第26話 7月7日の来訪者

 あれはもう四ヶ月以上も前のことになる。西暦2222年。2が4つも並んだハッピーかつナイスな年の7月7日ラッキーセブン。今日と同じく、よく晴れた日のことだった。上下黒いスーツで固めたシブいオッサン、神野グループの先代社長である神野四季は、突然俺の家にやって来た。


 神野四季と俺は、小僧、爺さんと呼び合うほどの顔馴染みだ。八年前、新宿にある平成時代のアンティークな小物を取り扱う店で出会い、一点モノであるヤマグチ組の達磨の置物を巡って喧嘩をしたところから付き合いが始まり、それから色々あって意気投合した。たまに仕事を融通して貰うことはあったが、アイツとは基本的には対等な関係だった。アイツなら、「対等な関係なんて冗談じゃない」、なんてことを言ったんだろうけど。


 勝手に玄関扉を開けて家に入ってきた四季の爺さんは、部屋をぐるりと見回した後、不服そうに「ふん」と鼻を鳴らした。


「相変わらず中途半端に古臭い家だ。どうせなら、それこそ江戸までコンセプトを遡らせんかい」

「うるせえな、爺さん。お前の部屋だって似たようなデザインだろうが」

「ワシの場合はワシの爺さんの実家風景を再現させてるだけのことよ。お前のような中途半端なレトロかぶれとはわけが違うわい」


 喧嘩腰で食ってかかってきた爺さんは、断りもなく食器棚を漁り、自分で持ってきた豆を勝手に挽いて勝手に珈琲を淹れ始めた。どこまでも勝手なヤツだった。


「それで、今日は何しに来やがった」

「おっと、そうだ。今日はこのくだらん部屋に文句をつける暇もないんだった」


 爺さんはソファーに腰掛け、なんの気なしに言った。


「小僧。ワシはな、死ぬことにした」


 まるで、「明日から旅行に行ってくる」みたいに気軽な物言いに俺が唖然とする一方、爺さんは涼しい顔して自分で用意した珈琲を飲んでいる。

こんな殺したって死なないような図太いヤツが、自らの死を宣言する異常事態。到底信じられなかったが、神野四季という爺さんはつまらん嘘を吐く男じゃない。


 ああ、そうか。本気なんだなと、この時の俺はそう確信した。その一方で、コイツに死なれてしまってはこの世界はなんとなく退屈になるだろうなという確信もあったせいで、俺は爺さんの対面に腰掛けながら、無駄な言葉を無駄に並べざるを得なかった。


「……爺さん、まだ百四十歳そこそこだろ? 死ぬにはあと二十年くらい早いんじゃねえの」

「たしかに、まだ身体はぴんぴんしとる。でも、〝こっち〟がな、もう限界なのよ」


 爺さんは人差し指でトントンと、自らの頭を軽く叩く。


「身体の悪くなったところは交換すりゃいい。臓器はいくつも培養してある。でも、脳味噌だけはどうにもならん。日々新しいことを覚えられなくなっていく。目をつぶりゃ、思い出すのはもういない女房の笑顔だ。潮時だよ、人間として」


「俺だって、目をつぶれば初恋の人の笑顔を思い出すけどな」

「だったら死ぬか、一緒に」


「死んでもごめんだね」と言ってやれば、爺さんは「ふん」と鼻を鳴らした。口元に浮かぶ悪戯っぽい笑みが、どこか寂しかった。


「それでな、小僧。今日ここに来たのは他でもない。ワシからの、友人としての頼みを引き受けて欲しいから来たんだ」

「……法に触れるようなことはやらんぞ」

「わかっとる。ただ、助けて欲しい相手がいてな」


 そう言うと爺さんは懐から一枚の写真を取り出した。見ると、恥ずかしそうにはにかんだ眼鏡を掛けた優等生っぽい女――鞘が写っていた。


「誰だ、このかわいい子」と俺が訊ねると、爺さんは気味の悪いほど満面の笑みを浮かべて答えた。


「ワシの孫、鞘だ。この子は優秀で、素直で、自分の意思を曲げない強い子なんだ。この前なんてな、ワシの誕生日に――」

「わかったよ、孫バカ。それで?」


 爺さんの顔面を支配していただらしのない笑みが一瞬で消え失せた。なにか言いづらいことを話そうとしているのは一目で明らかだった。


「……この子には、色々と厳しくしてきた。だからというわけではないが、この子にはワシが死んだ後の神野グループを任せたい。だが、それを快く思わない者もいる。これだ」


 爺さんは二枚目の写真を取り出して俺に見せる。そこに写っていた人物こそ、神野グループの〝元〟副社長、神野春夫だった。


「これもワシの孫でな。鞘の兄にあたる、春夫という男だ。昔から〝見聞を広める〟という名目のもと遊びまわってばかりいてな。警察の世話になったことも一度や二度ではない。首輪をつける意味で、役職だけ与えて仕事はさせておらんのだが、そんな状況でも権力への欲だけは育つらしい。ワシが死んだ後の社長の座を狙っておる」


「なるほど。とんだバカ孫だ」

「ああ、お前の方がまだマシなくらいに馬鹿野郎だ。で、小僧。ワシの頼みというのが、お前に、鞘を次の社長になれるよう手助けして欲しいんだ」

「……無理難題だな、そりゃ。俺に何ができるってんだ?」

「安心しろ、お前でもできることだ」


 なんだか腹の立つ言い方をした爺さんはさらに続けた。


「無論、一筆書いて鞘に経営権を継がせることもできる。でも、そうすると春夫が黙っとらんだろう。だからワシはちょっとしたミステリーゲームを作った。ゲームをクリアした者には、ワシが保有している神野グループの株式全てが与えられるという報酬が付いたゲームをな」

「……とんでもないな。やってることが耄碌したジジイと同じだ」

「だからこそいいんだ。耄碌したジジイの最後の遊びと思わせられれば、白い目を向けられるのは既に死んだワシだけだ」

「地獄なら、いくら白い目を向けられたって痛くも痒くもないからな」

「ワシが行くのは地獄じゃない、カワイイ姉ちゃんがいっぱいいる天国よ」


 さらりと図々しいことを言いのけた爺さんはさらに続ける。


「見た目だけでも公平にするために、株式相続の権利がある鞘を含めた身内の三人にはヒントを与える手筈も整っている。下準備の方は抜かりない。あとはお前の協力だけだ」

「……そこまでされると、春夫って奴が可愛そうになってくるな。たとえ放蕩息子……じゃなくて、放蕩孫だとしても、爺さんの血縁だろうに」

「ふん。自業自得だ。アイツには、最後のチャンスとして〝ゲーム〟の件を事前に知らせ、鞘たちにも言っておくようにと伝えておいた。それがもうひと月も前のことになるが、鞘は未だなにも知らん」


 爺さんは残念そうに息を吐く。口では憎らしそうに文句ばかり並べてるけど、身内の情ってもんが無いわけじゃないんだろう。


「あのゲームは、自分のために苦しい思いをしてもいいと思ってくれる仲間がいないとクリアできんように出来ている。つまりは、自分のことを〝特別な存在〟だと勘違いして、人を顎で使うような春夫のような者には一生クリアできん。故に春夫はワシの死後間もなく、お前に接触してくるだろう。なんたって、お前はワシが懇意にしていた男だからな。ヒントを得たいと思うなら、頼るのはまずお前のはずだ。〝ゲーム〟の件とお前という助っ人については、ワシの方から鞘に伝えておく。終始ニヤケ面で、気安く名前で呼んでくるようなヤツが来るから、そいつのことは爪の先程度は信用していい、とな」


「その悪意のある特徴の伝え方に色々言いたいことはあるけどな、まずはそのミステリーゲームとやらの答えを俺に教えとけよ。確実にクリアするためにはそれが必須だろ?」

「甘いこと抜かしてないで自力でクリアせんかい」

「おい、無茶言うなよ。失敗したらどうするつもりだ」

「お前が好んでるアガサ・クリスティーとやらは、1ページ目をめくる前から答えを教えてくれるのか?」

「ふざけろ。これはお遊びのミステリーじゃないんだぞ」

「ちょうどいい。タイトルに迷ってたところだ。それを使わせて貰うとするか」


 それから爺さんは、頭も下げずにじぃっと俺を見据えた。「お願いします」のひと言もない。人に物を頼む時の態度としては最低最悪。しかし、だからこその神野四季といえた。


 コイツは俺を信用してくれている。憎まれ口がその証拠だ。だったら、それに応えてやるのが人情ってモンだろう。


「……わかったよ。その遺言、引き受けた」


 爺さんは「ありがとう」でもなく、ただ「そうか」と言った後、飲みかけの珈琲をこちらに渡し、ソファーから立ち上がった。そのゆっくりとした動作は、やけに名残惜しそうに映ったけど……まあ、気のせいかもしれない。


「ワシはそろそろ行くぞ。ウェーブカット処理はしてあるが、死ぬ直前にお前のところに来てたなんて春夫に知られたら厄介だ」

「おう、そうかよ。玄関まで手を繋いで送ってやろうか?」

「ジジイ扱いするな、小僧。ここで十分だ」


 爺さんは俺に背を向けたまま、ドスの利いた声で言う。


「ひとつ言っておく。ワシの孫に惚れんなよ? 手を出したら、天国からお前を殺しに降りて来てやるからな」

「俺の魅力になびいて、向こうから手を出してきたらどうするんだ?」

「お前みたいな軽薄な男相手にそんなことはあり得んが……万が一そうなれば、ワシは止めん」

「言ったな。絶対に振り向かせてやるよ」


 俺はソファーに腰掛けたまま、爺さんの背中に手を振ってやった。


「じゃあな、爺さん。俺が死んでも地獄と天国じゃ、もう二度と会うことはないだろうけど」

「ではな、〝龍太郎〟。地獄でも達者にやれよ」


 出会って初めて俺の名前を呼んだ爺さんは、ゆらりとした足取りで去っていった。

 もしかして、俺も「四季の爺さん」って言ってやった方がよかったのかな。


 恥ずかしそうに丸まったアイツの背中を見て浮かんできた小さな後悔を、俺は爺さん飲みかけのぬるくなった珈琲で胃の奥へ流し込んだ。


 ゲイシャコーヒーの香りが鼻の奥をつんと突いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る