1-18『好きとか嫌いとか最初に言い出した奴は』2

「正直、せんぱいってかなり頭おかしいですよね」

「お前は容赦がないな……上手くいったんだ、それでいいだろ? 鹿んだから」

「発想が悪魔か何かですよ……」


 そう、俺がやったことと言えば単純で。


 俺が月見里を呼び出した時間。

 それより早い時間に、同じ場所を指定して、共犯である蝶野にあらかじめ妻鹿を呼び出しておいてもらったわけである。


 あとから俺と月見里がこの場所を訪れる。

 ただでさえ妻鹿は俺と顔を合わせづらい状況だし、最悪いっしょにいる蝶野にでも誘導してもらえばいい。

 妻鹿に、俺が振られるところを、わざと見せたのだ。


「失恋する奴を見れば、あいつも自分の身を省みるだろ? もう少し大袈裟に悲しんでもよかったけど、そうすると妻鹿に演技臭いと思われかねないからな。こんなもんだ」


 妻鹿が失恋しないのなら、俺が失恋しても構わない。

 これは、つまりがそういう話だ。


「……でも一華先輩のことが好きだったのは、本当ですよね」


 蝶野の問い。

 まあ、こいつなら気づいただろう――どこまでかは、わからないが。


「そうだよ、演技じゃない。俺は今、嘘偽りなく本当に好きな相手に振られてる。いや、つっても俺の場合は初めから覚悟してたからな、ダメージは薄い」


 合格するかもしれない入試に落ちるよりは、自己採点の時点で不合格だとわかっていた結果を通知されるほうが、落ち込まないだろうっていう話。


「……それに、妻鹿には負い目もあるしな。この程度は、やって然るべきだ」


 小さく、俺は呟いた。

 今まで邪魔してきたことがそれだ、という風に。


「まあ……不思議には思ってたんですけどね」


 だが蝶野が言う。

 ああ、ということは、やはり彼女は気づいていた。

 知っていたのだ。


 意図して、俺が隠していた事実に。

 察しがいいなんてレベルじゃない――こいつは、どこまで知っているんだろう。


「せんぱいたち、中学のとき仲よかったって言ってるのに、その割には妙に険悪じゃないですか。喧嘩するほど仲がいいってやつかとも思いましたけど――」

「普通にきっちり嫌われてるよ」

「……ですよね。てことは、、ってことですよね」

「したな。嫌われて当然のことを俺は言った」

「……何を言ったんですか?」


 一瞬、言い淀む。だがおそらく、蝶野は確認を取っているだけで、気づいている。

 ならば別に構わないだろう。こんなもの、単なる露悪なのだ。


「中学時代から妻鹿は蒼汰が好きでな。俺がよく、図書室で相談に乗ってた――ってのは言ったっけか」

「そうですね、知ってます。普通なら結構、仲がいいはずの関係ですよね」

「……本当は伝える気はなかったんだ。今回といっしょでさ」


 なぜか、言い訳じみた言葉が出てきてしまった。

 醜い足掻きだ。やってしまった過去に取り戻しはつかないのだから。


「じゃあ、せんぱいは」


 だが、俺が言い淀んだからか。

 蝶野はそこで、先んじるように言葉を発した。あるいは気遣いであるかのように。


「――中学生の頃は、椛先輩のことが好きだったってこと、ですか」

「そうだよ。まるで成長してないだろ。俺はもう放課後いちばん長く過ごした女子のこと好きになる体質なんだよなあ……バカみたいだ。でも男子って割とそんなもん……」


 あまりにも単純な話だ。

 地味で、目立たない少女だった妻鹿。

 だけど俺にだけは心を開いていた、そう勘違いをしていて――そんな少女と過ごしているだけで、あっさり人間は恋に落ちてしまう。


 恋愛感情ほど安い気持ちなんて、この世にないとすら思った。


「あの頃は今より酷かったな。なんせ妻鹿は俺のほかに友達いなかったからさ。俺もまあ舞い上がって、こいつ実は俺のこと好きなんじゃね? くらいのことは思ってたわけよ」

「……まあ、ありがちな勘違いではありますね」

「ん、……ありがち、か。まあ、ありがちっちゃありがちなんだろうな、こんなことは」


 苦笑する。

 そんなふうに言われてしまえば、そんなものなのだろう。


「だけど、それは言わなかったんだよ。あいつには」

「……どうしてですか?」

「そりゃあ、気づいたからだよ。それが勘違いだってことに」


 だって、あいつは言ったのだから。俺に。


 ――蒼汰に憧れていると。


 だから、それに相応しい人間に変わりたいと、あいつは言ったのだ。

 当然だろう。あの頃の俺は、妻鹿に指摘された通りの中途半端でダメな男だった。

 俺のような輩ではなく、蒼汰に憧れた妻鹿はなるほど正しい。納得以外ないってもの。


 当初、俺は妻鹿に対し、自分の気持ちを隠し通した。

 言うつもりなんて本当に最後までなかったのだ。自分の感情を殺して、いつか妻鹿が蒼汰に告白できるように応援した。

 本心からだったはずだ。

 それだけは――嘘ではないはずだった。


 だって、俺は俺が恋を成就させるより、妻鹿が……椛が、願う自分になることのほうが重要だと思ったから。

 蒼汰のような、憧れる人気者のように明るい自分になって、告白ができるような人間になりたいと彼女は願って、俺はその手伝いをすると先に誓ったのだ。


 だったら言えるわけがない。

 彼女が嫌う暗い自分を好きになったと、この俺に言えるわけがない。


 だけど彼女は結局、自分を変えるよりも先に転校することが決まってしまった。

 ついに名前すら伝えられなかったあいつが、やはり自分は変われないと落ち込むのも当然だ。


 ――わたしは、最後までなんにも変われなかった……間に合わなかった!


 俺は、そんな言葉を妻鹿に言わせたくなかった。いや、言ってほしくなかった。

 だから俺は告白したのだ。

 彼女が去る寸前に。ことさらに悪役ぶって。

 ああ、何を言ったっけ――そう。


『本当はお前の手伝いなんて、何もやってなかったんだ。だって俺はお前が好きだったんだから当然だろ。なんで好き好んで恋敵を助けるような真似しなきゃいけないんだ。実は俺はお前の邪魔をしてたんだよ。残念だな、俺さえいなきゃお前も変われたかもしれないってのに、俺が邪魔してたせいで足を引っ張られたな。へっ!』


 とかなんとか。

 まあ……あれだ。実は俺が足を引っ張っていただけだから、お前もひとりでがんばれよ的なことを言いたかったんだと思う。

 泣いた青鬼作戦とでも言っておこうか。恥ずっ。

 こんな話、何が悲しくて後輩にしなきゃいけないっていうんだ。


「結果的に喧嘩別れしてな。今となっちゃ昔の話だ。俺も別に引きずらなかったし」


 なんならむしろ、いいことしたと晴れやかですらあったね。

 妻鹿と高校で再会して、そのとき初めて思い出して死にたくなっただけだ。

 あんなことマジで二度とやらないから絶対に。青鬼も真っ赤になって逃げ出す恥ずかしさだから。

 そんな説明をした俺に、蝶野は小さく肩を竦めて。


「ま、でしょうね」

「お前マジでどこまで知ってんの?」

「どこまでもは知りませんが。まあ、見てればわかることってありますよね」

「……見てればわかること、って」

「そうですね。たとえば、図書室で風道くんと会ってたこととか」

「ああ――うん?」


 その話は、確かに蝶野にも伝えてある――だが、いや。


「その前に風道くんからの手紙が、下駄箱に入っていたこととか」

「……その話したっけ?」

「聞きましたよ。伊丹先輩から」

「…………」

「だから風道くんと図書室で会うって約束も、本人から聞いてましたし」

「…………」

「もっと言えばあの会議の日、椛先輩と話してるのも、わたし聞いてましたからね。あと今日だって、一華先輩からメール貰ったから、朝あの場所に行けたんですし。壁に耳あり障子に目あり、ってヤツですよ。どこかでは誰かが見てる、ってことですかね、これは」


 こいつは、やはり本当に油断ならない。

 そんなことだけが、再確認されるような告白だった。

 自白だった。


 だが、まあ、考えてみれば当たり前なのか。下駄箱に手紙があったのは蒼汰も見ていたことだし、妻鹿とは部室で話したのだから気づかれる可能性はあった。

 今日の朝だって、俺と妻鹿が教室から出ていくところは、同じクラスの月見里だって見ていたわけだ。

 その全ての情報が蝶野に向かっていたというなら、全てを掴むのだって難しくない。


「……お前は結局、何がしたかったんだ?」


 お手上げだ、とばかりに降参を示して問う俺。

 蝶野はくすりと微笑んで、立てた人差し指を口元に持っていく。


「それは、ヒミツというやつですね。そのほうが女の子は魅力的じゃないですか?」

「よく言うよ……」

「いいじゃないですか、別に。せんぱいが何をしたいのかを、わたしがわかっているならそれで。後輩は、それできちんとせんぱいをお助けできるんですから」

「……俺のやりたいことってなんだ?」

「決まってますよ。――単にせんぱいは、みんなことが大好きだから、いっしょにいたいだけでしょう?」


 ミステリアスな笑顔で蝶野は言ったが。

 それを言われると、なんだか俺が気の多い奴みたいで釈然としなかった

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