1-13『恋愛脳(NO)』1

 ……あれ、また手紙が届いてる。


 昇降口に入った俺が、下駄箱の中のそれを見つけてまず思い出したことは、言うまでもないが風道から手紙を貰った一件だ。そのせいでラブレターという発想が消えていた。

 すぐに読まなかったのはそれが理由だ。


 考えるまでもなく、それが風道からだと信じて疑わなかった。

 思えば《せんぱいへ》と書かれた宛名が筆ペンではなかったし、便箋も別のものだったというのに。

《下駄箱×手紙=ラブレター》という中学校レベルの公式すら、頭から抜け落ちてしまうというのだから、いやはや先入観というものは恐ろしい。


 七月三日、水曜日。

 夏休みを目前に控えたこの日、アゴ部の今年を彩る最初の事件が勃発することとなる。


 これはその契機のひとつではあったが――しかし最大のものではなかった。



     ※



 ――事件その二。手紙を手に入れてすぐあと、教室。

 席に着き、一限の準備をしながら、さてそろそろ手紙を読むかと俺は封を開ける。この手紙が風道からだと確信していた俺は、特に辺りの目も気にしていなかった。

 便箋を取り出し、目を落とす。

 そこには、こんな文字列が記されていた。




『萩枝せんぱいへ

 好きです つきあってください』




「…………………………………………おふぇ?」


 二度見して、三度読みし、四度目の確認を終えたところで喉から出る変な音。

 何をどうしたところで勘違いする余地もない、それは明白な俺に対するラブレターであった。


「ん? ん、ん……んん? え、あれ? うそ……え、マジ?」


 瞼をぱちぱちと瞬かせる。

 だが何度疑ったところで疑う余地などどこにもない。


 恋文だった。


 送る相手の名前がしっかり書いてあるし、そもそも俺の下駄箱にあったし、何よりそれ以外の解釈ができるような文面ではまったくなかった。

 ラブコメディにありがちな勘違いを許さない、まさにパーフェクトラブレターだった。


「……………………ま、マジか……」


 託されたことならともかく、自分宛てのラブレターを貰ったのは生まれて初めてだ。

 いや、このご時世、わざわざ手書きの手紙に愛をしたためる者も少なかろう。

 となればさらに貴重だし、貰えるだけ恵まれていると言っていいはず。なるほど、月見里が言っていた《いいこと》とはこれのことだったのかと、頭の片隅で奇妙な納得が生じていた。


 ……あまりにもタイミングが悪すぎる。

 どうする? どうしよう、どうしたらいいんだ?


 まったく想定していなかった事態に、混乱しすぎて頭が回らない。

 いくら読み返しても変わるはずのない文面を、繰り返し目で追ってしまう。

 ちょっとしたパニックだった。


「……何読んでんの、萩枝?」

「うわあっ!?」


 お陰で声をかけられただけで、驚いて叫びを上げてしまった。


「うわわっ……ぁ痛あっ!?」


 俺の驚きのリアクションに、声をかけた側も驚き、その勢いで机に手を打っていた。

 相変わらず、しっかりしていると見せかけて抜けている奴だ。


「あたたぁ……び、びっくりしたなあ、もう! いきなり叫ばないでよ……」


 ちょっと涙目になっている妻鹿が、手をさすりながらそんなことを言う。


「な……なんだ、妻鹿か。お前こそいきなり話しかけんじゃねえ。驚くだろ、この野郎」


 咄嗟に誤魔化そうとする意識が働いたせいで、俺はそんな言葉を返してしまう。

 これが悪手だった。

 手を痛めたのは妻鹿のほうだというのに。

 普段はまったく見せない口の悪さを、いきなり露わにした俺に、妻鹿が怪訝そうに目を細める。

 視線はそのまま、俺がテーブルの上で手に持っている手紙へと、当然向いた。


「……どしたの、あんた?」


 細められた、探るような視線がぐっさりと突き刺さる。

 まずい。基本ポンコツのクセして、どうしてこういうときだけ勘がいいんだ。


「別に、どうしたも何もないだろ……ないけど?」


 だがこういうときこそ、無駄に回る口の見せどころ。

 大丈夫。適当なことを喋り続ける、という行為には一定の評価を得ている俺だ。

 それ人生においてなんの役にも立たないね、と言われ続けて十六年弱、本当は役に立つってところを見せるときがきた。


「ちょっと手元に集中してたから周りに気づかなかっただけだよ。それより妻鹿こそ急にどうしたのかな? ああ、そういえば昨日はどうだった? 上手く行ったかな、あはは。ここで話すことでもないかもね。うん、その件に関してはじゃあ放課後にでもまた話そうか。大丈夫、まだまだこれから時間はたっぷりあるからね。ところで一限目の授業は確か英語だっけ? 宿題があったと思うけど、妻鹿はちゃんとやってるよね? どうだろう、出席番号順で俺が指されるかもしれないから、ちょっと答え合わせでもどうかな?」


 立て板に水とはまさにこのこと。

 ぺらっぺら捲し立てた俺に、妻鹿はこう返した。


「よく喋るね。何、隠してんの?」


 こんな才能は人生においてなんの役にも立ちゃしねえんだチクショウ。


「……別にそんなことないと思うけど」

「あんたがペラペラ喋るときって絶対なんか誤魔化そうとしてるときなんだよね。本当、誤魔化すのは得意でも隠すのは下手っていうか。何かあるのバレバレじゃん」

「…………」

「それ、あたしに隠すってことはあたしに関係あるってこと? てか、その手紙がすでに怪しいよね。いったい何隠してんの? 、あたしに隠しごとするってわけ?」

「……………………」

「――吐け」


 まっすぐにこちらを見据えて、妻鹿は言った。

 そう言われては、もうこれ以上隠し通すことはできないだろう。


「はあ……わーったよ」


 俺は手紙を持って立ち上がる。妻鹿が告白したい相手を聞いておいて、俺が告白されたことは隠せない。

 見つかってしまった時点で運の尽き、俺の警戒が甘かっただけだ。


 ――これを妻鹿に伝えることにも、あるいは意味があるだろう。


「話してやっから、どっか移動しようぜ」

「……いや、授業はどうすんの?」

「さあ。話が長くなったらサボりゃいいだろ、別に」


 とても優等生とは思えないことを、あっさりと言ってのけた俺に。

 なぜだろう。妻鹿は妙に嬉しそうに噴き出して。


「ようやくそのムカつくツラ、あたしにも見せる気になったんだ?」

「……なんの話だよ」

「中学のときはずっとそうだったじゃん。口が悪くて性格悪くて意地が悪くて頭悪い」

「言いすぎじゃないですかね……」

「でも、今みたいによりは、ずっとマシだったと思うから」

「…………」

「てか前から言いたかったんだけど、性根隠して優等生面してる今の萩枝、転入してきたときからずっと――気持ち悪くて仕方なかったよ」


 とても酷いことを、なんでか盛大に笑いながら宣う妻鹿。

 なんで嬉しそうに言いやがるのやら。

 ああ、まったく酷い酷い。


 お陰で、――俺まで言わなくてもいい反撃を口にしたくなってしまうじゃないか。


「そういうお前こそ」

「……何よ?」


 不穏な気配を察して眉を顰める妻鹿。

 俺は廊下に出て、ちゃんと誰も聞いている奴がいないと確認してから。


が、ずいぶんがんばって高校デビューしたもんだと思ってたよ。そういやまだ言ってなかったが、――成長おめでとう」

「…………昔の自分を知られてるって、ホントに最悪だよね」


 まったくだ、と俺も思った。



     ※



 たぶん、始まりは安い憐れみだった。


 中学時代の俺は、少なくとも平均よりは図書室の利用頻度が高かった。

 もともと読書はそれなりに趣味だったから、お金も時間もかからない図書室ほど重宝する施設もない。

 何より、そもそも《図書室》という空間そのものが好きだった。


 当時の俺は、今よりだいぶ姉に反発していた。

 いや、姉だけじゃない。そういう奴らは得てして似たような奴らとつるむ。騒ぐ根明どもにヘイトを向けて、にもかかわらず別に何を言うでもない――そんな、どうしようもなく性根の歪んだ根暗野郎だった。

 その意味では、当時から友人だった蒼汰のことも、実はそれほど好きではなかった。

 なんなら嫌いだったと言っていいだろう。

 明るくて、性格がよくて、人の輪の中心に立てるような目立つ人物。

 騒ぐ分には好きにすればいいのだが、わざわざ俺を巻き込んでくるのが嫌だった。

 だから、そういう奴らをいっしょくたにして、纏めて嫌っていたのである。

 本当、どうしようもねえ奴だった。


 ――たまにはひとりにさせてくれ。

 環境を包む煩わしい喧騒から離れられる、格好の場所ベストプレイスがまさに図書室だったわけだ。

 もちろん、そんな反発は単なる自己嫌悪の裏返し――益体もないプライドが悪い方向に歪んでしまった証である。

 嫌だうるせえ面倒臭え、バカがつるんで騒ぎやがって、それの何が面白いんだ――などと内心で考えながら、俺はそれを言葉にすることはなかった。


 性根は悪いのに、姉や蒼汰を通じて、都合のいいときだけ仲間に入っていられる。

 そういうポジションでいられることには、なんなら優越感さえ覚えていた。

 自分自身に何もなかったから。

 だから、明るい連中をどこかで羨みつつ、斜に構えて鼻で笑った。


 まあ、その手の露悪はここまでにしておこう。

 ジャスト十四歳だったからね。

 そりゃ特有の疾病に罹ってもおかしくはないでしょ。

 中二病拗らせて黒歴史を作るなんて、それこそありがちな思春期の失敗だ。

 ってとこで手を打ってもらえれば、俺としては大変に助かる。いやマジで掘り下げないでほしい。


 重要なのは、学校内にひとりでいられる場所を確保できたこと。

 そして――そこで出会ったのが、妻鹿椛という少女であったということだ。


 一度目に図書室で妻鹿を見かけたときは、特に何も思わなかった。


 ――あ、あいつ、同じクラスの……妻鹿だっけ?


 とまあ正直、名前すらあやふやだった。そういうところが、俺と姉貴や、あるいは蒼汰との違いなのだろう。

《クラスメイトの名前を憶えない俺》キャラ、恥じて死ぬべき。

 図書室に入ってきた俺を見て、妻鹿は実に嫌そうにこちらを睨んだ。


 二度目に図書室で妻鹿に会ったときも、やはり何が起きるでもなかった。


 ――あれ、またいるよ。まあ、妻鹿ってなんか、いかにもって感じだもんな……。


 とかなんとか。

 騒がしいのが嫌で図書室にいるなどと理屈を作っておきながら、当時は友人のひとりもおらず、まさにド陰キャで通っていた妻鹿を見下していたものである。

 ホントにクソ野郎だったね。今も大差ないけど。

 図書室に入ってきた俺を見て、妻鹿は口に出して「うげぇ」と嫌そうに呻いた。


 俺が初めて妻鹿に声をかけたのは、三度目に図書室で出会ったときだ。


 ――妻鹿だ。三回目だよ。別に本読んでるわけでもねえのに……。


 図書室に入ってきた俺を見て、妻鹿は「チッ、ペッ」と露骨に舌打って肩を竦めた。


 うん。

 ……こいつ俺が来るたびに、めっちゃ嫌そうな反応しやがったんだよね……。


 さすがに、三度目ともなれば俺だって何か言いたくなる。

 これでも仏の三分の二の許容量を見せているのだ。一度目で怒らなかっただけ、俺も優しかったと思わなくもない。


「おい、妻鹿。お前、なんなんだよ毎度毎度。なんか文句あるなら直接言えよ」


 こんなふうに絡みに行ってしまったのも、どうだろう、むべなるかなと思わないか?


 ――ところで地球には古来より真理として刻まれている法則が多数存在する。


 万有引力の法則くらい小学生でも名前は知っているし、中学生にもなればピタゴラスの定理を用いて数学の計算を行うだろう。

 そういった種々の法則で世界は運営される。

 このときも、世界の法則のひとつを俺は見事に学ばされたのである。

 声をかけた妻鹿の反応だ。

 あれだけ露骨に喧嘩を売ってきておきながら、いざ反応されたとき彼女は、なんと。


「は? べ、べつ、別に言いたいことなんて――う、ふぅう、……ぐすっ」

「え、いやちょっ……なんで泣くの!?」

「だっで、いぎなりそんな、こわい声出さなくたっていいじゃんがよぉ……っ!!」

「えっ……べ、別に俺、そんなつもりじゃ……」

「でもおっぎな声出してきたじゃんかー……ひぐっ!」

「ご、ごめん、わかった、悪かった! 俺が悪かったから、な? 泣きやんで? ね!?」


 ――《男が女を泣かせた場合、無条件での敗北が決定する》。


 これ、世界の真理のひとつにされちゃってるから、ぜひ道徳の授業カリキュラムにでも入れておいたほうがいいと思う。

 いや絶対これ俺だけのせいじゃないはずだけど。

 少なくとも当時の俺は、泣き出す妻鹿に勝ち得る手段など持ってはいなかったのだ。


 そして俺の妻鹿に対する初対面の印象は、ぶっちゃけ最悪だった。

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