第8話 どう考えたって犯人

 馬場の死体が発見された時刻は午後の十二時二十五分。場所は一階キッチンだという。


 死体の状況は酷い有様で、というのも、まな板やら肉用ハンマーやらを使って顔面を滅多打ち。馬場の顔は潰れたパンケーキみたいで、身体中から色々と〝見たくもないもの〟がはみ出しているような状況である。あたりに血痕も飛び散っており、殺されたのはこの場所で間違いないと見える。


 ああ、クソ。吐きそう。


 部屋の前には喜屋武と百目鬼、それに羽賀を除いた全員が集まっている。鼻腔にねばついてくる死臭から逃げるように食堂へ出て、「最初に死体を見つけたのは?」と鼻を摘みながら問えば、榎本が手を挙げ、「俺と後藤田さんだ」と答えた。


「妙なことがまた起きたら困ると思ってね。彼女を証人として、暇つぶしのための本を部屋に取りに行ったら、窓が破られて部屋が荒らされてた。手荷物の中からは財布が抜かれたよ。で、慌てて下に戻って、とりあえず顔色の悪い後藤田さんを落ち着けるために、水でも飲まそうとキッチンに行ったらこの有様だ。参ったね、まったく」


「俺達がいない間、皆はどうしてたんです」

「おたくに言われた通り、談話室で大人しくしてたさ。藤原が腹痛とかで、ちょいとトイレに立ったけどな」

「ま、待てよ! 俺は本当に腹が痛くて――」

「わかってるよ、ほんの数分だったろう。別におたくが犯人だとは誰も言ってないでしょうが。落ち着けって」


 藤原は「ならいいけどな」と言って青い顔を余所に向けた。


 ここにいる全員にアリバイがある。つまり、喜屋武と百目鬼のどちらか、またはその両方が犯人。


 ――……いや、それでいいのか? たしかに、あのふたりが共犯ならば話は楽に終わる。一つ目の事件も、ふたりが共犯という前提があれば、たとえば録音しておいた音声を流しておいたと考えれば、あのアリバイは容易く崩れる。鞘の部屋を荒らした犯人も、あのふたりだということでケリがつく。


 ……でも、この事件がそんな簡単に終わるわけがない。ミステリーが、この程度で終わっていいわけがない。


「難しい顔せんでいいだろ、探偵さんよ。犯人なんて決まってるじゃないの。喜屋武と百目鬼だよ」


 俺の思考に割って入ったのは榎本の声だった。


「待ってください。そりゃ俺だって怪しいのはあのふたりだと思います。でも、あらゆる可能性を考えないことには――」

「でももだっても無いでしょうよ。見ろよ、これを」


 そう言うと榎本は床に落ちている血に濡れた棒状の何かを指した。真ん中からへし折れてはいるが、よく見ればそれはカメラ用の三脚だ。


「いま確かめに行かせてるけどさ、たぶん羽賀の私物だろうよ。やっこさんたち、自分以外の誰かに罪を着せようとして、みんなの部屋を周ったんだろうさ。俺の部屋や、おたくの助手の部屋が荒らされてたのもその証拠だ。で、羽賀の部屋で手頃なものを見つけて、そいつを使ってあいつに罪を着せようとしたんだろうよ。けど、俺達が四人で固まって談話室にいたもんだから、見事に作戦大失敗。まぬけだよなぁ」


 やがて、暗い顔をした羽賀が廊下をトボトボと歩いてきた。


「おう、どうだった」と榎本が声を掛ければ、羽賀は開口一番で「サイアクだわー!」と言ってうなだれた。


「榎本クンの言う通り。やられてたわ、マジでやられてたわ。アレ八千円もしたのに。ショックでかー」

「てことだ。確定だな」


 興味なさげにまとめた榎本は、あくびを噛み殺しながら眠そうな目を天井へ向けた。


「あとは頼むぜ、〝名探偵〟。犯人を大人しく自供させるのは、おたくの役目だろ?」





 喜屋武と百目鬼のふたりが犯人なんて単純な筋書きで、この物語が終わるとは到底思えない。この事件にはもうひと捻りあるはずだ。馬場の死体の片付けを他の面々に任せた俺は、鞘と共に喜屋武の部屋へと話を聞きに向かった。


 部屋の扉を叩き、「喜屋武さん」と名前を呼ぶと、奴は扉を開き堂々と姿を現した。下はジーパンこそ履いているものの、上半身はなにも身につけておらず、肩から腕にかけて墨の鯉がぬらりと泳いでいるのが見える。片手に水の注がれたコップを持っていたものだから、それを浴びせられるものかと身構えたが、どうやらそういうつもりではないらしく、水を口に含んだ喜屋武は逆の手に持っていた錠剤らしきものを数錠飲んでから言った。


「なんの用だ、探偵」

「馬場さんが殺されたんです」


「そうか。じゃあ、例の相川殺しの犯人が二人目に手をかけたってわけだ」と答える喜屋武は不自然なまでに平然としている。


「そういうわけでもなさそうですがね」と俺が答えたのは、喜屋武の頬や首筋の辺りに拭き取ったような血の跡が付着していたからだ。馬場を殺した際の返り血とみてまず間違いないだろう。上半身裸なのも、先ほどまで血を洗い落としていたからと考えれば自然だ。


「そういうわけでもないっていうと、どうなるんだ?」

「榎本さんと羽賀さんの部屋が荒らされてましてね。窃盗ですよ。先ほど島を回った時は誰も見つけられませんでしたが……もしかしたら、犯人はこの島の中に巧妙に隠れているのかもしれない」

「そうか。だったら、その犯人とやらを見つけてくれよ、探偵。落ち着いて部屋からも出られないからよ」


 へらへらと乾いた笑い声を上げた喜屋武は、「じゃな」といやに明るく手を振り部屋の扉を閉める。


 金糸雀館の廊下に静寂が戻ったところで、一歩引いたところで待機していた鞘が静かにこちらへ歩み寄り、小さく耳打ちした。


「お言葉ですが、喜屋武を野放しにしてよろしいのですか? 身体についた血痕、アリバイなどから考えて、間違いなく彼が馬場殺しの犯人だと思われますが」

「馬場を殺したのはアイツだろうさ。でも、相川はどうだ。相川のことも喜屋武が殺したと思うか? 片方は首吊り自殺に見せかけてある、証拠も残さない〝完璧な死体〝。もう片方は、顔面ぐちゃぐちゃパンケーキだぞ」

「……つまり、龍太郎さんは第一の事件と第二の事件の犯人は別人だとお考えなのですか?」

「その通り。だから、相川殺しの犯人がわかるまでは、アイツのことは放っておく。部屋にいてくれりゃ害もないしな」


 その時、背後にあったこれから部屋の扉が静かに開いた。喜屋武の向かい側の部屋の主といえば――百目鬼だ。


 自室から歩み出てきた百目鬼は、サングラスの奥に隠れた瞳をこちらへ向ける。


「探偵さん。アイツから話、聞けた?」


「いえ。大したことは何一つ」と答えると、百目鬼は「だよねー」と同情的に肩を落とした。

「そりゃ、言えるわけないよ」

「どういう意味ですか?」


「決まってんじゃん」


 百目鬼はつまらなさそうに吐き捨てた。


「アイツが馬場さん殺した犯人だもん」





 百目鬼が詳しい話をしてくれるというので、俺と鞘は彼女に連れられて一階談話室へ向かった。部屋の中には藤原をはじめとした四人がおり、百目鬼を連れて戻ってきた俺を見た皆は、ほんの少し表情を歪めた。「どうして殺人犯の仲間がここにいるんだ?」と言いたいんだろう。わかるぜ。俺だって逆の立場なら同じことを考える。


 自分を歓迎していない皆の空気を感じ取ったのか、一旦部屋を出た百目鬼は数分後、人数分のコーヒーをトレイに乗せて戻ってきた。


「はい、どぞー。モモちゃん特製コーヒーでぇーす」


 百目鬼の手により全員にコーヒーが配られたが、毒を警戒してなのか、手をつける者は現れない。仕方がないので俺が代表してグイと飲んでやると、それで一応は安心したらしく、各々手をつけ始めた。ちなみにコーヒーは砂糖たっぷりで、俺の好みではなかった。


 百目鬼はコーヒーの黒い液面にミルクを落としながらぽつぽつ語る。


「みんなが外に出てる時だよ。アイツ、急に部屋を出てこうとしてさ。どうしたのって聞いたら、『馬場の野郎をぶっ殺しに行くんだ』って。突然だよ、突然。なんかの冗談かと思ってしばらく部屋で待ってたら、アイツ、身体にべーったり血ぃつけて部屋に戻ってきてさ。あたし、それ見て自分の部屋に逃げちゃった」


「そのしばらくってのは、何分の間ですか?」と訊ねれば、「十時半過ぎから十一時過ぎくらいまでだから、だいたい三十分くらいかな?」と返答があった。その時間、俺達は館の外を回っていたから、百目鬼の発言を証明できる人はいない。


「そもそも、そんなことがあったのならなんですぐに知らせてくれなかったんですか」

「だってコワいでしょ。あんなの、ヘタしたらあたしが殺されんじゃん」


 不自然ではない言い訳をした百目鬼はさらに続けた。


「たぶんさ、アイツ、相川さん殺したのが自分だって馬場さんにバレたんだよ。で、口封じのためにあの人も殺した。そう考えれば辻褄も合うでしょ?」

「はいウソー! とっくに調べはついてるんですけどー!」


 羽賀は『してやったり』という顔で百目鬼を指差す。ちょっとは静かにできないのか、コイツは。「黙ってろ」と冷静に一喝した俺は、真っ直ぐ百目鬼を見据えた。


「昨日の夜、あなたは喜屋武さんと一緒にいた。俺としてはそう認識していたんですが、あなたの発言と照らし合わせると矛盾が生じてしまいます」

「悪いけど、探偵さんが間違ってるだけじゃないの? あたしがアイツの部屋にいったのだって、相川さんの死体が見つかるほんのちょっと前からのことだもん」

「……証拠があるとしても?」

「知らない」


 即答でコレだ、恐れ入るね。でもまあ、音声だけじゃ確たる証拠にならないのも事実。喜屋武があらかじめ録音していた音声を流していただけだろうと言われてしまえば、それでおしまいだ。


 唇を一文字に結び徹底抗戦の構えを取る百目鬼を前に攻めあぐねていると、榎本がふと「もういいだろ」と吐いた。声を聞いただけで苛立っていることがわかった。


「探偵、コイツは明らかに嘘をついてる。これ以上話聞いたって時間の無駄だよ」

「あたし、ウソなんてつかないんだけど?」

「おう、そうか。この場にいるみんなに隠してることがあるのに、よくもまあそんなこと言えたもんだ」


 その時、百目鬼のまとう空気が一変した。剥き出しの殺気すら感じられて、思わず体が震えた。女が本気で凄むと異様に怖いのはなんでなんだろうな。


「隠してることって?」と訊ねる百目鬼の声はひどく冷たい。


「そうだなぁ。たとえば、職業について、とか」


「なんだ、そんなこと」


 一転、柔らかく微笑んだ百目鬼は「はい、これでいい?」とサングラスを外して皆に顔を向ける。ぱっちり二重と筋の通った細高い鼻が特徴的な可愛らしい顔が現れたが、いったいそれがどうしたというのか――などと考えていたら、羽賀が「うぉぉ!」と青臭い声を上げたものだから驚いた。


「マジで?! ホンモノ?! マジでホンモノのモモモモモモモさんなんスか?!」


 モモモモモモモ? なんだその頭の痛くなりそうな名前は。鞘に視線を向けてみたが首を傾げるばかりで、俺と同じく知らないらしい。


 すると羽賀が俺達の醸し出す無知の空気を感じ取ったのか、蔑むような目をこちらへ向けてきた。


「うわマジ? 知らんの? 探偵さんたち、いったいなに時代の人?」


 曰く、モモモモモモモというのは『桃々モモモ』と書くらしく、今をときめく人気アイドルらしい。歯に絹着せぬ言動と、開けっ広げな性格、奔放な振る舞いに小悪魔的微笑が大いにウケ、バラエティ番組に引っ張りだこ。あのように大きなサングラスを掛けているうえ、普段は髪をピンクに染めているために、ファンである羽賀も百目鬼の正体には気がつかなかったという。


「こんなとこに男友達と来てるってバレたら、いろいろマズイじゃん? だから隠してたの」

「ですよね! そりゃそうスよね! ぜんっぜん気付かなかった! イショフカだわー!」


 イショフカとは『一生の不覚』の略であるという。知らん言葉だ。恐らく、世界中でコイツしか使ったことがないだろう。


「はい、これであたしの隠しごとは終わり。じゃ、次は藤原くんいってみる?」


 不意打ち的に水を向けられた藤原は半笑いを浮かべ、媚びるような目で百目鬼を見た。


「お、おい百目鬼。急に何を――」

「涌井あかり」


 途端に藤原の顔から血の気が引く。フラついた足元は、ヤツの大きな動揺を示していた。


「ごめんごめーん、イジワルしちゃった。でも、藤原くんがぜんぜんあたしのこと庇ってくれないのが悪いんだよ? あたしたちは一蓮托生なのにさ」


 にやりと笑った百目鬼は「じゃ。あたし、部屋に戻るから」と言って背を向けた。


「みんなで一緒にいた方がいいですよ」と引き留めたが、「チェーンかけるから大丈夫」などと返すばかりで、足を止める気配はない。


「じゃね、みなさん。ごゆっくりー」


 顔の前で小さく手を振るその姿は、たしかに人気アイドルの片鱗を感じられた。

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