第21話 殺して、殺して、死んで

 時刻は午前六時四十分。天気は晴れ。金糸雀館は〝三度目となる〟二日目の朝を迎えた。


 昨日は午前二時過ぎまで廊下の見張りを続けたが、あれからまた事件が起きることはなかった。だからといって、相川が死んでオシマイとはならないだろう。後藤田が生きている以上、また殺人は起きるはずだ。それが、誰を相手にしたものになるのかはわからないが。


 籐椅子に座ったまま日差しを十分に浴びた後、ひとまず〝外〟へ出ようと鞘に声をかけようとした瞬間――目に入ってきたのは見慣れた光景、扉に貼り付けられた手紙。慌てて駆け寄り剥がしてみれば、血を連想させる見慣れた赤文字で書いてあるのは初めて目にする文章。


『ふたりじゃ足りない。もっと、もっと』


 さっと血の気が引いていく感覚に支配されるまま、廊下に飛び出した俺は皆の部屋の扉を順に叩いていく。間もなくして扉が開き、眠そうな顔をした連中が廊下に出てきた。全員いる。誰も殺されてない。


 寝ぼけた顔をする皆を代表して、苛立った視線を俺にぶつけてきたのは百目鬼だった。


「なに? みんな寝てんのがわかんないの、探偵さん」

「……悪かった。まさか、また誰かが殺されてるんじゃないかって思ったんだ」

「なにそれ。どういうこと? 変な夢でも見たわけ?」


 隠しておいても仕方がない。部屋にあった手紙を黙って見せてやると、百目鬼は

「なにこれ」と肩を震わせた。


「あの相川って男、死んだんじゃなかったの? アンタ、見たって言ってたでしょ、アイツが海に飛び降りるところ」

「確かに見た。だからコレは――」

「見たんでしょ! なんでそんなものがあるの?!」


 百目鬼がヒステリックに叫ぶのと同時に、奴の背後に控えていた喜屋武が俺の襟元に掴みかかってきた。なにか起きた時の解決手段として、まず暴力を選ぶのがこの男の性だ。


「おい。なんだこの手紙は」と、喜屋武は怒りで目を血走らせながら俺の手から例の手紙を奪い取る。


「俺の部屋にあったんだ」と素直に答えたその瞬間、喜屋武の腕に力が込められ、身体を乱暴に押されて壁に背中を叩きつけられた。肺の酸素が一気に吐き出される。


「龍太郎さん!」とこちらへ駆け寄ってこようとする鞘を片手で制した俺は、息を整えながら眼前の喜屋武へ視線をやる。


「おいコラ探偵。昨日、相川の野郎は自殺したって言ってたよな?」

「ああ、奴はあの時、間違いなく死んだ」

「だったら、この手紙はどう説明してくれんだ?」

「だから、アイツ以外の誰かが用意したってことだろ」

「馬鹿言うんじゃねぇぞ。俺達の中の誰かがやったってのか? なんのために?」


 そんなの、俺が知りたいくらいだ。これ以上、俺達の恐怖を煽って何になる?


「知るかよ」と半ば投げやりに吐き捨ててやれば、これ以上の言及は無駄だと悟ったのだろう、喜屋武は俺の襟元から手を放すと、舌打ちしてどうしようもない苛立ちをあらわにした。


「仕方ねぇ。やられる前に殺りに行く。島狩りだ。相川を見つける」


「賛成。黙って殺されて堪るかっての」と真っ先に賛成したのは百目鬼。やっぱり、アンタらなんだかんだ言ってお似合いのカップルだと思うぜ。


「お前も来いよ、探偵。あの手紙がお前の部屋に貼られてたってことは、狙われてんのはお前なんだ。つまり、お前が餌になる」


 狙われてるのは俺なんかじゃなくて百目鬼なんだけどな。そうとは言えず、俺は「わかったよ。俺も行く」と頷く。


「よし。あともうひとりかふたり人手が欲しい。勇気のある奴は手を挙げろ」


 すると、後藤田が申し訳なさそうに「あの」と声を発した。


「私、怖いです。殺人犯のいる場所を歩き回るなんて」

「安心しろ。アンタみたいな奴なんか元から数に入れてねぇよ。なあ、藤原」


 喜屋武の視線が藤原へ向く。これは暗に、「お前が来い」と言っているのだろう。

言葉の意図が読めたのか、藤原は怪訝そうに顔をしかめた。


「待てよ、喜屋武。だったら、後藤田さんだけがこの館に残るのか? 相川がこっちを狙って来たらどうするんだ」

「安心しろ。お前が来れば人手は十分だ。馬場と、あとその探偵のツレは残していける」


「あのオッサンが頼りになると思うのか?」と藤原が言えば、これを受けた馬場は「ええ、私なんかが頼りになるはずありません」ときっぱり言い切った。これだけ開き直っていると逆に感心するな。


「ほらな、俺も残る。彼女が心配だ」と藤原が胸を張る。


「腰抜けが」と吐き捨てた喜屋武は、睨むようにこちらを見た。「今さらお前は怖気付かないだろうな、探偵」





 金糸雀館を出た喜屋武、百目鬼、俺と鞘の四人組は、相川を探して島中を歩き回った。しかし、相手は既に死んでいる身。どれだけ時間をかけたところで幽霊なんて見つかるはずもない。案の定と言うべきか、俺達は二時間余りを無駄にするばかりで、なんの収穫も得られないまま館へ引き返すことになった。


 皆の前で強い言葉を吐いた手前、恥ずかしいとでも思っているのか、前を行く喜屋武と百目鬼はずいぶんと早足だ。


 奴らの背中を眺めながら歩いていると、間もなく館へ戻ってきた。鞘はエントランスの時計を眺めながら小声で話し始める。


「龍太郎さん。これからいったい何が起きるのでしょうか」

「相川がまだ生きてるとは思えない。次に動くのは後藤田だ。アイツらの本命が涌井あかりを嵌めた百目鬼や喜屋武にあるなら、動きがあるのは夜になる」

「しかし、その〝本命〟が別にあるのだとしたら?」

「どういう意味だ?」

「皆殺しです。『そして誰もいなくなった』のように。事件に直接関わった人物、間接的に関わった人物、すべてを殺すつもりだとしたら?」

「……皆殺しね。考えたくも無いな、そんな結末」


 不穏な鞘の発言が乾燥した空気をにわかに湿っぽくしたその時、「なんだよコレはっ!」という怒りに任せた喜屋武の叫びが館の二階から響いてきた。


 何事かと思うより先に、階段を駆け下りる喧しい音。現れたのは顔を赤黒くした喜屋武だ。その背後には、頬を青白くした百目鬼もいる。


「おい、探偵。お前言ってたよな。相川は確実に死んだって」

「死んだよ。何回言わせんだ」

「だったら上に上がってみろよこの能無しッ!」


 言われるまま、二階へ上がっていく。


 ……正直に言えば、階段を昇り始めた時点で気が付いていた。

鼻腔の奥の奥にまでこびりつくような臭い。血液と、五臓六腑と、排泄物。そいつらが一塊になった、嗅いだだけで腹の底がぐるぐるしてくる臭い。


 これは、死の臭いだ。


 二階のラウンジにあったのは三人分の死体。馬場、藤原、それに後藤田。腹を裂かれ、喉を突かれ、背中を刻まれ……もう見ないでいいな。とにかく死んでいることは間違いない。その場に落ちているのはキッチンから持ってきたであろう血まみれの出刃包丁。割れた珈琲カップ。珈琲を飲んでいるところを殺したんだろう。


 背後から階段を昇ってくる音がした。俺の隣に喜屋武が立つ。


「もうこれで五人目だ、クソ。相川の野郎、何人殺すつもりだ?」

「もしかしたら、皆殺しかもな」

「妙なこと言ってんじゃねえぞ。そんなことになって堪るかよ」

「でも、実際こうして殺されてるんだ」


 目の前の現実を見ていられなくなったのか。それとも間近に迫る死に怖気付いたのか。喜屋武は死体に背を向けた。


「……お互い、自分のツレは自分で守る。それでいいな、探偵」

「ああ、百目鬼はお前が守ってやれ」


 階段の辺りで立ちすくんでいた百目鬼の手を引き、喜屋武は自分の部屋へと向かっていった。


 ふたりがいなくなった後、鞘が三つの死体を指しながら言う。


「……龍太郎さん、この状況は――」

「わかってる。ふたりを殺したのは後藤田だ。少なくとも、相川は本当に死んでるんだからな」

「だとしたら、犯人はふたりとも死亡。これで終わりなのでしょうか?」

「……ミステリーでそんなことが起きたら大ブーイングだ。まだ何か起きる。必ず」

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