第17話 獣の食事

「……なわけあるかよ」


 気づけば筐体の上、〝鉄の処女〟。後頭部をそっと触る。とりあえず、傷やこぶにはなっていないらしい。


 身体を起こすと、向かいの筐体に腰掛けていた鞘が「大丈夫ですか?」とクールな調子で訊ねてきた。


「大丈夫だ。まあ、拳銃で頭をぶっ飛ばされたけど」


「本当ですか?」と鞘は目を丸くする。


「私の場合は船に乗り込んだ瞬間、ここに意識が戻ってきましたが」


 なるほど。つまり、俺があの島から出るには死ぬしかないってわけだ。それでカネを貰ってるんだから、文句は言えないけど。


 主役としての職務を静かに受け入れつつ、俺は「本当だ」と返す。


「後ろから頭を撃ち抜かれたよ。まったく、本当に死んだかと思った」

「それは……その、ショッキングでしたね。体調はいかがですか? 気分が悪ければ医者を呼びますが」


 鞘の眉は若干ハの字に曲がっており、やや平静を失っているように見える。あの珍しい表情を見れただけで、殺された甲斐があるってもんだ。


「ありがとな、鞘。平気だから、そんな心配そうな顔するなよ」

「心配するに決まってるじゃないですか。あなたはもう二度も架空環境内で殺されているんですよ? 体調が万全でなければ、これ以上のプレイは危険です」

「万全だよ。万全過ぎるほどに万全だ。それより、飯でも食いながらこれからの捜査の指針でも立てようぜ。今度は絶対に殺されないようにな」

「……わかりました。ひとまず、食事の準備をしてきます」


 鞘が不安そうな面持ちのままうなずいたその時、部屋にある黒電話がジリリと鳴り響いた。また副社長サマだろう。受話器を取って「はい、こちら探偵」と返事をすれば、「どうもこんばんは、龍太郎さん」と挨拶する声はまさかの透華サマである。


〝お楽しみ〟は仕事の後だって聞いて安心してたんだが。背中に冷たいものが走り、腕には鳥肌が立つ。下手したら、架空環境内で殺されるより怖いかもしれん。


 警戒するこちらの気など知らず、透華サマは軽やかに続ける。


「実はわたくし、先ほどまで龍太郎さんのお仕事の様子を拝見しておりましたの。大変でしたわね。いくらお仕事とはいえ、死んでしまうだなんて」

「いえいえ。なんてことはありませんよ。一度目よりはラクでした。ほとんど即死でしたからね」

「それは何よりですわ。それでね、龍太郎さん。お電話差し上げたのは夕食にお誘いしようと思ってのことですの。このビルにも、レストランがありますのよ」


 夕飯のお誘い。コイツは全力で避けなきゃならんイベントだ。下手を打てば、食後のデザート替わりにペロリといかれるのは俺である。


「お誘い頂きありがとうございます。行きたいのは山々なのですが……実は、これから今後の捜査の指針について、専務とお話しするところだったんですよ」

「あら、そうなんですの? ま、構いませんわ。鞘も同席すればよろしいではありませんの。そうね、そうしましょ。はい、決まり」


 勝手に納得したように言って、「二十四階のレストランでお待ちしておりますので」と待ち合わせ場所を一方的に提示した透華サマは、「それでは」と残して電話を切った。


 なんだよ、大名かよと、天下御免のわがままっぷりに辟易しつつ受話器を置けば、隣で会話を聞いていた鞘が「申し訳ありません」と頭を下げた。


「しかし母は、自分にとって都合のいい話しか聞かない性格です。こうなった以上は行くしかないかと」




 

 久しぶりに〝鉄の処女〟から外に出て、鞘と共に指定された二十五階へエレベーターで向かう。箱から外へ歩み出れば、そこは左右どころか天井並びに床まで全面ガラス張りの、まったく落ち着かぬ部屋である。照明の類は無いが、その代わりに天井に映し出された大きすぎる月の映像がその役目を果たしている。


 部屋の中央には漆黒の円卓がひとつ。席に着くのは、派手な着物に髪飾りを合わせた花魁スタイルの透華サマ。「なんじゃありゃあ」と思わず声に出しそうになるのを堪えつつ、笑顔を取り繕いながら歩み寄り、「お待たせしました」と声を掛ければ、偽花魁は「本当にずいぶんお待ちしましたわ」といたずらっぽい笑みを浮かべて唇を尖らせた。


 それから三人の食事会がはじまった。キッチンどころか自動食品給仕機も見当たらないから、どうするのかと思っていたら、ガラスの天井が開いてそこから料理が降りてくる形式だから、その外連味にはまったく驚いた。


 メニューは寿司に天ぷらとニッポン風。日本酒も勧められ、本当は一杯頂きたいところだったが、さすがに仕事中であることに加え、〝酒を飲んだ勢いで〟なんてことも想像されたので止めておいた。


 食事中の話題はもっぱら今回の仕事について。もちろん透華サマがいる前で、まともに今後の指針についてなど話し合えるわけがなく、これまで起きた事件とそれについての私見を語ることに従事する羽目になった。


 食事がはじまって二時間弱。話すことも無くなってきたころ。透華サマは楽しいことを思いついた少女のように「そうだ」と手を打つ。


「ねえ、龍太郎さん。わたくし、息子と一緒にこのテストに参加している方々のプレイを色々と見ているんです。龍太郎さんのようにまっとうにやっている方もいれば、無理やり犯人を暴こうとして、いささか暴力的な手段に訴える方もいらっしゃいます」


 残念そうに首を振った透華サマは真鯛の寿司を一口に食べ、さらに続けた。


「乱暴な方はゲームオーバー続き。一方、まっとうにやっている方々の進行状況は龍太郎さんとほとんど同程度。しかし、その方々には既にわかっているのに、龍太郎さんにはわかっていない謎があるのです。そしてその謎が、きっとこのゲームのクリアの鍵なのですわ」


 思いのほか有益そうな情報が得られそうな予感。円卓に身を乗り出し、「興味がそそられる話ですね」と言ってみれば、透華サマは「でしょう?」と微笑む。


「殺された方々の名前を思い出してみて? 相川さんから始まって、馬場さん、喜屋武さんに百目鬼さん……。ほら、どうかしら?」


 ――ああ、と思わず苦笑い。それは、言われてようやく気がついたことが恥ずかしくなるほど他愛もない事実。


「被害者のイニシャル、ですか?」と問えば、透華サマは「そう」と深く頷いた。


「不思議なことに、登場人物のイニシャルを見れば、龍太郎さんと鞘以外はアルファベット順になっているのです。そして被害者の皆さんは、〝ABC〟の順番で殺されているのです。ねえ、鞘。たしかそんなような名前の本がなかったかしら?」


 話を振られた鞘は、「〝ABC殺人事件〟のことですね」と受ける。何度も読んだ本なんだけどな。案外、気がつかないもんだ。しかし、透華サマがアガサをご存知とは、やや意外ではある。


「よくご存知ですね。透華様もミステリーがお好きなんですか?」

「いいえ。ああいった血なまぐさいものはわたくしの好みではございません。ただ、春夫が生前のお父様からそんな本を贈られたことを思い出しまして。わたくしも貰いましたのよ。名前は失念してしまいましたけど、えっと、なんだったかしら……」


 眉間にしわを寄せて迷ったように視線を泳がせる透華サマに、鞘がすかさず助け舟を出して途切れた言葉の後を繋ぐ。


「副社長に贈られたのはABC殺人事件。お母様に贈られたのはアクロイド殺し。私に贈られたのはそして誰もいなくなった。ついでに言えば本ではなく、アガサ・クリスティーの生原稿です」

「ああ、そうそう。そうだったわね」


 そう言うと透華サマは日本酒を注いだお猪口を傾け、透明の液体を喉の奥へと流し込んだ。


「不思議だと思いませんこと? わたくしから言わせれば、小説の生原稿なんて紙にインクが染み付いたものに過ぎません。それなのに、あれが数十億はくだらないだなんて……」


 その物言いを聞いた鞘の表情がにわかに曇ったのが、視界の端にちらりと映る。気持ちはわかるぜ。あんな言動は許しちゃおけないよな。

腹の底に怒りを溜めているに違いない鞘に代わり、俺は透華サマを軽めの皮肉で刺す。


「価値観は人それぞれですからね。地球上では絶世の美女のあなただって、宇宙の端まで行けば、きっとおかめ顔です。逆もまた真なり、かもしれませんが」

「あら。お上手ね。絶世の美女だなんて」


 駄目だこりゃ、お手上げ。自己肯定感の強いお方に、皮肉なんて爪楊枝で刺すようなせせこましい攻撃方法がそもそもの間違いだった。降参の意を表明する代わりに、三十分ほど前から皿の上で放置されていた獅子唐の天ぷらをかじっていると、ふと席を立った透華サマが俺の背後にそっと周り、耳元に唇を寄せてきた。


「ねえ、龍太郎さん。お楽しみはお仕事が終わってからと、この前お約束したと思うのですけど、もしあなたの都合さえよろしければ、約束を破ることくらい、わたくし、やぶさかではありませんのよ?」


 まずい。まずいまずい。このままじゃ食われるぞ、交尾後のカマキリの雄みたいに。透華サマにバレないよう、鞘へ目配せを送り必死にSOSを伝えれば、ひとつ咳払いをした鞘は、「龍太郎さん」とこちらの名前をクールに呼びつける。


「仕事をお忘れなく。あなたは、あくまでテスターとして雇われたのですから」


 ナイス、鞘。あとで頭を撫でてやる。


 獲物を狙う雌カマキリへ肩越しに振り返った俺は、名残惜しさをアピールするよう、眉尻を下げて弱々しい表情を作る。


「申し訳ありません、透華様。続きはまた後日、ということで」

「あら、残念。でも仕方ないわね。お仕事が優先ですもの」


 透華サマは俺の両肩をそっと撫でる。首筋に刃物を当てられたような気さえした。


「では、またタイミングが合えば連絡しますわ。引き続き、お仕事頑張ってくださいね」





 透華サマとお別れした俺達は、十七階の〝鉄の処女〟へと引き返す。その道中のエレベーターの中、俺は鞘へ「よく耐えたな」と声をかけた。

「なにがでしょう?」

「君の母親の件だよ。アガサの生原稿を紙にインクが染み付いたもの、だと。鞘が爺さんから受け継いだものを、よくそんな風に言えたもんだ」

「いいんです。母に悪気がないのはわかっていますから。それに、ああ見えて、可愛げのあるところもあるのですよ」


 うん、大人だ。昔からなにかと苦労させられてきたに違いない。


「それより、興味深い話を聞けましたね。あの殺人事件がABCの順番になっていると」

「まさかそんな古典的な仕掛けが施してあるとはな。アガサの作品と同じなら、C……つまり喜屋武以外はただの巻き添えってことか?」

「そう考えれば後藤田が百目鬼に主張した動機と合致しますが、そうなると今度は涌井あかり問題が浮き彫りになりますね」

「堂々巡りだな、これじゃ」


 やがてエレベーターが止まり、扉が開く。箱から歩み出れば、微細装置を殺すための青い光が全身に照射された。


「……ともあれ、次の周回で優先すべきことがひとつあるな」

「そのひとつ、とは?」


「決まってるだろ。涌井あかりの正体を探る。全てはそこからだ」

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