第18話 涌井あかり

 三度目となるゲームの中へ。目が覚めればそこはやはり船内、海の上。窓の外を見れば、灰色の空が絶えず雨粒を落としている。船底が波を切る音が聞こえる。


 ベッドから起きた俺が「三度目の正直を信じるか」と呟けば、籐椅子に座る鞘は「二度あることは三度あるともいいますよ」と、気を抜くことを許してくれない。わかってる。しっかりやるさ。


 心中で気合いを入れ直したその時、部屋に響くノックの音。「どうぞ」と言えば、現れたのは丸い顔、相川である。


「やあ、どうも。お休み中でしたか?」

「いえいえ、そんなことは。むしろ、あなたが来るのを待っていたくらいですよ」


「どういう意味です?」と小首を傾げる相川を、「まあまあ」となだめつつ部屋に招き入れる。


 相川をベッドに座らせた俺は、部屋の扉の前に立ち、逃げ道を塞いだ上で奴を見据えた。作り物の人懐っこい瞳が不思議そうにこちらを見ている。


「単刀直入にお聞きします。殺される覚悟はおありですか?」


 俺の質問に反応して相川の眉がぴくりと動く。


「どうしてそんなことを聞くのでしょう?」と訊ねる奴の顔はあくまで笑顔だ。


「情報通でしてね。相川さんが管理人業務の傍ら、馬場からとある重要なモノを受け取る予定ということを耳に入れまして」


 本人と馬場以外には知り得ない情報を突きつけられたその瞬間――相川の顔から笑みが消えた。人当たりの良さそうな気配は消え失せ、険しいまなざしがこちらを睨んでいる。


 相川は片手で額の辺りを抑えながら息を吐いた。


「……どっから聞いたんだ、そんなこと」

「職業柄、色々と情報が入ってくるもんでね」


 濁して答えた俺は扉に背を預け、相川を見据える。


「俺は車龍太郎。こっちは鞘・シェパード。探偵と助手。そっちは相川陸、だな」

「無駄話はいい。なんの用だ」

「涌井あかりの正体。それが知りたい」

「情報通なんだろ? それくらい、自分で調べたらどうだ」


 席を立った相川は、俺に歩み寄り「そこどけよ」と苛立ったように言い放つ。こうなりゃ、ゲームを周回する者としての〝特権〟を使わせて貰うしかないな。


 俺は相川の目を射抜くように見つめながら言ってやった。


「近いうちに、お前はあの島で死ぬ」


 瞬間、一変する表情。驚愕と困惑の顔。


「……なに言ってんだ、探偵」

「言葉そのままの意味だ。俺はこれから起きることをある程度知ってる。未来が見えるもんでね。お前は死ぬ。喜屋武も死ぬ。百目鬼も死ぬ。馬場も死ぬ。ついでに俺も殺される。俺は、その惨劇を回避したいんだ。そのためには、何としてでもお前から涌井あかりについて聞かなきゃならない」


 沈黙。やがて二度頷いた相川は、覚悟を決めたように「わかった」と呟く。

「あんたらには興味が湧いてきた。話してやる」


 改めて席に座り直した相川は、苦々しい表情で語り出した。


「三年前のことだ。涌井あかりは当時付き合ってた男に騙されて、見ず知らずの男に乱暴された挙句、その際の映像をネットに流された。事件は裁判沙汰になりかけたが、寸前のところでふたりは不起訴。ある男の、『事件が起きた時間、ふたりが一緒に居酒屋で飲んでいるのを見た』って証言がキッカケだった」


 そこでひと呼吸置いた相川は、ふとジーンズの後ろポケットを探った。なにを取り出すのかと思えば煙草の箱だ。


 一本咥え、先端に火をつけた相川は天井に向かって紫煙を吹き出す。


「その涌井あかりと付き合ってた男ってのが藤原、乱暴した男が喜屋武、喜屋武に借金をしていたせいで虚偽の証言をするハメになったのが馬場……が、話はこれで終わりじゃない。その裏で糸を引いてた女がいてな。百目鬼って悪女だよ。百目鬼と涌井あかりは同じアイドルのグループに所属していてね。明るく、愛想もよければ器量もいい涌井は常に人気ナンバーワン。対する百目鬼は整形までして最高の顔を手に入れたのに、ファンからの人気は涌井あかりには遠く及ばない。で、百目鬼は涌井あかりに対して嫉妬を爆発させたってわけだな」


 藤原、喜屋武、馬場に百目鬼。どいつもこいつもこのツアーの参加者ばかり。堪らず「クソ」と悪態が口を突いて出る。


「なんだよ、このツアー。悪人ってことが参加条件なのか?」

「笑えるな。だったら俺もあんたも、ついでに言えばそこにいる助手のお嬢さんも悪人だ」

「否定はしない。で、あの四人以外の参加者も、当然〝悪人〟なんだよな?」


「榎本はネットで涌井あかりのことを猛烈に叩いてた。奴は百目鬼の強烈なファンでね。藤原達との関係が疑われた彼女を庇うために、涌井あかりを悪者に仕立て上げたかったんだろ。羽賀はいわゆる動画配信者。今でこそ大人しいが、少し前までは過激な凸配信で視聴者を集めてたらしい。動画のネタのために、涌井あかりの実家なんかにも行ってたって話だ。後藤田は事件に関わってないが、小学生に入る前からの涌井あかりの親友だ」


「待てよ。大事なところが抜けてるな。相川、お前は何者なんだ?」

「俺の〝未来〟が見えてるくせに、俺の正体はわからないのか?」

「わかることもあればわからないこともある」


 開き直って言ってやれば、小相川は馬鹿にしたようにせせら笑いながら煙草の灰を床に落とした。


「涌井あかりと、相川陸。名前を並べてみりゃわからないか?」


 涌井あかり、相川陸。


 わくいあかり、あいかわりく。


 あまりに単純な言葉遊びで、気付いた俺は思わず「ああ」と間の抜けた声を上げてしまった。


「俺の本当の名前は涌井拓司、涌井あかりは俺の姉さんだ。姉さんのために、俺はあいつらに罪を償わせたい。どんな手を使ってもな」





「外の空気を吸いたい」という相川に連れられ、俺と鞘は甲板に出た。手すりにもたれかかりながら二本目の煙草に火をつけた相川は、白い煙を不味そうに吹き出しながら語った。


「カネで姉さんを殺した馬場は、カネで簡単にこっちについた。俺が雑誌記者を装って近づいたとはいえ、過去の百目鬼達とのやり取りの記録をあっさり売ってくれたよ。ただ、向こうが出した条件でな。ブツは必ず現金と交換。受け渡し場所はこの島を指定してきた。金に汚いあの男のことだ。どうせ、百目鬼達とも取引してたんだろ。事件の証拠を買いたいと言ってきた記者がいる。カネを多く出す方に売るつもりだ、なんて言ってな」


「……相川、ひとつ聞いておきたい。馬場を……というより、百目鬼達を殺したいと思ったことはあるか?」


「毎日のように考えてるに決まってんだろ。ただ、それができないから、なんとかして檻にぶち込んでやろうと必死になってんだ」


 相川は煙草の先端を軽くこちらへ向けた。2200年代では嗅ぐことの出来ない強いニコチンの香りに、俺はつい咳き込む。


「それより、未来が見える探偵さんよ、あの島に着いた後、何が起きるんだ?」

「後藤田が百目鬼達を殺すために動き始める。その計画の一環でお前も殺される。恐らくは、百目鬼からの信用を勝ち取るためにな」


 相川の表情がまた変わる。どこか怯えるような目つきは強い警戒心の現れだ。


 俺は相川に「引き返すか?」と問いかけた。


「島に着いたら三日間はカンヅメだ。殺されたくないのならそうした方がいい」

「殺されるかよ。取引が終わったらすぐにでも本土に連絡してあの島を出る。どうせ俺は雇われの管理人だ。すぐ次が来るさ」

「連絡はできない。電話が通じないように細工されてるからな」

「……冗談言うなよ。昨日、館の施設に不備がないか調べたばかりだぞ?」

「冗談だと思うか? とにかく、あの島を生きて出たいならとんぼ返りで引き返すんだな」

「ふざけろ。ここまで来てそんなマネ出来るか。俺は殺されるつもりなんてない。馬場との取引が終わったら、自分の部屋で籠城する」

「……ま、引き返すつもりがないならそれが最前だ」


 程なくして船は島へと到着した。管理人の顔に戻った相川は、何事もなかったかのように参加者達を金糸雀館に誘導する。大した奴だ。予想もしてなかったことが起きたはずなのに。


 館へ戻り、自室の扉を開ければ、その見慣れた光景に実家に帰ってきたみたいな安心感すら覚えた。扉と窓がしっかり閉められていることを確認した上で、俺はベッドへ、鞘は籐椅子にそれぞれ腰掛け、それから早速話し合いの時間となった。


「涌井あかりの素性についてはわかった。相川の言うことが全部真実とは限らないけど、事件の動機は〝涌井あかり〟で確定と考えていいだろ」

「動機が涌井あかりの死にあるとすれば、ストーリーを作るのは簡単です。涌井あかりの死に関係する人物を集めて殺すことに決めた後藤田は、手を尽くして彼らをこのクローズドサークルにおびき寄せた。ひとり、またひとりと涌井あかり殺しに関わる人物達を殺していく後藤田。全ては復讐のために」

「細部を詰める必要はあるけど、全貌としてはだいたいそんなところだろうな。……とはいえ、不明点はかなり多い」


 サイドテーブルからメモ帳を取り出した俺は、ペンを走らせまだ解き明かされていない謎を羅列していく。



1、相川を殺した人物は誰か

2、二週目の相川はどうして馬場を殺したのか

3、馬場が相川に渡したものの正体

4、どうして相川の部屋に塩があったのか

5、殺人がABCの順番で行われる理由

6、涌井あかりの敵討ちが目的ならば、藤原をはじめとしてどうして殺されない人物もいるのか

7、なぜ犯人は証拠となるものを犯行現場に置いていくのか



「だいたいこんなとこか」と書き終えたところへ、メモを覗き込んできた鞘が「少しよろしいですか?」と意見を挟む。


「龍太郎さん、最大の問題をお忘れですよ」

「あったけか、そんなの」

「このゲームのクリア条件ですよ。謎を解いて、動機を暴けば、それで終わりになるとお思いですか?」

「そういや、そんな話もしてたな。大丈夫だ、覚えてるから。でも、条件云々の前にまずは事件解決だろ?」


 俺の言葉に、鞘は納得していない様子ながらも「まあそうですが」と頷く。


 わかってる。俺だって、犯人を当てて、動機とトリックを見抜いてやれば、長ったらしいエンドロールが流れた後で、「Congratulations!」と製作者のメッセージが表示されるなんて微塵も思ってない。


 まだまだ何かあるに決まってる。なんたって、『これはミステリーじゃない』わけだ。直球勝負は仕掛けてこないはず。


 こんなこと、口が裂けても言えないけどな。少なくとも、今、この場では。

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