第20話 ひねくれ者の製作者

 降りしきる雨の中、金糸雀館は一日目の夜を迎えた。時計の針は既に八時半を回ったところ。固定イベントと化した食事会を順当にこなした後は、静かな時間が流れている。


 先ほど提案を受けた通り、俺は鞘と共に彼女の部屋にいた。後藤田達の動きを待つばかりでやることもないので、ポーカーをプレイして時間を潰している。


 現在の対戦成績は14勝0敗で俺の完敗。俺が弱いんじゃない。どんなにブラフをかましてもポーカーフェイスを崩さない鞘が強すぎるんだ。


 15度目のプレイがはじまり、ちらりと手札を見た鞘はすかさず手札を二枚場に捨てながら「さて」と切り出す。


「本来ならば、もう間も無く相川が自ら死ぬ時間です。しかし、彼には後藤田が殺しに来ることを伝えてある。自室の守りを強固にしていなければおかしいゆえ、殺されるのは不自然に映ります。さて、彼らはどう出るのでしょうか」

「奴らがABCの順番にこだわるよっぽどの理由があるなら、そんなこと気にせず自殺を選ぶだろうな。そうじゃないなら……なにが起きるか」

「もしかしたら、徹夜になるかもしれませんね。なかなか堪えそうです」

「睡眠不足はお肌の大敵だからな」

「いえ。ポーカーで時間を潰すのも、限度があるかなと思いまして。龍太郎さんが相手では手応えがありませんから」


 言いやがって。でも、余裕かましてられるのも今のうちだ。8とジャックのフルハウスで勝ちを確信し、手札をオープンしたところ、鞘の手札はクイーンとジョーカーのフォーカード。ああ、クソ。また負けた。


「これで私の15勝0敗ですね」


 完全勝利を宣言した鞘は、にこりとするわけでもなく息を吐く。よほど俺が相手として手応えが無さすぎたのか……と思いきや、その表情はなんだか物憂げで、同時に微かな迷いが読み取れた。なにか悩みでもあるのだろうか。


「どうしたんだ、鞘。なんか考えてるみたいだけど」

「すいません、龍太郎さん。プライベートなことをお聞きしてもよろしいですか?」

「ああ。貯金額と国民番号以外なら、なんでも答える」


 うつむいた鞘は一瞬間を置くと、上目遣いでこちらを見ながら訊ねた。


「お爺さまは、どんな方でしたか?」

「それ、身内の方が詳しいんじゃないのか?」

「身内にしか見せない顔もあります。しかし、逆もまた然りです。龍太郎さんから見て、お爺さまはどんな方だったのかと思いまして」


 お爺さま――神野四季。あの爺さんの顔は、目を閉じずともはっきり脳裏に思い浮かぶ。


「……勝手で、わがままで、天下御免のひねくれ者で、ずるい人だったよ。鞘と違ってカード遊びが苦手でな。何度やっても俺に勝てないもんだから、イカサマなんてしやがった。それでも負けるんだからな。笑えるよ。それに、やたらと安っぽいものが好きでさ。たこ焼きだとかラーメンだとか、そんなのばっかり食ってた。なんでそんなのばっか食ってるのかって聞いたら、家じゃ奥さんに注意されて食べれないからだと。『結婚なんてしなけりゃよかった』なんてよく言ってたけど、奥さんの誕生日の時は、決まってプレゼント選びに付き合わされた。俺が提案したものはぜーんぶ却下した挙句、最終的に選ぶのは俺が最初に提案したものだったりとか、そんなこともあったよ」


「龍太郎さん、なんだか楽しそうです」

「あの人については、笑うしかない思い出ばっかりだからかな。……ま、つまんない話だ」


 鞘はふとその場に散らばったトランプに視線を落とした。涙を流しながら笑うジョーカーがこちらに手を振っている。


「私にとって、お爺さまはとても厳しい人でした。勉強から礼儀作法。経営のノウハウまで。自分自身の持っていたもの全てを、お爺さまは私に叩き込みました」

「目をつぶれば、いやな思い出ばっかりって感じか」

「いえ、そんなことはありません。お爺さまはどんなに仕事が忙しい時でも、クリスマスや雛祭り、誕生日などの行事の時は欠かさず、私達と一緒の時間を過ごしてくれましたから。後に、そのせいで飛んだ仕事はひとつやふたつでは済まないと、お爺さま付きの秘書から聞かされましたが……」


 下を向いていた鞘の視線が持ち上がり、俺を強く刺した。今までにない鋭さが込められたそれは、どこか鬼気迫る感じすらあり、俺は思わず軽くのけぞってしまった。


「な、なんだよ。どうした、急に」

「龍太郎さん。神野グループは……お爺さまの会社は、これからどうなるのでしょうか」

「そういや、次の社長が決まってないんだっけか。遺書も遺してないのか」

「いえ、遺書はあります。しかし、龍太郎さんは、お爺さまからなにか聞かされていないのかと、そう思いまして」

「なにかってなんだよ」

「何かは何かです。ほら、あるんじゃないですか? 次の社長の名前とか」

「あの爺さんが、なんでそんなこと俺に言わなくちゃいけないんだよ」

「そんなこと、私に聞かれたって知りませんよ」


 ずいと、眼前まで一気に迫る鞘の顔。「隠したところでいいことはありませんよ」、「そんなの隠してなんの得があるんだよ」、「得があるから隠すんです」と不毛な問答が始まったその時、恐怖に割れる叫び声が聞こえてきた。


 ただならぬ気配を覚え、急ぎ廊下へ。声を聞いて飛び出てきたのか、喜屋武をはじめとした参加者達の姿もある。この場にないのは相川、榎本、羽賀の三人。


 なにが起きたのか――と思った矢先にまた悲鳴。下の階からだ。


 一段飛ばしで階段を駆け下りる。玄関扉が開け放されているのが見えた。雨が屋根を叩く音に混じり微かに聞こえるのは、苦しそうな呻き声。談話室から。向かってみれば、そこにあるのは倒れ伏すふたりの姿。榎本と羽賀。元より赤い絨毯が、さらに濃く生々しい赤色で染められている。その場に投げ捨てられた血塗れのサバイバルナイフ。


 虚な目をした榎本は息も絶え絶えに呟く。


「……あの、男だ。相川が、相川が、急に……」


 瞬間、熱い血液が全身を駆け巡る。鞘に「任せた」と残した俺は、無我夢中で館の外に駆け出した。


 ――あの野郎、なんでこんなことしたんだ? 今まで守られていたABCのルールはまったくの偶然だったのか? こんな無理なやり方でふたりを殺して、これからどうするつもりだ?


 困惑に背を押されるまま夜闇の中を駆けていく。木の根に足を取られて転び、掌を擦りむいた。手のひらのぬるりとした感触は泥のせいだけじゃない。どうやら擦りむいたらしい。


 だんだんと暗闇に目が慣れてくる。視界が開けて海が見えてきた。黒い影が切り立つ崖に立ち、荒れる海を眺めている。顔は見えないが雰囲気でわかる、相川だ。


「おい!」と叫ぶと、奴はこちらを振り返ってふっと笑った。


「未来が見えるんだったな。それなら、この〝展開〟はどうだった?」

「ふざけるな。なんであんなことしやがった」

「わかってるんだろ、あんたなら」


 冷たくそう言い放った相川は、まるで見えない道を行くように崖から一歩踏み出す。奴の身体が視界から消えた数瞬後、海面を割る鈍い音が響いた。


 暴力的にうねる波は、相川を飲み込んだまま吐き出そうとしなかった。





 館へ戻ってくると、生きている参加者達は皆、談話室の前に集まっていた。錆びた鉄みたいな臭いが鼻につく。作り物ではあるが……〝本物〟の、死の臭いだ。

帰ってきた俺を見て、鞘は静かに首を横に振った。


「助かりませんでした。背中と腹部を何度も刺され、手の施しようがなく……」


 ふたりの死は想定内。情がない言い方かもしれないが、大きな驚きはない。「そうか」と答えた俺がその場を去ろうとすると、その背中に「おい」と喜屋武が荒々しく声をかけてきた。


「あの野郎を追ったんだろ。どこに行ったんだ」

「海に落ちたよ」

「落ちた?」

「ああ、自分からな。この波だ、助からないだろ」

「本当だろうな? 電話が繋がらねぇんだ。逃したなんて話なら承知しねえぞ」

「本当だ。死んだよ」

「好き勝手やった後に死んだってのか? 捕まえられなかった言い訳じゃねぇだろうな」

「……勝手に言ってろ」


 好き放題に言う喜屋武を捨て置き、俺は鞘と共に彼女の部屋に戻った。一時的に部屋を空けたから、一、二週目のように荒らされていることを警戒したが、それはまったくの杞憂に終わり、部屋は十数分前に飛び出てきた時の綺麗な状態のままだった。念のために俺の部屋も調べてみたが、こちらも同じく綺麗なまま。


 鞘の部屋を荒らしていた人物が相川で、犯人が死んだ故に今まで起きていた〝イベント〟が起きなかったのか。それとも、なにか別の理由があるのか……考えを巡らせたところで答えは出なかった。


 今回の件でわかったことはひとつだけ。このゲームの製作者が案の定、天下御免のひねくれ者だってことくらいだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る