第7話 二人目の犠牲者

 結論を言おう。館に残った喜屋武達を除く六人で二時間かけて島内を入念に調べて周ったが、怪しい人物は見当たらなかった。


 平台島はさほど広くない。また、草木が生い茂っていると言っても、長い時間人が隠れられていられるような場所もない。嵐の夜に桟橋へ船をつけて、相川を殺した後で島を去っていたとも考えにくい。


 相川殺しの犯人はこの中にいる、確実に。


 ここがミステリーの舞台であると考えれば、ふらりとやって来た外部の人間が犯人でないことは当然だ。しかし、〝登場人物〟の方々からすればそうはいかない。相川を殺した誰かがこの中にいると理解した皆の雰囲気は、館を出発する際とは違う、鋭い緊張感が伴うものに変わっていた。


 島内の探索が終わった後、金糸雀館に引き返した俺達は談話室に集まっていた。重い空気が沈殿する中、ひとり俺が上機嫌だったのは、つい先ほどまでリーダー面していた藤原が死の恐怖に怯えた青い顔をしていたからだ。残念だったな、主役は俺なんだ。お前じゃなくてな。


 時刻は午前十一時半を過ぎた頃。探偵としての余裕を僅かに浮かべた笑みでアピールしながら、俺はその場に集まっている面々へ「皆さん」と静かに語りかけた。


「すでに薄々勘づいているとは思いますが、相川さんを殺した犯人はツアー参加者の中にいます。自分が犯人だと、名乗り出る方は?」


 皆の口は重く閉ざされたまま開く気配がない。そりゃそうだ。ここで犯人が名乗り出たのなら、ミステリーとして成立しない。


「よろしい。では皆さん方には自分自身のアリバイを証明して頂くしかありません。昨夜、食事が終わったのが午後の八時前。それから先の話をお聞かせ頂きたい」


 互いにバツの悪そうな顔を見合わせた後、最初に話し出したのが藤原だった。


「……食事が終わってから、俺は後藤田さんを誘って、ここで一緒にコーヒーを飲んでた。だいたい三十分くらいだ。それからは部屋に戻って、ひとりで本を読んでたよ」

「それを証明する人は?」

「部屋に戻ってからは、相川さんの死体が見つかったってわかるまでずっとひとりだ。証明できる人なんているか。読んでた本の内容なら話せるけどな」

「証拠にはなりそうにありませんね。ちなみに、どうして後藤田さんを誘ったんです?」

「美人だからな。それ以上の理由はないよ」

「なるほど。ちなみに、どうしてこのツアーに参加したんです?」

「……どうしてって、デジタルデトックスツアーなんだから、参加した理由はみんな一緒だろ?」

「ですが、藤原さんのご友人の喜屋武さんが言っていたでしょう。『なんのためにここに来たのか』と。なにか、別の目的があるんでは?」


「無い」と即答した藤原はベランダへ出て行ってしまった。いかにも怪しい。要注意にマル印を付けつつ、狐顔美人の後藤田に目を向ける。


「後藤田さんはどうです?」


 少し目を伏せた彼女はぽつぽつと語りだした。


「……さきほど藤原さんがおっしゃっていたように、わたしは藤原さんと一緒にここでコーヒーを飲んでいました。だいたい、八時二十分過ぎまでです。それから、藤原さんが部屋に戻った後で、少し外に散歩に行きました」

「散歩ですか? ずいぶん雨が降ってたでしょう」

「……少し外の風に当たりたくて」


 蚊のいびきみたいに小さな声で苦しい言い訳を述べた彼女はさらに続けた。


「散歩から戻ったのが九時七分です。エントランスの時計で確認したから間違いありません。それから部屋に戻って、少しのんびりしていたら、廊下から声が聞こえてきて……あとは、車さんがご存知の通りです」

「なるほど。ちなみに、私の助手である鞘の部屋が荒らされていたのですが、どうにもその犯人は外から侵入したようなんですよ。人影かなにかを見てはいませんか?」

「……見ていません」

「まあ、あの天気ですし、この島には街灯も無いですからね。見落とすのも無理はない。最後に、このツアーに参加した目的は?」

「……都会の喧騒を忘れたかっただけですが」


 そっぽを向いたのは「これ以上はなにも言いたくない」ってサイン。こいつも怪しいな。


「次は」と周囲に目を向ければ、「ハイ。俺、俺いきまぁす」と手を挙げたのは羽賀だ。


「俺も、ここでコーヒー飲んでました。榎本クンと話してたら、藤原さんが入れてくれたんスわ。たっぷり一時間くらいは、ふたりでぶわぁーって喋り通し。もう、地方局のラジオ番組なら軽く超えた的な。いやー喋った喋った。なんでこのツアーに参加したのー、ってとこから始まって、最近のエンタメ業界についてとか、アイドル界隈の今後とか。で、九時前になって、そろそろ部屋に戻るかーってなって、俺、部屋に戻って動画撮影開始。で、外で騒いでたっぽいから、なにかなーって部屋から出たら、アレ。あ、疑うなら見る? 動画、ちゃんと残ってるし」


「いえ、それは後で結構です。ちなみに、羽賀さんはどうしてこのツアーに参加したんですか?」

「デジタルデトックスとかゼンゼン興味は無いんだけど、ファンの人からプレゼントっつーことで貰ったからさ。動画のネタにどうかーっつって。もう、感謝感激でしかないっしょ」


 頭の悪い喋り方はさておき、証拠の有効性にもよるが、どうにもコイツにはアリバイがありそうだ。


「じゃ、証拠見せますわー」と言ってビデオカメラを取りに行こうとした羽賀を、「ですから、後で見ますから」と制した俺は、奴の話に出てきた榎本に視線を向けた。


 榎本はこちらに何か言われるより先に、観念したように両腕を上げて降参のポーズをとる。


「羽賀と一緒にいたってのはホント。部屋に戻ってからのアリバイはなし。マンガ読みながらのんびりしてたけど。ツアーに参加した理由は、まあ、ゆっくりしたかったから以外に無いわな」


「いやいや。ほんとにそれだけなん?」とからかうように口を挟んだ羽賀へ、榎本は「余計なこと言うなよ」とため息混じりで言う。コイツにも隠し事がありそうだ。


 榎本は眠たげな瞳をこちらへ向けた。


「それより、俺はおたくら探偵コンビにも話を聞きたいね。どうなんだ、そっちは」


 なるほど。疑われるのは心外ではあるが無理もない話だ。向こうからしてみりゃ、こっちだって容疑者のひとりでしかない。


 ソファーから立った俺は、皆をゆっくりと見回しながら昨日の行動を語る。


「鞘と相川さんと一緒に、八時半近くまで食後の片付け。で、それからは館内の探検。談話室に羽賀さんと榎本さんのふたりがいたことは知ってるけど、他に会った人はいませんでしたね。問題の時刻の近くになって、相川さんの部屋の前に馬場を見かけたから声を掛けた、てな具合ですかな。ツアーに参加した理由は、あちこちに飛び交う電波から逃げたかっただけの話ですよ」


「探検とはまたずいぶん珍しいじゃないの。なにやってたんだ?」

「館の見取り図を書いてたんです。職業柄、こういうのはクセでしてね。ほら、コレですよ」


 メモ用紙に書いた見取り図を懐から取り出して見せてやれば、鞘がそれに補足するよう続いた。


「私は龍太郎さんと同じです。あえて説明する理由はないかと」

「ふたりが話を合わせてたってなら、話は変わってくるけどな」


「それを言い出したらキリがありませんが」と鞘が言うと、榎本は「あ、そ」と不服そうに呟いて口をつぐんだ。


「さて、次はここにいなかった人の話だ。相川さん、馬場さん、喜屋武さん、百目鬼さん。この四人について、何か知ってる人はいますか?」


 俺の呼びかけに「ハイハイハーイ」と元気よく手を挙げたのは羽賀である。


「ここで登場するのが俺のビデオ。見る? 見たい? 見たいよね? てか、見なきゃ大損。見るべきっしょ」


 面倒なヤツだ。「いいからとっとと見せてください」と強めの口調で促せば、「了解しましたぁ、探偵殿」とふざけた敬礼を見せた羽賀は、部屋に戻って鞄を取ってくると、そこからビデオカメラを取り出して映像の再生を開始した。


 映像は羽賀の顔面がアップになったところからスタートした。左上に表記された撮影開始時刻は昨日の八時五十七分。


 動画の内容といえば、わちゃわちゃと喧しく支離滅裂な話を繰り返す羽賀が見るに堪えず、目を覆いたくなるほど。


「これは見続けなきゃいけないものですか」と訊ねると、「あ、肝心のとこまで飛ばします? こっからのくだり、結構自信あるんスけど」などと抜かしやがったので、「飛ばせ」と強めに命令すれば、意外にも羽賀は「ハイ」と素直に応じた。


 映像を十分ほど早送りした後、「あ、ここらへんス」と羽賀が言い、再生速度が等倍にされる。再び始まる羽賀の無駄話――に加えて、微かに聞こえるベッドがぎしぎしと軋む音、激しい女の喘ぎ声。羽賀の隣は喜屋武の部屋。なるほど、ヤツは百目鬼と〝お楽しみ中〟だったわけだ。


 気まずい空気がその場に流れ、榎本が露骨に嫌そうに舌打ちした。そんなことは気にも留めず、羽賀はにやにやとしながら語る。


「俺の隣、喜屋武さんの部屋なんスけどね。撮影中にこんな音が聞こえてきたもんだから、もうめちゃ驚き。ま、この手のトラブルってある種おいしいんスけど。別に俺が意図して撮ろうとしたわけじゃないですし。これ、盗撮とか、盗聴とかにはならないスよね?」


 映像を止めた羽賀はニヤニヤといやらしい笑みを浮かべる。


「で、たぶんこの後シャワータイム。身体拭いたあたりで廊下から音が聞こえて、どうしたんだろーってカンジじゃないスかね」


 真偽を確かめる必要はあるだろうが、ひとまずこのふたりにもアリバイはありそうだ。となると、消去法で考えれば鞘の部屋に侵入したのは後藤田。だとすれば、いったい何のために?


 頭に浮かぶ疑問を一旦置き、「他には?」と問いかけたが皆からは返事が無い。話を聞くべき相手は馬場を残すばかりだ。


「みなさん、お疲れ様でした」と頭を下げ、鞘と共に馬場の部屋へ向かおうとすると、藤原が「なあ」と弱々しい口調で声を掛けてきた。


「俺達、どうすりゃいいんだ」

「誰が犯人か分からない状況ですからね。少なくともふたり以上で固まって行動した方が安全でしょう。ひとまず、ここから動かないことをお勧めします」


「なんだよ、それ」と呟く藤原の顔は、目を背けたくなるほど青ざめていた。





 話を聞くために馬場の部屋へと向かったが、いくら扉をノックしてみても反応がない。「まさか」という思いが過り、昨日、喜屋武が作ったような例の〝マスターキー〟を作ってみて、それを使って扉を開けて部屋へと入ったが、幸いというべきなのか馬場の姿は影も形も無い。


 散歩か何かだろうかと考えた俺達は、馬場は後回しにすることにして部屋へ戻り、相川殺しについて手に入れた情報の整理をはじめた。


 まとめると、だいたいこのような内容だ。


1、相川の死亡時刻は九時七分以降。

2、相川殺人時。アリバイがあるのは羽賀、喜屋武、百目鬼の三名のみ。

3、殺害現場は密室だったが、これはハンガーを加工した道具があれば誰でも簡単に作り出せるものである。

4、鞘の部屋を荒らしたのは(恐らく)後藤田である。



「こうして見ると」と、眼鏡を外した鞘はレンズを布で拭きながら呟く。「考え方はシンプルですね。トリックも殺し方も単純。となれば、羽賀達を除くアリバイの無い方々の動向を注視していればいいわけですから」


「その通り。でも、ここに書いてあるのは実は〝最低限以下〟。一番重要な点が抜けてる。わかるか?」


「ええ、もちろん」と鞘は涼しい顔で頷く。


「犯人が相川を殺した動機、ですね?」

「よくわかったな」

「アガサは何冊か読んでおります。ミステリーの基礎は心得ているつもりです」


 この手の子はビジネス書だとか、自己啓発本だとか、そういう身になる本しか読まないのだとばかり思っていたから驚いた。自己紹介の時にそう伝えておいてくれれば、「はじめまして」の時からもっと楽しく話ができたのに。


「意外だな。あの手の〝低俗な〟本を読むようには見えないけど」

「祖父の影響です。読むといいと、強烈に勧められまして」

「もっと意外だ。あのひねくれ者の先代社長がミステリーなんて想像できんな」

「同感です。しかし現に、一年ほど前からやけにアガサに凝りだしたんですよ。貴重な生原稿を巡って、オークションにも手を出していたほどですから」


 金持ちの道楽、ってヤツか。アガサ・クリスティーの生原稿なんて、俺が人生を五回繰り返しても届かない金額で取引されるんだろうな。


 ため息を吐くのを堪え、俺は探偵としての役目を進行させる。


「殺人なんてのは最低最悪の犯罪だ。それをやるからには、何かしらの大きな理由がある。個人的な怨恨か、あるいはカネ絡みの問題か、もしくは誰にも知られたくない秘密を隠すためか……この世界が〝作り物〟だとしても、必ずそれはあるに決まってる」

「ですが、このツアーの参加者は全員、相川とは初対面のように見えました」

「たとえ初対面だとしても、親兄弟の恨みって線もあるからな。現に、喜屋武や藤原、榎本なんかはこのツアーに参加したのにはデジタルデトックス以上の目的があるみたいだし」


 その時、扉を拳で強く叩く音がした。慌てて外へ出てみれば、青白い顔をする藤原がそこにいた。緊急事態が発生したことは聞かずともわかった。


「何かあったんですか、藤原さん」

「起きたんだよ、〝次〟が」


 沁みひとつ無い藤原の頬を伝った汗が顎からぬらりと滴り落ちた。


「馬場が殺された」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る