1-05『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』5

 話はこの辺りから徐々におかしくなってくる。


 放課後になった。

 つまりは、部室に集まってミーティングを行うわけだ。

 ただ、その前に一度、図書室に寄る。

 待ち合わせがあるのだ。


 もちろん相手は朝のラブレターじゃないレターを送ってきた後輩――柳風道。

 あのあとLINEで『放課後すぐ図書室に』と伝えてある。

 既読がつき、いつも通りの『はい。』という、短い返事がきたことは確認済みだ。


 ミーティングは放課後すぐではなく、余裕を持った時間に設定してある。

 別に計算ではなく、学年やクラスによって終業時間が違うことへの配慮だったのだが、結果的には功を奏した形だ。

 会議の前に、風道からの相談を受けることができる。


 中学時代は頻繁に利用した図書室だが、高校に入ってからはめっきり利用頻度が減っている。

 わざわざ寄るような立地でもないためひと気がなく、内緒話には向いていた。


 使われていない割には広い空間だ。

 ふたつある入口の片方から中に入ると、すでに風道はそこで待っていた。

 難しい表情でスマホの画面を睨んでいたのだが、気配を悟ったのかすっと立ち上がる。


「ご足労願って申し訳ありません、萩枝先輩。柳風道です」

「あ、うん。どうもね。……どうぞ座って?」

「はい。失礼します」


 もはや堅苦しいとすら言える、いつもの風道。

 さすがに見慣れてきたが、入部してきた当初は戸惑ったものだ。


 風道はある寺のひとり息子という話で、という因果関係が一般的かどうか俺にはわからないが、とにかく生真面目で堅物だった。

 それを通り越して天然まである。


「すみませんでした。本当は、先に到着したことを連絡しようと思ったのですが……」


 表情筋の存在がほとんど確認できないド真顔で風道は言う。

 その視線はテーブル上のスマホに注がれていた。


「ああ……まだ慣れない?」

「すみません。どうにも機械で文字を打つのは苦手でして」


 開かれたLINEの画面には『いま』という二文字だけが打たれていた。


 難しい顔をした風道が、なんとか俺に連絡しようと四苦八苦する様が目に浮かぶ。

 本当に、今どき特別天然記念物みたいな男だった。

 スマホを機械って呼ぶ奴、そうはいない。

 お坊さんだってネットくらい余裕で使いこなす時代だ。俺より詳しい人を探すのだって難しくはないだろう。

 風道とて、別に山奥に隔離されていたわけではないはずだが。


「本日はありがとうございました」


 深々と頭を下げる風道。

 環境というより、これはもう本人の性格が強いのだと思う。


 ただ先輩だというだけでここまで敬われてしまっては、逆に立つ瀬がない。俺などより風道のほうが、よほどしっかりした人格だろう。

 アゴ部らしくなさすぎるような、一周回ってアゴ部らしいような。


「さて、時間もないし手短にいこうか。相談ってのを聞かせてほしいな」


 礼儀作法に詳しいというより、何ごとにも丁寧な性格だというニュアンスを俺は持っている。美徳ではあるが、話題を進めるのには向いていないということ。

 端的に俺は本題を訊ねた。

 風道は小さく頷き、真面目くさった表情でこう切り出す。


「相談というのはほかでもありません、先輩」

「うん」

「俺はかねてより、アナログゲーム部において《人の心》について、先輩方からご指導を頂いてきました」

「うん。……う、うん?」


 おっと何言ってんだコイツ?


「知識による機転と、知恵による人心の読解。たかがゲームと侮っていたこの若輩の蒙は先輩方によって啓かれ、他者を思い遣る気持ちは以前より培われてきたと思うのです」

「あ、そうなんだ……ゲームで人の心を学んだんだ……。そっかあ」

「はい」

「あ、はい。すんません。はい」

「今までずっと《他者の気持ちに疎い》と言われ続けてきた俺も、先輩方のご指導によりある程度、それがわかるようになってきたと思うのです。――俺は学習しました」

「うん。……うんうんうん。そうなのね?」

「――アナログゲームこそが人心を学ぶ最短の道。半信半疑でしたが、先輩方の仰られたことは正しかった。俺は、この二か月で大きく、人間として成長できた気がします」

「……………………なぁるほどっ!」


 そっか。

 あ、そっか、これマジで言ってんのか。

 あー、そっか。


 アナログゲームなどもちろん未経験だった風道が、なぜアゴ部に入部したか。これまでベールに包まれていたその理由が、ついに判明するときがきたようだ。

 すなわち、風道はアナログゲームを通じて、人の心の機微を学び取ろうとしたのだ。


 誰ですか? 素直な風道に、そんな大嘘を吹き込んで入部させたのは。

 名乗り出てね?

 ……俺は三年の先輩方を思い出し、誰が言ってもおかしくないため頭を抱えた。


「まあ……うん。風道が言うならそうなんだろうね」


 思わず頭痛を発症しかけたが、すぐさま考え直す。

 風道ならば実際に、何かを学んだのだろう。ゲームに限らず、こいつならきっと、何を経験してもそこから学びを得られる。何ごとにも真面目に挑む奴だからだ。


 ――まあそれはそれとして風道を騙して入部させた奴は本当にどうかと思うけどね?


 嘘はよくないよ。

 やるなら事実を元にした脅迫だよ。


 それ俺のほうが最低ですね。


「えーと、うん。それはとても素晴らしいことだと思うけれども」


 どう言うべきかわからず、とりあえず笑って誤魔化す俺に、風道は真剣な表情で。


「はい。ありがとうございます」

「いやいや、お礼なんて言わなくていいんだ。ただ集まって遊んでただけだよ」

「いえ、それでも俺は先輩のお陰で成長できたんです。感謝しています」

「うんうん。あの、ほんと、大丈夫だから。あの」

「このご恩には必ず報いてみせます!」

「あああああああ……」


 じゃあそろそろ許してくれ。

 違う、謙遜とかじゃない。マジで何もしてない……。

 俺はお前の人間的成長に一切寄与してないから。

 本当に。

 そんなキラキラした目で見ないで。


 罪悪感で、俺の《人の心》は死にそうだった。


「そ、それはわかったから……それより、相談ってのを聞こうじゃないか」

「そうですね」

 風道は重く頷き。

「俺は、先輩方のご指導のお陰で、人の心を知りました」

「えーと、大丈夫? 話、何も変わってない気がするけど」

「言い換えるなら、愛を知ったということなのです」

「変わってたね。ならいっか。……え、愛?」

「はい」

「愛」

「愛」

「はい」

 なんか流れで頷いちゃった。

「……え、つまり?」


 愛、などと口にしてしまっている風道は、けれど一切恥じ入るような素振りもなく。


「――生まれて初めて、愛する女ができたということなのです」


 なんかすごい格好いいことを、格好いい声で言っていた。


 か、カッコええ……!

 俺が同じこと言ったら鼻で笑われちゃうタイプの台詞なのに、風道が言うとメチャメチャ様になってるなあ……!

 もはや少し落ち込んできた。


「俺は愛を知ったのです」

「お、おう。そうか。すごいな? なぁるほどっ!」


 やばい、もう俺のほうが恥ずかしくなってきた。

 風道は格好いいのに、ただただ俺がこのまっすぐさに耐えられなくなっている。


「あー……つまり、好きな女子ができた、ってことなのかな?」


 それでも後輩を前に《優しい先輩》のペルソナを外せない俺は、なんとか卑俗な表現に変えることで精神の安定を図る。

 だが全力まっすぐ男こと柳風道に、そのような弱者の対応は通じない。


「はい。俺は愛という言葉を用いる以外、この胸に燃える感情の名前を表せません」

「んんんんんんんんんっ」


 ダメだ……助けてくれ……。

 俺にはお前のピュアな初恋の炎に晒されていられるほど、丈夫な熱耐性はない……。


「ま、まあまあ、なんだ? とにかく、あれだ。えー……おめでとう?」


 結果、よくわからないままに祝福の言葉を発することになる。

 おめでとうって表現おかしいよな……でもほかに何言えってのか。


「ありがとうございます」


 風道は、それでもしっかり正面から俺を受け止めた。受け止められちゃったよ。


「なぁるほどっ!」


 そして俺はもう同じことしか言えていない。


「そこで先輩にご相談があるのです」

「はあ、ご相談。はあ。なぁるほどっ?」


 何もわかっていなくても『なぁるほどっ』と言っている俺、実にアホ。

 そしてアホに相対しているほうも、言っちゃなんだが割とアホなことを言っていた。


「ええ。なにせ女性を愛するのは初めてなので、どうすればいいのかわからないのです」

「あー……なぁるほどっ? で、俺に相談しにきたと……?」


 なんで俺?

 いや、本当になんで俺?


「先輩ならそういったことにもお詳しいかと思い、恥を忍んでご相談しようかと」


 内心で疑問する俺に、風道はちょうどいい答えを返してくれた。


「そ、そうかな……? どっちかっつーと、蒼汰のほうがまだ適任そうだけど……」

「それも少し考えましたが、やはり部長である萩枝先輩に、まずご相談するのが筋かと」

「筋……?」

「はい。やはり部活動を通じて先輩から学んだことですから。部長であり、最も尊敬する先輩にこそお伝えすべきと、俺は考えました」

「モットモソンケイスルセンパイ」


 お、俺がですか……。信頼が重いよ、それは……!


 ――いや。いや、それよりもだ。

 さきほどからずっと気になってはいたのだが、やはり風道の言葉は少し引っかかる。


「えーと、風道。もしかして、風道が好きなのって……?」

「はい」

 俺の疑問に先回りして、風道は頷いた。

「我々アナログゲーム部の部員です」

「お、おぉ……そっか。なぁるほどっ!」


 ようやく得心がいった感じだ。

 さっきから、やけに部活の話に触れるとは思っていたが……。

 そういう流れなのね。


「だ、誰なんだ? やっぱ学年も同じ蝶野か? それとも人気あるし月見里とか?」


 ――この時点で嫌な予感はしていた。


 別に確信はない。

 ただ、だいたい悪い予感というものは得てして当たるものだ。

 今までだってずっとそうだったし、それは、きっとこれからも変わらない。


 風道はまっすぐに、けれどほんの少しだけ顔を赤らめて。

 こう言った。


「俺は、妻鹿椛先輩に恋をしたのです」

「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………なぁるほどっ!」


 風道の初恋が、すでに失恋しているという情報を得た瞬間だった。

 えーと、これは……ま、まずくね?


「聞けば椛先輩は、萩枝先輩と同じ中学だったとか」

「あ、うん。えーああ、うん。おぁう」

「先輩たちの仲があまり良好とは言えないのは理解しています。ですがそれでも、やはり萩枝先輩ほど、椛先輩と気兼ねなく話している人を俺は知りません」

「まあ。うーん、そういう。えー、言い方を。あー、すれば。おー、そうかもな……?」

「だから俺は考えました。もしも成績優秀で、先生方からの評判もいい萩枝先輩のようになることができれば、俺も少しは椛先輩の目に留まることができるのではないかと」

「あっはっはっはっは――なぁるほどっ!!」


 今日一の『なぁるほどっ』は、今までで最も追い詰められた『なぁるほどっ』だった。


 なぁるほどっ?

 いや、なぁるほどっ、ではないが……。

 なぁるほどっ。


 ――こういうときってどうしたらいんだろう。


 すでに、俺は妻鹿の心が別の人間に向いていることを知っている。

 真に真摯であろうと考えるならば、その事実を伝えてやるべきなのではなかろうか。

 だが、果たして風道はその現実に耐えられるのか? 正直、読めない。


「先輩のような人間になれて初めて、彼女の隣に並び立つ資格が得られると思うのです」


 風道は言う。

 言っていること自体は完全に的を外していると思うが、風道が本気なのは見ての通り。俺は恐る恐る風道に問う。

 こいつも、かわいい後輩のひとりだ。できれば力になってやりたい。


「もしも――あー、これは仮定の話なんだけど。もしフラれたらどうするの?」


 風道は、そこで少し顔を伏せ。

 しばらく考え込むようにしてから、


「そのときは……、……くうぅうぅっ!!」


 慟哭した。


「どうした!? いや風道、ヘイ、ちょ、どうしたマジで!?」


 風道の両眼からひと筋の涙が流れている。

 泣いた……泣いているマジで泣いている目の前で高校生男子が泣いている!


「だ、大丈夫か……? すまん、わ、悪いこと訊いたな? な?」

「いえ。いえ……問題ありません。すみません、少しだけ取り乱しました」

「う、うん。いや、いいんだけどね。ホント大丈夫?」

「ええ……禅の極意を使い、少し振られた自分を空想してみただけのことです」

「そっか。そっかあ……そうなんだー?」


 意味が……。

 意味がわからねえ……。


「はい。すみません、この技法はいわば脳内にもうひとつ、架空の世界を創り出すが如き手法ですので。あまりに真に迫っていたため、思わず心が砕け散りかけました」

「説明が大丈夫に聞こえない……」


 思わずで砕け散りかける心、相当の危機に瀕していると言える気がした。

 わからないが、要は脳内でめちゃくちゃリアルに《振られた自分》をシミュレートしてしまった、という感じなのだろう。たぶん。すごいんだかすごくないんだか。


「もう平気です。振られたとき、俺がどうするかは今のでわかりました。正確に」

「正確に……」

「ええ。この予測の的中率は八割を超える自信があります。なぜなら禅の極意ですので」

「そっかあ」


 禅とはいったい。

 もう俺には風道の世界観がわかんねえ。


「で、風道? もし振られたら、そのときはどうするんだ?」

「はい。――まず世界を滅、」

「待たれよ」

 俺は待たれよと言った。

「いや待たれよ。待たれよ」


 思わず三回言ってしまった。

 もしかしたら生まれて初めて『待たれよ』が口から出たかもしれない。


 まずって言った?

 そんなおやつの最初のひと口感覚で?

 ワールドデストラクションするって?


「いえ、落ち着いてください、先輩」

「うん……いや、俺か? 落ち着くのは俺か? 風道のほうじゃなくて?」

「はい、冷静になりましょう。俺に世界を滅ぼすことはできません」

「……うん、そうだね」


 言われなくてもわかってんだよ。そこじゃねえんだよ。

 なんで俺がそんなこと言われにゃならんのだ。すげえ釈然としねえ。


「ま、いいや……んで、世界を滅ぼせなかった風道はどうするんだ? 俺としては諦めて新しい恋を見つけるなんて方法、かなりおすすめコースなんだけど」

「何を言っているんですか!」

「ひぃ……」


 突然立ち上がった風道に、もう俺はビビっていた。


「俺をお試しですか先輩! この世に真実の愛はひとつしかありませんよ!?」

「真実の愛!」

 見つけちゃったか、すげえな!

「よし俺が悪かった! どうする!」

「もちろん、そのときは素直に身を引きますよ。それ以外ありません」

「ああ……うん」


 そうか。まあ、そうだよな。

 いくら風道とはいえ、失恋くらいで部活を辞めたりは――。


「――そして潔く出家して俗世との関わり全てを断ち仏道に身を修めようかと思います」

「よーしわかった俺に全部任せとけ!」


 俺にはもう即答でそう答える以外になかった。


 いや駄目だよ。

 重いって。

 部活を辞めるどころか学校を辞める気だぞ、この男。


「せ、先輩……!」


 風道は感動の眼差しで俺を見つめている。

 だが違う。違うぞ風道。

 お前の目の前にいる男は今、後輩のことよりも、後輩に部活を辞められたら自分が困るという完全な保身から発言をしているからね。

 控えめに言ってクズだからね……。


 ――とはいえ、もう引き下がるわけにはいかないのだ。


「俺も先輩としてできる限りのことはするよ!」

「本当ですか!」

「おう任せとけ!」

「俺を真の男にしてくれますか!」

「思ったより要求が重いがおう任せとけっ!」

「先輩!」

「風道!」


 がしっと、男の握手を交わす俺たち。


 ――そんでまあ。

 そういうことになった。

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