第4話 金糸雀館の夜

 ちょっとうたた寝しているうちに、時刻は夕方の六時半時を回った。すっかり日が暮れたせいか、部屋はなんとなく肌寒い。冷房が要らないのはなによりだが、これじゃ却って風邪を引きそうだ。架空環境の中だってのに。


 あくびしつつ身体を起こせば、鞘は背筋を伸ばして籐椅子に身体を預け、暇を持て余した猫のように外を眺めている。「楽しいか?」と問えば、「いえまったく」と即答された。可愛げがないところに却って可愛げが見え隠れしているのが、神野鞘のチャームポイントである。


 屋根を叩く雨粒が先ほどと比べて大きくなっている。窓から外を覗けば、曇天の下、激しい風に吹かれ細い線が暴れ回っているのが見えた。雨、というよりも嵐に近い。こういう天気を見てワクワクするのは、きっとこの世界に俺ひとりだけじゃないはずだ。


 その時、部屋の扉がノックされた。「失礼してよろしいですか?」と外から問いかけてくる声は相川のもの。「どうぞ」と答えれば、丸い顔がぬぅと現れる。


「やあ、すいません。お休み中でしたか」

「いや、お気になさらず。どうされました?」

「夕食の準備が整ったのでお呼びしたんです。もし大勢の皆さんと食べるのが煩わしければ、こちらへお運びしますが」


 架空環境ヴァーチャル内での食事はあまり好きじゃない。腹に直接〝出し入れ〟ができる多目的管を通すなんて荒技を使っていない限り、食っても食っても腹が満たされるどころか、空腹感が増すからだ。しかしここで、誘いを断るというのも無いだろう。せっかく起きたイベントだ。


「いえ。せっかくですから、皆さんと食事がしたい」と俺が答えると、相川は「では、一階の食堂でお待ちしておりますよ」と残して去っていった。


 部屋を出た俺達は一階へと向かった。階段の辺りまで差し掛かったところで早くも美味そうな匂いが漂ってきて、本物じゃないとわかっているのに涎が口内に滲み出る。


 広間へ入れば、誰でも自由に取れるよう大皿に乗せられた状態でテーブルの上に並べられた料理が俺達を出迎えた。チーズや小エビのカクテルなどのオードブル、ボウルいっぱいに盛り付けられたサラダに、銀の鍋から湯気を立てるのはミネストローネ。ミートソースとブロッコリーのグラタン。メインは白身魚のムニエル、青葱のソース掛け。


 人数分のグラスを磨く相川へ、俺は声を掛けた。


「こりゃすごいですね。全部ひとりで作ったんですか」


「まあ、仕事ですから」と相川は嫌味なく笑う。


「冷蔵庫には肉もありますので、天気が良ければバーベキューでもと思ったんですがね。この天気じゃ仕方ない」


 すると、既に食事を始めていた参加者のうち、俳優顔の優男が「いいな」と声を上げた。


「明日は是非ともそうしたいもんだ。せっかくこんな景色のいい場所なんだからな」


「火の扱いなら自信あるぜ。山にはよく行くからな」と、体格のいい男が胃の奥へビールを流し込みながら続き、室内でもサングラスを外さない頭の緩そうな女が、「てか、あんた、薬飲んだの?」と、厳つい男の方へチーズをかじりながら問う。


「いいんだよあんなの、寝る前で」と笑った男は女の頭を撫でながらビールをゴクリ。女は「ほどほどにしなよ」と言いつつまんざらでもなさそうに微笑む。それを見た俳優顔の男は小さく安堵のため息。


 改めて部屋の中を見回せば、ツアー参加者は例の三人組以外は各々個別でやや離れた席に座り、既に全員食事を始めている。これで全員集合かと思いきや、相川に話しかけられていた幸薄そうな男がいない。


「ひとりいないな」と俺が呟くと、相川が「馬場さんですね」と受けた。あの幸薄そうな男の名前は馬場ね。「そうそう、その人です」と相槌を打てば、相川は「馬場さんは部屋を出るのが面倒だということでしたので、お食事は部屋に運ばせて頂きました」と丁寧に説明してくれた。


 ミステリーではひとりになった奴から順に死ぬ。最初の犠牲者候補は馬場だろうな。


 俺と鞘が席に着いたタイミングで広間の中心に歩み出た相川は、グラスを爪先で弾き、「みなさん、よろしいでしょうか」と注目を集める。


「せっかくここでお会いしたのも何かのご縁。同じ旅行に参加しているだけでなくて、同じ釜の飯を食っているのです。どうです、お互い自己紹介してみては」


 途端になんだか白けたような空気が蔓延したが、みんな強くは言い出せないのだろう。反対の声は上がらない。そこで相川が口火を切る。


「では、まずは言い出しっぺの私から。相川陸といいます。職業は皆さんご存知の通り、この館の管理人。まだ若輩ですので、皆さんにご迷惑をおかけするかもしれませんが、どうか温かい目で見守って頂けると幸いです」


 笑顔で一礼した相川は、「では、そちらから」と三人組を指名する。苦笑いしながら優男が席を立ち、みんなに向かって頭を下げた。


「藤原祐(ふじわらたすく)といいます。職業は普通の銀行マン。短い間ですが、よろしく」


 続いて席を立ったのはサングラス女。


「百目鬼桃(どうめきもも)でーす。職業は、あー……自営業的なカンジで。よろしくでーす」と見た目の通りに軽い挨拶を飛ばせば、隣に座っていたガタイの良い男が座ったまま挨拶する。


「喜屋武導(きゃんしるべ)。コイツのツレだ。手ぇ出そうなんて思うなよ」


 三人組の自己紹介が終わった後、テーブルに並べられた料理に向けて熱心にカメラを向けていた男があかべこみたいにぺこぺこ頭を下げた。


「羽賀蓮(はがれん)っス。配信者やってまぁす。ハガーって名前なんスけど、知りません? あ、そだ、俺の動画出てもいいよって人いたら、あとで声かけてもらっていいスか?」


「出るかよ、ボケが」と喜屋武が吐き捨て小さく舌打ちすると、羽賀は猫みたいに素早い動きで自分のテーブルに戻る。そのせいで空気が冷えたせいか、眠たげな目の眼鏡男と狐顔の美人はそれぞれ、「榎本奏多(えのもとかなた)」、「後藤田ひよりです」と、簡単に名前を名乗るだけで終わってしまった。


 さて、いよいよ俺の出番である。「いっちょかましてやるか」と心中で意気込んだ俺は、勢いよく席を立って皆をぐるりと見回す。


「地獄の沙汰もカネ次第。依頼があれば東西南北どこでも駆けつける。西に疲れた母あれば――」


「この方は探偵です。私は彼の助手の鞘・シェパードと申します」


 ……神野の家系はどいつもこいつも名乗り口上を邪魔するタチか?


 ふてくされて席に座る俺を、相川は「まあまあ」となだめつつ白ワインの注がれたグラスを手渡してくれた。見れば、俺と鞘以外の手元には既に飲み物のグラスがある。


 相川は目の高さにグラスを持ち上げ、やわらかい視線で広間をゆっくり見回した。


「では、皆さん互いの名前も知ったところで……今日この日の出会いを記念して、乾杯!」





 静かな食事会は一時間ほどで終了した。相川が「片付けでもして来ます」と席を立ったタイミングで、鞘が俺へ「食事休憩を入れましょうか」と中断ログアウトを勧めてくれた。

 三十分前から待ちわびていた言葉だ。正直、腹が減って死にそうだった。「そうするか」と俺が受けると、「了解です」と鞘が答え、それから数秒後には意識が切断。気づけば〝鉄の処女〟に戻ってきていた。


 倦怠感のある身体をベッドから降ろす。途端に尿意を催してきて、俺は慌てて部屋の隅にある『W.C』と書かれた扉に飛び込んだ。


 最近の便所は何かとお節介で、用を足せば排泄物から健康状態を勝手にチェックして、やれ油物は控えろだの、やれしばらく酒は飲むなだの、色々注文をつけてきて煩わしいのだが、この場所はそういったことがない。電脳網から完全に切断されている証だ。気楽でいいな。


 数分後。用を足して部屋から出てくれば、いつの間にか部屋には小さなテーブルと椅子が並んでいる。卓の上に置いてあるのはおにぎりに味噌汁、鮭の切り身に漬物と純和風の食事。悪くない。いやむしろ、この手の料理は大好物だ。


 早速、椅子に腰掛けて食事を始めようとしたが、鞘が扉の側で立ったままおにぎりをかじっているのが気に入らない。「こっち来いよ」と呼びかけると、一度は首を横に振って「遠慮します」と断った鞘だったが、しつこく誘うと渋々といった様子で歩み寄ってきた。ふたり分の椅子はないので、卓をベッドの近くに寄せて、そこへ腰掛けての食事となった。


 おにぎりを手に取り一口かじる。海苔の風味と昆布の甘味が、ノスタルジックを伴って空いた腹を刺激した。美味い、実に美味い。それに、食べたものがしっかりと腹に落ちていく感覚がある。食事ってのはこうでなくちゃならん。


「これ、君が作ったのか?」

「ええ、このおにぎりだけは。自動食品供給機がちょうど修理中でしてね。お気に召しませんでしたか?」

「いや。今まで食ったものの中で一番ウマイ。隠し味はいっぱいの愛情かな」


 胡瓜の浅漬けをかじりながらそう呟くと、鞘が俺にいかにも不満げな視線をぶつけてきた。頬にひとつ米粒がついているせいであまり怖くないのは、指摘してやらない方がいいよな。


「……ひとつお聞きしたいのですが、あなたは、冗談を言ってないと死んでしまう病気か何かなのですか?」

「その通り。冗談を言う代わりに、俺は神に呼吸を赦されてる」


 すると鞘は「わかりました」と言ってため息を吐いた。今日まで生きてきて聞いたことがないほど大きく、そして冷たいため息だ。さすがにまずいな。軌道修正、真面目シリアス路線でいこう。


「本当のこと言えば、鞘にリラックスして欲しいだけだ。何事も気負いすぎると失敗する。失敗は嫌だろ? 俺だっていやだ。〝ボーナス〟が欲しいからな」

「……あの、ひとつお聞きしておきたいのですが、あなたは本当にお爺さまのご友人だったんですよね?」

「だからそんなんじゃなくて、もっとくだらない関係って言ったろ?」

「そのくだらない関係というのは?」

「債務者と債権者、ってとこだな。貸しがあるんだよ。依頼料をまだ貰ってない仕事がある」


 返ってきたのは再びのため息。でも、先ほどのそれよりも幾分か暖かさがある気がしないでもない。気のせい? いや、そうじゃないってことにしておこう。じゃないとあんまりにも虚しいからな。


 その時、部屋にジリリという古典的な音が響いた。ベッドから腰を上げて受話器を取れば、「どうもどうも」と神野の声が聞こえてくる。暇人だな。もしかしなくとも、これからもずっとモニタリングを続けるつもりなんだろうな。


「ここまでどうでしょうか、車さん」

「すごいですよ。VRゲームは色々とやってきましたけど、作り込みがダントツです。架空環境だとはとても思えません」

「すいません、私の聞き方が遠回しすぎましたね。私が訊ねたかったのは、これから間違いなく起きる事件の容疑者達について、なにか思うところはあるか、という点です」


 ずいぶんとせっかちな男だ。まだ誰も死んでないだろうに。この辺りは兄妹そろってよく似てる。


 俺は鮭の切り身を口へ運びながら、ここまでの私見をぽつぽつ並べる。


「まず、喜屋武、百目鬼、藤原の三人。容疑者達の中で唯一の三人組ってのはいかにも怪しい。中でも喜屋武ってのは、まあ恐らくカタギの人間じゃない。今も昔も、スミを入れるのはスジ者だけです。で、それと関係ありそうな馬場も妙だ。榎本って奴の動向にも注意ですね。三人組を睨むような目が印象的でした。羽賀もクセがありそうな男です。殺人の様子をカメラに収める快楽殺人者(サイコキラー)()、なんて可能性も捨てきれない。後藤田って女性にも警戒が必要です。なにか思いつめたような顔をしていました。それに、相川も。あの手の人畜無害そうな手合いはなにを考えているのかわかりませんからね」


「……つまり?」

「全員怪しいってことですよ、副社長。まあ、ミステリーじゃ常識です。はじめから丸っきりシロの人間なんてひとりもいない」


 数秒の沈黙。やがて、ククと喉の奥を鳴らすような笑い声が受話器から響いてきた。


「いやいや、それはそうですね。なるほどなるほど。これは私の勉強不足だ」

「副社長もミステリーをお読みになられた方がいいですよ。知らない世界が広がってますから」

「早速読ませていただきますよ。手始めにホームズから、でよろしいんですかね?」


 本心じゃないな。電話口からでもわかる。


「では、引き続きお楽しみください。クリアを楽しみにしております」と副社長が言った後、電話が切れて通話が終了した。受話器をフックに戻した俺は、つい顔をしかめる。


「どうされました?」

「つまんないことだよ。ただ、是が非でもこのゲームをクリアしようって思っただけだ」

「是非ともそうして頂ければ」


 涼しい顔で答えた鞘はおにぎりをかじる。梅の香りがにわかに弾け、その場に散った。


「そのために龍太郎さんはここにいるんでしょう? 少なくとも、私はそう考えておりますが」

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