第24話 そして誰もいなくなった

 指示された通りに十階へとエレベーターで降りていけば、モノクロのインテリアで統一された無味無臭の人工的な空間が広がっていた。無駄と思われるものの一切を排除した感があり、観葉植物すら置いていない。あらかじめカフェだと知らされていなければ、会議室かなにかだと勘違いして足を踏み入れるのも躊躇したかもしれない。


 神野は既に部屋の中央、正方形の黒テーブルに着いていて、俺を視界に捉えるや否や、「こちらに」と自身の正面の席に座るよう指示してきた。奴の目はなんだかいやにギラギラしていて、視線を交わすことすらなんとなく抵抗があったが、ここまで来てくだらないワガママは言ってはいられない。


「この部屋には一時的にウェーブカット処理を施しました。つまり、今ここで話されることは、世界中で私とあなたしか知る者がおりません。存分に話してください」

「それを聞いて安心しました。いかんせん、〝秘密〟の話ですから」


 俺が席に座ると同時に、神野はテーブルにぐいと身を乗り出して「では早速」と血走った目で切り出した。焦りすぎだ。気持ちは分からなくもないが。


「まあ、待ってください、副社長。物事には順序というものがあります。結論だけを話しても意味がない。ましてや、これからお話するのがミステリーの結末であればなおさらです」


 ゆっくりと、諭すように言ってやれば、神野は深く座り直し、「では、順を追ってお聞かせください」と急かすように言う。


 悪いけど、なんと言われようが速度を速めるつもりはないぜ。


「まず、館で起きた事件から。喜屋武をはじめとした数名を殺したのは、相川と後藤田。各々の殺しの仕掛けは俺達のプレイをモニタリングしていたあなたならわかるはずです」

「ええ、もちろん承知しています。まったくもって痛ましい事件だ。製作者の趣味が伺えます」

「まったくです。正直に申し上げて最悪ですよ、このゲームを作った奴は。リプレイのたびに展開が変わるなんて、ミステリーにあるまじきことです。たとえば俺がこれ以上プレイを重ねれば、殺し、殺される人の関係性がさらに変わっていくことでしょう。まあ、〝プレイヤーにクリアさせない〟ことが目的であれば、この仕様は大正解なのですがね」

「……車さん。そろそろ、お聞かせ頂いてよろしいですか? つまり、誰にも聞かれない方がいい話のことです」

「おや、そうですか。それならば、リクエスト通りお話ししましょうか」


 人差し指と親指であごを摘む。鞘に倣って探偵のポーズを取った俺は大袈裟な調子を維持したまま語る。



「そもそも、どうして俺はあなたの〝秘密〟を知ったのか。正直に言えばはじめから奇妙ではあったんですよ。いくら俺が神野グループの先代社長と知り合いだったとはいえ、副社長がわざわざ家までやって来て、俺みたいな木っ端のなんでも屋を雇いに来ることそれ自体が。


 でも、そんなことよりもあのゲームがなにより奇妙でした。いくらテスト段階とはいえ、どうしてゲームに必要不可欠なセーブ&ロード機能がないのか。どうして周回前提のゲームにスキップ機能が無いのか。どうしてわざわざ、ゲーム内で睡眠を取らせるなんて面倒なことをやらせるのか。没入感や難易度のためだけじゃない。このゲームがただの〝ゲーム〟として作られたわけではなく、〝別の目的〟を目指して作られたのは、早い段階からピンときていました」


「……その口ぶりですと、〝別の目的〟の内容まで見当がついているようですね」

「もちろん。探偵ですから」


 俺はテーブルに両肘を突いて前のめりの姿勢になる。


「これは憶測になりますが、あのゲームをクリアした人物には、次の社長の座が約束されているのでは?」


 さすがにここまで言い当てられるのは想定外だったのだろう。目を丸くした神野は「ご名答」と上がり調子の声を上げた。


「しかし、よくおわかりになりましたね」

「逆説的に考えた結果ですよ。社長の座が掛かっているということを前提に置いたからこそ、事件の謎が解けたんです」

「興味深い話だ。つまり?」


「せっかちな副社長のために前置きはここまでにして、ずばり結論を申し上げましょう。金糸雀館で起きた一連の事件。その犯人は相川と後藤田だけじゃなく、もうひとりいるんです。そしてそのひとりとは――鞘・シェパード。いや、正確に申し上げれば、〝探偵の助手役としてゲームを開始し、シェパードという名前が与えられた人物〟です」


 フンと鼻を鳴らして天を仰ぐ神野。完全に馬鹿にしてやがる。初めて会った時の気の良い感じが見る影もないな。


「……なるほど。なかなか面白い答えだ。ですが、残念ながらそれは大間違いです」

「そんなはずはありません。絶対に彼女が犯人です」

「ところが、そんなはずがあるんですよ」


 神野は興味なさげに吐き捨てた。


「私だって馬鹿じゃない。安くないカネを出して数十名の人員を雇い、相川と後藤田が犯人であることは早い段階で特定しました。しかし、それでもあのゲームはクリアできなかった。仕方がないからそこからは総当たりです。生き残っている登場人物も、死んでいる人物も、もちろん探偵と助手も含め、すべての組み合わせが犯人であると想定しつつゲームを進めまさせましたが、クリアには至らなかった。ゆえに恐らく、このゲームにはまだ誰も気が付いていない大仕掛けが――」


「はっきりと申し上げれば、それはあなた達のやり方が悪い。ミステリーというのは現実世界と違って〝結果〟よりも〝過程〟がなにより大事です。過程が無ければ、謎を解いたうちに入らないんですよ。大事なのは、どうして鞘・シェパードが犯人であるとわかったのか。あなた達のとった総当たりという力任せの手法では、その必ず解かなくてはならない謎が無視されている」


 ここまで言われて我慢ならなかったのだろう。ふんぞり返るように座り直し、足を組んだ神野は、「では、その〝必ず解かなくてはならない謎〟とやらをお話しください」と偉そうに言い放った。


 いいぜ。度肝抜いてやる。


「まず、助手だけにシェパードという苗字が設定されていた点です。

名前を与えられているということはつまり、助手役は俺のようなプレイヤーではなく、劇中の登場人物であるということだ。そして登場人物には、必ずゲームから与えられた役割があります。ただの助手でもなく、被害者でもないのなら……残るのは、〝犯人〟としての役割だけです。


 次に、神野専務の部屋が荒らされていた件。


 一周目の段階では、犯人は登場人物や我々に一連の犯行を外部犯の仕業だと意識づけようとさせているのだと思いました。しかし、その考えは間違っていました。

二周目のことを思い出してください。一連の犯行が外部犯の仕業でないとわかっている者が既にいるということを、〝犯人〟である相川に教えた後にもかかわらず、部屋が荒らされました。


 三周目のプレイでも同様に、相川には事件について説明していましたが、この時はなぜか専務の部屋はもちろん、俺の部屋も荒らされなかった。


 これは何故か。簡単な話です。部屋を荒らした犯人……恐らくは後藤田でしょうが、彼女の狙いが俺と専務を同室に入れておくことにあったからですよ。その理由は、共犯である〝シェパード氏〟に俺の監視をさせるため。犯人達が探偵の動きを四六時中見張っておきたいのは当然のことです。


 最後に、ゲームオーバーの不自然さ。


 三日経っても事件が解決できない場合、我々は船に乗ってあの島を後にする。二周目と三周目では、生き残りのメンバーが俺と専務を除いてまったく異なりましたが、俺はその両方で後頭部を撃ち抜かれました。


 このゲームは正しい形でクリアしない限り、探偵役は船の上で無駄に殺されて終わります。しかし、そこにも正当な理由が必要だ。見ず知らずの人間や、動機を持たない人間に探偵を撃たせるわけにはいかない。俺を撃つのは必ず犯人でなければならないんです。後藤田が生き残っていた二週目はともかく、三周目では相川、後藤田のふたりは既に死んでいた。幽霊が撃ったんじゃなければ、神野専務が撃ったと考えるしかないんです」


 長いこと語ったせいで喉が乾いてきた――と、そのタイミングでテーブルが割れて、コップに注がれた水が出てくる。渇きや飢えを感知する機能でも付いているのだろう。コップを手に取り、ありがたく水を一口飲んでから、俺はさらに続けた。


「時に、副社長はミステリーをあまりお読みにならないとか。つまり、先代社長が遺したアガサの生原稿についても、あまりお調べになっていないのですか?」

「ええ。アガサ・クリスティーの小説のソレということしか知りませんが」

「でしたら、いまその内容を、簡潔にですがお教えしましょう」

「車さん、ミステリー談義はまた後日――」


「必要だから教えるんです。このゲームの最大のキモは、そこにある」と遮れば、不服そうに眉をひそめた神野は「それならどうぞ」と受けた。せっかちな奴だ。コイツはきっと探偵にはなれないな。我慢と忍耐が足りない。

「先代社長が遺したアガサの生原稿は三点。ひとつが、『ABC殺人事件』です。縁もゆかりもない人達が、アルファベットの順番で殺されていくストーリーですよ」


 そういえば、透華サマとそんな話もしたな。今思えば、アレがなけりゃ答えに辿り着かなかったかもしれない。


 心中で彼女に深く感謝しつつ、俺は推理ショーを続けた。


「もうひとつが、『そして誰もいなくなった』。とある孤島に集められた人々が、凶悪な犯人によって次々に殺されていく話です」

「……なるほど。車さんの仰りたいことがわかってきました。つまり、先代社長が遺した推理小説のストーリーと、あのゲームのシチュエーションが似通っていると」


 納得したようにひとり頷く神野は、「それで、最後のひとつは?」と推理の続きを促す。


「その前に、いま何時です?」

「七時五十分を回ったところですが、なにか?」

「失礼。俺が起きてからどれだけ経ったのかと思いましてね。腹が減ったものですから」

「ちょうど三十分程度ですかね。ご安心を。話が終わった後で、いくらでも好きなものを提供しますよ」

「そりゃありがたい。是非とも、分厚いステーキでも食べたいものですね」


 俺は腹に掌を当てながら「さて」と話を仕切り直す。


「先代社長が遺した原本の三点目が、『アクロイド殺し』。田舎に住むとある金持ちが殺害され、その殺人犯をポアロが特定するまでの様子を、ジェームズ・シェパードという登場人物の視点から描いたストーリーです。この作品のキモはずばりどんでん返し。どんな結末が待っていると思います?」

「さあ? 見当もつきませんね」

「この作品は、語り手兼探偵の助手役であるジェームズ・シェパードが犯人なんですよ。通常の読み手は、物語の語り手を意識せず容疑者から外します。アガサはその裏を突いた。当時としては非常に斬新な仕掛けだったことでしょうね。さて、副社長。このシェパードという名前、どこかで聞いたことがあるのではありませんか?」

「…………シチュエーションが似通っているどころじゃない。ヒントというよりも、そのものズバリ事件の真相だ」

「その通り。被害者たちがアルファベット順で殺されていたのも、わざわざ絶海の孤島が殺人の舞台に選ばれたのも、それに至るためのヒントだったというわけです。しかし、このゲームはまさにタイトル通り『これはミステリーじゃない』だ。事件解決のヒントを物語の外に置くなんて、掟破りも甚だしいですよ」


 なにを思うのか、神野は冷笑的な笑みを口元に浮かべている。その笑みはだんだん大きくなり、ついには何を我慢できなくなったのか、弾けたように笑い出す――次の瞬間、拳鎚でテーブルを力任せに何度も叩き始めたのだから驚いた。躁鬱が激しすぎる。人間ジェットコースターかよ、コイツは。


「舐めた真似を。俺以外に誰がこの社を引っ張れると思ってるんだ。俺は長男だぞ、俺は……」

「まあ、落ち着いてください。先に真相に辿り着いたのは副社長……いや、〝次期社長〟です。他の誰でもない」


 そう言って宥めてやれば、神野は鼻から熱い息を漏らしながら拳をゆっくり解くと、「失礼」と言いながら席を立つ。


「私はそろそろ行きます。早いうちにゲームをクリアしておかなければ落ち着けない」

「お待ちください。話はまだ終わっていません」

「これ以上なにを話す必要があるんですか?!」

「このゲームのクリア条件と、このゲーム最大の伏線ですよ。そもそもこのゲームは、謎を解いてお終いではありません。最後の一押しが肝心要なんです。そしてその一押しは、まさにタイトルと直結している」

「だったらそれを早く教えろっ! もったいぶってんじゃねえぞッ!」


 神野の腕が伸びてきて俺の胸ぐらを乱暴に掴んだ。とうとう化けの皮が完全に剥がれやがったな、副社長サマ。


「一周目、ゲームオーバーになった後、神野専務はこう言ってました。このゲームは探偵が殺されると、続行か中断かを選ぶことができる、と。つまりこのゲームは探偵不在でも問題なく進む。裏を返せば、物語を進めるにおいて探偵は不要な存在というわけです。しかし、謎を解き明かそうとする者がいなくなった後、殺意に満ちた孤島はどうなることでしょう?」


「……どうなるというんだ?」

「いやいや、ご冗談を。ここまで言えばわかるでしょう? つまり、アレですよ、ホラ」

「つまりは、なんだ!? 早く言え!」

「わかった、わかりましたから。つまりは――」



「皆殺しです。もちろん、私も含めて。『そして誰もいなくなった』のラストのように」



 聞こえてきたのは〝鞘•シェパード〟の声。彼女はいつの間にかカフェの入り口に立って、冷たい瞳でこちらを見ていた。


「このゲームで必要なのは〝過程〟ではなく、確実な〝結果〟。どんなルートを歩もうとも、私……というより助手役である〝シェパード〟が、三日目の段階で生き残りの全員を殺し、涌井あかりの仇を討てばそれでいいんです。数ある証拠も、伏線も、全ては目眩しに過ぎなかったのですよ」


「……専務。お前、いつからこのことを――」

「専務ではありませんよ、兄さん」


 神野鞘は自らの兄に向けて、堂々の勝利宣言をすると共に深々と一礼した。


「つい数分前から社長です。私、神野鞘が、神野グループの全てを継ぎます」

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