1-04『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』4
小動物然とした小柄な体躯。
ひとつ纏めの長い髪がなぜか武器を思わせ、どこか近寄りがたいイメージだ。
総じてクールな印象を、一見しては感じさせる――のだ、が。
「まあ、とりあえず座ったら?」
あくまで《萩枝恋》らしいイメージを崩さず、正面の椅子を示す俺。
椛――もとい妻鹿は、こくりと小さく頷き、それから椅子を目指して歩き始めると。
がんっ。
「ぅあたっ!?」
がたがたっ。
と、手前の椅子に爪先をぶつけ、そのまま蹲ってしまった。
――本当に相変わらずだなあ、と思いつつ怒らせないよう口にしない俺。
「あ……ううぅ、痛ぁ、もぉ……部室狭いっ!」
クール気取りだが抜けているため、あんまり決まりきらないところがある妻鹿。
言ってしまえば、若干ながらポンコツが入っている。言わないけれども。
何を隠そう、彼女とは小中の同級生で。
――そして目下のところ、俺にとっては喫緊にして最大の懸念事項が彼女なのだった。
「大丈夫?」
「う、うっさいな……変な声で心配すんのやめてくんない?」
変な声、とは心外だが、足をぶつけた痛みと恥じらいから顔を赤くする妻鹿には、残念ながら威圧感というものがなかった。
むしろ微笑ましい気すらしてくる。
「まあ、大丈夫そうならよかったけどさ」
軽く肩を竦め、再び視線で椅子に座るよう促す。
それで妻鹿も立ち上がると、何ごともなかったかのようなお澄ましな表情で、そそくさとパイプ椅子を引いていた。
それで誤魔化せる相手など、俺くらいではなかろうか。
妻鹿は言う。
「……待たせたみたいね」
「っ――い、いや。そんなことは……ない、よ……?」
確かにいきなり足ぶつけるから、その間は待ったけれども。
やめてほしい。
澄ました顔で初めからやり直したりしないでほしい。
そんな露骨に編集点を作られてしまったら、堪えきれずに笑ってしまう。
今だいぶ危なかったからな?
必死に笑いを堪える俺の目の前で、妻鹿はさっと足を組むと、片肘をテーブルに突いて口火を切った。
髪をふぁさっとなびかせて、いい声で言う。
「話というのはほかでもないわ」
「――な、なるほど、聞かせてもらいや駄目だブフッ!」
「おい。何笑ってんだお前、おい? こっちは何ごともなかったようにしてんだけど!」
だからだよ、と言いたかったが言わない。
めっちゃ睨んでくる妻鹿が怖い。
「い、いや……んんっ! なんでもない。そのいきなり何ごともなかった感を演出してるとこが面白いとか、俺は思ってないからさ」
「思ってなかったら言わないでしょうがっ!」
「しまった、誘導尋問か。やるな」
「してないけど!?」
顔を真っ赤にして言い募る妻鹿だった。
仕方ないでしょ。
そこまでされたら、ツッコミ入れないともうバランス取れないよ。
俺が悪いわけじゃない。
というか純度100パーセントで妻鹿の自爆。
「ま、まあまあ。それより本題に入ろう? 昼休みだって限られてるんだしさ」
「くっ……また腹の立つ正論を。でも、その通りではある、か」
ふう、と息をついて妻鹿は自分を落ち着かせる。
こんなやり取りはいつものことだ。
今年に入ってからこの高校に転入してきた妻鹿は、かつての同級生だった俺とあまり関わり合いになりたくないらしい。
が、結果としては同じ部活になっているし、俺たちが中学までの同級生だったことも、すでに知れ渡っている。
――それが、妻鹿のお気に召さないらしかった。
懸念事項は、俺と妻鹿との不和がアゴ部にまで波及してしまわないかという点。
だからこそ、妻鹿から相談があると歩み寄ってきてくれたのは大きな進歩だ。
この機にそろそろ仲直りしたい。
そう思う俺に向けて、彼女はこんなふうに問いを投げた。
「萩枝、あんた好きな子とかいないの?」
「――――あ? なんでお前にそんなこと――……いや」
と、思わず声に出してしまったのは失態だった。
かなり毒の滲んだ声音だったと思う。妻鹿は目を丸くしていた。
俺は慌てて誤魔化しにかかる。
やっていることが妻鹿と大差なかった。
「あー、すまん。ちょっとびっくりしちゃってさ。また急に、なんの話?」
「言っとくけどあたし、別にあんたの恋愛事情になんて欠片も興味ないから。マジで」
なんだか古いタイプのツンデレみたいなことを言う妻鹿。
ただまあ、この場合は普通に本心だろう。前提を語っているだけ。
「ちょっとした確認。別に、興味があるってわけじゃないから。勘違いしないで」
「……えーと」
「ほら、この部活、みんなかわいいし。一華なんかまさにそうでしょ? それに一年生のぼたんとか。あの子なんか、だいぶ萩枝に懐いてるっぽいけど? どうなのよ」
「あー……まあ確かにみんな人気ありそうだよね、男子から」
「そういう、さも客観的に答えましたー、みたいな返事を求めてるように聞こえた?」
「いや、別にそういうつもりは。俺から見てもみんな、かわいいとは思うよ」
「じゃあ向こうに付き合ってって頼まれたら、それに応える?」
「そうだね。そんなことがもしあったら、そういうこともあるかもしれない、かな?」
「ふぅん……あっそう」
まっすぐな、まるで突き刺さんがばかりに鋭い妻鹿の視線。
――こいつはマジでいったい何が聞きたいんだ?
正直、俺は混乱していた。喧嘩ばかりの妻鹿から俺に対して、いきなり恋バナを振ってくる意味がわからない。
朝のラブレターじゃないレターの一件とは違い、まさか妻鹿が、今から俺に告白してくるなんて勘違いもできないだろう。ただただ純粋に謎だ。
「いや、まあ……正直あんまり、恋愛とか考えてないんだけどね?」
困惑しすぎて、思わず本心を零してしまった。
ただ、むしろ完全に本心だった言葉を、妻鹿は建前だと受け取ったらしく。
「……まあ、言いたくないなら無理には訊かないけど」
そんなふうに呟く。
誤魔化したつもりはなかったが、それで誤魔化されてくれるなら結果オーライか。
「で、何? もしかして相談って恋愛関係?」
このまま流してしまえとばかりに、俺は話題を戻す。
――そんなわけないでしょなんであんたに恋愛相談なんてするのバカじゃない?
という反応を予期して。軽く笑いながら。
妻鹿は答えた。
「……まあ、そういうことになる」
「そっか」
四月の転入以来、ずっとギスギスしていた妻鹿が、恋愛相談かあ……。
俺は余っていたサンドイッチを手に取ると、白いパンの部分を剥がした。
具のタマゴとレタス、ハムにマーガリンが見えた。そして剥がした片側のパンだけを口に放り込んだ。
「え?」
妻鹿が絶句していた。
どうしたんだろう。
「何その食べ方……どうしたの……? なんでパンだけで食べてるの……?」
「あれ? 何かおかしかったかな?」
「えぇ……いや、まあ、それでいいならいいけど……」
「ところでこのサンドイッチ、パンの味しかしないね。不良品かな?」
「本当にどうしたのさ!?」
わからない。
混乱しすぎて驚異的に意味不明な行動を取ってしまった。
しかもその間の記憶まで飛びかけていた。
え? パン、今、俺が食べた?
マジ?
「で、ごめん。なんの話だっけ。朝方、俺の下駄箱に入ってたラブレターの話だっけ?」
「そんな話してな――いや待って!? 萩枝、女の子からラブレター貰ったの!?」
「ああ、違う違う」
「違うんだ……いやいやいや。違うのにラブレター貰ったって謎の嘘ついたの……?」
「男からだったんだよ」
「じゃあ違わなくない!? っていうか、え、それこそどういうこと!? 待ってよ、あたし混乱してきたんだけど……!?」
「俺もしてる」
「知ってる!」
がたりと立ち上がってツッコんでくる妻鹿だった。なんだかんだノリはいい。
まあ、妻鹿がボケたからね。恋愛相談なんて。
俺のほうもボケておかないとバランスが取れないからね。
割合で言うと十割くらい素だったけど。それ全部なんだよなあ。
……まさか妻鹿から恋愛相談を受けるとは、微塵も想像していなかった。
「あー……一応訊くけど、さっきの話、マジ?」
冷静さを取り戻して、俺は訊く。
「や、むしろあたしのほうが詳しく訊きたくなってきたけど……マジだよ」
「それは……なんだ。その、相手は――」
「うん」
妻鹿は、少し顔を赤らめる。
それでも、まるで言い切ることが気持ちの証だと言わんばかりに、彼女は続けた。
「――伊丹だよ」
まあ、そういうことになるのだろう。でなければ俺に言う意味がない。
俺はよく知っていた。伊丹蒼汰がモテるということを。
いや――それ以上に。
中学時代から、妻鹿椛は伊丹蒼汰に惚れていたということを、だ。
「……変わってないんだな。今もまだ……蒼汰が好きなのか」
思わず、そう零してしまった。なんだか懐かしい気持ちになったせいだと思う。
中学時代のことを、俺は思い出していた。
当時、俺は妻鹿の恋愛相談に乗っていたのだ。
俺と蒼汰、そして妻鹿は、三人とも同じ中学の出身で、そのときから俺はふたりと親しく、妻鹿は当時から蒼汰が好きだった。
結局、妻鹿は卒業前に引っ越してしまい、彼女が蒼汰に告白することはなかった。
俺たちの関係もそこで終わったが、なんの因果か、妻鹿は再びこちらに戻ってきたし、今でも変わらず蒼汰のことが好きだという――なんとも一途なものだった。
「あ。じゃあもしかして、この部活に入ったのって」
ふと気がついて、俺は言う。
二年に進級した直後、妻鹿は俺のクラスに転入してきた。まだ二か月前のことだ。
そのとき、妻鹿はもう今のような――中学生の頃とは別人のような――性格に変わっていて、だがそれを知らなかった俺は普通に声をかけてしまった。
『あれ、椛か?』
『え? あ――ま、まさか……恋くん?』
お互いに想定外というか、俺がこの高校だと妻鹿は知らなかったらしい。
そしてこの運命の再会めいた顛末のせいで、俺たちが中学の同級生だったことは、一躍クラス中に広まってしまった。
引き裂かれた恋人の再会だと思った奴もいたとかだ。
――妻鹿は、それが気に喰わなかったらしい。
そりゃそうだろう。大事な転入デビュー計画を俺がブチ壊したのだから。
彼女はすぐさま俺を呼び出し、まるで脅すようにこう伝えた。
『いい? あたしはね、この学校ではね、昔と違う……そう、クールで頼れる美少女ってキャラで通そうと思ってるわけ。あたしは変わったわけ』
『え、でも妻鹿にそのキャラ設定は無理が、――いやなんでもないです』
『――チ。とにかく、あたしの中学時代のことは、絶対誰にも言わないで。ね、そうしてくれるよね? そのくらいの約束は、守ってくれるよね――ねえ、萩枝?』
『……了解』
因果は巡るというか、なんというか。
月見里を脅迫してアゴ部に入部させたことの罰が、一年後に戻ってきた感じ。
確かに、この学校で俺と同じ中学なのは、あとは蒼汰しかいない。
そして実は、蒼汰と妻鹿はあまり接点がなかったのだ。
俺さえ黙っていれば、妻鹿の中学時代は秘匿される。
言いふらされたくないという過去を、わざわざ吹聴して回る趣味はない。
俺は妻鹿の脅しを呑んで、彼女とは極力、関わらないようにしてやろうと思った――のだが、なぜか直後、妻鹿は月見里に連れられてくる形でアゴ部に入部してきた。
俺がアゴ部だと知らなかった――二か月前の妻鹿は俺にそう言ったが、なるほど。
目当ては変わらず、蒼汰だったということか。
「いや、違うから」
妻鹿は俺の勘繰りを否定した。
「違うのか?」
「普通に、楽しそうだと思って入ったの。萩枝がいるなんて知らなかったし、そのときはそもそも伊丹がこの学校だってことも知らなかったから。それに、萩枝がいるから辞めるなんて、それはそれで、萩枝に影響されてるってことになるでしょ。それは癪じゃん」
「なるほど……そういう言い方をすれば、まあ、そうかもね」
「先輩たち優しいし、一華がいるなら変な部活じゃないとも思ったしね……あとそもそもあたし、ボードゲーム結構好きだし」
「……まあ妻鹿は、中学時代はかなり――」
「それ以上言ったら殺す」
殺されたくはなかったので、俺は黙った。
いずれにせよ、変な部活だと知らずに入部してしまったのはご愁傷様だ。噂を知らない転入生なら引き込めると、月見里に騙されたのだろう。
「オーケー。また中学のときみたいに手伝えってことでいいのかな?」
ともあれ俺はそう確認する。その程度ならば、請け負ってもいい範疇だろう。
大したことができるとも思わないが、経験者ではある。
妻鹿と蒼汰、両方の知り合いであり、部活まで同じなのだから、何かしら手伝えることもあろう。
――それに。
正直、負い目もある。
中学時代の俺は結局、妻鹿が転校するまで何もできなかった。
あるいは、妻鹿が俺に対して怒っているのは、その件も含めてなのかもしれない。
なら確かに、妻鹿には俺に怒る権利があるし、それを償う場をくれるのならありがたかった。
「別に……どうしてもってわけじゃないから。嫌なら言ってくれていい」
だが妻鹿は、なぜか気まずそうにそんなことを言った。
その様子は少し不可解だ。てっきり、もっと強気にくると思っていたのに。
「いや、俺はいいよ。部員同士が仲よくしてくれるんだから、むしろ歓迎したい」
「はあ!? ちょっと、なんで嫌がらないの!?」
「なんで俺は嫌がらないことを怒られてるの……?」
「そ――それは、そんなこと別にどうだっていいでしょ!?」
ぷんすか怒る妻鹿だった。意味わからん。
「そんな疑わしそうにしなくても。まあ確かに、何ができるってわけでもないだろうけどさ。それでも、まあ、それとなくフォローするくらいだったらできると思う」
そう言った俺を、妻鹿は細い目で見つめる。
「……あんた、そんな友達思いな奴だったっけ?」
「えぇ。まさか引っかかってたの、そこ?」
俺はひとつも嘘をついていないし、全て本心なのに。酷い話だ。
「いや、そんな友達を思ってって感じのことでもないけど。でもこのくらい、普通にする程度のことでしょ。どっちかと言えば、さっきも言ったけどこの部活のためだよ」
「部活のため……?」
「姉さんからどやされててさ」
軽く肩を竦めての言葉に、妻鹿も「ああ」と納得する。
それだけで納得されてしまうのも、個人的には微妙な気分だけど。
「部長になったからには部のために働け、ってね。だから、これは別に交換条件ってわけじゃないけど、部活にはちゃんと来てほしいな」
「わかってるよ。今さら辞める気もないし」
ふむ、ならよかった。部活を去られるのだけは本当に困る。
妻鹿は、そこでわずかに肩を竦めて。
「ま、さすがにフラれちゃったらわかんないけどね? それはさすがに気まずいし」
「んー……それは、ちょっと聞きたくなかったな」
「いや、別にフラれたからって、それをあんたのせいにはしないけど」
「そういうことじゃない……てか、そこは疑ってないよ」
態度こそキツいが、それでも――妻鹿椛はとてもまっすぐな人間だ。
俺のような奴とは根本的に違う。
そして、そういう人間が俺は苦手で――だけど嫌いになれないのだ。
あの姉と、どこか似ているからか。
「……妻鹿は本当、昔と変わってないよな」
二年近くの別離を挟んで、再会してからまだ二か月ちょっと。
当初こそ面食らう俺だったが、それでも彼女はかつてと同じく芯がある。
「変わってない、って言われてもね……」
「妻鹿としては不服か?」
「あたしは、昔とは変わったつもりでいるから」
それも理解できる。少なくとも表面上、妻鹿は中学時代から大きく変化している。
俺が言っているのは内面の話。いや内面が変わっていない、という表現は得てして悪い意味で使う気がするけれど、そうではなく。
あまり上手い褒め言葉が見つからなかった。
口を閉ざす俺。
そこで妻鹿はふっと薄く微笑んで、こんなことを言った。
「でも……そうだね。確かにあんたと比べれば、そんなに変わってないのかも」
――お前は、昔とは変わってしまった。
表情というよりは口調から、俺はどこか責められるような雰囲気を感じた。
気のせいだと言われれば、納得するしかない程度のわずかな感覚として。
かもしれないな、と俺は思ったし、そんなことはないとも思った。
それは矛盾しない。俺には、どちらが正しいのかわからなかったからだ。
逆を言えば、そんなものなのかもしれない。
「……ま、とりあえず了解。応援させてもらうよ」
「ん。……別に期待してないけど、よろしく」
小さく頷いて言う妻鹿に、せめて笑顔を向けたいと思った。
これが、昼休みの顛末である。
何やらシリアスな空気に満ちていたが、なんのことはない、ただの恋愛相談だ。
いや、あるいはそれ以前の問題だったという気もする。
ともあれ、これで俺は《妻鹿椛は伊丹蒼汰が好き》という情報を手に入れた。
応援したいと思ったのは嘘じゃないし、実際そのつもりだった。
そのことだけはどうかご理解いただきたい。
俺は本心から、妻鹿の恋心が成就すればいいと願えていたのだ。
さて。
――ここまでは、まだまともだった。
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