1-03『告白をしなければ失恋をすることもない(論理)』3

 もし彼女を知らない者に、月見里一華という人間の特徴を伝えるなら、俺はこう言う。

 すなわち、――かわいいだけの悪魔、と。


 この時点で俺たちの関係性は、だいたいご理解いただけるだろう。


 学内にあるラウンジ。自販機が三台と、いくつかのテーブルや椅子が設置されている。

 ただし構造上、どの教室からも絶妙に遠いため、あまり利用する生徒は多くない。

 ましてホームルーム前となればなおさらで、秘密の会話をするには適した場所だ。


「それで? 話って何かな」


 俺はさして重くもない鞄をテーブルの上に投げ出すと、椅子に腰を下ろして言った。丸テーブルを囲う木製の椅子の、反対側に月見里は座る。

 ――


 しかも何も言わない。

 だから仕方なく、俺から口火を切った。


「飲み物、奢ってくれるって話じゃなかったっけ」

「は、何? ホントに奢らせる気なの? あれ建前だったんだけどなー。わかるでしょ?」


 さきほど朗らかな笑みを振り撒いていた少女とは、とても同一人物とは思えない態度。

 明るさそのものは同じでも、その質が決定的に異なっている。


「ま、どうしてもっていうなら考えないでもないけど?」


 ――萩枝くんは困ってる女の子にたかるのかな?


 視線だけで、そんな主張が読めるようだった。

 まったくいい性格してやがる。


「……別にいいけどな」

 俺は息をついた。

「ったく、この様子をクラスの連中が見たらどう思うか、いつも気になるね俺は。《明るくて人気者の月見里さん》の正体が、これって」


 ほかの人間には絶対に言わない皮肉を吐く俺に、けれど月見里は堪えた様子もなく。


「私はいつだって明るくてかわいい女の子だよ? かわいいが特に重要」

「ああ、うん、まあ……そうだな。性格以外は確かにそうだ」


 俺は言ったが、こんな皮肉で狼狽える奴ではない。


「ならむしろ褒められるべきだと思うけど? 最初っから素で明るい人間より、そうじゃない人間があえて明るく振る舞うほうが労力かかるし努力もしてる。そう思わない?」


 結構な暴論を吐く月見里。誠に遺憾ながら、その意見には同感だった。

 善人が善人であるより、善人たろうとする凡人のほうに俺は価値を見出す。


「第一、女子なんて誰だってそうでしょ?」

 暴論に続けて、極論を吐く月見里だ。

「考えと振る舞い、合わせてその人の評価なんだから。それが普通だと思うなー。だいたいそれ、恋くんにだけは言われたくないよ。――素の性格と振る舞いが私より違うもん」


 面白いのは、俺と月見里の見解は基本的に共通しているという点。内側の思考と、外に出す態度――両面を合わせて《性格》と言うのだ。

 態度と内心の乖離を批難される謂れはない。むしろ褒められてもいいくらいだ。


 タイプは合わないが意見は合う。

 俺にとって月見里一華とはそういう奴で、そのことは月見里だって知っているのだ。

 だから反論ではなく、あえて論点をずらして俺は言う。


「……名前で呼ぶな」

「ええ、別にいいじゃん。ふたりっきりのときくらい、さ?」


 いかにもトクベツな関係を思わせるあざとい振る舞いだが、騙されてはならない。

 この女は単に、俺が名前で呼ばれたくないと知っていて、嫌がらせをしているだけだ。


「言っとくが、俺だってお前には言われたくないわ。誰からも《かわいいと思われたい》なんて動機だけで、そこまで猫被れる奴、そうはいねえよ、めちゃモテ副部長」

「う、うっさいな……いいでしょ別に。私は実際、かわいんだからっ!」

「別に責めてないだろ。むしろ尊敬してるよ、皮肉じゃなくね」


 お互い中身を知っているだけあってか、実のところ仲そのものは別に悪くない。

 というか、俺にとってみればかなり仲のいい女子ではあると思う。

 なにせお互いがお互いにとって唯一、素の自分を曝け出せる相手なのだから。


「……はあ。なーんか話してて馬鹿らしくなってきちゃったなー」


 テーブルに肘をつく月見里は、そう言ってこれ見よがしに溜息をついた。

 呆れているというよりは、単に話を誤魔化したかっただけだろうが……まあ指摘はしないでおこう。


「お前に呼ばれたから来たんだけどな、俺は……」

「や、まあそうだけど」


 明るめのベージュっぽいさせた髪(我ながら頭の悪い表現だ)を、指先で弄る月見里。

 自分が頼んでいる側だという自覚はあるらしく、ちょっとばつが悪そうだ。


「あんたに素の自分を見せちゃったのが、私の人生でいちばんの失敗だったと思うよ」

「それこそお互い様だけどな。……これでも結構、驚いたんだ」

「素の私に?」

「いや。月見里がゲーセンでランカーやってたってことに」


 俺が言うと、月見里はわずかに唇を尖らせた。


「……それは秘密にしとくって約束じゃん」

「だから、誰も聞いてないとこで言ってんだろ」

「ああ言えばこう言うなあ、もう!」


 ――俺と月見里の出逢いは、とあるゲームセンターでのことだった。


 いや、厳密に言えば初邂逅はもちろん学校なのだが、それでも今みたいに月見里と話すようになった最大のきっかけという意味合いでは間違っていない。

 ほとんど話したこともなかったクラスの中心人物と言っていい女子が、たまたま遊びに行ったゲームセンターで鬼のように音ゲーを叩いていたのだ。

 正直、目を疑った。


 実のところ、俺はあまりゲーセンには行かない。

 極められるほど得意ではないし、金がかかるという一点だけでも、高校生には厳しいからだ。

 そういう意味でも、だいぶ確率の低い偶然を引いたことになるわけだが――。


「あそこ、穴場だったんだけどなあ……まさか見つかるなんて」


 ちょうど同じことを考えていたのか、月見里は呟く。まるで頭痛を堪えるかのような、オーバーな仕草がものすごく気にかかった。

 が、あえては言及しない。


「お陰で脅される羽目になるし。本当、あれが運の尽きって感じ」

「人聞きの悪いことばっか言いやがるよ。誰が誰を脅してるって?」

「誰も聞いてないでしょ。先に言ったのは恋くんのほう。第一、事実じゃん」


 ――まあ、そんなわけだ。

 それなりにコアゲーマーな月見里は、けれど自分がゲーム好きだという一面を学校では隠し通していた。

 その些細な秘密が入学早々、あっさりと俺にバレたのだ。

 当然、月見里は俺に口止めを迫った。ゲーマーであること同様に隠していた、勝ち気な本性を剥き出しにして。

 クラスの女子からの「ちょっとツラ貸せや」には面食らった。


 ただ俺も、せっかく握った秘密を善意で隠すほど生温くない。ある交換条件を持ち出すことで取引に応じたわけで――それが《アゴ部への入部》だったという話。

 実際、最適な落としどころだったとは今でも思っている。本気で言い触らすつもりもなかったのだ。

 その場合は口止めを通り越し、口封じをされかねなかったと本気で思うし……。


 ともあれ、俺と月見里とがこうして話すようになったのは、その一件がきっかけだったわけだ。

 俺が当時、姉に「新入生もっと連れてこい」と迫られていたことも一因だが。

 月見里一華がゲーマーだという情報を黙っている代わりとして、彼女にアゴ部へと入部してもらう。

 ――俺と月見里との始まりは、そういう脅しめいた取引だった。


 まあ、アゴ部とはすなわちアナログゲーム部。

 ジャンルこそ違えど、そう遠くもない。


 それに結局、断られたら断られたで正直いいかとは考えていた。

 だから月見里が、意外にもすんなりと取引を呑んだことは、どちらかというなら驚き側だ。


「言う割に月見里は、出席率もいいほうだしな……正直、どっかで辞めると思ってたわ」


 その一件以来、月見里とは刺すか刺されるかの関係が続いている。

 別に嫌われているとか、恨まれているわけではない、と思う。

 俺に対して当たりが強いことは事実でも、それは月見里一華という人間の、そもそもの性格だろうし。


「だってそういう約束……っていうか取引だったじゃん。一度決めたこと、うだうだ言うなんて趣味に合わないもん」


 月見里は言う。そういう割り切りはできる奴だ。


「……ま、部活は楽しかったし」

 髪をくるくる弄る月見里は、こちらを見ない。

「先輩たちにもお世話になったし。アゴ部に入れられたこと自体には別に文句ないよ」

「月見里……お前」

「あによ?」

「……いや。いきなりデレるから驚いただけだ」

「別にデレてないんですけどー!?」


 月見里の耳が少しだけ朱に染まっていた。

 そういうところが、月見里を嫌いになれない部分なのだと思う。


「ああもう……わたしの完璧なアイドル化計画が、どうしてこうなるのかなあ……」

「自分で自分のことアイドルとか言っちゃうからじゃないかなー……」


 などと言ったところで、スピーカーから予鈴の音が鳴り響いた。


「あ!」


 声を上げる月見里。

 ホームルーム五分前を示すチャイムだ。そろそろ遅刻ギリギリの生徒たちが駆け込んでくる時間。

 月見里の《話》とやらを聞く時間は、もう残っていないだろう。


「しまったなあ……無駄話しすぎちゃった」


 苦そうな顔をする月見里に、俺は頭を下げる。


「悪いな。話の腰を折りすぎた」

「や、別に謝らなくていいけど。頼んだのこっちだし。てか、そもそも時間かかりそうな話だったし、最初っから朝は無理だったかも。――恋くん、放課後は空いてるの?」

「あー……ミーティングの前は無理だ。終わったあとだったら時間取れるけど」

「できれば先がよかったけど……ま、いっか。わかった。じゃミーティング後にちょっと時間貸してよ。……恋くんには、言っといたほうがいいような気がするし」

「……わかった」


 つけ加えられた言葉が微妙に不穏だ。

 実際問題、月見里から受ける相談ごとなんて、そう選択肢はない気がする。


「じゃあ会議のあとな。そろそろ戻ろう」

「――ん」


 小さく頷いて立ち上がると、月見里はそのまま脇の自販機に向かった。硬貨を投入して彼女が買ったのは、ボトル缶のブラックコーヒー。

 思わず目を見開く俺に、月見里は「はい」と缶を投げ渡してくる。


「……え、何?」

「奢れって言ったの、恋くんでしょ。相談に乗ってもらう報酬……だぞっ!」

「…………」

「それより早く戻ろ! 揃って遅刻なんてしたら、私と噂されちゃうぞ――?」


 教室で見せる、それは《月見里一華》の姿だった。

 俺は両手で受け取ったボトル缶のブラックコーヒーを持って、静かに月見里を追う。


 ――月見里も、難儀な性格してるもんだ。



     ※



 そんな朝の顛末を経てからの昼休み。

 取り立てて驚くようなことや、大きな事件なんかが起こった朝ではない。いつも通りと言えばその通り。楽しい高校生活のひと幕だ。

 無論、三人の部員から相談を持ちかけられたことは特筆すべき事態だが、それだけならまだ《いつも》の範疇から出ることじゃないだろう。

 あくまでも日常の内側である。


「ありがとうございましたー」


 頭を下げて、職員室を出る。

 部室の鍵を借りたのだ。基本、放課後以外に部室のドアを開くことはないが、頼めば借りることはできた。


 我々アゴ部の部室は、四階建ての部室棟の三階、そのいちばん奥にある。

 辿り着くまでちょっと遠いが、秘密の話をするには適しているというものだろう。

 先んじて部室の鍵を開き、中に入っておく。


 朝のうちに買っておいたコンビニのサンドイッチを齧りながら、少し考えた。


 ――今のところ俺は、三人の部員からの《相談》を楽観視している。

 いや、朝は少しだけ違和感も覚えていたのだ。

 ひとりはLINEで、ひとりは手紙で、わざわざ《相談がある》と前置きしてきた。そりゃ不穏にも思うというもの。


 相談する前に、相談していいかと相談する。この時点で、ある程度、内容面の深刻さが窺える。

 一方、あくまで相手が俺であるという点が、あまり繋がってこなかった。

 自分で言うのもなんだが、そこまで切羽詰まった相談を俺にしてくるとは考えにくい。


 それらは矛盾しているようだが、ここに全員がアゴ部員であることを加味すれば見方が変わってくるのだ。

 というか普通に考えて、部員から部長に相談があると言うなら、その内容は部活に関するものだろう。それぞれ個人から頼まれたせいで気づけなかったが。

 さすがに、三人も続けば察しもする。


 特に最後の月見里は、そんなに重い相談を持ちかけてくるような様子では――そもそも月見里が俺にそれをするとも思えないが――なかった。

 ほぼ全員が同じタイミングだったことも鑑みれば、あるいは共通する内容の相談なのかもしれない。部で起きている何かの同じ問題を、三人が別々に相談してきた、というような。それなら話は早い。


 ただその場合、部長である俺がこれから相談される内容に、一切心当たりがないという点が、ちと解せない。

 俺だけが知らない部の問題……ちょっと想像できなかった。


 となるとやはり個人的な問題で、それが部員三人、同タイミングで被った……か?


 サンドイッチを飲み込み、部室を見回しながら静かに思う。

 問題は、この相談の内容がこれからのアゴ部の行く末に関わるのかどうか。その一点。

 総勢六名の小さな部活。

 厳密には、一応の引退を迎えたとはいえ、今の三年生たちもまだ籍は残っている。が、やはりこれからを担うのは今の二、一年生である俺たちだろう。


 部長という役職の責務とは、いったいなんであるか。

 思いつくものは少なくないが、総合すれば《部を滞りなく運営し、後輩に繋げる》ことだと俺は思う。

 そのためにできることならなんでもやるつもりだったが、相談そのものが軽いに越したことはなかった。

 できれば、本当になんでもないことであってほしい――。


 そんな願いを聞き届ける者がいたかどうかはともかくとして。

 がらり、と部室のスライドドアが開かれる音。同時に室内へ入ってきた少女に、


「いらっしゃい……ってのもおかしいけど、待ってたよ」


 いつも通り自然に微笑みかける。

 そして、彼女はそんな俺を一瞥すると、憎々しげに睨んで息をついた。


 俺は、もちろん怒らない。

 軽く肩を竦めて、めげずに声をかける。


「お昼は? もう食べたかな」

「……あんたは?」


 固い声。その小柄な体躯に反し、纏う雰囲気には棘が張りつけられている。


「俺は、見ての通り今食べてるとこ。もう終わるけど――」

「いいよ別に、食べながらで」

「……じゃあお言葉に甘えまして」


 相変わらず嫌われたものだ――だからこそ、彼女から『相談したいことがある』なんてLINEが来ることに、俺は驚かずにはいられなかった。朝一で今年一の衝撃だ。


 ――妻鹿めがもみじは、実に不機嫌そうに部室の戸を閉めた。

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