『これはミステリーじゃない』

シラサキケージロウ

第1話 7月7日の来訪者

西暦2222年。2が4つも並んだハッピーかつナイスな年の7月7日ラッキーセブン


 製造年月日1998年、骨董品と化した羽根つき扇風機から送られる温い風を顔面に受けながら、俺は窓の外に目をやった。見ているだけでウンザリする天気だ。ああ、蒸し暑い。


こういう嫌な天気の日は、一筋縄じゃいかない厄介事が持ち込まれると相場が決まってる。この空模様はともかくとして、厄介事はカネになるから嫌いじゃない。「不完全だ」と言われて久しい資本主義が、この地球で未だ幅を利かせている以上、生きてく上ではカネが必要だ。


 乾く喉を麦茶で潤そうかと、額の汗を拭いつつ黒革のソファーから身体を起こしたその時、我が家の扉を軽やかなリズムで二度ノックする音が響いた。


 ――そら、いらっしゃったぞ。お客様だ。





「――すごいな。まるで二百年前にタイムスリップでもしたみたいだ」


 狭いながらも落ち着く我が家の客間に一歩足を踏み入れたその男は、開口一番、感心した風に言いながら目を輝かせた。


 身長は190㎝近く。痩せ型。青いスーツ姿が与える第一印象は、やり手のサラリーマンといったところ。黒々とした髪は、整髪料によりオールバックで固めてある。細面を飾るのはツンと尖った高い鼻、嫌味ったらしく光るプラチナみたいな白い歯、目尻の下がった切れ長の目。


 見た目は三十代半ばほどだが、整形技術並びに抗老化技術アンチエイジングの発達が著しい昨今、見た目だけで人間の年齢は推し量れない。25歳だと言って近づいてきた女が、一晩共に過ごした後ベッドの中で、「孫が小学校に入学してね」としみじみ語りだしたことだってある。母親と同年代の女と寝るという体験は、実年齢と見た目年齢の結びつきが希薄になった昨今でも、なかなか笑い話にできないキツさがある。


 肉の思い出がふと生々しく身体に過り、背中に冷たい気配が走るのを感じている最中も、サラリーマン風男の語りは止まらない。


「レトロ趣味、いいですねぇ。1990年代というのがまたいい。これがいわゆる大正浪漫とかだったら、ありきたりですからねぇ」


 よくぞここまでペラペラ世辞が出てくるもんだ。この部屋の構成概念デザインコンセプトが中途半端に古臭いのは、俺自身が一番よく理解している。


 生暖かい空気をゴウゴウと吐き出すエアコン。一定のリズムで首を左右に振る扇風機。客間の中央には背の低い黒木目調の応接用テーブルと、その上に置かれた片目の無い達磨。テーブルを挟むようにして二脚構えた黒革張りの横長ソファー。壁に面して堂々と構える古本が詰まった本棚。どれもこれも1990年代に作られた品々。


 この部屋を見たんじゃ、たとえ百年前の人間だって、懐古趣味を飛び越えて化石趣味だなんて毒づくだろう。


 出会って数分足らずの相手にわかったような口を叩かれたくは無かったが、しかしここはグッと堪える場面。口から飛び出しかけた不満を「それはどうも」のひと言で押し戻した俺は、さらに続けた。


「それで、我が〝博物館〟にはなんのご用件ですか? まさか、展示物を見に来たわけじゃないんでしょう?」

「ええ、ええ、もちろんです。本日は、是非ともあなたに引き受けていただきたい依頼がありましてね」


 そう言うと奴は懐に手を入れ、古き良き紙製の名刺を取り出した。「珍しいもの持ってますね」と呟くと、男は「あなたの趣味に合わせました」とウインクする。なかなか抜け目のない男だ。警戒レベルを一段階上げろ。


 名刺に目を移せば、『神野グループ 取締役副社長 神野春夫』とあった。


 ――神野グループ。『ナノマシンから反物質エンジンまで』をモットーにする、なんでもござれの多国籍企業。資本主義の番犬。そこの副社長がわざわざこんな場所においでとは。お偉いさんってのは、意外とヒマしてるのか?


 副社長は神妙な顔つきで頭を下げた。


「生前の祖父は、車さんに何かと依頼をしていたと伺っております。改めて、祖父がお世話になりました」


 副社長が「生前の」と言った通り、神野グループの先代社長、神野四季は一ヶ月ほど前に天に召された。年齢はもう130歳を超えていたから大往生といえば大往生だろう。あの爺さんとは二ヶ月前に会ったばかりだってのに、今はもう会えない。不思議なもんだな、人生ってのは。


 気難しい爺さんの顔を思い浮かべながら、俺は真面目な表情を取り繕い頭を下げる。


「いえ、お世話になったのはこちらの方です。神野社長には、本当に色々と勉強させて頂きました。この度はご愁傷様です。機会があれば是非とも線香でも上げさせてください」


 礼儀に従って頭を下げた後、「まあ、立ち話というのも何ですから」と座るよう勧めれば、副社長は「失礼します」と一礼した後、ソファーへ浅めに腰掛けた。尻が座面につく瞬間にやや顔をしかめたのは、〝骨董品〟の汚れを気にしたのだろう。心配するなよ。ここに運ぶ前にノミは一匹残らず追い出してある。


 神野とはテーブルを挟んで正面のソファーに腰かけた俺は、眉間にやや力を込め仕事人の顔つきを作る。表情はそのまま「よし、早速話を聞きましょうか」と言ってみたものの、「いや、その前にまずはなにか飲みます? 麦茶か、コーヒーか、紅茶か、もしくは麦酒か」などと無闇に下手に出てしまったのは、個人事業主としての性分ゆえ。クソ、俺ってホント資本主義のポメラニアン。


「いえいえ。そんな気を遣わせるわけには」とスマートかつにこやかに断った副社長は、人当たりの良い笑みで値踏みするような視線を隠しつつ、確かめるように訊ねてきた。


「さて――車龍太郎様。祖父の話によれば、あなたは〝何でも屋〟だとか」

「いかにも。地獄の沙汰もカネ次第。依頼があれば東西南北どこでも駆けつける。西に疲れた母あれば――」

「条件次第でどんな仕事も引き受ける、口が堅く、頭のキレる方だとも。祖父は何かにつけていつもあなたを頼っていたようですね。身内ながら、あの人とよくウマが合ったものですよ」


 昔ながらの名乗り口上を邪魔しない、って文化は金持ちにはないらしい。俺はため息を堪えつつ、副社長の問いに答える。


「唯一にして最大のコツは我慢ですよ。先代社長はずいぶん気難しい方でしたからね。たしかに、あの人との付き合いは苦労も多かったですが……我慢を学べば、やってやれないことはない」

「祖父が生きているうちに、あなたに会いたかったですよ。そうすれば、もっと早くそのコツを聞けたのに」


 よく言うよな。あの人と仲良くやるつもりがあれば、誰に言われずとも我慢くらいしてただろうに。


 思わず顔をしかめた俺に神野副社長サマは気づいていないのか、それとも気づかないフリをしているのか、立て板に水で語りだす。


「――さて、そろそろ本題に。我らが神野グループは、VRゲーム事業にも手を伸ばしておりましてね。今回、車様に頼みたいのは、販売予定になっているとある新作ゲームのテスターでございます。報酬は日当で五万円。あなたの他にも何名かテスターを雇っておりますので、その方々よりも先にゲームをクリアした暁には、ボーナスとしてさらに三百万円。悪い話ではないとは思うのですが、いかがでしょう?」


 ――製品として世に出る前のVRゲームは、プレイするのにそれなりの危険が伴う。映像刺激が強すぎて脳がダメージを受け、架空環境ヴァーチャルから帰ってこられなくなる、なんて事故が珍しくないからだ。俺の知り合いにも、砂漠の真ん中の宮殿にハーレムを気づいて五年になる奴がいる。今も治療は続いているらしいけど、もう目が覚めない方が幸せかもな。


「テスター、ですか」


 呟きながら俺は、ソファーの肘付きに腕を置き、背もたれに深く体重を預けた。


「なんだか妙な話ですね。気前が良すぎる気がします。俺だって、VRゲームのテスター業務なら何度か請け負ったことはあります。でも、そこまでの報酬は頂けなかった」

「別に怪しいことをやらせようというわけではありませんからご安心を。祖父はあなたを大変頼りにしていました。私もそれに倣おうと思いましてね。なにより――」

「なにより?」

「我が社のゲームはネタバレ厳禁です。つまりは情報漏洩が怖い。その点、〝車様のような方でしたら〟間違いないかと思い、報酬を相場より高めに設定しているのですよ」


〝車様のような方でしたら〟、というところが強調されたのには理由がある。


 見ての通り、俺の生活様式ライフスタイルは至って化石的。装着型端末や侵襲式端末の普及により、常時電脳網に接続している状態が常識的となった時代にもかかわらず、電子機器の類は、大きなディスプレイがむき出しになった携帯電話くらいしか持っていない。加えて、極細装置ナノマシンの注入もしていない清潔な身体。


 こういうシーラカンスみたいな人間だからこその需要というものがあって、つまりは電脳網を通じて侵入されて情報を抜き取られる……なんて心配がどこにもないのである。


 秘匿性が担保された人間、それが車龍太郎。俺が〝何でも屋〟なんて馬鹿みたいな仕事をやってなんとか生活出来ているのも、それが理由。


 納得したという意思を見せつけるよう、俺は深く頷く。


「なるほど、わかりました。そういった事情があるのならば引き受けましょう。ただ、条件があります。契約を結んで欲しい。ビジネスマンならわかりますよね、契約です」

「心得ております。契約書の方は既に用意しておりますので――」

「大変申し訳ないのですが、自分以外が作成した契約書は信用しないようにしているんです。お気を悪くなさらないでください。以前、取引相手の言うことを鵜呑みにしたせいで、働き損になった経験がありましてね。神経質になってるんですよ」


 言いながらソファーから立ち上がった俺は、本棚に置いてあるノートと万年筆を取り出して、さらさらと文言を書いていった。だいたいこんな内容のものだ。



 神野春夫(以下、甲という)と車龍太郎(以下、乙という)は、乙が甲から受託したVRゲームのテスター業務につき、本日、以下のように合意した。


第一条 甲は、乙に対し、拘束日一日につき五万円の手当を支払うこと。

第二条 甲が望む形で、乙が業務を完遂した場合、甲は、乙に対し三百万円の追加報酬を支払うこと。

第三条 たとえば業務の放棄など、信用を著しく失墜させる行為が乙により行われたとしても、甲は、乙に対して一切の責任を負わせることはできない。ただし、犯罪行為に対する責任を、乙は逃れることはできない。

第四条 乙が甲の信用を著しく失墜させる行為を行った場合、甲は賃金の支払いを拒否することができる。


 A4サイズ紙に手書きで書かれた契約書をじぃと見た神野は、「なるほどなるほど」と数度頷くと、「万年筆と朱肉を貸して頂けますか?」と笑顔で言う。さすがビジネスマンだけあって、古き良きタイプの契約の形も心得ているらしい。言われた通りの物を渡してやれば、神野はさらりと自分の名前を書き、それからその横へ拇印を押した。


「どうも。これで安心です」

「いえいえ。これで仕事を引き受けて頂けるのならば、お安い御用でございます。しかし、よろしいのですか? 万が一の事故が起きた場合の保証についてなどの項目がありませんでしたが」

「構いませんよ。どうせ、両親くらいしか身内もいないですから。架空環境内で事故が起きたら、思い切ってラクにしてやってください」


「ご冗談を」と笑う神野は、こちらにサイン済みの契約書を手渡すと、懐から取り出したハンカチで朱のついた親指を拭きつつソファーから立ち上がった。


「三日後の午後三時、こちらへ迎えを向かわせます。泊まり込みになるでしょうから、そのつもりで用意して頂けると幸いです」

「ええ、了解しました」


 さて、普通の客が相手ならばここで「さようなら」だが、相手はとびきりの上客。汚れた床に膝を突き、額を擦りつけながら、「またいらしてください」とへりくだる、なんてことまではやらないが、お帰りまで見送るのが、個人事業主としては当然の役目だろう。


 神野に先行して玄関まで出た俺は、一流ホテルのドアマンよろしくにこやかに扉を開けてやった。鉛色の空からは雨が絶えず降り注いでいる。


「不思議なものですね。技術の発展は日進月歩だっていうのに、〝それ〟だけは今も昔も形がさっぱり変わらないのは」

「洗練されたものはデザインが変わらないものです。おっと、レトロ趣味のあなたには、釈迦に説法でしたかね」


 あくまでもおだてるような口調で返した神野は、玄関に立てかけてあった雨に濡れた傘を右手に持ち、「それでは」と残して外へ出ていった。

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