第12話 一人目の犠牲者(二周目)

 架空環境へ戻れば、時計の針は八時ジャスト。相川が殺されるおよそ一時間半前。食後ということもあり眠い中、「ヨシ」と頬を叩いて気合いを入れた俺は勢いよく部屋を出た。


「どこへ行くつもりですか?」

「相川に会いに行く。で、これから殺されることを伝えてやるんだ」

「……それに、何の意味があるのでしょうか」

「俺達に必要なのは情報だろ? アイツを味方につけて、涌井あかりの件を聞く」

「しかし、彼が殺されなければ話が進まないのでは? そうなると、残った謎の解明も難しくなりますが」

「さっき鞘が自分で言ったばっかりだろ。クリア条件の話だ。謎なんて解かなくても、相川が生きてればそれだけでクリアになるかもしれないんだぞ」


「……そういうつもりで言ったわけでもないんですが」とどこか釈然としない顔をする鞘と共に、一階の食堂奥のキッチンへ。シンクに沈めた食器を洗っていた相川は、俺達が入ってきたことに気がつくと、「どうも」とにこやかに泡だらけのスポンジを振った。その人懐っこい仕草からは、録音された音声から感じた粗野な印象は見受けられない。


「どうされたんですか、車さん。ひょっとして、お腹が空きました? 冷蔵のご飯があるので、おにぎりくらいならすぐに作れますが」

「いや、そういうわけじゃないんです。ただ、ちょっと相川さんに話がありましてね」

「私に? どうされたんです?」


 食堂の方へ視線を向けて、誰もいないことを改めて確認した俺は、相川の顔を見据えながら小声で言った。


「単刀直入に言います。相川さん、あなたは、後藤田に命を狙われている」


 相川は半笑いで首を傾げる。仕方がない。俺だって、同じようなことを言われたら同じような反応をする。


「馬鹿らしい。一体なんの根拠があってそんなことを言うんです」

「馬場さんから受け取ったものをお忘れですか? アレの受け渡しを後藤田が見ていた。それが彼女経由で百目鬼にバレたんです。百目鬼と後藤田は手を組み、あなたを殺そうとしているんですよ」


 すると、相川の表情が動揺の色で塗りつぶされた。命を狙われることになんの覚えもないってわけじゃなさそうだ。ここは、ハッタリじゃなくてこちらの持ち札を晒した方がいいな。


「相川さん。はっきり言って俺達はなにも知りません。あなたがなにを受け取ったのかも、あなたがどうして百目鬼達を捕まえようと思っているのかも、〝涌井あかり〟のことも。ですが、命を狙われるようなことをしているのは間違いないでしょう?」


 息が詰まるほどの長い沈黙。やがて相川は手についた泡を洗い落としながら、よく通る低い声で囁いた。


「お前達は、何が目的なんだ?」

「探偵ですからね。ただ、すべてを知りたいだけです。俺達はあなたに全面的に協力します。あなたは、俺達に知っていることのすべてを話してもらいたい」


 再びの沈黙。目尻の下がった優しい目に宿る鋭い眼光は、槍のように俺と鞘を刺している。


 やがて、相川は「わかった」と半ば投げやりに呟いた。


「お前達の目的なんざなんでもいい。ただ、今の俺に味方が必要なことは確かだ。コキ使ってやるから覚悟しとけ」

「構いませんよ。真実のためなら」

「その〝真実〟についてだが、今ここで話すのは危険だ。深夜二時になったら俺の部屋に来い。そこで全部話す。扉は三回ノックした後、一分間時間を置いて今度は四回ノックだ。それを合図に鍵を開ける」

「わかりました。ですが注意してください。あなたの命を狙っている奴が確実にいるんです。部屋に戻ったら扉にはチェーンをかけて、なにかあればすぐに声を出してください。とにかく、誰も部屋に入れちゃいけません」

「言われなくてもやるさ。俺だって死にたくないからな」


 挑戦的にニィと笑った相川は洗いかけの食器を手に取ると――。


「――さて、もしお時間あるなら片付けを手伝って頂けますか? その方が私も、早く部屋に戻れますので」


 ――と、〝金糸雀館の管理人〟の表情を繕いながら言った。





 金糸雀館の夜は音もなく過ぎていく。誰も殺されない。鞘の部屋が荒らされることもない。穏やか過ぎる時間。嵐の前の静けさとは、まさに今のようなことを言うのであろう。


 百目鬼達は今ごろ何をしているのだろうか? 相川の部屋の守りが強固になったせいで、新たな作戦を考えている途中だろうか? それとも、すでに別の作戦が動いているのだろうか? 少なくとも間違いないのは、〝今は〟平和だってこと。


 場所は二階ラウンジ。念のために相川の部屋の扉を見張りつつ、鞘と交代で仮眠を取っているうちに、時刻は約束の深夜二時を迎えた。


「行きましょうか」とソファーを立つ鞘はいかにも気合十分といったところだ。頼りになる助手だ。情けない探偵としては助かるな。


 相川の部屋まで忍び寄り、言われていた通り扉を三回ノックする。それから一分時間を置いて今度は四回。しかし扉は開かない。聞こえなかったのかと思い、もう一度同じことを試したが結果は同じ。


 ……嫌な予感がにわかに漂う。不安の血がじわりと全身を巡る。こうなりゃ、合図なんて関係ない。俺は思い切り扉を叩きながら、「相川さん!」と彼の名前を呼んだ。返事はない。


 そのうち、各部屋から参加者達がぞろぞろと廊下に出てくる。〝殺人鬼〟を警戒してなのか、馬場の姿はその場にない。喜屋武は俺に対し、「なんだよ、さっきからドンドンドンドンうるせえな」と聞き覚えのある台詞を吐く。


 ……〝一週目〟の流れとほとんど同じだ。つまり、この中でも一週目と同じことが起きているのか?


 この場にいる皆を鞘に任せて一旦部屋に戻り、喜屋武が作ってみせたようなハンガー製のピッキング道具を作って戻ってくる。扉の隙間からそれを滑り込ませ、開錠して扉を開ける。


 部屋には、夏の雨の甘い匂いが広がっていた。割られた窓が開け放しにされていたのである。籐椅子やサイドチェストは倒れ、ベッドには争った形跡がある。しかし、あるべきはずの相川の死体がない。


 まさか――。


 恐る恐るクローゼットを開く。すると、一週目と同じように、おどけるようにべろんと舌を出した相川〝だった〟肉塊がぶら下がっていた。首に吉川線は無い。触れてみればまだ生暖かい。殺されたばかりだ。


 窓からベランダへ出てみれば靴跡が残っている。大きさからみて、鞘の部屋に付けられていた跡と同じ。階下へ視線をやれば、例の三脚が倒れている。部屋に戻ってサイドチェストに視線を移す。ウイスキーの瓶にコップがひとつ。床にはやはり薬剤包装。このあたりは変わらない。


 続けて、相川が殺されるきっかけとなった馬場から受け取った〝何か〟を探すために部屋を物色。死体のポケットはもちろん、手荷物、倒れたサイドチェスト、さらにはベッドシーツの裏まで手早く探したが、怪しいものは見つからない。


 受け取ったものが何にせよ、やはりそれは相川を殺した犯人に持ち去られてしまったのだろうか? 


 そんなことを考えつつも調べを進めていると、 遅れて部屋に入ってきた喜屋武が相川の死体を見て迷惑そうに舌打ちした。


「……おいおい。なんだよこれは」

「見ての通り殺されたんですよ。心当たりはありますか?」

「あるわけねえだろ。妙なこと言ってんじゃねえぞ」


 まあ、そう答えるよな。実際、この事件に喜屋武は関係ない……はずだ。「冗談です」と返した俺はさらに続けた。


「ところで、喜屋武さん。今日はひとりで寝てたんですか?」

「なんだ、急に。なんでそんなことをお前に教えなくちゃいけねぇんだよ」

「答えたって減るもんじゃないでしょう。参考のためですよ」


 何を言ったところで無駄だと思ったのだろう。喜屋武は「ひとりだよ」と吐き捨てた。


「つまり、百目鬼さんとはご一緒ではなかった、と」

「ああ。アイツなら、俺じゃなくて――」

「あたしなら、ずーっとひよりちゃんと一緒に居たけど? あたしの部屋でね」


 割り込んできた百目鬼の声。見ると、奴は後藤田と共に部屋の入り口に並んで立っていた。ふたりの髪は濡れている。シャワーを浴びたと言われてしまえばそれまでだが、怪しさは百二十点満点だ。


「ふたりで、ですか。今日会ったばかりでしょうに、ずいぶんと打ち解けるのが早いんですね」

「友情には過ごした時間は関係無いの。当たり前でしょ?」


 部屋に踏み入ってきた百目鬼は、値踏みするように相川の死体を眺めた。


「そもそも、それって本当に誰かが殺したわけ? 首吊ってるじゃん。自殺じゃないの?」

「自殺で窓が割られてると思いますか? 自殺でこれだけ部屋が荒れてると思いますか? この光景を警察が見たら、少なくともあなたと同じ答えにはならないと思いますよ」

「自殺する前に自暴自棄になっただけじゃない? いちいち犯人捜しなんて、それこそ怖いんだけど」


 眠そうにあくびした百目鬼は不敵に笑う。


「とにかく、まずは電話でしょ? 島の外に連絡がつけば、自殺か他殺かなんてすぐにわかるんだからさ」


 その口ぶりは、既に金糸雀館が外の世界と断絶されていることを知っているかのようだった。





 事前に調べた通り、館内の電話はすべて通じなかった。皆の間には不穏な空気が流れたものの、「天気が悪いせいだろう」と藤原が言い出したことで、とりあえずその場は落ち着いた。


 それから、起きていたところで仕方ないという話になり、各々自室へ戻ったのだが……そこでまた問題が起きた。自室へ戻った鞘が、すぐに俺の部屋へとやってきて――。


「またやられていました」と、〝一週目〟と同じように部屋が荒らされていたことを報告したのである。


 曰く、盗られたものは無し。ただ、やはり中で眠れるような状況ではないという。


「やはり犯人は、どうしても外部の者による犯行ということを強調したいようですね」と鞘は呆れたように言った。


 鞘をベッドで眠らせた俺は、籐椅子に背を預け、ひとり考えた。


 相川殺しの犯人は窓から侵入した。これはまず間違いない。


 しかし、どうして犯人は首吊りの形にこだわったのだろうか? いくら二百年前とはいえ、あの部屋の状態を警察が見れば相川の死が自殺ではないのは一目瞭然。それに、どうしても自殺に見せかけたいのなら、鞘の部屋を荒らして外部犯による仕業と見せかける必要も無い。


 となれば、あの〝殺し方〟に意味があるのか? 薬を使って眠らせて、自ら首を吊って死んだように見せかけるあの方法に、なんらかの意味があるのか?


 ……手元にある情報が少なすぎる。今はいくら考えたってムダだな。


 思考を止めてまぶたを閉じれば、すぐに眠気が襲ってきた。

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