1-19『好きとか嫌いとか最初に言い出した奴は』3
最初にせんぱいと会ったときのことを、蝶野ぼたんは今でも覚えていた。
彼女が《後輩》という肩書きにこだわるのも、彼だけを名前をつけずに《せんぱい》と呼んでいるのも、全てはぼたんが、先輩である萩枝恋のことを慕っているからである。
だから――困るのだ。
彼が、自分の恋心という《個》よりも《全体》の和を優先する性格であることが。
言い換えるなら、恋人を作る気がないということが、だ。
彼女にだけは初めからわかっていた。
四の五の言っても、萩枝恋に《恋愛を邪魔する》なんてことができるわけないのだと。
事実、彼はなんだかんだ言って、邪魔なんて一度だってしていない。
それはほかの連中が、邪魔するまでもなくポンコツ晒しまくっていたという理由も実際大きいけれど。
そうでなかったところで、結局のところ彼は手伝っていただろう。
本気で誰かを好きだという友人の感情を、自分の理屈で邪魔できる性格ではないのだ、結局。
自分から一華に振られにいったことがそれを証明している。
自分が傷つけばいい、という自己犠牲では――ない。
それならば――失恋によるダメージを最小にまで抑えられる選択ならば――今の集団が壊れないと知っているから。
だから彼は、その方法を選んでいたのである。
失恋して、誰かが傷ついてしまわないように立ち回っているに過ぎないということ。
お人好しというよりは、度を越した恐怖心か。
彼は、自分の友人が傷つくということを極度に恐れている。
「……優しいから、ってひと言で纏めるのは楽ですけど」
おそらく、それだけではないだろう。
それ以上に恐れている。
《みんなで仲よく》をモットーとしているというより《みんなが仲よくなくなる》ことに脅迫的なまでの恐怖心を感じているほうが、実感として近い。
つまりは、そうなる要因があったということなのだろうが。
「まあ、この部活のひとはみんな、隠しごとが多いみたいですから……さて」
呟きながら振り返るぼたん。
放課後の図書室。
恋と組んでいた《悪だくみ》の直後、彼が去っていったあとのこと。
恋を先に帰らせた彼女は、本棚の裏側に隠れていた少女に声をかける。
「もう出てきてもいいですよ、椛先輩」
「……アンタって奴は」
物陰から出てきた少女――妻鹿椛は、頭痛を抑えるようにこめかみに手をやっていた。
その様子に対し、ぼたんはまったく堪えた様子もなく小首を傾げた。
「なんです?」
「いや。結構いい性格してるなって」
「まあまあ、そう言わず。同じ今年からの入部者同士、仲よくしましょうよ」
「仲よく……ねえ? 一応、あたしのほうが先輩ではあるんだけど」
「そしてわたしは後輩ですよっ!」
「うん。……いや、ごめん。その誇り方の意味はわかんない」
むふん、と薄い胸を張るぼたん。
ちょっとわからないが、もともと後輩どころか、同級生との絡みすらほとんどなかった椛にとっては貴重すぎる後輩なのだ。できれば後輩には好かれていたい欲がある。
よってそれ以上のツッコミはできなかった。
もっともぼたんは、どちらかと言えばツッコんでほしかったのだろうが。
「で」
と、ぼたんは言う。
実際、彼女はだいぶ好き勝手に動いていた。本来ならもう、この場所に椛はいないはずなのだから――少なくとも恋はそう思っていただろう。
恋がぼたんに行った指示は、単に《図書室に椛を呼び出しておいてほしい》ということだけ。
偶然に見せかけて、実際にはわざと自分が失恋する場所を見せつける作戦だ。
全てが終わったあと、恋がその場に残ったのは、単に椛(と、それを誘導するぼたん)に鉢合わせないためでしかない。
だから、そこでぼたんが姿を見せたとき、恋は椛がもう帰ったのだと判断した――実際ぼたんは「(椛が)扉を出ていった」と恋に言っている。
要するに、恋を騙したということだ。
嘘にならないよう、わざわざ一度、裏の扉から椛を外に出している辺り、椛から見ても始末に負えない後輩である。
彼女は彼女で、恋に協力する理由があるということだ。
「――どうでしたか?」
そんな後輩が椛に問う。
「どう、と言われても……あんた、これあいつと仕組んでたんでしょ?」
「さて……わたしは、単に椛先輩を図書室に呼び出しておいてほしいと頼まれただけですから。言われた通りのことはちゃんとしましたが、それ以上は」
「……あんた、あいつのこと好きなんじゃないの?」
気づいていたのか察したのか。
そう問う椛に、ぼたんは笑って。
「好きですよ。だから、こうしているんです」
「……女子ってこわっ」
「椛先輩も女子じゃないですか……いえ、わたしは単に疑問なんですよ」
「疑問?」
「ええ。せんぱいが、どうして椛先輩に今の光景を見せたのかは、わかりますよね?」
訊ねるというより確認するようなぼたんに、椛は思わず目を逸らす。
さすがに、理解はしていた。
あいつは――あの男は、好きな女の子がいるという理由だけで、相手に告白するような性格ではない。椛はそのことを知っていた。
――だってあいつは中学時代、自分のことが好きだったのに、黙っていたのだから。
「あたしに、先走るなって言いたいんでしょ?」
「わかるんですね」
答えた椛に、ぼたんは小さく。
「伝わるんですね……やっぱり」
「……何かおかしい? あいつ、そのためにこんなことしたんでしょ?」
椛は小首を傾げて問う。
だが。
その点こそがぼたんにとって最大の疑問だった。
「いえ――だって」
ぼたんは言った。
「だって、別にせんぱいが失恋しようと、そんなこと椛先輩には普通に関係ないじゃないですか。これ逆のこと、せんぱいにも言いましたが」
「…………」
「わかりますよ? ちょっと気まずく感じるとかありますからね。失恋ムード漂わせてる人がいるところで恋愛の話はしにくい的な。でも、せんぱい、別に表に出さないじゃないですか。だったら……だとしたら勢いで告白しようとしていた椛先輩が止まる理由には、まあ、ならないかなって。むしろ怒ってそのまま突っ込みそうじゃないですか」
「……あたしのコトなんだと思ってるの……?」
「いえまあ、別に椛先輩がどうとかって話ではなく。ほかに理由がありそうだな、って」
ぼたんは問いかける。
なぜ知りたいか、なんて言うまでもない。
それが恋の話だからだ。
ほかに理由はない。
自分が失恋するところを見れば、椛が告白をやめる。
恋がそう確信する理由が、そんな認識を椛と共有している過去があるなら――それを知りたかったのである。
しばらく経ってから、椛は答えた。
「……別に、大した話じゃないけどね。そもそも、あたしがなんで、あいつに恋愛相談をしたかって話だから」
「まあ、普通に考えて、一度振った相手に頼むことじゃないですよね。鬼かと思います」
「……ねえ、あの。ぼたんって、あたしのこと嫌いなの……?」
「いえ? 好きですよ」
「そ、そう……うん、いや、ならいいんだけど……」
――妻鹿椛。
かつては同級生の友人すら恋しかいなかった少女だ。当然、先輩後輩といった関係にも耐性がない。
ゆえに、かわいい後輩の先輩になる、ということに一種の憧れがあった。
要するに後輩には嫌われたくない。
「えーと、なんだっけ。だからそう……うん。つまりあたしは、余計なこと考えたわけ」
気を取り直して椛は言う。
「余計なこと、ですか?」
「笑わないでよ? ……もしあいつが、まだあたしのこと好きだったらどうしよう、っていうか……いや、違うか。あいつがもしもまだ、あのこと引きずってたら嫌だな、って」
あのこと――すなわち中学時代の別れの件。
そう、彼女にだってわかっている。
初めは怒ったけれど、恋は結局、自分ではなく椛のことを優先してくれた。変わりたいと願っていた椛が、告白できずに転校することで己を責めないように、転校先でもがんばれるように――わざと恋は自分のせいにした。
――俺が邪魔したから失敗しただけだ。
それは裏を返せば、俺さえいなければお前は変われる、というメッセージなのだから。
「許す気はないけど……あたしが何も悪くないわけじゃない。少なくとも、感謝はしてるつもりだから。だからこそ、あたしは変わった、もう大丈夫だ、って伝えたくて」
だから、恋ももう、気にしなくていい。
あたしはあたしで変わったから。
――そう伝えたかったから、あえて恋愛相談を持ちかけた。
「不器用……なんですね。椛先輩も」
ぼたんは言う。
「ていうか、なんか面倒臭いし頭悪いです。もうちょっとくらい、上手い立ち回り方があったんじゃないですか?」
「……ひ、ひどい……それは酷くない……?」
「いえ、別に責めてるわけではなく。そういうとこ、なんか似てるなって思うだけで」
椛の善意は酷くわかりづらい。見ようによっては悪意とすら捉えられかねないほどだ。
恋と似ている。自分がどう思われるかなんて一切構わず、その時々で相手にとって最も誠実だと思う手段を取る。
それがわかりにくいから、一見して冷酷に見えるだけで。
本当にそうやって生きられる人間が、どれほど少ないかをふたりは知らない。
「まあ、だから、あいつがなんのためにやったかもわかるつもり」
椛はそんなふうに続けた。
似ている――いや、おそらく椛が、近くで恋を見続けたから。
だからわかった。
「要するにアレ、――失恋するならこっそり誰にも気づかれずにしろ、っていう遠回しな批判でしょ。あたしが付き合えるわけないと思われてる辺り、すごい癪なんだけど」
「つまり、椛先輩。せんぱいの意図は――」
「失敗例を見せたんじゃない、あいつはあたしに、失恋の成功例を見せつけやがったわけだ。恋愛も失恋も好きにすればいいけど、それを周囲に影響させるな、って」
集団の中で失恋が起きれば、それはほかにも影響が及ぶ。恋はそれを認めないから。
可能なら全て、自分と相手の中だけで処理しろ。
外側に余波をもたらすな。
――とんでもないことを要求してくる奴だ、と言うほかなかった。
「どうですかね……あれは単に、デレてるだけだと思いますけど」
椛は、小さく呟く。
彼女にだって彼女なりの見方があった。
「デレてる、って……萩枝が? あいつ、そんな殊勝な奴じゃないと思うけど……」
「そんなことありませんよ。だって、そうでしょう? ――告白するなら絶対に成功するタイミングを見つけろ、がんばれって……そういう不器用な応援じゃないですか」
小さく微笑むぼたんを見て。
ようやく、納得したかのように椛は言う。
「――そんなにあいつが好きなんだ」
「はい。大好きです」
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