第9話 ゲームオーバー

 百目鬼の話により淀んでしまった場の空気から逃れるように、談話室にいた皆は散り散りに部屋から出ていった。残された俺と鞘のふたりは、ふたり並んでソファーに座ってすっかりぬるくなったコーヒーを飲んでいた。


「涌井あかり、か」


 先ほどの会話でふと出てきた名前を俺が呟くと、鞘はやまびこのように「涌井あかり」と返し、考えを巡らすようあごに手をやった。いわゆる、『探偵のポーズ』である。


「ここへ来て参加者以外の方の名前が出てきましたね。何者なのでしょうか」

「間違いなく、一連の事件に関係する人の名前だろうな。ヘタすりゃダイレクトに事件の動機にかかわる人物だ。じゃなきゃ、名前が出てくるはずがない」

「そういう考え方が過ぎるのもどうかと思いますが」

「とはいえ、俺達みたいな灰色の脳細胞を持たないただの一般人は、事件を事件と認識してようやく作者と肩を並べられるんだ。なにがなんでも事件を解決したいなら、メタ的観点は必須じゃないか?」

「ああ、いえ。私も、龍太郎さんが仰るような考え方を否定しているわけではないんです。ただ、このゲームがメタ的観点から観られることを想定して製作されていた場合には、その考え方に囚われていると厄介なことになるなと思いまして」

「……なるほど。つまり鞘は、読者のミスリードを誘うため『だけ』の罠が仕掛けられてる可能性を心配してるわけだな」

「その通り。あくまでこれは本当に起きた事件ではないのですから」


 その時、俺の腹がぐぅとなりエネルギー切れを告げた。時刻は午後の二時過ぎ。思えば、朝から数えて一度しか現実で食事をしていない。


 俺は腹を手のひらでさすりながら言った。


「ともあれ、〝涌井あかり〟について調べなきゃいけないのは間違いない。あの名前が出た瞬間の藤原の顔、見たか?」

「ええ。卒倒しないのが不思議なくらいでしたね。なにか知っていることは、まず間違いないでしょう」

「まずは藤原に当たろう。で、サクっと話を聞いてからここを出て、それから現実で昼食の時間だ」





 藤原の部屋へ行き扉をノックしたが返事がない。大声で呼び掛けても同じ。「まさか」と思い例の方法で鍵を開けようとしたところ、近くの部屋から榎本が顔を出して、「あいつなら下だと思うがね」と教えてくれた。


「たぶん、キッチンでコーヒーでも淹れてるんじゃないか。あいつ、カフェイン中毒っぽいしな」


 言われた通りに階段を降りてキッチンへ向かえば、たしかに藤原はそこにいた。火にかけたヤカンが甲高い音を立てながら白い蒸気を噴き上げる様をぼんやり眺めるその姿は、どこか危険な香りすら漂っている。よくやるよ。ついさっきまで死体があった場所なのに。


 声を掛けることすら憚られたが、掛けないことには始まらない。覚悟を決めた俺は「どうも」と藤原へ呼びかけた。


「こんなところにいましたか。探しましたよ」


 声に反応する形で虚な瞳がこちらを向く。つい数十分前までに比べてやつれた感すらあり、色男が台無しだ。


「……探偵か。なんの用だ」

「話を聞きたくてですね。大したことでもないとは思うんですが」

「いいよ。俺に答えられることならな」

「ありがとうございます。では、涌井あかりさんというのは、何者でしょうか」


 小さく息を呑んだ藤原は視線を斜め上へ向けた。数秒の沈黙の後、ようやく吐き出された「知らないな」という言葉には震えすらあった。


「知らないなんてことは無いでしょう。あれだけ動揺してたんだ」

「知らないって言ってるだろ!」


 俺はマズイことを知ってます、って言ってるようなもんだろ、その反応じゃ。呆れつつ藤原へ歩み寄った俺は、コンロのつまみを捻って火を止める。シュウシュウという喧しい音が止まり、沈黙が粘度を伴って身体にまとわりついた。


「俺だって、問い詰めるような真似はしたくありません。でも、隠しごとはいつかバレます」

「うるさい」

「もしあなたに何かやましいところがないのなら、全てを話してしまった方がいい」

「黙れ」

「藤原さん、俺は善意で言ってるんです。涌井あかりさんとあなたの間に何があったのかは知りませんし、興味もない。だからこそ、万が一にもここで起きた事件と関係があっては困るから、俺はあなたに全てを話して欲しいと――」


 俺が言葉に詰まったのは、舌を噛んだからじゃない。藤原がまな板と共に置いてあった包丁を掴み、俺の腹に迷いなく突き立てたからだ。


「……お前が悪いんだ。俺は悪くないのに、俺を責めるお前が全部悪いんだからな」


 赤黒い液体があずき色のジャージを染めていく。ああ、ちくしょう、痛い。呼吸、鼓動、生に関するあらゆることが遠のいていく感覚がある。


 崩れる膝、倒れる身体。


 ふざけんな、たぶん、俺、このまま、死ぬ――。






「死んでたまるか!」


 腹の底から声が出てきて、自分が生きていることに気がついた。上半身を起こして周りを見れば、ここは現実世界、〝鉄の処女〟。まさに生き返った気分だ。


「おはようございます、龍太郎さん」


 筐体に側に椅子を出して腰掛けていた鞘がこちらへ冷ややかな声を浴びせた。


「〝死んで〟からおよそ三十分。予想よりも早いお目覚めでした。体調はどうでしょうか? 熱は無かったかと思われますが、身体に違和感などは?」

「問題ない。強いて言えば、腹が減ったくらいだな」


「冗談も変わらずご健在の様子。何よりですね」と鞘は呆れたように息を吐く。もっと苦しそうな顔をしておくべきだったかな。


「これがなけりゃ俺じゃないからな。しかし、あの後はどうなったんだ。鞘も殺されたとか?」

「いえ。どうやらこのゲームは、探偵役が殺された時点で続行か中断を選べるようになっているようでして。私は迷わず中断を選ばせて頂きました」

「いい選択だ。正直、刺されたら文字通り死ぬほど痛いからな。そこまでリアルにするか、ってくらいに」

「……やりすぎであることは否定しません。食事以外のすべてを架空環境ヴァーチャルで、がモットーだとしても、あれだけのショックが与えられるのはいかがなものかと」


 そう言うと鞘は筐体から立ち、〝鉄の処女〟の出口へと向かう。


「傷ついた精神を癒すには食事が一番です。すぐにご用意して参りますので、しばしお待ちを」


 数分後。部屋に戻ってきた鞘と共に食事休憩を取った。昼のメニューは豚汁と牛丼。これも手作りかと鞘に聞いたが、自動食品供給機はすっかり直ったとのことである。なるほど。道理で人工的な動物油の匂いがすると思った。


「しかし、あんな形のゲームオーバーもあるんだな。逆上したヤツに刺されるなんて」と、俺は溶き卵を牛丼に注ぎながら、死の瞬間を反芻する。刃を腹に突き立てられる瞬間を思えば、今でも背中に冷たいものが走る。


「死のバリエーションは豊富かもしれませんね。刃物があるならば、拳銃で撃ち殺される、なんてエンディングを迎えることもかるかも」

「頼むから、それだけは勘弁してくれよ」

「私にはなんとも。すべては龍太郎さんのプレイング次第ですので」


 大真面目な顔をした鞘が真実なのか冗談なのか判別つかないことを言ったその時、黒電話がジリリと鳴った。食いかけの牛丼を置いて受話器を取れば、「やあ、調子はどうです」と調子の良い神野の声が聞こえてくる。


「ボチボチですよ。腹の傷もすっかり癒えました」

「それは何よりでした。想像力に長ける方などはとくに、架空環境で受けた傷が実際に痕として残る方もいるそうですからね。ご注意なさってください」


〝ありがたいご忠告〟を射程圏外からくださった神野は一拍置いて続けた。


「で、どうです。犯人の見当は」

「まだまだですかね。わけのわからんうちに殺されたものですから」

「まあ、今のところどのテスターの方々も似たような進行状況です。ボーナスのチャンスはいくらでもあります」

「それを聞いて安心しました。カネが無けりゃ、殺された甲斐がない」


 皮肉を半分混ぜ込んだ俺の言葉を軽く笑って受けた神野は、「正直な方だ」と言い、小さく息をついた。


「では。引き続きよろしくお願いしますよ、車さん」

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