1-01『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』1
『――アゴ部を頼んだよっ!』
先代部長からそう言われたのが、今からひと月ほど前のこと。
俺はその言葉に強く頷いた。
「任せてください。三代目部長としての務め、必ずや果たしてみせましょう!」
と。誰よりお世話になった先輩が、安心して引退できるよう。
「さすがは
「ええ。姉さんが創り、先輩が繋いだこの部活を、俺の代でも守ってみせますとも!」
実に感動的なやり取りであった。
背が低く、小動物を思わせる先代部長の儚い笑顔――守護らねば。
「すごいよ恋くん、カッコいい! 光ってるよ、光り輝いてるぅっ!」
「ははは。よしてください、照れますよ」
「よっ! 大統領! いやさ将軍! 征夷大将軍っ!」
「ははは」
「家光っ!」
「ははは。……うん?」
徳川三代将軍は何も物理的に輝いてはいなかったろう。
だが先輩の光るような笑顔を前に、そのような無粋な指摘は必要あるまい。
実に感動的な以下略。
もともと感激屋な先輩だから、よく笑うのと同じくらいよく泣いている。とはいえ引退というこの日にまで、その表情を曇らせることはあるまい。
俺は自分にできる最高の笑顔で、先輩の今後を祝した。
実際、この一年間、よく部活を守ってきてくださったものだと思う。
変人が多いなどと失礼極まりない偏向報道を受けるアゴ部のため、身を粉にして尽力してきてくださった。
これまでのお礼とともに、今後の不安を取り除き、後顧の憂いなく受験勉強に専念していただこう。
それが後輩としての、また部長の座を継ぐ者としての務めだろう。
「うぅ……先輩から受け継いだこのアゴ部。大変だったけど、それでもわたし……部長をやってよかったよぉ……っ! ありがとうね、恋くんもね……っ!」
「ほらほら、泣かないでください、先輩。まだあと一年あるんですから。いつでも部室に遊びにきてくださって構いませんからね? みんなと待ってますよ」
「うん……っ!」
涙を拭い、代わりに可憐な笑みをその表情へと浮かべて。
偉大なりし先代部長は言った。
「そのときは、わたしにできる全ての力を使って、みんなをボコボコにするからねっ!」
「――うん。そういうとこホント、先輩もアゴ部員って感じですよね」
「え?」
「いえなんでも」
愛らしい笑みで怖いことを言う小さな先輩に、首を振って俺は言った。
悪い人じゃないんだけどな……およそ勝負ごとの全てを、殺すか殺されるかのサムライめいた価値観でしか考えられないこと以外は、基本的に優しくていい人なんだけど。
その一点がかなり致命的(敵対者にとって)という点を除けば……。
あれは去年の春、アゴ部に道場破りの野球部員たちが来たときのことか。
低い身長で、ちょいちょいと俺の袖を引っ張りながら、小首を傾げて「処す? 処す?」とか訊かれたとき、俺はこの人に一生逆らわないと決めたのだ。
かわいい顔してバーサーカー……。
「それじゃ、鍵は俺が閉めとくんで、先輩は先に帰っててください」
「そう? それじゃお願いしちゃうね! アゴ部のみんなによろしくね……!」
軽く鍵を揺らす俺。
先輩は、最後まで名残惜しそうにしながらも、そうしてアゴ部を引退していった。
これからは俺が三代目アゴ部部長として部員たちを引っ張っていかなければならない。
「…………」
誰もいなくなった部室。
春の日は長く、放課後になっても外からはまだ明るい西日が差している。
この学校では空調は全て中央管理が敷かれているから、少し暑く感じようと冷房はまだつけられない。
俺は、この春に高校二年生へと進級した。
一年間通った部室だから、すでに風景は見慣れている。
中央の簡易テーブルと、それを囲うように並んだパイプ椅子。棚には種々のアナログゲームが並んでおり、それ以外にも部員の私物などで雑多に散らかっていた。
部室にひとり。俺は椅子のひとつに腰を下ろした。
俺にはこのアゴ部を守る使命がある。
そのためにできることは全てやろうという意志もあった。
さきほど先代部長に対して告げた宣誓に嘘はない。ないのだが――、
「……にしたって部長、かあ」
アゴ部――正式名称にしてアナログゲーム部。
アナログゲーム部→アゲ部→アゴ部→いやアゴってなんだよ→
ぶっちゃけあまり間違ってはいないが、お陰で俺のような真人間が苦労する。
我が校では実に十数年振りに新規創設された部活動であるらしい。
その設立メンバーがさきほどの先代部長であり、また俺の姉でもある初代部長たちであった。
俺は、それを引き継ぐ三代目部長である。
なにせ頭の固い大人には理解されがたい部活であるから、また何よりこれまでのアゴ部メンバーが軒並み問題児ばかりであったことから、幾度となく廃部の危機に陥ってきた。
そのたびに窮地を乗り越え、守られてきたこの部室には、歴代アゴ部員たちの血と汗と涙が滲んでいるのだ――というのが初代部長である我が姉君の言。
とはいっても、
「部長はなあ……正直やりたくはなかったあ。俺の高校生活はここからなんだから……」
――そうだ。当初の予定では、俺の高校生活は二年生からが本番のはずだった。
ゆえに一年生の間は地盤固めに終始し、二年へ進級することで得られる真の《自由》のための、雌伏の期間にすると決めた。
至福は雌伏の先にこそ在れり、的な。
なんでもいい。
部活動に励むでもバイトに勤しむでも友人や恋人との関係に青春を見出すでも。
いや、たとえ灰色の生活になってしまうのだとしても。
それが自分の、自由なる選択の結果であるというなら甘んじて受け入れよう。失敗もまた、人生の糧になると聞く。
……問題は。
俺にはこれまで、本来あるべきその《自由》がなかったということ。
全ては我が愛すべき(と強制されし)姉君のせいである。
幼い頃から、俺は姉に頭が上がらなかった。
それはもうまったく上がらなかった。
正確には幾度となく反逆を試み、そのたびに上げた頭を引っ叩かれているが、この点は瑣末としておこう。
頭を上げても物理的に下げられるのだから上がらないも同然……。
とにかく、ことあるごとに俺の人生は、ふたつ年上の姉に掻き乱され続けていた。
その詳細な内容は来るべき自由な未来のため口を閉ざしておくが、我が親愛なる姉君がとんでもなくとんでもない人間であったことだけはご理解いただきたい。
傍若無人の権化。
自分が世界の中心であることに一切の疑いなく行動し、向かう先々で騒動を巻き起こす永久機関のお祭り女。
この世は面白い、よって私も面白く生きる――という姉君の金科玉条には一定の理解を示したいところであるが、その負債全てが弟である俺にのしかかってくるとなれば、出てくる感想はひとつ。
正直やってらんない、だ。
曰く《人間核弾頭》、《歩く現代の病巣》、《移動型震源》、《意志持つ活火山》……姉君を表現する言葉であれば枚挙に暇がなく、またご勘弁いただきたいことに全て自称である。
せめて他称であってくれよ。
そんな最悪の自己認識、ホントいらないから。
まあ要するに、生粋の派手好きであると思っていただければ大枠は外していない。
――俺の自由はいつだって姉に乱され続けてきた。
だからこそ。ゆえにこそ俺は、姉が卒業して学校を去る二年生からを高校生活の本番と据えた。姉にさえ絡まれなければ、俺は俺の生活を自由に過ごせる。
ここからが俺の人生だ。
やりたいことを、やりたいようにできる。
そんな当たり前の生活がようやく始まる。
なんてことを暢気に考えていた俺が馬鹿だったという話になるんですけどね。
姉――萩枝マナはこの高校を卒業し、大学へ進学した。
二年生に進級した俺は、もはや姉の影響なく全てを自分の自由にできる。
はずだった。
俺が三代目部長に指名されたと姉が知るまでの、儚き幻であった。
『私が創り上げた部活を頼んだよ、恋。もし廃部になんてしたら……わかってるね?』
というお姉様からの勅命が俺の行動全てを縛ってしまったのだ。
部活を辞めようとまでは考えていなかった俺が、初めて退部を考えた瞬間である。
げに恐ろしきは、いなくなってもなお残る血縁者の影響力と言うべきか。
結局のところ姉に逆らってもいいことがない――というか従っていたほうがむしろ得をするため、俺に選択肢はない。傍若無人で厄介ごとばかり持ってくる姉だが、そんな姉に従っていれば人生結構楽しいのである。
俺も、決してあの姉が嫌いではないのだった。
生まれつき、世界の正解を知っているような女とでも言えばいいか。
そんな姉だからこそ、頼らず縋らず自分の力で生きてみたいという決意だった。
「……まあ、大丈夫だとは思うんだけどな……」
校内の、誰もいない部室で盛大に呻いたことが功を奏したか。
少し気分を持ち直して俺は言った。
実際問題、そうそう廃部になんてなるはずがない。
設立メンバーこそ突飛な人間ばかりだったが、今のアゴ部に残るメンバーはそれなりに常識を知っている……たぶん。
というか、教室のことを、人生ゲームのマスか何かだとしか認識していない姉が純粋におかしかっただけだ。
そりゃ教師陣からの受けもよくなかっただろう。よくわかる。
変人揃いだった先輩方が引退しきった今、アゴ部もそうそう目の敵にはされないはず。
「……うん。冷静に考えれば、それほど困ることもないな」
あえて口に出して言ったのは、自分に言い聞かせたかったから。
要は廃部にさえしなければいいのだ。
この部活を、アゴ部をきちんと存続させたまま、一年後に部長の座を後輩へと明け渡せばいい。むしろ普通、廃部になるほうが難しい。
俺は気分を持ち直した。
確かに、行動規範を今も姉に縛られているのはあまりいい気分じゃない。
仮に失敗でもしようものなら、どんな罰を受けるか想像するのも恐ろしかった。
それは事実だ。
だが、そもそも部活を管理するのは部長の役目。
安易にでも引き受けてしまった以上は、その責務をきちんと果たさなければならない。
その意味で言えば、困ることなんて何もないかもしれない。
「ま……なんとかなるだろ。いや、する!」
その呟きが、俺の決意の表れだったと言えるだろう。
一年間、アゴ部を平穏に運営する。その目標のためにがんばろう、と俺は決めた。
――知らなかったからだ。
今、アゴ部に残っている面々が、先輩たちとはまた違った意味で厄介なのだと。
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