第5話 一人目の犠牲者

 現実世界での食事を三十分足らずで終えた俺達は、再びゲームの中へ戻っていた。汚れた食器を運ぶなどして食後の片付けをする相川を軽く手伝った後、時計を見れば八時半。一旦部屋へと戻った俺は、サイドテーブルの上に置いてあったメモ用紙とボールペンを掴み、また部屋の外へ。


 俺の後ろをついて来ていた鞘は、淡々とした調子で「忙しいですね」と言う。


「まあ、探偵だからな。鞘も来るか?」

「もちろん。助手ですから、一応は」


 一応をことさら強調した鞘と共に、俺は館を軽く見て回った。と言っても、その目的は当然ながら探検ではなく間取りの確認。部屋の中で展開するタイプのミステリーは、誰がどの部屋にいるのかとか、部屋がどこから死角になっているのかとか、そういった要素が重要な鍵を握る可能性がある。当然、重要にならない場合もあるのだが。


 金糸雀館を一階、二階と順に周っていく。道中、一階談話室でコーヒーをすすりながら語らう羽賀、榎本のふたりを見かけた。会話の内容はアイドルがどうとかその程度のもので、不穏な空気は感じられない。あのふたりは犯人役より被害者の方が似合いそうだ。決めつけるのはまだ早いけど。


 全部屋じっくりと周った後、俺はメモ用紙にさらさらと金糸雀館の間取りを書いていった。だいたい、このような感じになった。


※近況ノート『館見取り図』を参照


 俺の書いた図を見ながら、鞘が「お見事です」と称賛の言葉を述べる。「そんな褒めるような出来でもないだろ」と俺が言えば、「ただの社交辞令ですから」なんて返ってきた。意外と息が合ってきたかもな。


 その時、なにかを繰り返し叩くようなゴンゴンという音が廊下に聞こえてきた。音のする方へと向かってみれば、食事会に唯一不参加だった男、馬場が相川の部屋の扉を叩いている。「どうしたんですか、馬場さん」と声をかけると、馬場は不安そうな顔をこちらへ向けた。


「あ、いや。その、相川さんに呼ばれまして。急いで部屋に来て欲しいと」と早口で返す馬場は、どうやら俺に名前を知られていることを不審に思う余裕すらないと見える。


 ――なにかが起きた。


 直感的にそう感じた俺は、相川の部屋の扉を叩いた。


「相川さん、寝てるんですか? 相川さん」


 返事がない。強めに拳で叩いてみても同じ。ドクンと、心臓が大きく跳ねて身体が内側から揺れた。


 異様な気配を感じ取ったのだろう。馬場は「ま、マスターキーがないか電話で聞いてみます」と残し、外との唯一の連絡手段である黒電話へと走る。


 繰り返し扉を叩きながら馬場の帰りを待っていると、騒ぎを聞きつけたのか、近くの部屋から喜屋武、百目鬼のふたりが顔を出した。シャワーでも浴びた後なのか、ふたりとも上気した様子で髪もしっとり濡れている。


「おい。さっきからドンドンドンドン、うるせぇぞ」と威圧的にこちらを睨んだのは喜屋武だ。


「部屋にいるはずの相川さんから返事がないんですよ」と教えてやっても、「寝てるだけだろ? なにそんなに騒いでんだよ」と、何も知らない“登場人物”は呑気なものだ。


 血生臭い事件が起きるのは、この館がミステリーの舞台である以上は確定事項だ。心構えはあった。だからといって、目の前にそれが迫っていると考えると緊張する。


 沈黙が続き、重い空気が場に沈殿する。そんなことはお構いなしとばかりに、食えないものを見た猫みたいにあくびをした百目鬼はそっと自室へ戻り、喜屋武はといえば逆に廊下へ出てきた。袖の無いTシャツを着ているせいで、墨の鯉が右肩のあたりから大きく顔を出している。


 間もなくして馬場が俺達の元へと戻ってきた。喜屋武の姿を見た馬場は、元から血色の悪い顔をいっそう青くさせたが、場合が場合ゆえか、回れ右をすることはなかった。


「す、すいません。電話が繋がらなくて。あ、雨で調子が悪いのかも」


「使えねえな」と舌打ちする喜屋武を見て、馬場はまた「すいません」と謝った。


 ともあれ、合鍵が無いのは問題だ。こうなると、こじ開けるしか選択肢はない。扉に肩からぶつかろうと腰を低く落とし、一、二歩引いて構えたその時、喜屋武が「待てよ」と声を上げた。


「俺なら開けられる。探偵、ちょっと待ってな」


 そう言うと喜屋武は一旦自室へと戻っていく。数分後、再び戻ってきたヤツの手には、ハンガーを加工して作ったらしい、先端をフック状にしてあるV字型に曲げた針金があった。


 扉と床の隙間から針金を部屋の中へ滑り込ませた喜屋武は、そのままそれを上に起こし、なにか手応えを確かめた後で強く引いた。すると、ガチャンという軽い音と共に呆気なく扉が開く。


「ほらよ、開いたぜ」


 古いミステリーで読んだことがある。この時代のオートロック式の扉には、内側からノブを回せば鍵が開いてしまうセキュリティが軟弱な種類のものがあったはずだ。にしても、この窃盗犯御用達の手口を喜屋武が知ってる理由がわからんが。もしかしたらコイツも見た目によらずミステリーが好きなのかもしれん。


「相川さん、入りますよ」と大きな声で呼びかけながら部屋へと踏み込む。俺の後に鞘、喜屋武、そして馬場も続く。ベッドに彼の姿はない。風呂場にも同じ、トイレも同様。どこにいるのか――と室内を見回した俺の目に、僅かな隙間が空いているクローゼットが目についた。


 ――まさか、と、ある種の確信が湧き上がる。鼓動が無闇に跳ね上がる。手が震える、視界が揺れる。


 意を決して扉を開ける。目に入ってきたのは、既にただの肉の塊となった相川。舌を出したその顔は、不気味に映る一方でどこか戯けているようにすら見えた。


 時刻は九時三十七分、〝待ち望んでいた〟事件が発生した時間である。





 相川の死体を目の当たりにした馬場は、声にならない悲鳴を上げてその場に崩れ落ちる。一方の喜屋武は呑気というか大したもので、「こんなところで自殺かよ」などと迷惑そうに毒づく余裕すらある。人の死体に慣れた奴の反応だ。


「管理人ならツアー中に死ぬなって話だ。ふざけやがって。自殺ならひとりの時にいくらでもやりゃいいのによ。そう思うだろ、探偵も」


 喜屋武の同意を求めるような言葉に「ああ」と適当に相槌を打ちつつ、窓に歩み寄る。施錠はしっかりとされているようだ。どうやらここは完全な密室……とは言えないか。あんな簡単に扉が開くんじゃ、な。


 続けて調べたのは相川の死体。誰かから首を締められたと仮定した場合、抵抗した際に生じる傷――いわゆる吉川線は見当たらない。となれば、眠らされた後に襲われたのか……と思いつつ部屋を見回せば、見つけた。サイドテーブルの上に倒れたウイスキーの瓶。近づいてみれば、床にはアルミの薬剤包装も落ちている。アタリだ。恐らく、睡眠薬かなにかをウイスキーで飲まされたのだろう。


 部屋の調べを進めていると、騒ぎを聞きつけたのか、ツアーの参加者達がぞろぞろと集まってきた。集まった面々のうち、「なんか騒いでたみたいスけど、どしたんスかぁ?」と好奇心に目を光らせたのは羽賀だ。


 コイツ相手に下手なことを言いたくはなかったが、本当のことを話さないわけにもいかない。嫌々ながらも相川が死んだことを話してやると、奴は案の定、「うぉぉ! 事件、事件!」とバカっぽい声を上げた。


「……あの、相川さんが亡くなったというのは、自殺なんですか?」と震える声で訊ねたのは後藤田。やけに髪も服も濡れているのは、この雨の中で傘もささずに外に出たとしか考えられない。怪しさ満点ってところか。


「恐らく。クローゼットで首を吊っていました」と受ければ、後藤田は青い唇から「そうですか」という細い声を絞り出した。


「電話はしたのか?」と訊ねてきたのは榎本だ。「繋がらないんだよ」と答えると、奴は「頼りがいのあるセキュリティだな、オイ」とぼやいた。「俺が確かめてくる」と藤原が言って早足で廊下を行ったが、すぐに戻ってきたところを見るにやはり繋がらなかったのだろう。


 このまま突っ立っていたところでなにも解決にならないと悟ったらしい。皆は表情に暗い影を落としたまま、それぞれの部屋へ戻っていった。全員居なくなった後で俺も部屋に戻ろうとすれば、鞘が「いいんですか、皆さんに事件当時のアリバイを聞かないでも」と問いかけてきた。


「そりゃ聞きたいのも山々だけどな。そんなことしたら、俺がこの事件を他殺だと疑ってるって犯人に思われる。話を聞くなら別の機会に、それとなくだ」

「なるほど」


 納得したように頷いた鞘は先行して廊下を歩き出した。


「それでは、今日は休むことに致しましょう。お疲れ様でした、〝探偵〟さん」


 探偵ってところが強調されたってことは、「働け」って意思表示か?


 安心しろよ、コトが起きれば八面六臂の大活躍を見せる……予定だからな。


 そうして、俺と鞘は各々自室へ戻っていった……が、この日の金糸雀館での〝イベント〟はここで終わりではなかった。


 部屋へ戻ってすぐのこと。コンコンと扉が鋭く二度ノックされた。「龍太郎さん」と名前を呼ぶ声は鞘のものだ。どうしたのかと思い扉を開ければ、荷物を一式抱えた鞘が立っている。その立ち姿は、なんだかずいぶん昔のドラマでよく見られた家出少女のようである。


「どうした、鞘。幽霊が怖くて眠れないか?」

「そういうわけではありませんが、あの部屋で眠れないのは事実です」


 鞘は顔色ひとつ変えずに淡々と答えた。


「私の部屋が何者かによって荒らされているんですよ」





 すぐさま部屋を出た俺は、鞘と共に彼女の部屋へ向かった。扉を開ければ、荒らされた後だということがひと目でわかった。雨の雫や泥の靴跡が床のあちこちに見られ、ベッドは刃物であちこち刻まれている。ドレッサーやサイドテーブルも漁ったらしく、半分ほど開いたままだ。侵入経路は恐らく窓。外側から破られているところを見るに、その点はまず間違いないだろう。


 ベランダへ出るとここにも足跡。下を覗けば、そこには脚立。どうやらあれを使って侵入したらしい。にしても、あんなものをどっから持ってきたんだ?


 俺は窓を閉めながら鞘に訊ねる。


「どのタイミングでやられたんだろうな」

「不明です。この館に来た時から、私達は共に行動していました。私がこの部屋に入ったのは、荷物を置いた時と、つい先ほどの二度だけなので。ですが、泥や雫が完全に乾ききっていないところを見るに、犯行からせいぜい二時間も経ってないと思われます」

「なるほど。なにか盗られたものはあるのか?」

「そちらも不明です。荷物やこの部屋の小物は、すべてゲームが用意したものですから。無論、こうなるとは思わず、自分の荷物もそれほど注意深く観察していませんでしたし」


 他人事のように淡々と説明した鞘は、荒れた部屋を見回しながら「犯人の意図が読めませんね」と息を吐く。

「いや、そうでもないぞ」

「と、いいますと?」

「鞘の部屋が〝外からの侵入者〟に荒らされたことと、相川が死んだこと。普通の奴ならこのふたつを結び付けて考えてもおかしくない。つまり犯人は、相川殺しの件も含めて、全部外部犯の仕業ってことにしたいんじゃないか?」


「ふむ」と鞘はどこぞの探偵シャーロックのように顎を指でつまむ。


「ならば、あとは実行犯。こちらを絞るのは容易ですね。百目鬼、喜屋武、後藤田のいずれかでしょう。外からこの部屋に侵入したのなら、犯人は雨に濡れたはず。百目鬼達はシャワーを浴びた後のようでしたし、後藤田は雨に濡れていましたから」

「となれば、怪しいのは喜屋武か? この靴跡、30センチ近くある。こんなデカ足はアイツだけだろ」

「靴のサイズ程度ならばいくらでも誤魔化しがききますから、なんとも言えませんがね」


 鞘はこちらへ視線を向ける。事件発生前と比べて僅かにイキイキしているように見えるのは、助手としての血が騒いでいるのだろうか。


「さてどうしましょう、龍太郎さん。やはり、皆さんを呼んで話を聞きますか?」

「いや、待て。さっき言った通り、犯人の目的は恐らく、一連の事件を外部の犯行と見せかけることだ。でもって、それが成功したら……つまり、事件が外部犯の仕業だってことになったら、皆はどういう動きを取ると思う?」

「敵が外にいるならば、同じ場所に固まって犯行に備えるのが最適解です」

「その通り。でも、〝そこまで〟が犯人の目的ならマズい。皆が一カ所に集まった結果、犯人がなにをやらかすかわからない。だから、これは伝えない方がいい」


 俺の推理に納得したのか、何も言わずに深く頷いた鞘は、そっとドアノブに手をかけて肩越しに言った。


「わかりました。それでは、やはり今日は休むことにしましょう。龍太郎さんの部屋をお貸しいただけますか? 私は椅子で構いませんので」


 女性を椅子で眠らせるわけにもいかず、かと言って添い寝をするわけにもいかず……その日の夜、俺が籐椅子の上で寝苦しい時間を過ごしたのは言うまでもない。





 翌日。起きると、薄い太陽の光が窓から差し込んでいた。寝ているうちに雨は止んだらしい。あんな雨、滅多に見れるものじゃないから、もう少し降り続けてくれたってよかったんだが。


 にしても、喉が渇いた。トイレにも行きたい。しかしここは架空環境。何をするにも鞘の許可が必要だ。


「厄介だな」とぼやきつつ、すぅすぅと気持ちよさそうな寝息を立てて眠る鞘を起こそうと椅子から立つ。あくびをしながら彼女の肩を揺すろうとしたその時、涙で滲む視界に奇妙なものが映った。


 血生臭い赤インクが使われた、殺意を感じさせるぐちゃぐちゃの線で、『次は誰かな?』と書かれた紙が、扉の内側に貼られていたのである。


 不意を突かれたということもあり、俺は「ひぇ」と首を締められた犬みたいな声を上げ、思わずその場に尻もちを突いてしまった。


 念のために言っておくけど、チビってないぞ。誓ってな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る