1-16『恋愛脳(NO)』4
俺は無言。
それは翻せば、蝶野の言葉を否定できなかったということでもある。
だが、それでは困る。
なんとか言葉を探して、それを舌に載せる。
「そ……それは、結果論だろ」
「そうですかね?」
「そうだよ。あいつらが予想を超えるポンコツだったせいで、俺だって別にやりたかったわけじゃないんだから。ただ放っといたらもう自爆しそうだから、だな……」
妻鹿も、風道も、ああなんなら月見里だってそうだ。
――あいつらはなんにもわかっていない。
俺は恋愛が嫌いだ。
いや、より正確に言うなら恋愛をしている人間が――それを絶対のものとして、それ以外のものに目を向けなくなる奴が嫌いなんだ。
そうだ、別に構わない。
俺は最初から言っている。
好きに恋をしろ。
彼氏も彼女も好きに作れ。
ただ周りを巻き込むなと言っているだけに過ぎないのだ。
だから、こうして裏側で面倒なことをやると決めた。
「違いますよね?」
それでも揺るがず蝶野は言う。
まるで、初めから知っていたとでも言わんばかりに。
「せんぱいは、ただ単に――みんなが心配なだけでしょう?」
「…………」
「自分を正当化する割には偽悪的に振る舞って、そのせいでわかりにくいだけで――ただせんぱいは、友達にしあわせになってほしいってだけじゃないですか。優しいですね」
失恋するのは悲しいことだから。
友達が傷つくのを、見たくなかったから。
みんなで仲よくしてほしかったから。
痛みを分け合う恋愛よりも、楽しみを分かち合っていたい――。
「椛先輩が、転校してしまう前と同じで、今もずっと伊丹先輩を好きだから、その恋路を応援してあげている。柳くんが椛先輩に恋をしたと言ったから、不器用な柳くんが、少しでも上手くやれるようにアドバイスをしてあげている。結果を先に求めがちな一華先輩が失敗しないように、先延ばしにすることで機会を増やすようにしてあげた。――これまでせんぱいがやってきたのって、つまりそういうことじゃないですか。わたしにはどこからどう見ても、せんぱいは部員の面倒を見てあげているようにしか見えませんよ。自分よりほかの人を優先して、それでみんなが上手くいくならいい、って。そういうふうにしか」
「……なんで、お前は……」
そう思うんだよ、と、俺は問おうとした。
問うより早く、蝶野は答えた。
「いや、だってわたし、せんぱいのことが好きですから。見方が好意的なんです」
「……な、んで――」
「味方なので」
「なんで……そんな面白くないダジャレを今、このタイミングで……?」
「つい」
「ついってお前、あ、いやそうじゃなくて!」
「ずっと。ずっと前から――この部活に入る前から、せんぱいのことが好きだからです。これでいいですか?」
――だから、わかります。知ってるんです。
そう、彼女は言う。
「ずっと見てましたから。せんぱいが、優しくて、だけど不器用なこと――知ってます。そうじゃなきゃできないことを、せんぱいはやっているんですから」
「……蝶野」
「第一そうでもなくちゃ、いきなり《部内恋愛を邪魔する》とか言い出す人を手伝うわけなくないですか? 普通ドン引きですよ。まずわたしが部活辞めてるまでありましたよ」
「……あ、ですよね」
「その時点で気づいてほしかったですよね正直。その点どうですか」
「はい。すみません……」
どうしよう。
普通に謝ってしまった。
いやいや。
「え? いやお前、入部する前から俺のこと知ってたのか……?」
「はい、知ってましたよ。会ったことありますし、というか喋ったこともあります」
「……マジで?」
「やっぱり、せんぱいは覚えてませんでしたか……まあ無理もないですけど、それでも、こうして言われるとやっぱり悲しいですね。かなー」
悲しみの擬音(?)が絶対に間違っていると思ったがツッコめない。
事実、覚えていなかった。言われてなお心当たりすら浮かんでこないのだから、完璧に忘れているわけだ。
お天気ちゃんをとやかく言えた義理じゃない。
マジか……幼い頃に結婚の誓いをしたとか、数日間だけ遊んだ幼馴染みがいるみたいな展開、俺の人生にはないぞ?
忘れたとかじゃなくて、絶対そんなことなかったはず。
「……えと、ちなみに……いつ頃、だ?」
恐る恐る訊ねてみる。さすがにこれはかなり申し訳ない。
蝶野は目を細めて、責めるように言った。
「去年ですね」
「去年……えっ、去年?」
「まったく、ホントにヒドいせんぱいですね。ここまで言ってわからないなんて」
「……わ、悪い……」
「入学してこの部に来て、忘れられていると知ったわたしの悲しみが、わかりますか?」
「返す言葉もない……」
「強く、強く猛省してください。この件に関しては賠償まで求めるわたしですよっ」
どうやら蝶野、珍しくもだいぶ怒っているらしい。
……いや、それも当然か。
こうして……その、告白してくれるほどだというのに、当の俺は会ったことすら思い出せないというのだから。蝶野もいい気はしない。
「その、いつなんだ? 聞けば思い出せるかも……」
言いながら、無理だろうなと思いつつ俺は訊ねてみる。
蝶野はふうと息をつき、それから肩を竦めて。
「――まあ去年の文化祭でアゴ部のイベントに一般参加しただけなんですけど」
「あんだけ責めておいてそんなうっすい繋がり言ってくるとは思わんかったわ」
やりやがったな、こいつ。謝って損したわ。
いくらなんでもそれは覚えてねえよ。一般客だけで何人いたと思ってんだ。
一般参加の女子中学生ひとりをパーフェクトに記憶してるほうが怖いだろ……。
「せんぱいを一方的に責められるいい機会だと思いまして、つい」
「まあ忘れてたのは事実だからいいけど……お前、ホントにいい性格してるよな」
「てへへっ」
「かわいい顔してもダメ」
そうツッコむと、蝶野は頬に手を当てて体をくねくね動かし。
「かわいい、ですか? えへへ、大好きなせんぱいに言われると照れちゃいますね」
「――な、お……ま」
素直すぎるそんな反応に、俺のほうが狼狽えてしまう。
なんだか本当に蝶野がかわいく見えた。魔的な後輩はさらに続けて、
「でも、そういうせんぱいも、カッコ……えー、あー……えーと」
「嘘だろそこ言い淀むかよお前マジで」
「……まあ、なんか、なかなか……いい感じですよっ!」
「お前ホントは俺のこと好きじゃないだろ……」
俺を褒め返そうとして、途中で別に格好よくはなかったことに気づいた、みたいな感が完璧に演出されきった反応だった。
いい感じって。
そんなに褒めるとこなかったのん?
だが、それでも蝶野はやはり一枚上手で。
「――好きですよ?」
「…………」
「ちゃんと好きです。せんぱいのこと」
「……、俺は」
このとき、自分が何を言おうとしたのか――実のところわからなかった。
直後に蝶野は、俺の言葉を遮ったからだ。
そのせいで、中身はどこかに飛んでいった。
「いえ、いいですよ別に、せんぱいは答えなくて」
「……あ、え……?」
「わたしはただ、せんぱいに好きだって伝えただけです。それ以上は何も言ってないですからね。付き合ってほしいとか恋人になってほしいとか連帯保証人になってほしいとか、わたしは言ってません」
「……さ、最後のはやらないけれども……」
呆然として、普通にツッコミを入れている俺の間抜けさたるや、人後に落ちない。
「ほら、せんぱいが答えなきゃいけないことなんて、何もないんです」
「……蝶野」
「お嫌いなんでしょう? 恋愛。それを知ってて頼むほど、性格は悪くないですからね」
――つまり、蝶野は言っている。
わたしは《好き》だと伝えただけだ。
気持ちを言っただけで、それ以上に何かを求めていない。
だから俺は、その感情に何かリアクションを返す必要はないのだ――と。
「……それ、俺がかなり酷い男じゃないか?」
「せんぱいは元から酷い男でしょう」
「そうか……」
「酷い男っていうか、酷い人間でしょう」
「酷い度が増した感がすごい……人として酷いってほどかな……」
「てか、好きだとは言いましたが、なんですか、そこから先まで期待しちゃったせんぱいですか? かわいいですね、でもダメですよ。むしろそう、勘違いしないでよねっ! という案件です。せんぱいを彼氏にしてあげると思ったら大間違いなんだからねっ!」
「だとするとお前が酷い女だよ……」
「せんぱいはせんぱいなので彼氏とかそういう肩書きちょっとまだ早いと思うのです」
「……お前にとっての《せんぱい》って、本当に何……?」
そう、俺は力なく呟く。
わかった――いや厳密には意味がわからないが、それでもわかった。
「なら俺はお前に何も答えない。それで、いいんだな?」
「フラれちゃったら悲しくて部活辞めちゃうかもしれないですからね、わたし」
「……それは困る」
「さあ、それよりどうするんですか、せんぱい!」
かわいい後輩は、そう言った。俺に訊ねた。
「これから、せんぱいがやるべきことです。なんでもお手伝いしますよ?」
「……そうだな……ああ、そうだった。俺はこんなことしてる場合じゃねえんだ」
あえて言う。
俺の目的は何も変わっていない。この部を守ること以外にない。
だから。
「――これからちょっと、好きな女に告白してくるわ」
俺は言って。
その最低な宣言に、蝶野は笑って頷くのだった。
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