第11話 クリアの条件
時刻はやがて夜の七時を回った。昨日と同じ流れならば、今ごろ相川が主催する夕食会に参加していた頃だったのだろうが、そちらを鞘に任せた俺は、現在、馬場の部屋で奴のグラスに麦酒を注いでやっている。
今日はじめて会った男がふたり、そこまで広くもない個室で晩酌。そんなことの何が面白いのかと問われるだろう。俺だってそう思う。
でも、仕方がない。これも謎を解くためだ。
百目鬼達について、馬場がどんな秘密を握っているのか。馬場が相川に渡したものは何なのか。そして何より涌井あかりとは何者なのか。それらを探らない限りこのミステリーの結末は見えない。
グラスに注がれた麦酒を美味そうに呷った馬場は、続けてバターピーナッツをかじる。床に置いてある空瓶は既に四本。アルコールに浸った舌の滑りがよくなってくる頃だろう。
馬場が「どうぞどうぞ」と勧めてくる架空麦酒をちびちびやりながら、俺は申し訳なさそうな表情を作り軽く頭を下げる。
「急にすいませんでした。おひとりで楽しんでいたところに突然押しかけて」
「構いませんよ。ひとりで呑むのにも飽きてきたころでしたから」
酒が入って上機嫌なのだろう。気さくに応じた馬場はえびす顔を崩さないままこちらに訊ねてきた。
「しかし、急にどうされたんですか? みなさんで食事をする予定だと聞いていましたが」
「……実は、その、ツアー参加者の喜屋武さんとあまり顔を合わせたくなくてですね。彼とはちょっとした知り合いなんですが、まさかこんなところで会うなんて……」
「ああ、あの人と顔を合わせたくない人は多いと思いますよ。かく言う私もそうでしてね。昔、あの人に金を借りたんですよ。まったく、そのせいでエライ目に遭った」
喜屋武は金貸しか。もしくは、昔懐かしの〝YAKUZA〟ってところだろうか。
ま、あの入れ墨だ。真っ当な人間じゃないことは間違いない。
「エライ目って、何があったんです?」と話を掘り下げようとすれば、馬場は「言えるわけがないじゃないですか!」と大きく笑い飛ばした。
「気になりますね、そんな言い方をされると」
「好奇心を下手に刺激して申し訳ありませんが、言えないものは言えませんよ」
馬場の口元に浮かぶ薄い卑屈な笑みを見る限り、どうにも有益な情報は得られそうにない。仕方ない。こうなりゃ、こっちも〝切り札〟を切るか。
麦酒の注がれたコップを両手で包むように握った俺は、さながら怪談を語るかの如く、低く囁いた。
「喜屋武さん達なんですがね。どうにも、この島には人を殺しに来たらしいですよ」
「おや、急に怖い話だ。なんだか二時間ドラマのサスペンス風味ですね」
「言っておきますが、これは冗談じゃありません。聞いたんですよ、百目鬼さんがそんな話をしていたのを」
「だったら彼女達は誰を殺す気なんです?」
「恐らく、あなたを」
瞬間、馬場の顔を覆っていた腹の立つ笑みは、乾いた砂に撒いた水のようにスゥと消えた。動揺と焦りが額の脂汗となって浮き出てくる。
「いくら何でも冗談が過ぎますよ。なんで私が殺されなくちゃならないんです」
「俺だって知りませんよ。ですが、彼女の話によると、あなたが相川さんに渡したものが関係ありそうですよ」
「そんな馬鹿な! だいたい、〝アレ〟はあの人たちとは何の関係も無い!」
「少なくとも向こうはそう思ってはいない。彼女達への弁明がお望みなら協力しますよ」
緊張感のある沈黙が数秒。間もなく、臆病な怒気を含む馬場の声がそれを破った。
「……帰ってください。酔いが醒めた。ひとりで呑みなおします」
「いいんですか? このままじゃあなたは殺され――」
「帰れ! 妙なことを言い出しやがって! そんな脅しには騙されないからな!」
大した情報も無いのに深く切り込み過ぎたかな。これ以上は話を聞けそうにない。「お邪魔しました」と頭を下げ、席を立った俺は、出口へ向かって歩み出したところでふと立ち止まり、まるで今思い出したかのように「そうだ」と付け加えた。
「馬場さん、涌井あかりという方はご存知ですか?」
青顔の馬場は沈黙したまま麦酒をすする。震える手からバターピーナッツがこぼれ落ちた。ご存じであることは間違いないだろうが、もう少し追求すれば、それこそ今度はこいつに殺されるかもしれない。
痛いのはもうごめんだ。いくらだってやり直しがきくとしても。
◯
午後の七時五十五分。馬場との飲み会を早々に切り上げて部屋へ戻った俺は、相川達との食事会を終えた鞘が部屋に戻ってくるのを待ち、共に現実世界へ戻って〝本物〟の夕食を取った。
メニューは天然物の国産牛肉をたっぷり使ったハヤシライスにトマトサラダ、飲み物は烏龍茶。味は上々。自動食品供給機が直ったらしく、鞘の手作りじゃないとのことだが、まあこの点は仕方ない。
食事中の会話の内容は、もっぱら一連の事件について。とくに、馬場の件を重点的に。とはいえ、先ほどの会話ではロクな情報は手に入らなかったわけだが。
ハヤシライスを口に運びつつ、馬場の部屋での会話の内容を説明してやれば、鞘はお決まりのシャーロック的ポーズで「ふむ」と呟いた。
「気になるのはやはり、馬場がなにを相川に渡したのか、ですね」
「そんなに気になることか? 百目鬼達を檻にぶち込むための情報、って考えていいんじゃないのか?」
「龍太郎さんの話によれば、馬場は〝アレは〟と言っていたんですよね? 彼が相川に渡したものが、〝本当に百目鬼達と関係のあるもの〟であれば、そんな言い方はせず明確に否定するはずです。とはいえ、そう考えてしまうと、今度は相川があんなことを呟いた理由が謎になるのですが」
「なるほど納得だ。ひょっとして、俺と探偵役交代した方がいいんじゃないか?」
「結構です。私はあくまで助手ですので。事件の解決は、あくまで主役の龍太郎さんにお願い致します」
主役は俺、か。そうだよな。事件を解決するのは、あくまで俺だ。俺じゃなきゃいけないんだ。
探偵としての責務を改めて認識したその時、鞘が気になることをふと呟いた。
「……そういえば、このゲームはどうすればクリアできるのでしょうか」
「どうしたんだ、急に」
「いえ……たとえばなんですが、真犯人を言い当てることがゲームのクリア条件なら、全員に『あなたが犯人だ!』と言ってやればいいわけです。しかし、当然そんなわけがない」
「まあ、そうなるな」
「でしたら、殺人事件の謎をすべて解くことがクリア条件なのでしょうか? ありきたりなミステリーみたいに」
「そう考えるのが普通だと思うけど……鞘はそうは思ってないのか?」
「ええ。あのタイトルですから。ただ一連の事件の犯人を当てるだけじゃ駄目だと思うんです。このゲームをクリアするには、もっと別の条件がある気がするんですよ」
正面に座る鞘を凝視。表情に変化なし。いつもと違うのは、口元にサラダドレッシングが付いているくらい。冗談を言ってる、ってわけでもないんだろうな。
「……わかった。しかしアレだな。思ってたより、君は柔軟な思考なんだな」
「当然です」と答えた鞘は、コップに注がれた烏龍茶を一気に飲み干した。「あらゆる可能性を考慮に入れてこそのミステリー、でしょう?」
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