幕間1
S-01『アゴ部活動記録:コードネーム』
この日、俺たちは『コードネーム』で遊んでいた。
「んじゃ次のヒントは……そうだな、『ミステリー、3』で」
ゲーム内において《スパイマスター》の役職に就いている俺が、味方チームにヒントを出す。
「ふむー。また、どうとでも取れそうなヒントですね」
「え、えとえと……っ」
同じ赤のチームの仲間――《現場諜報員》は今回、
対する青チームは、スパイマスターが
このコードネームというゲームは、各チームのスパイマスターが提示したヒントに沿い、現場諜報員となったチームメンバーが正しい単語――ゲーム上で言うところの《味方エージェントのコードネーム》を指定し、全てを先に見つけ出すことで勝利となる。
まず、テーブル上には5×5で25枚のカードが並べられる。
カードには『トラック』や『アマゾン』、あるいは『水』や『ラップ』、『バッテリー』などと様々な言葉が記されており、その25の言葉のうち、先行なら9枚、後攻なら8枚隠された《自チームの
どのカードがどのチームのものか、またはどちらのチームのものでもないのかという答えはスパイマスターだけが知っており、その役の者がチームの仲間にヒントを提示。単語を当ててもらうことになる。
もちろん、たとえば『トラック』という言葉が自分チームの正解カードだったとしても、「トラックだ」と言って伝えることはできない。
たとえば今、俺は味方チームの蝶野と妻鹿に「ミステリー、3」と言ってヒントを出した。
これは『ミステリー』という単語に関連する俺たち赤チームの正解カードが3枚ある、という意味合いのヒントだ。
ここがこの『コードネーム』の醍醐味。
25の単語のうち、なるべく《自分のチームの正解を多く》、そして《相手チームの正解や、外れのカードを引かないよう》、上手なヒントを考えて伝える。現場諜報員役のメンバーは、ヒントを出したスパイマスターの意図を読み解き、提示されたヒントが示しているであろう単語を指定する。そういうゲームである。
これがなかなか難しい。
たとえば、『スタジアム』と『ハンド』という言葉を指定したいとき、スパイマスターがまず思いつくのは『サッカー』などだろう。このときは「サッカー、2」と言えば、サッカーに関連した単語を2枚指定してほしい、という意味になる。
だが、もしこのとき25枚の中に『ボール』という単語があって、それが相手チームの正解カードだったとする。
サッカーのヒントだけでは、味方がボールを取ってしまうかもしれない。その場合はそのまま相手の得点になり、しかも相手チームにターンが回ってしまうのだ。
味方に『スタジアム』と『ハンド』を取ってほしいときは、ほかの単語を考えるか、あるいは敵チームが先に『ボール』を取ったあとのターンで改めて『サッカー』と言う、などの戦略が必要になるわけだ。
序盤はカードが多すぎて、共通点も細かくないと攻めづらい。
後半になるとカードが減ってくるが、そこまで残ったカードは共通点が思いつかなかったりする。
スパイマスター同士の駆け引きと発想力、そして味方からの信頼感が重要なゲームなのだ。
「どう思います、
「うーん……まあ、それっぽい単語はいくつかあるけど……」
俺が出したヒントに従って、妻鹿と蝶野が推理を重ねる。
ちなみに今回、俺がふたりに取ってほしい3枚のカードは『死』、『毒』、そして『サークル』というカードだ。
とはいえ、表情やジェスチャーがヒントになっては意味がない。俺たちはあまり厳しく縛っていないが、基本的にスパイマスター役は無反応でいることが望ましい。
「たぶんですけど、『ミステリー』って伸ばしたのもヒントだと思うんですよね」
と、蝶野が推理を口にする。妻鹿が首を傾げ、
「『ミステリ』じゃなくて、ってこと?」
「はい。せんぱい、推理小説とかのことは普段『ミステリ』って言います」
「よ、よく聞いてるね……」
「なのでたぶんですが、せんぱいが示したいカードはまず――取っていいですか?」
「いいよ」
妻鹿が頷くと、蝶野が一枚のカードに手を触れる。
その時点で指定が成立し、正誤が判定されることになる。
俺は笑顔で頷き、赤のエージェントカードを蝶野が触れた『サークル』の上に置いた。
ぽやぽやと蝶野がガッツポーズ。
「正解でしたっ」
「ミステリーサークルってことか……」
さすが蝶野。『サークル』が取られるのは最後かと思っていたが、推理は見事だ。
あとは『死』と『毒』のカードなのだが……。
「椛先輩はどう思います?」
「どうかなあ。あんまり萩枝とはセンスが合わないんだけど」
うっせーなあ。
と、視線で突っ込む俺を無視して。
「まあ、さすがにコレはあってるでしょ」
「だと思います。どうぞ、椛先輩」
「じゃあ」
言って、椛が指定したカードは――『死』。
「おっ、正解」
俺は言って、赤のカードを『死』に重ねて置く。
あと1枚でこのターンは終了だ。この分だと上手くいきそうなのだが、さて。
妻鹿が、小さく言う。
「あと、コレじゃないかなーってのがあるんだけど」
「わたしもあります。てことは同じですかね」
「じゃあ取っちゃうね――コレ!」
と言って、妻鹿はさらに一枚のカードに手を振れた。
「あ」と蝶野が言い、
「え?」と妻鹿は蝶野を見て、
「おい、なんでだよ!」と俺は言った。
妻鹿が触れたカードは『摩天楼』と書かれたもの。
えぇ……、『ミステリー』のヒントで『毒』より先に『摩天楼』取るかなあ。
「お、やったね! それはこっちのカード♪」
青チームのスパイマスターである月見里が、『摩天楼』の上に青のカードを置く。
相手に1ポイント渡った上で、さらにターンが交代になる。これは痛い。
25枚の中には、1枚だけ《暗殺者》のカードがあり、それは指定してしまった時点で負けが決定するドボンカードだ。
それを指定されるくらいなら、まだ敵チームに1ポイント入るほうがマシではあるのだが、さて。
「おぉ。やりましたね、月見里先輩、
「そうだな、風道。これで青チームは残り3枚。できればこのターンで決めたいが、行けるか、
青チームの風道と蒼汰が笑顔を見せる。
残り3枚はデッドラインだ。1ターンで決めるのも無理じゃない枚数である。
「ど、どうかなー……難しいけど、ちょい考えるね」
月見里が考えている間に、俺は妻鹿に声をかける。
「なんで『摩天楼』にしたんだ……? 想定してなかったんだけど」
じとっと目を向けた俺を、妻鹿はぎろっと睨み返し。
「いや、ミステリーっぽいじゃん! なんか格好いいイメージだし! そういう映画もあったし」
「映画か……まあ、確かにちょっと攻めたのはあるけど。せめて相談してから取れよ」
「うぐっ」
「蝶野は別のだと思ってたんだろ?」
「わたしは『毒』かなって」
「えー、『毒』? なんかミステリーって感じしなくない?」
「毒殺はミステリだと結構あるかなーと」
「……そういうことか。んー、まあ確かに、それ以外にはそれっぽい言葉もうないしね……あんたやるわね」
「後輩なのでっ!」
どやさと胸を張る蝶野を、妻鹿は不思議そうな目で見ていた。
俺は無言。
ゆるゆるのルールでやっているとはいえ、これ以上は喋ったらヒントになる。
残りのカード的に『毒』であることはほぼ確信できるだろうが、まあ黙っておこう。
とまあ、こんな感じでなかなか難しいゲームだ。
スパイマスターが考える時間も限られるし、いい言葉が出てこなかったり、逆に高度すぎて伝わらなかったり。蝶野のように普段の俺とのコミュニケーションから探ることもできれば、妻鹿のようにイメージが食い違ったりする。
なかなか楽しいゲームなのだった。
なんとなれば、その噛み合わなさこそが、このゲームの醍醐味だと言ってもいい。
「ところで」
と、ふと風道が口を開く。
何かと目を向けると、生真面目な後輩は真剣そうな表情で。
「先輩たちには、コードネームはないのですか?」
「え?」
「ん?」
「なんだって?」
口々に言う我々、二年生。意味を捉えられなかった。
そんな俺たちに風道はやはり実に真剣なまま。
「ですから、コードネームです。いえ、二つ名と言ってもいいのですが」
「……ええと、風道くんや」
代表して俺が言う。
「逆に訊くけど、君は俺たちが二つ名を持っているかもと本気で思うのかい?」
「はい」
「あ、『はい』なんだ……じゃあいいけど。なぁるほどっ」
いや、よくはねえよ。
どゆこと?
隣に立つ月見里に視線を向けるが、彼女も首を傾げている。
そんな俺たちに、風道は至極当たり前みたいに。
「――三年の先輩方には、二つ名があるというふうに伺っていますが」
「あー」「うー……」「あっはは」
三者三様の反応。俺、月見里、そして蒼汰だ。
今年転入してきた妻鹿や、まだ一年の蝶野はピンとこないのだろうが……いやはや。
オブザイヤークラスに遺憾ながら、それは事実であった。
ジだろ。うるせーバカ。
「やはりアゴ部の部員となった以上は、俺も二つ名が与えらえるような活躍をするべきなのでしょうか」
嫌だよう……。
風道にはそっちの道に行ってほしくないよう……。
俺は頭を抱えた。たぶん月見里も。
確かに、かの麗しき小さな先代部長ですら、ついた二つ名は《バーサーカー》だったが。
いいんだよ、そんなところ真似しなくて。てかしないで。
先達に対するリスペクトを忘れないのは風道のいいところだと思うが、世の中には尊敬に値しない人間もいるということを、だね……?
いや。何もアゴ部の諸先輩方を尊敬するな、とは俺も言わない。世話にもなった。見習うべきところもある。
だが見習ってはならないところも間違いなくある。
「はは。ええと、今年からのみんなって、先輩たちとの面識どんなんだっけ?」
何かを執り成すように、蒼汰が言う。
この、基本的には《楽しきゃいい》系のお気楽男、伊丹蒼汰が気を遣うレベル。
ヤベエですよ。
「俺は、だいたいの先輩とはお会いしたと思いますが――」
「そういえばわたしは、まだ全員とは会ったことありませんでした」
と、蝶野。新歓は基本的に、妻鹿を除く今の二年で担当した。
先輩方にも少し手伝ってはもらったが、ちゃんとした顔合わせはしていない。
そんな蝶野を横目に、次いで妻鹿がこう言った。
「あたしはほとんど面識ないかも」
「ああ。妻鹿ちゃんは新歓を受けたわけじゃないもんな」
「はにゅは」
蒼汰に声をかけられてキョドる妻鹿はともかく。
続く月見里の言葉には、俺も少し考えるところがあった。
「椛ちゃんは、わたしが引っ張ってきたからねー……そっか、そういえば先輩たちとの顔合わせはやってないんだよね」
「そういやそうだな……やっべ。まったく考えてなかったけど、やったほうがいいよな?」
この問いは、部長として副部長に対する、ということで。
少し考えて月見里は頷いた。
「まあ、めっちゃ改まってまでやる必要まではないかもだけどね。フツーに紹介するくらいはしたほうがいいかも」
「一応まだ籍はあるもんな。つか、単にウチの三年の引退が早かったんだけど」
「そういえば」
つらつら話す俺と月見里に、ふと首を傾げて妻鹿が問う。
「なんでアゴ部の先輩って引退しちゃったの? だいたい夏とかじゃない?」
「んー……まあ、なんつーかね……」
ちょっと答えにくい。
言葉を濁す俺を、妻鹿や蝶野が不思議そうに見ていた。
くすり、とそんな様子に月見里が笑う。
うわバラす気か。
「ま、先輩たちみんな成績いいから。フツーに受験に身を入れるためでもあるんだけど」
それに続いて蒼汰も言う。
「それよりは単に、
「優しい先輩たちでよかったよねー、部長さーん?」
「うっせえうっぜえ」
生暖かい声に辟易する。
なぜからかわれなきゃならん。
正直、説明したくなかったのだが、こうなっては興味も持たれるというもの。
妻鹿も風道もまじまじと俺を見ているし、蝶野に至っては目を輝かせ身を乗り出して、
「どういうことですか、せんぱいっ!」
「なんでお前、こういうときばっか元気になるの……いいだろ、なんでも」
「まあまあ、そういけずを言わず。せんぱいのことが気になる後輩心なのですよ?」
「――本心は?」
「超からかえそうなのでマジ隙は逃しません」
「正直に言えばいいわけじゃない」
「あたー! えへへー……」
肩を軽く小突く俺だったが、蝶野はむしろ嬉しそうだった。
うぐぅ……。こいつの気持ちを聞いたせいか、いまいち強気に出られん。こんなことで嬉しそうに微笑まれてしまうと、俺のほうがなんだか恥ずかしくなってくる。
仕方ない。この部の成立に関わる話だ、言ってしまっていいだろう。
「……ま、要は今の三年は基本、姉貴が呼んだ仲間なんだよ」
「姉貴……、せんぱいのお姉さんですよね?」
「そう。萩枝
言い換えれば姉貴の影響下にある。あった。
全員が姉貴の遊び友達で、もちろん俺たちだってよくしてもらったが、それでも中心にいたのが姉貴だということ自体は間違いがない。
だから先輩たちは、その影響をこれ以上は残さないことにした。
俺の代になり、そして姉貴が卒業した以上、今年から入った一年生はついに姉貴と完全に面識がなくなる。
部の方針を変えるにも、姉貴という影響をリセットするにも、ここが最適のタイミングだった。まあ当の俺が《この部をなくすな》という命令をバッチリ受けているが、それは当然といえば当然の話で。
「よくも悪くも影響力がデカいからな、あの姉貴は。そんでよくも悪くも、今の先輩たちはその方針に賛同して入部したって先輩たちだから」
俺の言葉に、苦笑しながら月見里が続く。
「これからアゴ部が続いていくことを考えるなら、このタイミングで一回、それをリセットしようって話だったんだって」
「なぁるほどっ。政権交代に際し、旧与党陣営は一斉に身を引いたと」
「違うけど、まあそんな感じだ。いやぜんぜん違うけどな?」
答えながら小さく笑う。
さて。逆を言えば、俺が部長になったアゴ部は、これまでとは違うものになると先輩たちは期待してくれているわけなのだが――。
まったく。あの姉貴に惹かれるような連中は、揃いも揃って期待が大きいから困る。
俺は言った。
「なことよりほら、ゲーム続けろよ、月見里。考える時間多すぎだろ」
「えー? いや考えてなかったってー!」
「うっせ。このターンで3枚抜けなかったら負けにするぞ」
「何それ横暴ー!」
ともあれまあ、話題を切りながら考える。
確かに近いうちに、先輩たちとの顔合わせは、機会を設けてもよさそうだ。
俺たちにまだ恋は早い 涼暮皐 @kuroshira
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