1-08『恋は人をダメにするが、元からダメだった可能性もある』1

「ねえ。白馬ってレンタカーショップで借りられると思う?」

「のっけから飛ばしてこないでほしいなあ」


 俺はツッコミを入れながら、白のナイトを前線から引かせる。

 所詮はエンジョイ勢の、にわかアナログゲーマーたる俺だから、チェスの技量は素人に毛が生えた程度だ。

 それでも現在の対戦相手たる妻鹿よりは、まだマシに戦えるだろうが。

 妻鹿の腕前は、言うなれば素人から毛が抜けたレベルであった。


 ……まあチェスの話はいい。

 問題は俺が今、妻鹿とふたりきりで部室にいるというこの状況そのものだ。


「なんなの。なんで急にそんなぶっ飛んだ発想に至ったの?」


 正面に座る妻鹿に、俺は当然の問いを放つ。


「ちょっとした冗談でしょうが。あたしだって馬が車じゃないことくらい知ってる」


 ビショップの駒をぐいと前線へ動かしながら、妻鹿は言った。

 俺はポーンを動かし、相手の動きを制限しにかかる。


「そういう問題でもない気がするけど……そもそも、なんでいきなり白馬?」

「何あんた、そんなことも知らないわけ? それでよくあたしの手伝いができるよね」

「頼んできたの妻鹿だろ……いや、なんで馬の話になるかはわかって当然なの?」

「やれやれ」


 こいつは呆れたおバカちゃんだぜ、とでも言いたげなツラを見せる妻鹿。

 こいつに鼻で笑われるなんてレベルの重い刑罰を受けるとか、前世でどんな悪逆を為したんだ、俺?


「――これはさる信頼できる筋から得た情報なんだけどね?」


 指を立てて妻鹿は言う。

 話の導入にもう信頼性がないがツッコまない。


「まずは、萩枝。告白に必要な三つのものって、わかる?」

「わからないけど、絶対に白馬ではないと思うかな」

「そう、正解。ひとつは白馬」

「俺の間違いをなかったことにしないでほしいなあ……」


 外したじゃん。ちゃんと外したじゃん。

 その問題を正解したとか、もはや名誉毀損だよ。


「いい? 王子様はね、白馬に乗っているべきなのよ」


 妻鹿は頑としてブレなかった。


「オーケー、妻鹿。君の理想はわかった。でも少し考えてほしい。今日まで生きてきて、妻鹿は街中で白馬に乗った人間を見たことがあるかな?」

「は? あるわけないでしょ。バカじゃないの?」

「よかった、そこの常識はあるんだね」

「白馬は告白のときに使うものよ」

「ないんだね」

「考えてもみなさい。告白に、どうして《白》という漢字が使われてると思う?」

「白馬に乗るからでは絶対にねえよ。架空の語源を捏造すんな。そのレベルの歴史改変に出ると言うなら、俺とお前、両国間の国交についても考え直させてもらう」


 もう頭を抱えたくなってきた。

 この子の将来が心配。


「だいたいその理屈なら、犯罪を自白するときも馬に乗ってないとおかしいんだよなあ」

「……ち。盲点だったわ」

「そうだね。もうちょっと黒眼を使おうね」

「あんたもあんたで、いちいち皮肉を挟まないと喋れないわけ?」


 そいつは相手によるってもんだ。肩を竦めてみせる。

 俺を睨むことにも飽きて、妻鹿は小さく息をつくと話を続けた。


「ここで言う《白馬》ってのは、要はひとつの、もののたとえなのよ」

「もののたとえ? なんの?」

「要はTPOよ、ティー、ピー、オー。時と場合と場所。白馬に乗ってるってのは、告白するべき時に颯爽と駆けつけられる迅速さのことを言ってるわけ」

「なぁるほどっ」


 比喩がわかりづらいなんてレベルじゃなかったが、まあ言わんとせんことは理解する。


「告白ってのはタイミングが重要でしょ? 先に誰かに取られてから、あとになって実は好きでしたなんて言っても、意味ないんだから」

「そうだね」


 言っていることだけは正論かもしれない。

 機を窺いすぎて、ずるずる告白できないまま転校していった女が言うのでなければ。


「ま、確かに蒼汰はモテるからね。先に恋人ができました、じゃ話が遅い」

「そこなんだよね……」


 むむむ、と考え込む妻鹿。もうチェスのことは忘れたのかもしれない。


 ――蝶野との共犯関係(?)を確立させてから、今日でちょうど一週間が経っている。

 その間、特に進展と呼ぶべきものは何も起きていない。

 やはり誰しも、そうそう簡単に告白には踏み切れないということだろう。白馬はレンタルできなかったようだ。


「で、あとのふたつは?」


 そう訊ねる。こいつはいわば、妻鹿に対する監視体制であった。

 いい気になって己が恋愛必勝法を語る妻鹿。

 彼女は楽しそうに指を立てて、続ける。


「ふたつめは場合ね。王子様にはもちろん、それに相応しい装いがあると思うわけ」

「……そっか」

「何よ、その冷めた感じ。あんた、そんなだからモテないんじゃないの?」

「いや別に。TPOのふたつめは《場合》じゃなくて《場所》じゃないかな、なんて風に思ってるわけじゃないから、気にしなくていいよ」

「ちょっとズレただけでしょうが!? タイム、プレイス、オケーション! それくらい、ちゃんとわかってる! 悪かったわねっ!」


 相変わらず、強気に見えてぐだぐだなポンコツ少女――妻鹿椛。

 告白を邪魔するとは言ったが、こいつに関しては何も心配いらないかもしれない。

 中学時代、それで失敗した前例だってある。

 妻鹿が、蒼汰に告白する日すら来ない気がした。


 もっとも妻鹿だけは、あるいはまだ失恋していない可能性もあるのだが。


「で、三つ目のPは?」

「うっさいな……あたしはTOPトップを目指すんだからそれでいいのよ……」

「まあまあ」

「……三つめは、そうね。やっぱり定番は、桜の木の下だとあたしは思うのよ」

「もうかなり前に散ったけどね。何? 来年の春まで待つとか、これそういう話?」

「いいでしょ別に木が枯れたわけじゃないんだからバーカ!」

「悪かったよ」


 本心では来年まで延ばしてくれたほうがありがたいのだが、素直に謝っておく。

 妻鹿は納得していない様子だったが、ツッコむのも馬鹿らしいらしく、言葉を纏めた。


「……総合すると、やっぱり白馬に乗った王子様が桜の木の下で告白してくるっていうのが、最も理想的な告白ってわけなのよ」


 偉そうに言う妻鹿。

 桜の木の下で正装した白馬に乗っている王子様の絵面えづら、かなりシュールだけど。もはや現代アートか何かの世界観だけど。


「じゃあ妻鹿は、蒼汰が白馬に乗ってやって来るまで桜の木の下で待ってるってこと?」


 それならそれで都合はいい。

 告白待ちの態勢でいてくれるのなら、こちらは何もしなくても済む。


 ……少なくとも妻鹿は、そんなことは言い出さないだろうけど。


「もちろん、ちゃんとあたしから告白するわよ。このTOPシステムを使ってね!」

「命名、そこで落ち着いたんだ……」

「てことであんたも、なんかアイディアを出しなさいよ。同じ男なんだし、女子からどういう告白されたいとか、それくらいあるでしょ?」


 ようやく話の本題に入る妻鹿だった。

 なぁるほどっ。それを聞いておきたいということか……うん。


「……成長したんだな、妻鹿」


 彼女にしては前向きな言葉に、思わず感動してしまう俺だった。目頭が熱いね。

 妻鹿はむっとしたように唇を尖らせると、こちらを睨みながら小さく言う。


「何それ? まるであたしがダメだったみたいじゃん」

「いくらなんでも『まるで』とか言えちゃうほど、昔の自分に自信持ってないよね?」


 今度は不安になってくる言葉だ。

 まるで、じゃない。純然たる事実として、こと恋愛における中学時代の妻鹿は、ダメの極みだった。

 そのことを忘れたとは彼女も言うまいて。


「何それ。自分で言うのもなんだけど、結構いい線まで行ってたんだからね? ホント、あと少しで伊丹と付き合ってたよ。その手前までは来てた」

「そうかな……スタートラインにも立ってなかった気がするけど……」

「そういうこと言う!?」


 あくまで不満そうな妻鹿。けれど、


「妻鹿、ぶっちゃけ蒼汰とほとんど会話もできてなかったじゃん」


 この女は、常人の想像を遥か超越するポンコツ乙女なのだ。


「そ、そんなことない! 週一くらい話してた時期もあったもん!」

「それで自己弁護足りた? 大丈夫?」

「うぐ……」


 ダメージに呻き、心臓を押さえる妻鹿。

 しかし恋愛相談に乗る以上、言うべきことは言わねばならない。


「同じクラスには一度もなれなかったとはいえさ。蒼汰が妻鹿のこと、なんて呼んでたか知らないでしょ?」

「な、なんだよ……そりゃどうせ、《妻鹿さん》とかそういうのだと思うけど」

「違うよ」

「う……つ、つまり、名前を間違われてたってこと? それ聞きたくなかったけど……」

「妻鹿」

 俺は事実を告げなければならない。

「それは自己評価が高すぎる」

「名前を間違われていたというレベルにすら劣るの、あたし!?」


 劣る。

 残念ながら《間違ってでも名前を憶えられる》というハードルすら、当時の妻鹿には高すぎた。

 嗚呼、突きつけねばならぬは真実という名の剣よ。せめて苦しむことなく一太刀の下に沈むがよい。

 俺は言った。


「蒼汰は妻鹿のことをあだ名で呼んでいた」

「あ、あれ? それむしろ苗字より距離近いんじゃ――」

「すなわち《お天気ちゃん》と」

「お天気ちゃん」

「そう、お天気ちゃん」

「お天気ちゃん!? え、いやお天気ちゃんって何!?」


 絶望の表情を見せる妻鹿。

 確かに、そうそう人間につけられるニックネームじゃない。


「え、なんで……酷くない……?」


 戦慄した様子の妻鹿へ、俺はさらに剣を振るう。


「酷くない」

「そんなバッサリ」

「むしろ妻鹿が酷い」

「あたしが……」

「どうして《お天気ちゃん》なんてあだ名だったかわかる?」

「わからないけど……あ、あれかな? お日様のように明るいから的な……」

「――――」

「だ、黙るのやめてよ……悪かったよぉ……」

「答えは単純だよ」

「なんだよう、早く言えよう……」

「妻鹿が蒼汰と話すとき、毎回必ず『本日はお日柄もよく』と天気の話から入るからだ」

「――だって何話せばいいかわかんなかったんだもん!!」


 妻鹿はテーブルに勢いよく頭を突っ伏した。


「あ痛だあっ!?」


 訂正、頭を打った。


 本当にもう、動いたり喋ったりするたびにポンコツが滲み出てくるなあ……。


「う、うぅ……おでこ、いたい……」

「何をしてんの、妻鹿は?」

「それがわかったら苦労してない……」


 確かにね。それがわからないから苦労してるんだよね。わかるよ。


「ま、まさかそんなふうに呼ばれてたなんて……っ」


 ショックを受ける妻鹿。

 俺だって、蒼汰から『あの子、面白いよなー。ほらあの、お天気ちゃん』などと聞いたときは頭を抱えたくなった。

 女子として見られていないどころかマスコットキャラだ。


「でも、考えてもみてほしいんだよ、妻鹿」

「な、何をだよ……」

「名前も知らない別のクラスの女子が、週に一回のペースで『本日はお日柄もよく』と、その日の天候にかかわらず話しかけてきたら、いったいどう思う?」

「こっわ! あたし、こっわ!?」

「晴れだろうと雨だろうと雪だろうと、やあこんにちは、本日はお日柄もよく、それではさようなら――これは人間ではないよ。ロボットか、もしくはそういう妖怪とかだよ」

「あああああっ!!」


 再びガン、と頭を打ちつける妻鹿を尻目に、俺は揺れで動いた駒を直す。


「そんな妻鹿がいきなり告白なんて、正直ハードルが高いよね」


 妻鹿の思考を、必死に告白から逸らそうとする男がそこにはいた。


 仮に妻鹿が上手くいっても、そのときは風道の失恋が確定してしまう。

 場合によっては月見里まで巻き込んで失恋玉突き事故だ。

 その未来を回避するのが俺の役目である。


「いやいや、あたしは落ち着いてる。落ち着いて考えての結論なわけよ」


 だが妻鹿は意外に頑なだった。

 ぐ、さては中学時代の反省を人生に活かしているな?

 この真面目さんめ。思わず尊敬してしまうじゃないか。


 なんとかして妻鹿の意見を変えさせなければ。

 俺は言う。


「いやいやいや。焦ってコトをいてもいいことなんてないもんだよ?」

「あたしは冷静だって。ベリークール椛と呼んでほしいくらい。いややっぱそれは嫌」

「冷静な人間はそんなこと言わないぞ、ベリークール・お天気・椛」

「すぐ撤回したんだから冷静ってことでしょ。昔とは違う。あたしは成長したの。つーかその呼び方やめろぉ!」

「そうか」

 俺は、そっとルークを動かし、言った。

「チェック」

「え、あれ嘘、いつの間に!? え待って待って待って、ちょっと待ってなんで……!?」

「冷静さ、どっか行っちゃったね……」

「ぐぬぬぬぬ……!」


 必死にキングを逃がす手を考え込む妻鹿だった。

 よし、冷静さは奪った。今がチャンスだ。


「いいか、妻鹿。まず今考えるべきことを明確にするべきなんだよ」

「今考えるべきはチェスに勝つ方法だけど!?」

「オーケー言い方が悪かった。で、妻鹿。実際のとこ勝算があるかな? チェスの話じゃないよ? そんな急に告白して、蒼汰に応じてもらえるか、って意味での勝算」

「……な、ないって言うわけ……?」


 キングを逃がす椛。

 序盤から考えなしにキングで攻めてくるからそうなるんだよ……っと。


「そうは言わない……てか、俺は知らないよ。妻鹿から見てって話」

「ん……んん」

「実際、妻鹿は中学時代には告白すらできなかったわけで。――よいしょ」


 俺のルークが妻鹿のビショップを取る。


「ああっ、あたしの斜めのお坊さんが……」

「ゲームで容赦はしな……いや何その斬新な呼び方?」

「……どうしろってのよ」


 妻鹿がボードから顔を上げて、こちらを見た。

 よし、聞く耳はできた。

 あとは俺が、どれほど妻鹿を説得できるかだ。


「蒼汰に好きな相手がいるかどうかくらいは、まず調べておいていいんじゃないかな」

「……伊丹、付き合ってる相手はいないみたいだけど……」

「あー……どうかなー」


 そういえばあのミーティングの日の朝、何やら朝帰りめいた蒼汰に会ったが。

 どうだろう。確かに特定の相手がいると聞いたことはなかった。

 前の彼女と別れてからご無沙汰だとかなんとか……確か、年明けくらいの情報だ。


「でもどっちにしろ、少なくとも気持ちくらいは確かめておきたいよね」

「……まあ」

「俺は妻鹿を応援してるからさ。中学時代と同じ失敗は繰り返してほしくないんだよ」

「んん……えっと」

「妻鹿は変わったんだろ? まずはその変わった自分を、蒼汰に知ってもらうところから始めよう。今の妻鹿なら、きっと蒼汰の心だって動かせると思うんだよ」

「そう、かな……?」

「そうだよ。大丈夫、聞いた話、蒼汰は結構、自己主張がしっかりした女の子がタイプだって話らしいから。まず蒼汰とちゃんと話ができるようになればいいよね?」

「うん……なぁるほどっ」

「――よし勝った」


 チョロいぜ、妻鹿。

 思わず勝利宣言してしまった俺に、妻鹿はジト目を向けて。


「勝ったって何が?」

「もちろん、ゲームの話だよ。チェックメイト」

「え、――あっ!?」


 話しながら、しれっと妻鹿のキングを詰ませている俺だった。妻鹿以外の部員が相手のときは、こうも上手くはいかないけれど。

 ほかに勝てるのは初心者の風道くらいか。


「くぅ……負けてる。別のことを考えさせて、あたしを追い詰めるとは卑怯な」

「じゃなきゃ勝てたつもりでいるのも釈然としないけど……まあいいや」


 そろそろのはずだ。

 ちらっと、俺は腕時計を見る。

 もう来てもいい時間なのだが……と。


「あれ、誰か来たかな」


 妻鹿の声――俺たちが今いる部室に、近づいてくる足音が廊下から聞こえたのだ。

 それが予想通り部室の前まで来て止まると、続いてがらりと扉が開く音。


「おっすー。お、なんだ。妻鹿ちゃんと恋だけか?」


 イエス。いいタイミングだぜ、蒼汰。さすが弁えている。

 快活な笑みで部室に入ってきたイケメンは、実に自然に椅子のひとつに座った。


「ふたりでチェスか? ってもう終わってんな……はは、また負けたのか、妻鹿ちゃん。相変わらずこの手のは苦手なのなー。恋もちょっとくらいは手加減してやれよー?」

「い、いい、伊丹……!?」

「おう。まあ気にすんなよ、妻鹿ちゃん。なんならオレが恋にリベンジしてやろっか?」

「あ、や、そ……それはいつか、自分でやるから……っ」


 盤面を見るため接近してきた蒼汰に、妻鹿は露骨なまでに狼狽えていた。


 ――中学時代から変わらない。

 妻鹿は蒼汰と顔を合わせるとロクに話ができなくなる。

 以前よりは遥かにマシになっていたが、それでも緊張して耳まで赤くなってしまう。

 ……蒼汰、気づいてねえのかね。


「やる気じゃん、いいねー。それでこそアゴ部員ってもんだよな。なあ恋?」

「そうだね。――あと俺を名前で呼ばないでくれ」

「いつも通りのツッコミ、サンキュー」

「じゃあいつも同じことを言わせるなよ……」


 言いつつ、ちら、と視線を妻鹿に向けた。

 妻鹿もまた俺に『どういうことなの』と視線を向けていた。

 いや、どうもこうも部員が部活に来ただけなんだが。

 今日は顔を出す、と先に蒼汰から聞いていたことは認める。


 俺は妻鹿に、視線で『ちゃんと話を振れ』と告げた。


「――~~うぅうっ」


 小さく呻く妻鹿。そんなんで、本当に告白なんてできるんだろうか。

 彼女が躊躇っているうちに、蒼汰のほうから話し出してしまう。


「さて、次はオレも混ぜてくれよ。つってもチェスじゃふたりしかできんし、なんか別のゲームやろうぜ」


 あえて俺は何も言わず、黙って妻鹿を見つめた。

 蒼汰も妻鹿を見遣る。


「へ? ――あ、ああっ」

 意図に気づいた妻鹿は、慌てつつも。

「そ、そうだね! なんか別のヤツやろっか。い、伊丹は、なんか、やりたいのある……かな?」


 ――まあ、これでも中学時代よりはだいぶマシか。

 本日はお日柄もよく、と言い出さなくなっただけ劇的な進歩だよ、お天気ちゃん。

 まあ割と不審であることは事実だが。

 幸いにも、蒼汰はその程度で表情を揺らがせる男ではない。


「いや、そこは妻鹿ちゃんに任せるよ。なんかやりたいのとかある?」

「……あぅう」


 一撃で沈む妻鹿であった。

 好きな男子に笑顔を向けられて喜んでいる辺り、かわいらしいのかもしれないけど。


 ともあれ、そこで俺はこう言った。


「あ、俺ちょっとお手洗い行ってくるからさ」

「ちょっと萩枝ぁ!?」


 絶望の声を上げる妻鹿。

 おいおい。


「すぐ戻ってくるよ」

 と妻鹿に視線を向けて。

「だから先に決めといて。なんでもいいよ」


 意訳――俺が戻ってくるまでに、蒼汰に好きな相手がいるかどうか確認しておけよ。


 俺は早々に部室を出る。

 許せ、妻鹿。

 俺はお前のためを思って、あえて谷底に突き落としているんだ。

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