に百目鬼達の罪の証拠となるものを渡した。また、馬場はその証拠をネタに百目鬼達を脅そうとしていた。恐らくは、金銭目的の行動である。

4、喜屋武に対しなんらかの恨みを持つ後藤田が、馬場の動きを察知。相川並びに馬場殺しを全面的に手伝うことを条件に、喜屋武殺しの協力を百目鬼へ要請。百目鬼はこれを了承。

5、後藤田は相川と馬場の会話の録音を利用し喜屋武を焚きつけ、馬場の殺害を計画。一週目はこれが成功したが、二週目は(現段階では)失敗。


 鞘はメモを眺めながら、満足そうに「ふむ」と鼻から息を吐く。


「事件の全貌が見えてきましたね。まだまだ半分かそれ以下といったところでしょうが」

「とはいえ、ある程度の動機は見えてきてるんだ。ゴールはそう遠くないとは思うけどな」

「油断禁物ですよ。それこそ、示された動機も偽であることだって考えられるのですから」


 用心深いところを見せた鞘は僅かな笑みを口元に浮かべる。自信と好奇心がブレンドされたその笑みは誘蛾灯のようで、どこか人を惹きつける魅力がある。先代社長によく似た笑みだ。


 存在しない外部班を探して島内を周っていた四人が消沈した様子で階段を昇ってきたのは、その時のことだった。


 腰を浮かせて「どうでした?」と声を掛けたが、〝リーダー〟の藤原からは返事がない。代わりに「外には誰もいませんでした」と既知の事実を端的に教えてくれたのは、犯人である後藤田だ。いくら物語の登場人物とはいえ、よくもまあ、あそこまで涼しい顔をできるもんだと感心する。


「お疲れでしょう。部屋で休んでいてください」と鞘が労いの言葉をかけると、後藤田は「ありがとうございます」と頭を下げ、自室の方へと歩いていった。


 四人の背中を見送った俺は、改めてソファーに座りなおし、天井を見上げる。館内に渦巻き始めた不穏な空気が、たとえ〝作り物〟だとわかっていても息苦しい。


「問題はここからですね。第二の事件が起きなかったことが、今後にどう関係してくるのか」と鞘は思案顔で呟く。


「なにか起きてくれないと困るけどな。じゃなきゃ、ひとり救った甲斐がない」


「うぉーい! まじかよー!」とわざとらしい叫び声が聞こえてきたのは、一旦ゲームを中断して昼飯でも食おうという話になった時のことだ。ポップコーンみたいに軽い声の主は、間違いなく羽賀である。


「羽賀の声ですね。どうしたのでしょうか」

「行くしかないか。食前のひと仕事だ」


 重い腰を上げ、廊下の一番端にある羽賀の部屋へ。それなりに離れた場所なのに声が聞こえたのも納得で、不用心にも扉はストッパーを使って開け放しにしてある。

ベッドの上で荷物を広げる羽賀へ「どうしました」と声を掛ければ、奴は大げさなしかめ面をこちらへ向けた。


「いやいや。もうマジでショッキングな事件が起きてさ。いやショッキングっていっても、相川さんみたいに誰かが殺されたとかじゃなくて、でも俺としては、相川さん殺しよりもショックというか、とはいえ、人が死んでるのに個人的なことでショックとかいうのも、どうかとは思うけど、ある種の――」


「要点を言え、要点を」と無駄話を遮れば、「あい」と返事しつつ敬礼した羽賀はさらに続けた。


「盗まれたんだよね、俺の替えのシャツ。ブランドもんだったのに」


 シャツが盗まれた? なぜ? 〝一周目〟で羽賀が盗まれたものは三脚だった。あれならば殺しに使えないこともないから、盗まれる理由もわかる。しかしわざわざシャツを盗むとは。なんの理由があってそんなことをしたんだ?


「勘違い、とかではないのですか?」と鞘は確かめるように訊ねたが、羽賀は「俺、目をこーんな広げて探したもんね」と、人差し指と親指でまぶたをぐいと見開いてふざけた顔を作る。


「どういうことでしょうか」と首を捻る鞘へ「わからん」と答えた俺は、またひとつ増えた謎にため息を吐いた。


 次から次へと不思議なことが起きやがる。まったく、探偵ってのもラクじゃない。ホームズ凄いゼと、俺は灰色の脳細胞の偉大さを改めて実感した。





 館の外を見回る際、羽賀は無用心にもドアストッパーを外さずに部屋を出て行ったという。つまり、部屋には誰でも入れるような状況ではあった。


 羽賀以外にも部屋を荒らされたと証言する人物はいて、無くなっていたものと人の関係はそれぞれ以下のようになる。


 羽賀がブランドもののシャツ、榎本が財布と家の鍵、百目鬼が限定ものの化粧品と下着。


 羽賀を除いたふたりの部屋の窓は施錠済、扉も同様だった。しかし、相川の部屋を開けた時のような仕掛けを使えば侵入は容易。


 藤原、榎本、後藤田、羽賀の四人は共に島内を周っていたわけだから、それぞれにアリバイがある。となると、犯人は館の中にいた人物に絞られる。


 俺と鞘は当然除外されるとして、残った容疑者は馬場、喜屋武、百目鬼の三名。現状態の馬場が盗みを働くなんて考えにくいとすれば、犯人はやはり百目鬼と喜屋武のどちらか、もしくはふたりの共犯。


 しかし俺としては早々にこの盗みを百目鬼の単独犯だと確信しつつあって、というのも顔面を赤く噴火させた喜屋武が「テメェじゃねえだろうな」と俺に詰め寄ってくるのを、一応は被害者である百目鬼が「まあまあ」とどこか余裕すら感じられる軽い調子で窘めるという一幕があったから。


「命まで取られたわけじゃないんだから。よかったじゃん?」


 この百目鬼のひと言により喜屋武の怒りがなんとか落ち着いたところで、〝ゲーム〟を一旦中断した俺と鞘は本物の昼食を取りつつ不可解な窃盗事件について意見を交わした。


 この日のメニューは雑煮におせちという夏に似つかわしくない組み合わせ。鞘は紅白かまぼこを口に運びながら、「問題となるのは」と切り出した。


「窃盗犯……もとい百目鬼があのような物を盗んだ理由ですね。彼女が動くということはつまり、共犯関係にある後藤田の依頼により、百目鬼が動いたと考えるのが自然ですが……」

「欲しかったのは盗んだ物それ自体じゃなくて、そこに付着したDNAとか?」

「殺しまでするような後藤田が、たかがDNAのためだけに百目鬼を動かすでしょうか? 誰かを殺すための手駒として百目鬼を動かしたと考える方が自然でしょう」

「……と言っても、財布に鍵にシャツだろ? どいつもこいつも殺人に使えるようなもんじゃないぞ」

「鍵で目玉を抉りだすとかだったら、使用自体は可能ですが」

「……顔に似合わず物騒なこと考えるんだな、鞘」

「スプラッターものも心得ておりますので」


 血だまりの中でにんまりと笑う鞘を想像しつつ、俺は「うーむ」と唸り伊達巻をかじる。糖分が身体を駆け巡り、頭がフル回転を始めた。


 瞬間、脳裏を過ぎるアイデア。そうだ、これしかない。


「逆転の発想だ。『盗みに入った目的が、盗みじゃなかった』としたら?」


「と、言いますと?」と返す鞘は、迫る箸からつるりつるりと逃げ惑う黒豆に苦戦している最中だ。


「部屋の中に入ることが百目鬼の本当の目的だった。つまり奴は、部屋に何かを仕込むとか、そういうことをしたんじゃないか。盗みが起きたって話が大きくなれば、人の目は『なにを盗られたのか』ってところに注目がいくから、それ以外の部屋の変化に気づきにくいだろ?」


 鞘はようやく捕まえた黒豆を頬張りつつ、「なるほど」と頷いた。


「そうなれば後は、誰の部屋に、何をしたのか、ですか」

「……それがわかるのは事が起きた後だけどな。こうして実際に自分でやってみると、つくづく手遅れな仕事だな、探偵ってのは」


 すると、鞘が突然口から息を漏らして小さく笑った。鉄面皮が崩れて現れたその笑みは、あどけない少女のようだった。


 男ってのはギャップに弱い。当然、俺も例外じゃない。不意打ち的に出された笑顔にクラリとくるものを感じながら、俺は「急にどうしたんだ?」と鞘へ訊ねた。


「すいません。ふと思い出してしまったんです。お爺さまが、龍太郎さんと同じようなことを言っていたのを」


 鞘は遠い過去を懐かしむように、天井にいる鳴き龍に視線を向けた。


「どうあがいても探偵なんて手遅れな仕事。それなのに、こんな人気がある理由がわからない。貪るようにアガサを読んでいた人の言うこととは思えませんよね?」

「……ま、あの頑固な人らしい言葉だ」


 雑煮をすすった俺は、かつおだしの香る息を吐いた。


「とにかく、話が動くとしたら今日の夜になる。気合い入れていくぞ」

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