1-07『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』7
部室から去っていく、月見里と蝶野を見送る。
今ちょっと何も考えられない感じだ。
がたりと閉められる扉。
月見里は話が終わったから、蝶野は月見里に誘われいっしょに帰るからと、それぞれ部室を出ていった形である。
俺は鍵を職員室に返すから、とひとり部屋に残っている。
もっとも本当の理由は違う。
俺は机に突っ伏し、足音がふたつ立ち去ったのを確認してから――盛大に叫んだ。
「いやこれ本当どうしようかなあああああああああああああああああああああっ!!」
完璧に詰んでいる。
矢印は月見里→風道→妻鹿→蒼汰と完全に一方通行なのだ。
何がまずいって、三人全員に協力すると言ってしまっているのがまずい。
なぜならこの時点で、すでに誰かへの協力が誰かへの邪魔になる対立状態なのだ。
もしもバレようものなら、嘘つき最低クズ裏切り者との誹謗中傷は免れまい。
「事実だけど……ああくそ蝶野の奴、勝手に請けやがって。いや、いいけどさあ……」
――実際問題、どうせ理由もなく断れやしないのだ。
初めから選択の余地がない。だって俺は今日頼みを聞いているのだ。
つまり三人が俺へ協力を仰ぎに来たタイミングは、実質的に同時ということ。
それで、月見里だけを例外として断るなんて、部長的にできなかった。
たまたま順番が前後しただけで、早い者勝ちと言ってしまうのは不義理だろう。
もし別日だったら、もうほかの奴に手伝うって言っちゃたから、と断ることが――いやこの場合はそれも言えないのか。言った時点で、芽がないとバレてしまう。
なら最初っから詰んでんじゃん……。
「……やってらんねー」
小さく、俺は愚痴のように言葉を零した。
どいつもこいつも、誰が好きだの嫌いだのと面倒な。
学校とは勉強をする場所であり、部室とは部活動に励む場所なのだ。
間違っても惚れたの腫れたのと騒ぐ場所じゃない。
それが――まったくどいつもこいつも恋愛脳ばっか晒しやがって。
「なんか腹立ってきたな……なんで俺がこんなことで悩まなきゃいけないんだ。もう全員揃って失恋すればいいのに。お前らが誰とくっつこうが別れようが知ったことかよ……」
ついに結構な暴論を吐く俺であった。
いや、別に好きも嫌いも好きにしてくれればいいんだが。
どうしてアゴ部のメンバーの中で纏まっちゃうかな。何も纏まってないけどバラバラだけど……そうじゃなくて。
現時点で、すでに《全員が想いを遂げる方法がない》ことが問題だった。
バラバラにカップルができるなら何も問題はないのだ。
好きにしてくれてよかった。
しかし状況を俯瞰して見てみれば、最低でも風道と月見里の失恋は、すでに確定したも同然だ。
この時点でツーアウト。
これで妻鹿まで失恋しようものならゲームセットだ。
さすが我らがアゴ部だぜ。部員の半数以上が事実上のサークルクラッシャーだよ。
もしフラれたら、そのまま退部しかねない勢いだし。
人間関係って儚いよね……。
こんな事実を聞いてしまったこと自体が、なんなら俺の不幸だとさえ言えた。
「ああ、くそ……嫌な内情を知っちゃったなあ……」
知らなきゃ責任もなかったのに。
なまじ聞いて、しかも協力すると言ってしまった段階で責任が発生する。
そもそも今の段階で、俺はすでに《知っていて隠している》という危ない橋を渡っているわけで。
姉貴の命令がどうこう――なんてもはや問題じゃない。
もし
「…………」
俺は椅子から立ち上がると、部室の奥に立ち、静かに窓の外を眺めた。
ここから見渡せるのは校舎の裏側。普段、生徒も教師もほとんど立ち寄らない場所で、せいぜい雑木林が広がっているに過ぎないだけの光景だ。
だけど、傾く西日が木々を照らす、ここからの風景は嫌いじゃなかった。
きっと部室で重ねた思い出が、自然と想起されるから。
そう。去年、この学校に入学し、姉貴に誘われてアゴ部に入部してからの目まぐるしい日々を――あれ、おかしいな。ロクな思い出がないぞ……?
「違う、そうじゃない。アゴ部への思い入れで奮起する流れをやろうとしたんだ今は」
自分で自分を奮い立たせるために記憶を回想したのに、出てくる思い出が全部、苦労話ばっかりだった。
違うんだよ、そういうんじゃないんだよ、もっとこう、なんかさ……。
「そう……そうだ。先輩から受け継いだんだ。だから守らないと、うん!」
結局、比較的新しめの思い出によって、俺は強引に力を得た。得たったら得た。
見ていてくれ、先代部長。それから姉貴。アゴ部は俺が守るから……!
「――というわけで連中には恋愛を諦めてもらおう。うん」
こうして俺は錦の御旗を得た。
全ては部活のため、このアゴ部という場所を守る部長としての責務がため。
だから俺は何も悪くないのである(断言)(ここ重要)(自己弁護)(正当性の担保)(責任逃れ)。
「そうだよ。この世の中、恋愛より楽しいこともいっぱいある!」
具体的には思いつかないが窓に向かって満面の笑みは決めておいた。
いや、誤解しないでいただきたい。
俺はむしろ、あの三人を《失恋》から遠ざけるための覚悟を決めたのだから。
それこそ部長たる者の責務であると信じたのである。
現状、すでに奴らの恋には未来がない。
もちろんこの先、心変わりすることもあれば、どこかで折り合いをつけることもあるだろう。その際は、なんか、臨機応変なアレだ。
ただバランスは取っておく必要がある。
何ごとも中庸がいちばんいい。俺は奴らが失恋に気づかないようにするため、応援する振りをしながら、その裏では全力で奴らの恋路を邪魔することに決めた。
いや、応援はする。
だが決定的なことはさせない。
なんかしら上手いこと言って止めてみせる。
告白さえしなければフラれることもないのだから、そのバランスを一年に渡って取り続ければいいのだ――実に論理的な選択であろう。
失恋はさせない。気づかせない。
だが、代わりに得恋もさせない。
つまりはそういうことだ。
失恋の対義語が得恋かどうかは知らないが。
もっと有体に言うならば――、
「フラれるにせよ、なんにせよ……全ては俺が部長を引退してからにしてもらおう」
己が目的のためだけに、友の恋愛感情すら踏み躙らんとする男の姿がそこにはあった。
いいよ知ったことじゃない構うものか。
「そうだよ……どいつもこいつも恋愛感情を大義名分にしすぎなんだよ」
恋をしている、ということに配慮を求めてくる奴は総じてクソ。間違いないね。
だからどうした。
お前の恋心に、なんで他人が忖度せにゃならんのだ。
そう考えておこう。
心の中に《お前》という架空の敵を作ることで自らを正当化する俺、マジ小物。
「ま、いいや。行けるだろ。要は告白さえさせなきゃいいんだから。この方針で行こう」
俺の中ではそういう結論に行き着いた。
「なるほど。つまりみんなには片想いのままでいさせるわけですね?」
俺の目的を噛み砕いたような言葉が聞こえた。
「普段はいい人面してるせんぱいのお言葉とは思えない悪辣さ、さすがと見ました」
「諦めさせるよりむしろ紳士的だと思うけどな? 片想い……いい言葉だよ。たとえ可能性がゼロでも、フラれてない以上はまだ恋をしているという認識になるんだから」
俺は軽く肩を竦めた。そろそろ日も沈んでくるだろうか。
「ホント、ヒドいヒトですね、せんぱい。そういうのどうかと思います。恋する気持ちをなんだと思ってるんですか」
責めるような言葉。けれども。
「俺はこのアゴ部を守りたいだけだ。あいつら、これでフラれたら部活辞めるだろ絶対。実際、月見里は似たようなこと言ってたし。風道に至っては世界を滅ぼすんだぞ?」
「ははあ。それは後輩として嬉しく思いますなー。照れちゃいますね」
「今の話に照れる要素あったかなあ……」
「後輩のために部活を守ろうとするせんぱいの心意気に感動したからですよ?」
「うん。まあじゃあ、そういうことにしておこうか」
「愛される後輩でお送りしております」
「それはいいんだけど。――ねえ、ひとつ訊いていい?」
言いながら、俺は入口の方向へと振り返る。
そこに、蝶野ぼたんは真顔で立っていた。そして答えた。
「なんでも訊いてください。ちなみに得意料理はカレーです」
「……そっかあ! 教えてくれてありがとう!」
「礼には及びませんですとも。むふん」
「うん。ただ答えてもらっといて悪いんだけど、訊こうと思ったのはそれじゃないなー」
「なんと。的確にせんぱいの思考を読んだつもりだったのですが」
「本気で俺が今、得意料理を訊こうとしてると思ったんだ? ある意味すごいね!」
「それはもう。せんぱいのことならなんでも知っていると自負しておりますとも」
「いや、外れたって言ってんだけどね? どこから湧いてるの、その自信?」
「なんだ、それが訊きたかったことですか」
「それも違うかなあ」
「もちろんこの胸の中です」
「違うって言ったよね?」
「言い換えるならおっぱいです」
「違え! だからそんなことは訊いてないんですわあ! いや、てかそもそも、なんで無意味に言い換えて――いや待て訊いてない答えなくていい。話を聞け!」
「なんですかもう、面倒なせんぱいですね」
「釈然としなさすぎるけど、話進まないからツッコまないね」
「そんな……ツッコむだなんて、せんぱい……もうっ」
もう完全に無視した。なぜ後輩からセクハラを受けにゃならんというのか。
一周回って哲学に片足を突っ込んだ疑問を放り投げ、俺はようやく問いに戻った。
「で。――なんで、いるの?」
「なんで、と訊かれましてもですね」
きょとんとかわいらしく首を傾げる蝶野――さきほど月見里といっしょに帰ったはずの後輩。
つい今し方、彼女には聞かせられない言葉を大量に吐いた気がするんですけど。
「わたし、アゴ部の部員ですから。ここは部室なので」
当たり前ですけどー、みたいな表情の蝶野。
「いや、そうだけど。そういう根本的なこと訊いてるわけじゃないんだよ。あれ、さっき月見里と帰ったはずじゃなかったっけ。なんで戻ってきたの……?」
こわい。
いや冗談抜きで。
部室に戻ってきたことにまったく気づけなかった。
ここまで完璧に気配を殺せるものなのかね。
本当に、気づけばすぐ後ろにいる奴だ。
「忘れものですね」
「いや忘れものって……」
「そう。せんぱいのお悩みを聞くという、大事な約束の忘れものです」
「そんな、さもいい話かのように」
「というかもともと、一華先輩を見送ってきただけですよ。せんぱいとのお話の途中で、この後輩が帰るだなんて……そんなことするわけないじゃないですか! ふふんっ」
「そんなどや顔で!」
俺は頭を抱えた。
どうやら蝶野的には、話の途中という認識だったらしい。
やばい。
何がやばいって、素の自分を見られたかもしれないことがいちばんやばい。
せっかく優しくて温厚な先輩を演じてきたってのに。
こんなことでご破算になっては、意味なんて何もないじゃないか。
「……どこから聞いてた?」
恐る恐る、俺は蝶野に訊ねてみる。
一縷の望みを託して問うた俺に、蝶野は「むむ」と唸ってから。
「そう聞かれると難しいのですが……」
「そっか……いや、そんな難しいこと訊いたかな? 結構、簡単に答えられない?」
「でもまあ、せんぱいのお悩みは、おおむね理解しましたよ」
「そうなの? そのほうがむしろ不思議だけど……ちなみにどういう話だと思った?」
「では簡潔に言いますと」
「うん」
「――せんぱいは一華先輩だけでなく、椛先輩や柳くんからも恋愛相談を受けています。ですがそれぞれの恋愛事情が全て一方通行なので、相談同士が競合してしまい、どうするべきか非常にお困りでした。このままでは部の人間関係がめちゃめちゃになってしまうと危惧したせんぱいは、いっそ全員の邪魔をするという性格の悪い結論に至ったのです」
「――――――――――――――――」
「どうですか。かーんぺきに合っているでしょう。むふん」
どやさ、とばかりにない胸を張る蝶野。
俺は息を吸い込み、一度吐いて、合間に窓を見遣ってからもう一度吸い、それから。
「いや嘘つけそんなにわかるわけねえだろ!?」
「間違ってましたか?」
「何も間違ってねえから驚いて、いや待てなんで!? 鋭いってレベルじゃなくない!?」
確かにちょっと油断して独り言は呟いていたけれど。
にしたって、基本的には自己正当化のためのぼやきだったのだ。そこまで細かい事情は口にしていなかったはず。してなかったよね?
――じゃあなんで知ってんだよ!?
「さっき、言ったじゃないですか」
相変わらずのぽやぽやとした様子で、蝶野は微笑む。
俺としては、もはやいっそ恐怖を感じかねないレベルだったのだが。
「言ったって……なんだよ」
「わたしは、せんぱいのことならなんでも知っていますとも」
――後輩なので。
と、当たり前みたいに呟く彼女へ、それ以上のツッコミを入れることはできなかった。
「まあ、見ていればいろいろとわかるものです」
ごく単純なことを結論にしている蝶野。
そういうものなのだろうか。俺にはわからない。
「柳くん辺りは、結構わかりやすい感じでしたもんねー」
「あ、そうなん? そういう……お前、最初っから気づいてたのか」
それなら、まあ話はわからないでもない気がした。
最初から気づいていたから、それを俺が知ったということにも気づけたわけか。
「この部では唯一の一年生同士ですからね。それなりに仲は悪くないのですよ」
「へえ。意外なのかそうじゃないのか、よくわからんな」
言って、俺は。
「ていうか蝶野、つまりお前は、月見里が相談に来た段階で、風道が妻鹿のこと好きって知ってたわけか」
それで黙っていたのだから、蝶野も意外としたたかだった。
いや、あのタイミングで言うのも気まずいだろうが。
「そこはまあ」
蝶野はあっさり言う。
「一華先輩も、あれ、わたしに聞かせたのは、たぶん牽制入ってましたしね。そういう意味では、おあいこってことだと思います」
「あ、ああ……それであいつ、蝶野にも話を聞かせたのか……女子ってこわっ」
「いえ別に、実際にはわたしは柳くんとどうこうないですから。仲よしさんですよ」
「ならいいけど……」
「後輩なので」
この後輩の中の《後輩》の概念、マジでわからない。
「……まあいいや。結局、お前には全部バレてるってことなんだな」
俺は小さく息をつきながら、そう零した。
蝶野は薄く笑って。
「まあ、せんぱいの性格が悪いことなら、今さらだと思いますよ」
「……クラスじゃ優等生で通ってるんだけどなあ」
「いやいや。せんぱい、アゴ部でゲームするときの方針が、基本的に誰かを陥れることに特化してるじゃないですか。戦法からして、とっても性格悪いですよ」
「えっ、嘘……」
「嘘じゃないですよ。せんぱいは《言葉》を使う系のゲームが好きですよね。とりあえず言い訳を重ねようとするっていうか。理屈と膏薬をどこにでもつけてくる変態というか」
「流れに隠して《変態》っつった今? 思いっきり聞こえてんぞ、テメェ」
「ふふー」
口調を荒くした俺に、なぜか蝶野は笑顔になって。
「せんぱい、こわーい」
楽しそうにそんなことを言われてしまっては、何も言い返せない。
「……まあお前がいいなら、いいけどな」
諦め、というよりは開き直りか。俺の演技力は、月見里には及ばなかったらしい。
というより、こうなったら方針を変えていく必要がある。
俺は蝶野に向き直る。そして確認するべく、彼女にこう訊ねた。
「あー……一応、こう……お前にも訊いておくけど」
「セクハラです」
「反応が早いんだよなあ!」
そう言われたら嫌だなって思ってたから訊きづらげ感を演出したのに。
てか、これはつまり俺が何を訊こうとしたのか、もう察しているということだ。
さっきまで盛大に外してたくせに、いきなり思考を先読みする精度を上げやがった。
「冗談です。せんぱいをからかいたかっただけですよ」
「直球で欲求を言うなよ」
「いえ、どちらかと言えば義務感ですが。こう、後輩としての」
「何に駆られてるんだよお前は。……いや、蝶野は、何。恋とかしてないの?」
訊ねた俺に、蝶野はこくりと頷いて。
「せんぱいの口から《恋》なんて単語が出てくると、なんか普通に気持ち悪いですね」
「訊かなきゃよかった。なぜ恋くんの心を折ってくるんですか?」
いや、俺も背筋が痒くなったけどさ。
何もそんなふうに言わんでも。無駄に傷ついた。
「まあいいけど……じゃあ蝶野は、恋愛とかそういうのには興味ないって感じか」
「む、失礼ですね。むしろ興味津々ですとも」
「えっ、そうなん?」
「はい。津々浦々ですよ」
「そっか。それは意味わかんないけど。……いや、マジでなんで言ったの、それ?」
「悲喜交々です」
「うるせえよ」
「うぇっへへへー」
俺に雑にツッコまれると、なんだか嬉しそうな後輩だった。無表情なのにね?
風道はともかく、素の性格を知っていた蝶野が、こんなにも俺に懐いている理由が割と不明だ。
まあ単に舐められているだけ、というのが正解な気はする。
「とにかく! お前まで絡んでるとなると、さらに話が変わってくるから。あとになって好きとか嫌いとか言い出すなよ? そうなったらもう知らんからな?」
「最低なこと言っていると捉えるべきか、今言えば配慮してくれる辺り優しいと思うべきなのか、微妙なラインですね」
「前者だよ。俺は恋愛なんて害だとしか思ってねえ」
「……そですか。それはそれですごいこと言うなーって感じですけど」
しばし、蝶野は考え込むようにして。
けれどすぐに言った。
「まあ、わたしも入学したばかりですし、そこまで考えてはいませんよ」
「……なぁるほどっ」
と俺は言う。微妙に不穏な気がしないでもないが、そこは細かく掘り下げまい。
いずれにせよ今、重要なのはひとつ。
――この場で蝶野をこちら側に取り込んでしまわなければ、全てご破算だということ。
「なら、お前も協力してくれ」
「せんぱいの、《くっつける振りをして邪魔をする》とかいうクズい作戦にですか?」
「そういう言い方をすればそうだけれども!」
違うんですよ。
俺はあくまで部を想い、人を想いそれを為すと決めたんです。
いつかみんなもわかってくれると信じている。
それは嘘。
バレたら弾劾裁判沙汰。
「もしお前が協力しないなら、どうなるかわかっているな?」
俺は言う。
台詞がほぼ脅迫だったし、間違っても後輩に取っていい態度ではなかった。
無論、蝶野とて理解はしているのだろう。
軽く頷き、彼女は答える。
「どうなるか、ですか。ええ、もちろんわかっていますとも」
「ほう? 聞かせてもらおうじゃないか」
「わたしが作戦をみんなにバラして、せんぱいが吊り上げられますね」
「そう。そうなんだよ。参るね、立場が低いんだよなー。人狼ゲーム初日のNPC気分」
どうしようもないからね。
立場が今、完全に俺のほうが低いからね。
急所を握られてるからね。
ぼたんは今、指先ひとつで俺を社会的に殺せるボタンを握っている。
理解が完璧な後輩は、さらに続けてこんなことを言った。
「ところで、人にものを頼むときは、相応の態度がありますね?」
「ふ、いいだろう」
俺は笑う。
「要求を聞こうじゃないか。望みのものを用意しよう」
精いっぱい先輩としての威厳を保とうと口調だけ偉そうな男――萩枝恋。
彼は今、目の前の後輩にバリバリ脅迫されている。
因果応報だった。
「わたしからの要求はひとつですよ」
果たして、蝶野は言った。
「……なんだ?」
「わたし、この部活、好きですので。みんな仲よくがいいです」
「それは……それは俺もだけど」
――みんな仲よく。
なるほど、それ以上に俺が望むことなど確かにない。
そういう意味では、俺と蝶野とは同じ意識を共有できている。
「じゃあ両想いですね」
「うん。いや、それは違うけど」
蝶野の小ボケにツッコみつつ言う。
「入ったばっかなのにそこまでこの部を気に入ってくれてるとはね。正直、ちょっとだけ意外だよ」
「誘ってくれたのは、せんぱいじゃないですか。これでも結構、嬉しかったんですよ?」
「……そりゃ、どうもね」
嬉しいことを言ってくれる後輩だった。
確かに風道と違って、彼女は俺が勧誘してきた新入生だ。
「というわけで、せんぱい。きちんと、部長らしくしていてくださいね」
「それが、要求? にしちゃ、ふわっとしてるけど」
「いえ、まあその辺りは追々と。諸々の条件を考慮しつつ、のちほどリマインドします」
「さては思いのほかガチだなコレ?」
軽くツッコんだ俺に対し、蝶野は最後まで楽しそうな笑顔を崩さなかった。
――かくして、俺と蝶野ぼたんによる《アゴ部絶対告白阻止戦線》がここに成立した。
俺は部長としてアゴ部を守る。守らなければならないのだ。
ただでさえ評判の悪いアゴ部にとって、これ以上の部員減少は致命傷だ。
この六人でなければならないのだ。絶対。
さもなければ姉貴からどんな目に遭わされるかわからないという保身も含めて!
俺は《アゴ部》を守り切る。
ゆえに目標は、部内の恋愛を何ひとつとして進展させないこと。
ひいては恋愛的告白を阻止することにより部内の人間関係のバランスを取り、引退までの時間を稼ぐことだ。
これは換言するに、確定した未来の失恋を不確定のまま保たせる戦い。
恋愛とは相手に断られるまでは失恋が確定しない量子的なゆらぎなのである。
恋愛させないことによって結果的に失恋もさせない、その行いこそを指して我々は慈愛と呼ぶべきだ。
誰も告白しないということは、誰もフラれることがないということ。
誰か特定の相手と親しくなるより、大勢の人間で仲よくしていようという人間らしい社会性の発露である。
俺だって滅茶苦茶言っている自覚はあるが、もうそういうことにしておいてほしい。
だって俺は何よりも、六人であることを重視する。
恋愛感情より友情のほうに重きを置く、と言ってもいいだろう。
片や個人の感情、片や全体の和である。前者より後者を大事に思って当たり前だと、俺は普通に思う。
失恋如きのことでこの部がなくなるなど、あって堪るかという話である。
友情とは、決して恋愛感情の下位互換ではないのだ。
恋愛感情を持つことそのものを、俺は否定してはいない。
ただ単純に、それを優先順位の上位に置いていないだけ。
それ以上に――優先したい大事なものがあるというだけなのだ。
もう、ご理解いただけたと思う。
この物語は、恋愛脳のアホな高校生が繰り広げる、取るに足らない与太話である――。
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