俺たちにまだ恋は早い
涼暮皐
第一章
1-00『プロローグ/AGO部の六人』
人間であることより日本人であることより高校二年生の男子であることより何より、俺にとっては部長であることが最も大きなタグなのだ。
アゴ部部長、萩枝恋であること以上の問題は俺にない。
なぜなら《部長》には、その部を守るという責務が発生するからだ。
「やっぱそろそろ新しいの買いたいよな?」
そんな言葉が耳に届いた。
今、俺がいるのは通っている高校の特別棟――その中にある部室のうちのひとつ。
この学校では最も新しく、今年でまだ設立三年目の新設部。それが俺の所属する部活だった。
名を、アナログゲーム部。
俺の守るべき仲間でありながら、同時に最も俺の頭を悩ませている元凶であった。
「最後に買い足したのいつだっけ? 確かだいぶ前だよな」
同じ学年の友人である男――仮に男子Aとしよう――が言う。
Aの特徴は顔がよく、ついでに性格もよく、ひいては女子ウケもよいという点。
では実例をご覧いただこう。
「そ、そうだねっ! あたしが入部してからは……その、まだひとつも増えてないね!」
答えたのは、こちらも同級生であり、けれど友人とは言い難い――女子Bだ。
俺と同じ二年だが、今年からの転入生であるため、部として見れば一年と同じ新入部員となる。
「そかそか。確か、ひと通りは遊んでもらったよな?」
「そ、そうだね! いろいろ、教えてもらったよ。えへへ、
男子Aが笑えば、女子Bも笑う。だがAの自然な笑みと違い、どこかBはぎこちない。
その理由はごく単純なもので。
「ちなみに、
「そ、そうだねっ。い、伊丹に教わったカタンとか……楽しかった、かなっ!」
男子Aが微笑みかければ、あたふたしたように答える女子B。
そうだね。カタンは名作だよね。俺も好きだ。――心中で現実逃避する俺。
この光景を見れば、よほどの鈍感でない限り気づく。
Bが、Aに惚れているということに。
実に青春。真に思春期。春の終わりに相応しき、甘酸っぱい高校生の日常だ。アオハルかよ、と思わず吐き捨てたくなること請け合いの光景だった。けっ(実行)。
――とはいえ、こいつは単に、俺が恋愛嫌いだからというバイアスでしかない。だから色眼鏡をかけてしまうだけで、そのこと自体は自覚している。
別に構わないのだ。
好きとか嫌いとか最初に言い出したのが誰だろうと、恋愛くらい自由にすればいい。
他人に迷惑をかけない限り、あるいは法に違反しない限りにおいて、自由恋愛とは認められるべき権利であろう。んなこた俺だってわかっている。
恋愛感情は善だ。もしくは正。そいつを表立って批判することが難しい概念。
しかし、でありながらヒトはこうも言う。
みんな仲よく――それもまた善であると我々は教えられて育ってきた。
だが恋愛感情を特定の個人に向けるということは、そのために《みんな》を二の次にするという意味だ。
――おや? この時点で矛盾しているではないか。
そう、誰だって自明に知っているはずなのだ。
恋愛とは、概して集団を破壊し得る《毒》であるという事実を。
「なるほど……先輩は、どちらかといえば王道のゲームを好まれるのですね」
過ぎるほど丁寧な口調で声を発したのは、新入生である後輩――男子Cとしよう。
それに、さきほどの女子Bが答える。
「言われてみれば、そう、かも? 凝ったコンポーネントが好きなのかな。なんかすごいにわかっぽい発言だけど」
「いえ、なるほど。参考になります……なるほど」
「あ、うん。それならいいけど……、参考ってなんの……?」
「さすがは
やり取りが噛み合っていないBとC。とはいえこれもいつものこと。
ただし、ここに外から見ているだけではわかりにくい――丸わかりなBとは異なる――ある要素を含めれば、話が変わってくる。
すなわち、――堅物CくんはポンコツBちゃんに惚れているという要素だ。
「そ、そっか……感服されちゃった、かあ……? ならよかったよ……? うん」
「……? はい。俺は椛先輩を尊敬していますから」
――この時点でもう見ていられない。
もうアカンて胃が痛い助けて。
この後輩が実は必死にアピールしているという事実を、知っていることそれ自体が嫌だった。
男子Cなりの不器用なアプローチは、女子Bにまったく届いていない。
一方で女子Bのポンコツめいた態度の意味だって、男子Aは理解していないのだ。
――要約すれば俺は今、目の前で失恋を事実上ふたつ見ている。つっら。
「あっはは! やっぱ風道くんは真面目だよねー。なんにでも真剣っていうかさ。うん、そういうのいいと思う」
ここにプラスで女子Dも投入されるのだから、腹部から頭部パーツまでダメージが貫通して胃どころか脳まで痛くなってくる。
D――彼女もBと同じく同級生の少女だ。
そしてDは新入生であるCに、さっそく目をつけているという話だった。
おいおい、早くも三つ目の失恋だぜ、参っちまうね。俺が。
「そう、でしょうか? まだまだ先輩たちには及びません」
「実力の話? 別に私らもそんなゲームガチ勢ってわけじゃないけど、まあ部費も少ないからねー、あれこれ買うってわけにもいかなくてさー。去年までの先輩たちが、どっちかっていうと、ひとつをとにかく極めに行くスタイルだったのも大きいかも」
「なるほど……俺もまだまだ精進が足りない」
「風道くんならすぐ上達するって! 私もいっしょに練習とか付き合ってあげられるし」
仲のいい部員同士、先輩後輩同士の会話……そうとだけ見ていられれば、どれほど幸せだったことか。
だが事情を知ってしまった俺にはもう、そんなふうには見えなかった。
仲のいい部員同士――が誰かに優しくする理由は狙いをつけてるからなんですよ。
別にそれが悪いとは言いませんけどね。
打算も偽善も悪くはない。ただ俺の胃が痛いだけだ。
「いや、つってもまだまだ数少ないし。後輩のためにもメジャーどころから増やそうぜ」
男子Aが言って。
「う、うん! いろいろ試してみないとわからないこともあるしねっ!」
女子Bが言って。
「はっ……。やはり俺は考えが足りない。そうか、広い世界を見る……さすが先輩」
男子Cが言って。
「そんなに予算ないからねー。買うものは相談! 風道くんも意見言っていいからね?」
女子Dが言った。
そして俺は頭を抱えたかった(抱えない)。
好きな相手の意見に追従することで、表向き保たれるバランス。
しかしこの部が描く、さながら恋愛ランドルト環とでも呼ぶべき人間模様は、常に崩壊の危機と隣り合わせだ。
D→C→B→Aと流れるように巡る恋のベクトル。
円環の理が導き出す解は惨劇の未来。それは失恋ドミノ倒し。ひとつ崩れれば、全てが破綻する。
ランドルト環だからね。切れ目あるからね。恋愛視力検査だぞ? 勘弁して。
「胃が痛い……」
思わず言葉にしてしまった俺を、いったい誰が責められるだろう。
誰かには、まあ、できるのかもしれない。
だが、だとしても俺の部長としての心労くらいは、慮ってもらいたいもの。
「どうかしましたか?」
と。そこでこの部の最後のひとり――後輩の少女に声をかけられる。俺は笑って、
「いや別に、なんでも?」
「え。でも今、胃が痛いって――」
「言ってないよ」
「でも」
「『意外たい』って言っただけだよ。いやー、これは意外たい。驚きやけんね」
いつだって俺は、適当なことばかり言っている。
誤魔化すのは得意なのだ。――それが後輩の少女に通じるのかはともかくとして。
「なぜ訛るんですか」
「生まれが博多だからかな」
「いや、せんぱい、ここの地元でしょう。埼玉でしょう。大嘘じゃないですか」
「そうだけど……なんで俺の出身地を知ってるんだよ、君が……」
「後輩ですから」
むふん、と後輩女子は胸を張る。
「せんぱいのことでしたら、なんだって知っておりますとも。後輩ですから! 後輩っ! なにせっ!」
「そうだね。うん、後輩だからね……だから何?」
理由になっていない理屈に、もはや俺のほうが誤魔化されている気分だった。
入部して以来、なぜか彼女は自分の《後輩》という属性をやたら強調してくるのだ。
「せんぱいはいつも、しなくていい苦労ばっかしてますよね。めんどくさい……」
「どういうこと?」
「どうもこうも言葉通りですけど。わかってますよね?」
「…………」
小声の後輩女子は、ランドルト環の中にいないという一点だけでも、唯一と言っていい俺の味方だ。
ただし性格がアレなので、役に立つかどうかはいまいちわからない。
「ほんと、せんぱいは後輩がいないとダメですねっ」
耳元で囁くように告げられる後輩の言葉。こいつもこいつで何を考えているのやら。
こんな俺にだって、適当では済ませられないことがあるのだが――いくつかくらいは。
「――しかし、誰が買いに行くことにするよ?」
たとえばこんな話題が出たときとかに。
「みんないろいろ忙しいだろうし、たまにはオレが働くかー?」Aが。
「そ……そしたら、その……あ、あたしも行こうか!?」Bが。
「む。それなら俺も社会勉強の一環として、ぜひご同行させていただきたく」Cが。
「と言っても予算は私が握ってるしねー。一年生にもいろいろ教えたいし!」Dが。
会議は踊る、されど進まず――。
なぜならその裏側に別の思惑が入り混じっているからだ。恋愛という名の個人主義が。
だから、誰もが好き勝手に、ただ自分の意志を通そうとしている。俺は胃が痛い。
俺は笑顔を浮かべ、全てを誤魔化すようにこう告げた。
「それじゃあ、みんなで行こうか。みんなで仲よく、――ねっ!」
俺の願いは単純だ。ただ部長として、この部を守ろうという以外に何もない。
恋愛でもなんでも好きにやってくれればいいというのは本心だ――この部を脅かさない限りは。
――だからこそ、ああ、お願いだから勝手に失恋しようとしないでほしいのだ。
集団とはそこに所属する人間同士の関係性によって成立するもの。
それは部活動も同じ。
極論、部員全員が部活を辞めれば、それは廃部となんら変わりがない。《部活を存続させる》とは、《部内の人間関係のバランスを取る》ことと同義だ。
何よりそれが高校の部活動ともなれば、そこに集まるのは思春期の男女である。
惚れた腫れたで盛り上がっては、くっついたのフラれたので一喜一憂する若年性恋愛性動物。
ちょっと拗らせるだけで、人間関係とは一瞬で崩壊するものなのだ。
ましてこの、両想いのペアはひとつも成立していないのに、片想いばかりが見事すぎるほど連鎖している状況……部が崩壊しかねない、という危惧は決して笑いごとではない。
――ではどうする?
この部活を、このままの形で存続させるにはどうするべきか。
誰かの恋愛が成就するということが、誰かの恋愛が失意に終わることと同義であるこの状況において、部のためにできることが俺にあるとするのなら、それは。
そう――部員全員の恋愛をことごとく邪魔しきること以外にあり得ないではないか。
これは、そういう物語である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます