迷惑勘違い男
商店街を抜けてやって来たのは、真っ白な雪の積もっている川原。
数匹の冬鳥達が浮かんでいる水面を眺めながら買い物かごから取り出したのは、さっき買ったばかりのアイスキャンディー。
一口食べると、口の中いっぱいに冷たさが広がっていく。
ふふ、やっぱり雪の日に食べるアイスは格別ね。
何なら、もうちょっと寒くなったって良いんだけど。例えば、この川がカチカチに凍ってしまうくらい。って、いくらなんでもそれは無理か。
それにしても、今日は本当に良い天気。冷えた水面を見ていると、つい遊び心が掻き立てられてくる。
さすがに寒中水泳をしたら見た人がビックリしちゃうだろうけど、裸足になって水遊びをするくらいならいいかな。
一度思ってしまったら、やってみたいという衝動は止まらない。
アイスを口にくわえたまま裸足になって、そっと水面に浸してみる。ああ、冷たくて気持ちが良い……。
「おいあんた、何やってるんだ!?」
不意に後ろから聞こえてきた、耳をつかんばかりの大きな声。
いきなりの大声に、思わずビクッと体を震わせる。そこまではいいのだけど、ビックリしたショックで、くわえていたアイスが口から離れてしまって。そのまま川の中にぽちゃんと吸い込まれていった。
あー、あたしのアイスがー!
おのれ、至福の一時を邪魔するのは、どこのどいつだーっ!?
怒りに肩を震わせながら立ち上がって振り返ると、学ランを着た坊主頭の男子が、少し離れた所からこっちを見ていた。
下手人はお前かー!
「ちょっとあんた、あたしのアイスを……」
「お前何してるんだ!? 自殺なんて、バカなマネはよせ!」
「は、はあっ!?」
コイツいったい何を言ってるの?
ポカンと口を開けて固まってしまったけど、彼はずかずかとそばまでやって来て、勢いよくあたしの両肩を掴んだ。
「何があったかは知らないけど、早まるな。死んだら全部おしまいなんだからな」
「いや、死なないから。何を勘違いしてるかしらないけど、自殺するつもりなんてこれっぽっちもないから」
「今からでも考え直して……なに、そうなのか?」
ようやく分かってくれたみたいで、手を放す彼。
どうやらあたしが、入水自殺でもしようとしているものと勘違いしたらしいけど、失礼な人ね。
その上、アイスまで台無しにされちゃったし。
「あのねえ。いくらなんでも発想が飛びすぎじゃないの? あたしはただ、川遊びをしていただけだって」
「いや、こんな寒い日に裸足で川に入っていくなんて、普通じゃねーだろ」
う、それを言われると辛い。
だからってさすがに早とちりが過ぎる気もするけど、確かにあたしも軽率だったわ。
けど、それでも彼は深く頭を下げてきた。
「悪かった、すまん。前に見た映画でそんなシーンがあったから、つい重ねてしまったんだ。それにその、着るものにも困ってるみたいだし、生活が苦しいのかって、思ってしまって」
「着るものって、あんた何を言って……」
言いかけて、はっと気がついた。
今あたしが着ているのは、半袖の夏服だということに。
あたしは雪女だから全然平気なんだけど、今日みたいな雪の降る日に、半袖で外を出歩く女なんて普通はいない。
だからと言って服も買えないくらい経済的に厳しいから自殺なんて、やっぱり飛びすぎた発想だとは思うけど、ギョッとするのも無理はないかも。
こんな格好をしていて、更には真冬の川に入るなんて、人間の感覚だと正気の沙汰じゃないだろうからね。
そういえば、八百屋のおばさんからも寒くないのかって言われたっけ。あの時は単に雪が降ってるから聞かれたのだと思ったけど、きっとこの格好のせいもあったのかもなあ。
だけどしまったなーって思っていると、彼は何を思ったのかおもむろに、自らが着ている学ランを脱ぎはじめた。
ちょっとちょっと、あんたこそ何やってるの。あたしはともかく、こんな日に人間が薄着になったら寒いでしょ。
しかし呆れているあたしの肩に、彼はその脱いだ学ランを掛けてきた。
「何すんのよ?」
「何って、女が体冷やしちゃダメだろ。とにかくこれを着とけ」
「あたしは平気だから」
どちらかと言えば暖かい服よりも、川に落としてしまったアイスの方を返してほしいんだけど。
それに学ランを脱いで、ランニングシャツ姿になった彼を見ていると、いたたまれなくなる。
だってガタガタと震えていて、寒いのを我慢しているのがバレバレなんだもの。人にこんなもの押し付けてきたくせに、自分はやせ我慢か?
「こんなの良いから、自分で着なさいよ。あんたの方が寒そうよ」
「俺は平気だ。それに、寒いのはお前の方だろ。さっき腕に触れたけど、滅茶苦茶冷たかったぞ」
それはあたしが雪女だからで。冷たいのは確かだけど、別に苦になってるわけじゃない。
あとコイツ、どさくさに紛れて、どこ触ってるのよ。
思わず両手で自分の体を抱き締めて身をよじったけど、たぶん下心があったわけじゃないんだろうと、すぐに思い直す。
一方コイツは、身をよじるあたしを見て、「やっぱり寒いんじゃないか」なんてまた勘違いしてくれている。なんだか調子狂うわー。
「悪かったな、はやとちりして。お前、名前は?」
「……お雪よ」
「そっか。俺は
「余計なお世話。それにその言葉、そっくりそのまま今のあんたに返すわ」
「良いんだよ、俺は男なんだから。おっといけね。用事があったの忘れてた」
そう言うと彼、綾瀬勝はあたしに背を向けて、足早に去って行こうとする。
って、上着は預けっぱなしか!
「ちょっと、これどうするのよ」
「お前に貸しとく。返すのは、次会った時でいいから」
よほど急いでいたのか、それだけ言って勝は走り去って行った。けど、次に会った時っていつよ。
あたしは名前以外、あんたのことを何も知らないんだけど、どうやって会う気。バカなの?
そのバカな男を、呆れながら見送って。押し付けられた学ランなんて、このまま捨てていこうかとも思ったけど、さすがにそれは躊躇われる。
仕方がない。少しの間、預かるしかなさそうね。
諦めて学ランを羽織直すと、ほのかな香りが鼻孔をついていた。
男の人の匂いだ。
(なによ、こんなもの押し付けちゃってさ。ありがた迷惑も良いところよ)
あたしは雪女なんだから、着込む必要なんてないっていうのに。
だけど、どうしてだろうね。必要ないはずなのに、迷惑なはずなのに、学ランから伝わってくる暖かさからは、不思議と嫌な感じはしなかった。
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