1-06『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』6
そういうことになったじゃねえんだよなあマジで!
「あっれ。あっれー? おっかしいな、なんでこうなったんだっけ……おおぉおぉん?」
そんな純然たる疑問が喉から零れ落ちてしまうのも、むべなるかなと言えよう。
――その後、会議の時間になり、俺は風道と連れ立って部室に向かった。
が、正直言って何を話したのかさっぱり覚えていない。
あれ? マジで何してたんだっけ俺。
ミーティングの間の記憶がさっぱりない。
うっすら覚えている限り、俺は部員たちを観察していたように思う。
特に妻鹿と風道のふたりを、だ。
そうやって意識して見てみれば、なるほど実際、ふたりとも自分の想い人に注ぐ視線が他者へのそれとは違っていた。
それとも、俺の見る目のほうが変わったのだろうか?
いずれにせよ生きた心地がしなかったことは事実だ。
これは……まずい。
恋愛関係のもつれで崩壊する集団なんて枚挙に暇がない。
ほかの大規模な部活ならともかく、現役総計たった六名の小規模サークル《アゴ部》においては、ひとり抜けるだけでも影響が大きい。
ただでさえ一部の教師陣からは(去年までの負の遺産で)評判が悪いのだ。これで人数まで減ろうものなら、あっという間に廃部にまで持ち込ませに来るだろう。
俺は姉による社会的制裁を免れないということだ。
折檻されて石棺に入れられる。
だが風道はすでに失恋コースにゲットイン。
果たして、俺が部長として採るべき選択肢とはなんなのだろう。
わっかんねえなあ?
「どうしよう……どうしたらいいんだ?」
「――何がですか?」
思わず呟いた独り言に、返事があった。
パッと顔を上げると、部室のちょうど入口にひとりの女の子が立っている。
「だいじょぶですか、せんぱい? だいぶ顔色悪いですけど」
「蝶野……あれ? 帰ったんじゃなかったの?」
彼女の名は、蝶野ぼたん。
風道と合わせてたったふたりだけ確保できた、アゴ部の一年生の少女だ。
「はあ。何やらせんぱいがずっと心ここにあらずな感じだったもので、気になりまして」
なんだかふわふわした様子の後輩女子。
常にぼうっとした雰囲気だから、風道とは違った意味で表情が読めないタイプ。
一見、物静かな雰囲気だが、これで意外と打てば響くような会話をする面白い奴でもあった。
「まあ、せんぱいがおかしいのなんて、いつものことですけど」
「えぇいきなり酷い……」
「今日はまたちょっと違った感じでしたので。せんぱいを心配するかわいい後輩のわたしとしては、これは見過ごせないと参上したわけなのですよ。むふん」
褒めろと言わんばかりに、ない胸を張る蝶野だった。
懐かれているのか舐められているのか、いまいち判断がつかない。
「どうですか? 後輩としていい感じじゃないですか?」
ぽやぽやした無表情で、けれど自慢げに片手を胸に当てて、蝶野はそう訊いてくる。
いつものことだ。
意味はわからないが、彼女は自分の《後輩らしさ》というものに一家言あるらしく、後輩らしいことをするたびに「どやさ」とこちらを見つめてくる。
少し色素の薄い黒髪が、肩の辺りで揺れていた。
妻鹿と並ぶ小柄さも相まってか、自由気ままな仔猫を思わせる少女である。
まあ確かに、かわいらしい後輩ではあるだろう。
「そうだね。心配してくれてありがとう。後輩ポイント1」
「わーいやったー」
ぜんぜん嬉しそうじゃない無表情で、両手を上げて喜ぶ蝶野だった。
読めない奴だ。気づけばすぐ近くにいる印象なのに、未だに近づけた気がしない。
「てれれたったらー」
実際、いきなり謎の効果音を発声している。本当にマジで謎。
「あ、今のは後輩ポイントが一定値を達成したときに鳴る効果音です」
「え……ああ、そうなんだ。説明ありがとう。面白いシステムしてるね、蝶野は」
「ここまで貯めてきた甲斐がありました。わたしの後輩レベルは早くも二年生級です」
「後輩じゃなくなっちゃってるけど。同級生だけど」
「なんと。盲点でした」
この子も結構、脊髄で話してる感があるよね。
優しい先輩であるところの俺は、きちんと話を戻してやる。先輩ポイント貯まる?
「で、後輩ポイントを貯めると何があるの?」
「ふふふ。聞いて驚いてください。せんぱい、準備はいいですか?」
「やらせを強制された……わかったよ、驚くよ。何?」
「なんと、せんぱいにひとつ言うことを聞いてもらうことができるのです。やったー」
「それは本当にびっくりだなあ。そのシステム聞いてないんだけど……」
「いいじゃないですか。たまにはかわいい後輩を甘やかしても罰は当たりませんよ?」
「それはそうかもしれないけど」
「というか、甘やかしてくれないと罰が当たります」
「へえ。どんな?」
「後輩ぱんち」
「いや殴ってるじゃん。物理的に報復されてるだけじゃん」
「これが最新式の物理演算エンジンというやつですよ、せんぱい」
「違うからね」
「自動報復機能搭載」
「車のCMみたいに言わない」
「えっへへー」
表情はあまり変わらないが、とりあえず楽しそうな蝶野であった。
ならいいや。どんな言葉が飛び出してくるかわからないから、話していて楽しい奴ではある。
姉と違って、俺に被害が来ないところもいい。
彼女はそのまま、俺の隣の椅子にちょこんと腰を下ろす。
「それで、どうしたのですか?」
「……いや、悪かったね。ちょっと悩みがあって集中できなくてさ」
まあ、彼女もなんだかんだ言って、様子がおかしい俺を心配してくれたのだと思う。
それなら悪いことをした。頭を下げた俺に、だが彼女は目をまん丸にして。
「お悩みですか。せんぱいでも悩むようなことがあったんですね」
「うん、まあ、ある意味。……ねえ今のどういう意味? それだと俺は、何も悩みがない人間みたいに聞こえちゃうんだけど。大丈夫?」
「それならそれなら。わたしにそれを話してみるのがよいですよ、せんぱい」
「スルーだしね?」
こてん、と小首を傾げる蝶野後輩。
見上げてくるような視線を、やはり読むことはできない。
「ん、何? 相談に乗ってくれるの?」
「いえ後輩にそんなことを要求されても困りますが。せんぱいは先輩でしょう?」
哲学みたいなことを言い出す後輩だった。いや、いやいや。
「じゃあなんで聞こうとしたのさ……」
「面白半分です」
「聞かなきゃよかったよ」
「えっへへー……今日もせんぱいのツッコミは気持ちいいですねっ」
そういう蝶野ちゃんは楽しそうでいいよね。
という感想しか出てこない。
「でも」
と、そこで蝶野は小さく呟いて。
「もう半分は、ちゃんと心配してますよ?」
椅子にちょこんと座って、小首を傾げながら蝶野はそんなことを言う。
慇懃無礼、というか普通に結構失礼な後輩だが、それなりに慕ってくれてはいる。
「……そりゃありがとね」
「わたしはせんぱいの後輩なので、せんぱいを心配するのは当然なのです。後輩力!」
どういう理屈が蝶野の中で完成しているのか、俺にはいまいちわからない。
でも、心配してくれていることは嘘じゃないのだろう。それは素直に受け取っておく。
だからといって、実際に例の話をするかどうかはまた別の問題だが。
「まあ心配してなくていいよ。これは俺の問題だから――」
と、そこまで言ったときだった。
再びがらりと、部室のドアが開かれる。
「――あれ。ぼたんまでいっしょにいるんだ? おすおすー」
入ってきた女子――月見里一華は、蝶野の姿を見て少し眦を上げた。
が、それも一瞬。
すぐいつもの天使めいた笑顔に戻ると、ひらひら手を振ってみせる。
蝶野は月見里を見て、それから視線を俺に移すと。
「ふむん。せんぱいは、一華先輩とご用事でしたか」
「あー……まあちょっと話があってさ」
今日、聞くことになる最後の相談。月見里からのそれは、ミーティング後のこの部室で行う約束だった。
みんなが帰ったあとなら人目につかないと思ったが、裏目に出たか。
しかし、だから蝶野に出ていけと言うのは違うだろう。
それなら俺たちが場所を移そうかと思ったところで、先んじて月見里が言った。
「まだ部室に残ってたんだね、ぼたん。帰らなくて大丈夫なの?」
俺と同じか、あるいはそれ以上に外面のいい月見里。
無論、外面が菩薩なら内心は夜叉だと、相場は決まっているのだが。
「わたしはだいじょぶですよー」
「そっか。私、ちょっと恋くんに相談があるんだけどさ」
「あ、お邪魔でしたら――」
「いいよいいよ。てか時間あるなら、ぼたんもいっしょに聞いてってくれると嬉しいな」
「はあ。つまりは後輩をご所望というわけですね」
「あははっ! うん、そんな感じそんな感じ」
あっという間に蝶野を引き留め、どころか取り込んでいる月見里だった。
相談する当人がいいというのだから、それでいいのだろう。俺は特に口を挟まない。
「それで、相談ってのは?」
俺は明るいトーンで月見里にそう訊ねる。萩枝恋らしい《優等生》としての態度。
蝶野がいる以上、いつも月見里に相対しているようにはできなかった。
まだ俺は蝶野にとって《頼りになる先輩》でいたいのだ。……バレてないよね?
「やー、別に相談ってほどじゃないんだよね、実は。言っとこうと思ったってくらいで。ちょっとした礼儀っていうか、まあ義理を通すと思ってもらえれば」
月見里もまた普段通りの《明るい人気者》ぶったまま、正面の席を取って言う。
……少し気が楽になる言葉だが、気が楽になるのも事実だった。
正直、これで月見里にまで恋愛相談されたらどうしようかと思っていた。
こいつの性格から言って、それはないとは踏んでいたが……現実はどう転ぶかわかったものじゃない。
そんなことは、ついさきほど証明された事実なのである。人生、予想外ばっか。
「いや、実はなんだけどさ」
気楽な感じで月見里は切り出した。
俺は完全に安心モード。そんな油断を突くかのように。
「ほら、一年の柳くん。実は、ちょっといいかなーって思っててさ。狙っちゃおっかな、みたいな? そんな感じに思ってんだよね」
――月見里一華が柳風道に惚れているという事実が暴露されていた。
「おぉ……!」
蝶野は珍しく驚いたように呟き。
「おぉおおぉおぉん……っ!?」
本日ふたつ目の確定失恋を聞かされた俺は奇声を発した。
「え?」「何、キモっ……」
驚いてこちらを振り返る蝶野と、驚きのあまり素が漏れてしまっている月見里。
だがそれどころじゃない。
いや。いや、待ってくれマジで待ってください。
月見里が?
風道を?
狙っているとな?
いやそれアカンくない?
なんで……いやいや、なんでそんな、玉突き事故みたいに揃って失恋してんですか。
聞いてない。
そんなの俺、聞いてないよ。
今言った?
そうだね、それはそう、今聞いたね……いや、そういうことじゃなくて。
「え、あ。いや、えっと……それは、何? あの、恋愛的な意味で……?」
「あっはは。いやいや、何言ってんの恋くん。狙ってるって、そんな命とか狙ってるって意味なわけじゃないじゃん、もう!」
意訳――なーにすっとぼけたこと言ってるワケ?
月見里の怪訝な視線が突き刺さる。
あー。あー、いや、それはそうだけど……そうなるかー。
月見里の目が誰かに向いているとは気づいていた。
しかしその相手が、そうか、風道のことだったとは……これは正直、予想していなかった。
軽い感じで言っているが、たぶん、マジ。
決して《ちょっといいなと思ってる》程度のレベルではないはず。
遊んでいるようでいて、実はそうでもない月見里だ。
いやまあ遊んではいるが、それはひとりでゲーセンで遊んでいるという意味である。軽そうでいて身持ちは固い。
軽そうでいて本当に軽い蒼汰とは、そこが違うところだった。
「はあ……そうだったんですね。びっくりしました」
素直に驚きを発する蝶野。月見里は苦笑で答える。
「意外かな。んー、まあ普通だったらわざわざ言わないしね、こんなの。私だってほら、さすがに恥ずかしいから。あはは、ちょっと照れてきちゃった」
それは嘘だろうと思いながら聞く俺。月見里はこの程度で恥じらうタマじゃない。
それでも頬を朱に染めて、軽く肩を竦め、彼女は言った。
「でも、柳くん、だいぶ手強いっていうかさ。私のことどう思ってんのか、正直さっぱり掴めないんだよねー……さすがにこういうのは初めてだよ」
俺だって、風道が月見里をどう思っているのかは知らない。
だが風道が妻鹿のことを想っている、という事実は知ってしまっていた。
知らなきゃよかった。
脳内だけで頭を抱える俺。
その隣に座る蝶野は、相変わらずほわほわした様子のまま、
「なぁるほどっ」
再び、どっかで聞いたような発音で呟いた。
あれ? もしかしてそれ流行ったりする? 何このミラクル。
どうでもいい奇跡に思考を奪われる。その隙を突くみたいに蝶野は続けた。
「つまり、われわれに恋愛の手助けをしてほしいというわけですね」
なぜかひと息、間を空けてから蝶野は繰り返す。
「われわれに!」
むふん! と鼻息荒く宣言する蝶野。
どしたの?
何が君の琴線に引っかかったの?
ぜんぜんわからない。
「え? あ、うん……そう、かな? まあ、たぶん……」
この蝶野の謎テンションには、なんと月見里までたじろいでいた。結構レアな絵面だ。
月見里一華が、混じりけない素のリアクションを学内で見せることはまずない。
「とあらば、お任せくださいませよー」
蝶野はどこまでも絶好調だった。
「われわれの手にかかれば、ちょちょいのちょいでちょいちょいちょいですよ」
「ちょちょちょちょちょ」
さすがに止めに入る俺。なぜ勝手に俺まで巻き込んで請けちゃっているのかと。
俺の言葉に、蝶野はこくりと小首を傾げ。
「ちょ?」
「いや、ちょ? じゃないよ」
「蝶野だけにちょー」
「知らないよ。そんなかわいく言われても、面白くないものは面白くないよ」
「え……そんな、かわいいだなんて照れますよぅ。えっへへ」
さして嬉しそうでもない無表情で、蝶野は頭を掻いた。
いや別に褒めてない。今、蝶野を持ち上げる文脈で喋ったつもりないよ、俺。
「まあまあまあ。何はともあれ、そういうことですよ一華先輩」
ついに蝶野は話を纏めにかかってきた。
その強引さたるや、月見里ともあろう者が流されて頷いてしまうほど。
「わたしたちにお任せください。しっかり協力してみせますとも、むふん」
「あ、あー……うん。わかった……ありがと……?」
もはや俺が話を差し挟む隙もない。
ちら、と月見里がこちらに視線を流した。
その意味深な視線を受けて、俺は目を瞑る。
――詰みだ。
「わかった……一応その件は、含んでおくことにするから」
「んじゃ、協力してくれるってことでオーケー?」
「オーケーオーケー。もう全部、俺に任せてくれればいいさ。――部長だからねっ!」
俺は、力強く拳を握って、そう宣言した。
してしまった。
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