第16話 ゲームオーバー(二周目)
時刻は午前十時十三分。談話室のベランダから空を見上げれば、青はどこまでも遠く広がっている。まったく呑気だ、人の気も知らないで。見ているだけでうんざりしてきて視線を落とせば、思わずため息がこぼれ出た。
生き残った参加者全員にこの部屋に集まるよう伝えたのだが、まだ誰も姿を見せない。あんな死体を見た後じゃ、たとえこの場所に来ることにすら躊躇するのも無理もないかもしれない。
背後から足音が近づいて来る。やってきたのは鞘だった。鞘は両手に持った架空珈琲の注がれたカップのうち、ひとつをこちらへ手渡しながら、「百目鬼の死についてですが」と話を切り出した。
「彼女を殺した犯人を、『モモモモモモモ』……すなわち、百目鬼のファンという線を考えることも可能です。熱烈なファンが〝信仰対象〟を殺すというのは珍しいことではありません。ジョン・レノンのように」
「つまり、鞘は榎本が犯人だって言いたいわけか?」
「そういう可能性も考えられるということです。少なくとも、彼女を殺す動機を持っていると思われるのは、現状、彼だけなのですから」
「……動機か。俺は、涌井あかりの線で進めていった方がいいと思うけどな」
「しかし、ミステリーというのは動機がわかればトリックなどあってないようなものですからね。『ABC殺人事件』を思い出してください。アレは、動機がわかれば中学生でも犯人がわかります」
その時、部屋の中から榎本に、「おぅい」と力無い声をかけられた。いつの間にか生き残った面々が集まってくれていたらしい。ベランダから部屋に戻りつつ、「こんな時に悪いな」と謝れば、ソファーに深く腰を預けて、敗戦後のボクサーのように力なくうなだれる榎本が代表して答えた。
「なんの用だよ。コッチはいやなもの見せられて気分悪いんだ。今日の午後には迎えの船が来るんだ。それまで休ませてくれ」
「気持ちはわかります。でも、アレはどう考えても殺人事件です。つまり、その犯人はこの中にいる。話を聞く必要があるんですよ」
「百目鬼さんを殺した犯人なら、考えるまでもなく喜屋武さんではないのですか? 一緒の部屋にいたのですし、遺書もあったと聞いてますが」と白々しいことを言ったのは、申し訳なさそうに部屋の隅に立っていた後藤田。よく平然とあんな台詞が吐けたもんだ。
「そう決めつけるのは早計でしょう。あの事件の犯人が喜屋武だとしたら、動機はなんです? 彼には百目鬼を殺す理由がない。ふたりの仲は良かったはずですが」
答えつつ、藤原へ目を向ければ、奴は苦い笑みを口元に浮かべたまま鼻を鳴らした。
「……そう思ってたのは喜屋武だけだろうな。少なくとも、あの女は喜屋武のことなんて何とも思ってないさ」
後藤田の喜屋武殺しに手を貸すくらいだからな。喜屋武の虚しい片思いに同情しつつ、俺は「とにかく、昨日の夜の話を聞かせて頂きたい」と全員を見回した。
真っ先に「俺は」と口を開いたのは藤原だ。しかし次の言葉が続かなかったのか、数秒固まった後、また「俺は」と言ってから続けた。
「……寝てただけだ、ずっと。やけに眠くて、九時過ぎからお前に起こされるまで寝てた。本当にそれだけ」
「何か物音だとかは聞かなかったんですか?」
「聞いてない。寝てたんだよ、だから」
そこまで述べた後、黙ってしまった藤原に後藤田が続く。
「私も、ずっと寝ていました。最後に時計を見たのは九時前後だったと思います。物音は聞こえなかったような気がしますが……」
「俺も俺も。動画撮ろうとしたんスけど、それすらできなくて、グッスリおねんね。気づいたら朝で、あんなことになってたカンジで。てか、かなり眠いんスけど、まだ部屋に戻ったらダメなんスよね」
便乗するように発言した羽賀に、「探偵達はどうなんだい」と榎本が被せた。
「正直、みんなと同じだ。朝までぐっすりだったよ」
俺の答えを受けた榎本が「決まりだな」としたり顔で頷く。
「つまり、俺達はいつの間にか睡眠薬を盛られた。俺も朝まで目が覚めなかったくらいだ。……百目鬼さんや喜屋武を殺した奴は、この中にいる」
睡眠薬ね。不自然なまでに深い眠りと、睡眠時間に反比例して重い頭の件もあったし、皆の話を聞くうちに頭に思い浮かばなかったわけじゃない。しかし、もし薬が盛られていたとなれば、この中で怪しいのは――。
その場にいる全員の視線が一斉に後藤田へ向く。まあ、そうなるだろう。昨日の夜、鞘を除いた俺達は後藤田と百目鬼の用意した珈琲を飲んだんだ。
「怪しいのはおたくだな、後藤田さん。おたく、珈琲かなにかに薬を仕込んだんじゃないのか?」
「そ、そんな! 怪しまれるのはわかりますが、私にはそんなことをする理由がありません」
「理由なんざ、掘ったら出てくるもんだからなぁ」
煽るように皮肉の笑みを浮かべる榎本は、信奉するアイドルを殺された怒りに身を任せて続けざまターゲットを変える。
「というか、そもそもこの場にいない馬場とかいう男を無視して話進めるのもどうなんだ? アイツも呼べよ、アイツも。なにがあったか知らんけど、これだけ騒いでも知らぬ存ぜぬなんだ。なんか訳ありなんだろ」
「そう、そう、まさにソレっスわ。榎本クンの言う通り。あのオッサンを調べるべきっしょ」
このふたりの意見に、藤原と後藤田も何も言わずに頷く。馬場が犯人じゃないのなんてわかりきったことなんだが、ここは話を聞かないわけにもいかないだろう。
「……わかりました。それなら、馬場さんからも話を聞きましょう」
談話室を後にした俺達六人はその足で二階の馬場の部屋へ向かった。扉を強めにノックしたが、案の定というべきか返事すらない。「馬場、いるんだろ」と呼び掛けても同じ。痺れを切らした榎本がノブに手を掛け扉を強く押したが、僅かに開くばかり。
「開きやしない。どうなってんだ」と榎本は憤慨したように言った。
「バリケードですよ、たぶん。向こうから開けてくれないなら押しても引いても無駄です。入るんだったら窓からしかないでしょう」
金糸雀館を出た俺達は、外にあった脚立を馬場の部屋のベランダに掛けた。代表して登った榎本は、上から「おい」と俺達に呼びかける。
「見ろよこの窓。割られてる」
登ってみれば言われた通り、器用にも鍵の付近だけ窓が割られていた。誰かが侵入したことは見るに明らか。
……こりゃ、遅かったか。
「入りますよ」と念のために一声かけて、外開きの窓を開ける。途端に鳥肌が立つほどの冷気と、生ごみの集合体みたいな臭いが肌を撫でる。バリケード代わりに積み重ねられていた籐椅子や手荷物を乗り越えていけば、散乱する食糧の中に馬場が横たわっていた。
馬場の近くに歩み寄った鞘は、奴の首筋に手を当て、小さく首を横に振った。
「首と胸に刺し傷。即死だったでしょう」
土壇場でまたひとつ死体が増えた。
正直、勘弁して欲しい……なんて、こんなセリフは探偵失格だな。
◯
馬場の死体の発見後。金糸雀館にいる面々は、各々自室に引きこもっている。当然だろう。この三日間でもう四人死んでるんだ。誰が犯人なのかわからないこの状況じゃ、たとえばここが現実ならば俺だってそうする。
時刻はもう昼の十二時を回っている。もう間もなくこの島に迎えが来るだろう。ただ無為に時間を過ごしても仕方ない。俺と鞘は二階ラウンジで皆の動きを見張りながら、馬場の事件について話し合うことにした。
壁に背を預ける鞘は探偵風にあごをつまみながら語る。
「死体の状況から考えるに、昨日の深夜、馬場は食糧を取りに行き、部屋に戻った後で殺されたと推測されますね。よほど空腹に耐えかねたのでしょうか」
「まあ、そう考えるのが普通なんだがな……」
語尾を濁しつつソファーに深く全身を預ければ、鞘は「龍太郎さんの仰りたいことはわかります」と鋭く言う。
「正直に申し上げれば、私も、そんな単純な話で終わると思っておりません。馬場殺しには考えるべき点がいくつもある」
さすが、頼りになる助手だ。俺は馬場の部屋に入った時のことを思い浮かべながら語る。
「馬場の部屋に入った瞬間に強い冷気を感じた。冷房がついてたんだ。でも、この島の夜は涼しい。いくら窓を閉めてたとはいえ、冷房をつけてたんじゃ寒すぎる。たぶん、馬場を殺した犯人が死体の腐敗を少しでも食い止めるためにつけてたんだろ。死体が部屋にあるのが臭いでバレたら困るとか、そういう理由でな」
「同感です。あの食糧は、彼の殺害後、何者かが持ち運んだと考える方が妥当でしょう」
「つまり、馬場が殺されたのは昨日の夜のことじゃない。もっと前の話なわけだ」
「ええ。その点は間違いないかと。もしかすれば、相川殺しが行われる前に殺されていた可能性もあります。事実、相川の死体が発見された時、彼は部屋から出てこなかったのですから」
「相川殺しの前に死んでた、か……」
呟いた瞬間、過ぎる閃き――いや、ある種の確信と言ってもいい。
動機はさっぱりわからない。でも、馬場を殺した犯人ならわかった。
というよりも、そもそも今回に限っては〝アイツ〟しか考えられないんだ。馬場殺しの犯人は。
思わず笑みが口元にこぼれる。その表情がよほど奇妙に映ったのか、鞘が「どうされたんですか、龍太郎さん」と心配そうに声を掛けてきた。
「一昨日の夜なんだけどさ、俺、馬場の奴を散々脅してやったんだ。で、そのおかげでこんなバリケードが作られたわけだけど、あんなビビってた奴が、窓が割られて、バリケードが崩される音に気がつかないもんかなって思ってな」
「馬場は食事に睡眠薬か何かを盛られ、深い眠りについていた状態だった、とか?」
「いや。俺はアイツと同じものを食ってたけど、そういう眠気は感じなかったからそれはありえない。もっとシンプルでいいと思うんだよ。馬場は、犯人をこの部屋の中に招いたんだ。そいつを犯人とも知らずにな」
「招いた? しかし、彼の神経が過敏になっていたのなら、誰も招き入れないのでは?」
「いや。確実にこの部屋に入れる奴はひとりいる」
「……その、ひとりとは?」
「相川だよ。馬場の取引相手である奴なら、いくらでもここに入る理由を作れる。部屋も隣同士。誰にもバレないようベランダから伝って行くことだってできる。あいつが馬場を殺した後、バリケードを作り、ベランダから部屋を出た後で窓を割ったと考えれば、犯行自体は容易だ」
あごをつまみながらしばし動きを止めた鞘は、「しかし」とこちらを見ずに口を開く。
「相川はどうして馬場を殺したのですか? かりにも、協力者なんですよ」
「たとえば、秘密裏に後藤田と繋がってた、とか。そう考えれば動機の面にもカタがつく。元々アイツは百目鬼達を訴えようとしていたわけだろ? この島で後藤田に声を掛けられて、無関係な人間を殺してでも百目鬼達に法じゃ与えられない裁きを与えよう、って考えたのかも」
「それはそうかもしれません。ですが、だとすれば相川は誰に殺されたのですか?」
「そこなんだよな、問題は……」
その時、ブゥと腹の底に響くような汽笛の音が海の方から聞こえてきた。どうやら、この惨劇の日々もひとまずは終わりを迎えるらしい。ベストエンドには程遠いけどな。
「ま。わからない点は次のプレイで解き明かせばいい。とりあえず、今はこのゲームを終わらせに行こうぜ」
〇
午後の一時を迎え、船は予定よりも二時間早く平台島から出港した。だんだんと遠のいていく島影が水平線に吸い込まれていく。陸に着いたらすぐに警察による取り調べが始まるとのことで、船内に漂う空気は重く湿っている。
鞘は船に乗り込んで以降、何か思うところがあるのかじっと黙ったままだ。喜屋武の部屋で飲んだ薬の影響か頭が重いということもあり、彼女と一緒にいると息苦しさすら感じるほどで、堪らず部屋の外へと逃げ出して甲板へ行けば、榎本が手すりに肘を突き、やけに黄昏た雰囲気で白波に視線を落としていた。
俺がやって来たことに気が付いた榎本は、独り言のようにぽつぽつと呟いた。
「……なあ、探偵さんよ。あの島にいた殺人犯は捕まるのかね」
「あれだけ証拠が残ってるんです。捕まらないなんてことはないと思いますが」
「……だよな」
せっかく外に出たというのに陰気臭くて堪らない。余計に頭が重くなる。仕方なく俺は話題を変えた。
「榎本さん。百目鬼さんのファンだったんですって?」
「……羽賀のヤツだな。あの馬鹿、言うなって言ったのに」
「あの人の口に戸を立てておくのは諦めた方がいいですね。あれは相当のお喋りですよ。もし本土に帰った後も友達付き合いを続けるなら、秘密は話さないことをおすすめします」
鼻で笑いながら「そうするよ」と答えた榎本は、口元に冷笑を浮かべたまま続ける。
「まったく、こんなとこに来なけりゃよかった。百目鬼……いや、〝モモモ〟がお忍びで参加するって聞いて、招かれるままホイホイ参加したら、憧れのアイドルの裏の顔どころか、その死体まで見る羽目になったんだからな」
思わぬところで使えそうな情報が聞けそうな予感だ。「招かれたって、いったい誰に?」と訊ねると、奴は「さあな」と首を横に振った。
「モモモのファンサイトで知り合ったヤツだよ。顔どころか本名すら知らない」
「そんな人の言うことをよく信じましたね」
「……今思えば馬鹿だったよ、本当に。なんせ俺は、モモモを殺してやろうとこの島に来たんだからな」
「……自白ですか? そういうのは、本職の警官相手にやった方がいいかと思いますが」
「自白なわけがあると思うか。ただ、〝何かの間違い〟があれば、モモモを殺してたのは俺だったかもしれない、なんて思っただけだよ」
照れ臭そうに笑った榎本は俺に背を向けた。
「これ以上ないくらい、人生最悪の三日間だったな。二度とごめんだ、こんなの」
海に目を向けながら「同感だな」と答えたその時――パン、と、乾いた破裂音が空に響いた。
意識より僅かに遅れてやって来る後頭部の痛み。分断される五感。手すりに寄りかかっていた俺の身体は、重力に逆らえず落ちていく。一秒足らずの時間の後、背中に走る冷たい衝撃。海だ、冷たい、痛い。
二度目の死。一度目は刺殺、二度目は銃殺。恐らく、この世界でまともに生きてる人間じゃ体験できない経験。
まあ、これもある種の幸運なのかも――。
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