1-17『好きとか嫌いとか最初に言い出した奴は』1
「――んで、話ってなんなの?」
そう切り出したクラスメイトの少女に、俺は小さく頷いた。
放課後。
俺は、彼女を図書室にまで呼び出したのだ。
ひと気がなくてちょうどいい。
「ああ、急に呼び出したりして悪かったな。まあちょっと言いたいことがあって」
「言いたいこと? ……まあいいけど」
どうやら彼女は呼び出された理由がわからないらしい。
それも当然だろう。だって、彼女は気がついていないのだから。
「で?」
軽く小首を傾げ、彼女は先を促した。
小さく、――一度息を吸う。
指先が震える。その自覚がある。
止めようとするより隠すほうが楽だから、それとなく手を背中側に回した。まるで心臓がゴム鞠にでもなった気分だ。
「いや、まあ……実はだな」
それでも、言うと決めた以上は言わなければならない。
それが俺にできる唯一だと知っている。
責務だし義務だし任務だが――そいつは同時に意志でもあった。
だから。
「――俺、お前のことが好きなんだよ」
俺はクラスメイトの少女に、告白をする。
絶対に成就することがないのだと、わかりきっている恋心を。
「何……それ?」
告白を受け、彼女は怪訝そうに眉根を寄せた。
言葉の意味がわからないかのような。それを本気だとは捉えていないかのような態度。
日頃の自分の振る舞いを、さすがに反省したくなるリアクションだ。つれえ。
「ごめん、普通に意味がわかんないんだけど。なんの冗談?」
なんなら彼女は怒っている気配だ。
ここまで信用されないとは正直思っていなかった。それも身から出た錆なのだろうが。
仕方がない。本当は予定になかったが、信用されるようにきちんと話そう。
「思春期の男子なんて、まあチョロいもんでな。たとえば放課後、ふたりっきりで過ごす機会が多ければ、その相手がかわいい女子だったら――それだけで落ちるもんなんだ」
「…………」
「単純だよな。自分でも笑えてくるくらいだ。まあ、だからって感情なんて自分じゃ制御できないし、好きになっちまったもんは仕方ない――そうだろ? お前もわかるよな」
目の前の少女が目を見開く。
――本当に、一度だって疑わなかったようだ。
さすが俺。誤魔化すのが上手いね。
自分の気持ちをさ。
「だから、もう一回言うぞ。俺は、あなたのことが好きです――月見里一華さん」
単純で、わかりきった話だと思うのだ。
――恋愛が嫌いだからといって、恋をしないわけではない。当然の話だ。
俺の告白を正面から受けて、月見里はようやく俺が嘘や冗談を言っているわけではないのだと察したらしい。
背中から斬りつけられたかのような顔で、一歩よろめいた。
おいおい、何をしている。
さっさと俺を振れ。
お前にはほかに、好きな奴がいるだろうが。
いや、だったらもっと振りやすくしてやろう。
俺は追い討ちのように、さらに言った。
「付き合ってください」
まっすぐ、真摯に、彼女を見つめる。
嘘をつくのは得意だが、本心を言うのは苦手な俺だ。
でも、これで伝わったはず。
「……っ。は――あ、や……マジかー」
ようやく再起動して、息をつくように月見里は言った。
その顔にようやく笑みが戻ってくるが、さすがに少し引き攣っている。
「あ、えーと……一応訊くけど、なんかの罰ゲームとかってわけじゃ」
「高校生にもなってそんなことする奴いるかよ。それはさすがにわかるだろ?」
「だ、だよね。そう、なんだ……」
こうもしどろもどろな月見里は酷く珍しい。
思わず苦笑が漏れてきた。
好きな女の子の新鮮な表情が見られて、悪くない気分だ。
「……ごめん、正直まったく気づいてなかった」
「知ってる。これでも気持ちを誤魔化すのは得意なほうなんだよ、俺は。意外とな。特に自分の気持ちは。実は性格が悪いことだって隠してるし」
「……それは知ってるよ。私もそうだから」
「ああ。それも知ってる」
「……だよね」
お互い顔を見合わせて苦笑した。伊達に一年間、ふたりで過ごしてきていない。
先輩たちが持ってくる厄介ごとを、いつも俺たちで処理してきたのだ。
過ごした時間が長い分だけ、お互いのことを知っているし――バカな男子高校生はそれだけで惚れる。
ただ、それを言葉にする気は、少なくとも俺には一生なかった。
これまでは。
「――ほんで? 返事は」
わかりきった答えを、それでも求める。
これは、そういう儀式なのだ。イニシエーション。通過儀礼。
「……ごめん」
果たして、月見里は静かに言った。
ショックは受けなかった。
「ま、ですよねー」
軽く肩を竦める俺に、そこで月見里が慌てたように。
「あっ、いや……そうじゃなくて! 今のは断る意味のごめんじゃなくて……」
「はい……?」
「いや、もちろんことわ、その……受けらんないんだけど。ああもう、なんか私、かなりアレなコト言わされてない!? もうっ! ――そうじゃなくてさ!」
今度は俺が面食らう番だった。
言いづらそうにがしがしと首筋を掻く月見里。
イケメンのポーズで彼女は言う。
「……それ、私が言わせたようなもんじゃん? そこはごめん、ってこと」
俺は、口を閉ざした。
彼女が何を言っているのか、わかったからこそ、あえて。
「私が萩枝に相談なんてしたから、だから萩枝はそれ、言ったんでしょ? 隠したまんま私を手伝うのが、不誠実だと思ったから」
「……まあ、こうでもならなきゃ言う気はなかったって意味なら、それはそうだ」
「だよね。萩枝はそういう奴だ。――だから、その分は謝っとくってこと。気づいてたらさすがに頼めなかったからね、私もさ。……そういうの、敏感なつもりだったんだけど」
誠実な奴だ。知らなかったことを謝る理由なんて彼女にはないはずなのに。
ただ、それでいい。
少なくとも月見里なら、俺が今、このタイミングで告白した理由に気づくと思っていた――信頼していた。
謝られるとは思っていなかったが。
「なら、その謝罪は受け取らないでおくわ」
俺は笑う。
「別に謝られるようなことじゃないからな――頼まれて、断らなかったのは俺だし、隠してたのも俺だ。月見里は悪くない」
「そっか。ま、好きにすればいいけど」
「それより、もう断られたってことでいいんだよな? ちゃんと済んだな?」
「そうだね……うん、ごめん。悪いけど好きな人がいるから、萩枝とは付き合えない」
「よし。じゃ、これで言質は取った」
「あははっ。振られた男が言うことじゃないよね――ま、らしいけどさ」
「振った女が言うんじゃねえよ、それこそ」
これでいい。こうしてお互いの関係を正常値に戻したこと――そうとお互いが了解したことこそが重要なのだ。周囲に一切の影響を与えず、ふたりの問題を完結させたことが。
なぜなら、これで俺たちは、再び対等な友人同士に戻れるのだから。
――これでこの件に関しては終わり、と了解し合う儀式である。
ああ。まったく人間関係の儀式というものは、本当に面倒で厄介で仕方がない。
近頃じゃ、振られることすら技術がいる。
「言っておくが調子に乗るなよ。ちょっと顔がよくて気が合うからころっといっただけの話なんだからな。済んでしまえば青春のちょっとした思い出に過ぎない、お前なぞ」
俺は言う。
強がり、のつもりは……ないってことで。
「なんか釈然としないなー。逆に私が振られてるみたいじゃん」
「いいんだよ。一瞬たりとも気づきもしなきゃ、一度だって俺に興味持たなかっただろ、お前。その正当な反撃だと思っておけ」
「そだね。萩枝と、ってのは一回も考えたことないからね、実際。受け取っとく」
「そうかよ。今のでめちゃくちゃ傷ついた。もう帰れ」
手で追い払うようなジェスチャーを俺はした。
実際マジで傷ついた。
初めからわかっていたことだが、それでも今の反撃は効いた。
もっとも、そんな感傷さえ俺には贅沢なのだろう。
俺は、何も月見里が「風道が好き」だと言ったときに気づいたわけではないのだ。それ以前から、月見里が俺を見ていないことくらい、とっくに気がついていた。
慣れているからだ。
二度目ともなれば、学習もする。
――俺をまったく見ていない奴と話し続けるなんてこと、中学時代に経験済みなのだ。
それで学習できない奴はよほどのバカだろう。
同じ轍を踏んでいる時点で、学んだとはとても言えない気もするが。
まあ、感情を自分でコントロールできれば苦労しない。
「んじゃ、私は行くね。今日はせっかくだし、部に寄ってこうかな」
「風道の奴も来てるといいな」
「……萩枝は?」
「さて、振られたばっかりだからな。傷心で今日は帰るかもしれない。気分次第だよ」
「ふうん? ……あ、そうだ。そういえば訊きたいんだけど」
と、そこで月見里が思いついたように言う。
なんだ、と首を傾げれば。
「……あー、いや。今日、ぼたんと会った?」
「あ? ああ……会ったけど」
いきなりの問い――いや、いきなりでもないのか。
要するに、月見里はそちらには気づいていたということなのだろうから。
「そか。それならいいんだー。じゃっ!」
そう言って月見里は、ひらひらと手を振って去っていく。
俺はその辺りの――つい先月には風道と話をした――席に腰を下ろす。
図書カウンターの奥を見遣れば、肘をつく図書委員の男子生徒。舟を漕いでいる辺り、あまりの仕事のなさに夢の中なのだろう。
ご苦労様である。たまには利用してやるか。
「……ふう」
椅子の背もたれに寄りかかり、だらんと両手足を投げ出した。
窓から差し込む陽は暗い。
目の前にいくつも並んでいる本棚の中身を俺は知らない。
……似ているようで、違っている。
そんな変化を、なんとなく突きつけられた気分だ。感傷的になっている。
そのまま数分の時間を俺は待ち続けた。
やがて、奥の本棚の陰から、ひとりの少女が姿を見せる。そこに隠れていたのだ。
「……どうだった?」
訊ねる俺。
少女は正面の椅子に腰を下ろしながら、小さく答える。
「まあ、そのまま扉を出ましたね」
「そうか……本命とは言わんが、対抗くらいのリアクションだな。ならいいだろ」
「ホント、酷い人間ですね。せんぱいは」
容赦のない後輩からの指摘に、思わず苦笑い。
そんな台詞を、共犯者である蝶野に言わせるのだから――ああ確かに酷い先輩だ。
「まさか、こんなことするとは思いませんでしたよ」
呆れが滲む蝶野の様子。
「そう、だな。さっき告白してくれた後輩の目の前で、わざわざ別の女子に告白する奴、そうはいないかもな。知らんけどな」
「そっちじゃないですよ。いえ、そっちもそっちで相当ですけど」
問一――俺の目的とはいったい何か。
もちろん、それは恋愛に起因する人間関係の縺れを、部内において封殺すること。
より正確には、それを行うことで部内のバランスを保つことになる。
そして現在、その障害になるのは、妻鹿椛が勝ち目のない告白に出ることだ。
わざわざ俺に対する怒りと当てつけで、あり得るかもしれない成就の未来を捨てることはない。
ならば問二――妻鹿椛の暴走を防ぐために必要な行いとは何か。
解。
――俺が先に暴走すればいい。
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