1-11『俺にとっては尊くない』2

 さて――。

 実際の話をすれば、こうして合流した時点でおおむね目的は達成したこととなる。

 この状況で、まさか月見里も告白には踏み切らないだろうからだ。

 実に唾棄すべき、あるいは馬に蹴り殺されるべき思考であるとはいえ、これも部の平穏のためならば致し方ない。


 人に恋路を邪魔されたくなければ、人の平穏を危ぶませるべきではないのだから。

 俺の行いはあくまで自衛であり、ひいては最大多数の最大幸福を求める人間的自助努力であると言えよう。断固として言い切る。


 要は失恋を回避するための恋愛独占禁止方策だ。

 集団とは、あくまで集団という総体で機能するべきなのだ。

 それを恋愛関係という名の柵によって仕切ることは、そのまま全体の崩壊に繋がる。しがらみとはよく言ったものだ。

 それでこの部の平穏いまを守ることができるなら、俺はいくら汚れても構わない。

 たとえ、それが自分すら騙せない、吹けば飛ぶような理屈でしかないのだとしても。




「今度、どっか遊び行こっか?」


 そんな提案が、月見里からもたらされる。

 注文したブレンドも三分の二以上を消費したくらいの頃合いだ。

 風道はもう飲み終えている。


「そうだね、いいと思うな」


 俺は言った。

 さっきから全肯定部長botと化している。

 ファッションを何も解さない野暮ったい男が初めてできた彼女と買い物に行ったときでも、もう少しボキャブラリーというものに溢れているだろう。

 彼女に「この服どうかな?」って訊かれれば「似合ってるね」「明るい感じだね」「大人しい感じだね」の3パターンくらいは使いこなす。なんなら昔からこの国では、まだほんの赤ん坊でも「ハーイ」「チャーン」「バブー」の3語程度は余裕で使い分ける例があるため、さきほどから「そうだね」しか言っていない俺は、生命活動の維持にも役立たないという点で空気にすら劣っていた。これなんの話なんです?


 酸素を吸い込み虚無に吐く、空気未満の虚空こと全肯定部長bot俺。

 今年はサンタさんに基本的人権をお願いしたよ。

 靴下に入ってると嬉しいな。


 ――そうだね(全肯定)。


「お出かけですか」

 バカを考えている間に、蝶野が呟く。

「いいですね。まだ一回も、この部のみんなでお出かけしたことなかったですから。確かに、どこか行ってみたいです」


 そこで風道も反応した。


「そうですね……確か去年までは、よく遠征していたと伺いましたが」

「ああ、うん。わたしたち、実はアナログゲーム部だからね」


 問いに答えるように苦笑する月見里。

 仮にも新入部員を前に『実は』はないだろう、と思うがツッコみづらい。


「ゲームの実力で言うと、去年までの先輩たちがガチすぎてさー。いろいろ大会に出ては結果残してたんだけど……正直、今の二年は実力で言うと数段は劣っちゃうよね?」


 水を向けられて、俺は頷く。


「そうだね」

 botじゃなくても頷く事実。

「スタンスが違ったっていうか。一個上までの代は、ある期間、ひとつのゲームをやりまくって極めるって感じで。それで一定の結果を出したら、また次のゲームを極め始めるみたいなプレイスタイルだったんだよ。ひとつをずっとやり続ける先輩もいたけど、それでも誰かが煽れば乗っちゃう人ばっかだったし」

「結構、ガチっぽい感じの部活だったんですね、アゴ部」

「あー……どうだろ。本気でやるし特訓もするけど、遊びの範疇ではあったと思うよ」


 今の俺たちは、その日の気分でやるゲームを決めている。それと比べれば、確かに一段上のレベルだったとは思うが。

 これはどちらが上という話ではなく、単にその代の人間の空気だろう。

 姉貴たちだって何も、世界大会に出場するなんてレベルで極めていたわけではないのだから。変人ばかりだったことは事実でも、この世にそうそうマンガやアニメみたいな超人は存在しない。

 逆に俺たちだって、勝率は低くとも、先輩たちに絶対勝てないというほど弱くはない。

 要するにベクトルの違いだ。


「隣の高校に、道場破りに行ったりしたもんね」


 思い出しの苦笑いを零す月見里。

 懐かしい記憶だ。あの頃の月見里はまだアゴ部に馴染みきっておらず、自分が《変人》枠にカテゴライズされることに強烈な拒否反応を示していた。

 そりゃ普通に考えて嬉しくはないだろうが、月見里は特に周囲からの評価を気にして、自分がアゴ部という、控えめに言っても浮いた集団の一員と見做されることを嫌った。


 いろいろあったが――結局は月見里も《そっち側》だったという結論で収まった話だ。


 今となっては微笑ましいストーリーだろう。

 なんだかんだと嫌がりながらも、アゴ部を辞めるとは一度も言い出さなかったのが、月見里の月見里たる所以と言える。

 だから俺は、月見里一華という人間を嫌いになれないのだとも思う。


「…………」


 その月見里が、失恋を理由にこの部活を辞めるなんてこと――あってはならない。


「まあ、そういうんじゃなくてさ。もっと普通に、遊びに行こうって話。部活じゃなくて」


 テーブルに突いた肘の上で、月見里の顔が笑みを作る。


「それは楽しみです。どこ行きますか、どこがいいでしょうか?」


 いつもの調子の蝶野が、それに頷いて淡々と言う。

 表情こそ変わっていないものの、これは本当に楽しみなのだろう。うきうきした様子がわかるくらいには、俺も月見里も変わり者の後輩に慣れていた。

 無表情のその後頭部に、お花が踊って見える。

 だから俺も、これも全肯定。


「そうだね。いいんじゃないかな」

「せっかくだし椛ちゃんと蒼汰くんも誘ってみようか」


 月見里は言って、


「いいですねっ! わたしも後輩として、燃えてきますっ!」


 蝶野が言って、


「……それは素敵ですね」


 風道が言った。

 そして俺も言った。


「そうだね。それは――……それはその、そっか、全員かそっか、……そうだな?」


 いや全肯定してる場合じゃねえ。


 待て、それはマズい。

 主に俺と蝶野しか知らない恋愛の拗れ的な意味でマズい。


 なぜ月見里が、それを提案したのかはわかっている。

 こいつは《交流を深めよう》なんて曖昧な動機では動かない。

 性格が悪いと言いたいのではなく、月見里が何か行動する場合、そこには必ず具体的な目的があるということ。

 それは何か?

 ――無論、恋愛対象たる柳風道を落とすことだ。


 現状、月見里と風道の接点は、同じ部活の先輩後輩であるという以上にない。ここから一歩を進めるために、彼女は周りの人間を巻き込もうと画策しているのだ。

 いい作戦ではある。というより、当然の考えではあるのだろう。

 彼女が自ら恋敵を呼び寄せているという、裏の事実さえ知らなければ、だが。


「……ど、どうする……?」


 口の中だけで俺は呟いた。

 楽しい部員との交流が一転してド修羅場だ。

 できればそんな事態は避けたい。


 ていうか、当たり前に乗っている蝶野だって、それがわかっているはずだ。

 何か考えがあるのか? 俺は頼れる協力者に視線を流す。


「どうしますかね、楽しみですね……! せんぱいせんぱい、何かオススメのスポットがあれば教えてくれると、後輩からの好感度がウナギ昇ること龍の如しですよっ!」


 ダメ。

 すっごい楽しそう。

 浮かれちゃってるもの。

 いきなり使い物になってない。


「そうだね。ウナギなのか龍なのか、どっちだろうね」とだけ適当にツッコんでおく俺。


 もはや半ば義務感でツッコミを入れていた。そろそろ報酬が欲しいところだ。

 いやもういい。

 それよりも、まず目の前の月見里に対処しなければ。


「あれ。なんか乗り気じゃない感じ?」


 普通に不思議そうに首を傾げる月見里。


「あ、いや……そういうわけじゃないんだけど」

「まあほら。一年生たちも乗り気だし、それくらいはいいじゃん」


 ――私のこと手伝うって言ったよなお前?


 という無意識の圧を感じた。

 だからさっきから怖いんだよ女子陣が……。


 プライドが高く、弱みを見せたがらない月見里だ。

 どうして俺に恋愛相談を持ちかけてきたのか疑問だったが、おおよそ理解できた気がする。


 結局のところ、月見里は単に《わたしはお前を利用する》と宣言したに過ぎないのだ。

 その行動力だけは尊敬に値するが、大丈夫かなあ。なんかどんどんドツボな気がする。

 会話すら覚束ない妻鹿と、足されて二で割られりゃいいのに……。


「じゃ、まあ……今度どっか行こうか」


 最終的に俺は日和った。

 ていうかこの状況で「やめよう」とか言い出せない。

 全肯定部長だし(再起動)。


 部長的観点から言っても、一年生たちとの親交を深めることは悪くない。

 別の意味で親交を深めようと画策している奴もいるし、一年生以外との親交を深めようとしている奴もいるけれど!

 そういうのはどうかと思うけど!!


「おぉ、さすがはせんぱい、お話がわかりますねっ。後輩の好感度が2アップです!」

「……蝶野もめっちゃ乗り気だしね。それくらい付き合ってあげる甲斐性はあるよ」

「な、なんですか。いいじゃないですか……何か文句がおありですかっ」

「別に悪いとは言ってないでしょ」

「顔が言ってます! 今のなんかからかってる感じ出てましたっ!」


 ちょっと赤くなる蝶野に苦笑する。

 さすがに、後輩の笑みを曇らせるのは憚られた。


「どうせなら、泊まりがけで出かけるってのもアリだよな」


 と、勢いで俺は提案する。

 最初に月見里が乗った。


「おー、いいねー! なになに、恋くんにしてはいい提案するじゃん!」

「どういう意味?」

「あははっ、冗談冗談。さすが部長だねっ」


 意訳――珍しくいい仕事をしたじゃないか、褒めて遣わす。

 お褒めに与り光栄ですよ、月見里さん。……まあ、もっとも――。


「そしたら、蒼汰や妻鹿たちにも予定を訊いとかないとね。夏休みも近づいてきたし」


 しれっと言う俺。

 さも当たり前のように。

 違和感に気がついたか、月見里は「ん?」と首を傾げていたが、もはや遅きに失した。

 彼女が何を言い出すよりも早く、蝶野が目を輝かせる。


「合宿! それはいわゆる合宿ですね、せんぱいっ!」

「そうなるかな。アゴ部の合宿、いいじゃない。青春だね」

「なぁるほどっ! それは素敵なご提案ですよ、せんぱい! 後輩ポイントを一挙に稼ぐことができる無敵イベントですっ!! 夏の大還元セールですよっ!」

「そうだね。それは意味わかんないけど、そうだね」


 笑顔を作る俺。

 隣の風道もなんだか重苦しく頷いて。


「合宿……そうですね。俺もよく夏場は肉体と精神の鍛練を行うため山に籠もりました」


 いや、風道が想定している合宿のレベルとは、たぶんだいぶ違うけど。


「あ、うん……そうだね。山もね、自然に囲まれる環境ってのも、いいよね」

「はい。自然と一体化するには最適の環境ですからね」

「……そうだねっ!」


 全肯定部長botは便利に使われている。


「ほほう。柳くんは合宿の経験がありましたか。それは後輩として負けていられません」


 実に楽しそうな蝶野、そして風道。


「いや、俺もまだまだ修行が足りない。本当に世界と己とを合一させるためには、もっと深くまで潜り込まなければ。禅の道は長く険しい」

「ふふん! ですが合宿に関してはわたしに一日の短がありますね」

「長、ではなくか?」

「後輩なので! せんぱいたちと長い時間を過ごすのに慣れておらず、どぎまぎしつつも夏の熱気に当てられて急接近! ちょっと大胆なわ・た・し、がコンセプトですっ」

「ふむ。蝶野の言っていることは俺にはいつも難しいが、お前が言うならきっとそうだ」

「合宿におけるベスト後輩はわたしがいただきますよ! 柳くんには負けませんっ!」

「……む。俺も、そう簡単に負けるとは思わないでもらいたいが」

「ふっふふー、柳くんの後輩力もなかなかですが、まだまだ譲れませんともっ!」


 この後輩ふたり、会話のどこが噛み合ってるのか一ミリもわからない。

 が、楽しそうだからいいだろう。問題の焦点はそこじゃない。


 俺はふたりの後輩から、視線を同輩へと向ける。彼女はすっと俺を睨んでから、


「…………こんにゃろ」


 ぼそり、と呟く。素の月見里の声音だった。

 彼女だけは、俺の思惑を見抜いたわけだ。


 そう。

 なぜ俺がいきなり合宿の話をし始めたか。


 今は七月の頭だ。

 夏休みになるまでは、まだ若干の猶予がある。

 つまり。




 ――面倒臭いイベントを、俺は先延ばしにしたのである。

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